電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

紙の博物館編『紙のなんでも小事典』を読む

2020年11月15日 06時01分13秒 | -ノンフィクション
講談社のブルーバックスで、紙の博物館編『紙のなんでも小事典』を読みました。香月美夜『本好きの下剋上』に刺激されて紙の作り方に興味を持ち、たまたま見つけたものを図書館から借りてきたのでしたが、意外にすんなりと読めました。「パピルスからステンレス紙まで」という副題のとおり、洋紙、和紙、その他いろいろな紙についての薀蓄を読みやすくまとめたものです。構成は次のとおり。

第1章 「紙頼み」現代社会――ますます必要になる紙
第2章 「漉き」こそ紙の上手なれ――伝統的な製紙法
第3章 「紙技」を機械技へ――近代的な製紙法
第4章 紙は世につれ国につれ――紙の歴史
第5章 源紙物語――すばらしい和紙
第6章 紙をも恐れぬ使い道――意外な紙製品
第7章 紙ならぬ身――意外な素材の「紙」
第8章 捨てる紙あれば拾う紙あり――紙のリサイクル

とくに興味深かったのは、製紙法の歴史や和紙の特徴などでした。オフセット印刷には向かないらしい和紙も、レーザープリンタやインクジェット・プリンタでは使えるのだそうで、それは面白そうです。一句うかんだら毛筆でサラサラと、というような才能はありませんが、なんでもコピー用紙ばかりでは味気ないですので、和紙、クラフト紙、ケント紙、アート紙、その他いろいろな紙を工夫して使ってみたいものです。

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明日の日曜夜にNHK-Eテレで山響のベートーヴェン「運命」を放送!

2020年11月14日 06時03分37秒 | -オーケストラ
昨夕、NHK の地元ローカル番組「やままる」で、山響の常任指揮者・阪哲朗さんのインタビューが放送されました。NHK-Eテレで、今年生誕250年にあたるベートーヴェンの交響曲を、各地のオーケストラで全曲演奏しようという企画があるそうで、われらが山響も参加するのだそうな。具体的には、明日の日曜夜、21時から、ベートーヴェンの交響曲第5番、いわゆる「運命」の演奏が放映されるそうです。わーお! いくら「聴き飽きた」感がある(*1)といっても、新型コロナウィルス禍の中で演奏家が演奏できない事態となり、自分たちの存在意義に悩んだのは確かでしょう。ようやく聴衆を前に演奏できるようになったその喜びの中には、ベートーヴェンの苦悩を身近に感じた面もあったかもしれません。

それはともかくとして、しばらく聴いていないあの堂々たる第2楽章、そして第3楽章から怒涛のフィナーレへ、これは聴いてみたいものです。

●NHKEテレ「クラシック音楽館」
11月15日(日)午後9時~
・交響曲第5番 山形交響楽団
・交響曲第6番 大阪フィルハーモニー交響楽団

また、大阪フィルの第6番「田園」も楽しみ。日頃の習慣で夜が早いので、うっかりすると寝てしまう可能性もあります。いかに短期記憶に疑問符がつく年齢でも、ブログにこれだけインプットしておけば、たぶん大丈夫ではなかろうか(^o^)/

(*1):耳タコなほど聴きなれた曲目を再び楽しむ法〜「電網郊外散歩道」2007年9月

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デスクライトをLEDタイプに更新したらずいぶん明るくなった

2020年11月13日 06時01分40秒 | 手帳文具書斎
先の週末に、長年愛用しているデスクライトが不調になりました。しばらく蛍光管が点灯しているのですが、突然パッと消えてしまいます。もう一度タッチスイッチを入れても、しばらくするとまた消える、という状態です。そういえば、このデスクライトも、ずいぶん長く使っているなあ。試しにテキストファイル備忘録を「蛍光灯」で検索してみました。

$ grep "蛍光灯" memo*.txt
(中略)
memo-utf.txt:2002/05/04 買い物メモ 蛍光灯ランプFPL27EX-N型、コピー用紙A4判1包、朱色筆ペン交換用カートリッジ、アスキーのWindowsXPネットワーク関連ムック
(以下略)

蛍光灯ランプFPL27EX-N型というのは、まさにこのデスクライト TWINBIRD URBAN FORM i AX LK-H282型 という製品に適合した規格のランプで、他にこの手のタイプを使ったことはありませんので、2002年には蛍光管ランプを交換更新していることが判明。それ以前に購入して使っているということになり、明らかに前世紀の遺物ということになります(^o^)/

それにしても、ずいぶん長持ちしたものです。さすがは made in Japan. と感心します。デスクライトは毎日使うものですし、秋の夜長を快適に過ごためにも、早急に更新する必要があると考え、量販店で物色して来ました。





で、このたび購入したのが Panasonic のLEDタイプのデスクライトで、SQ LC526 というものです。12,000円也。この製品は、今までの古いアーム型蛍光灯ライトと比べて、ずいぶん明るく感じます。1,200ルーメンだとか。




また、USB 電源供給用の端子が出ているというのも今風です。Kindle PaperWhite を充電するのも楽です。欠点は、しいてあげればタッチ型の電源スイッチが暗いところでは探しにくいこと。触ったときにわかるように突起がありますので、わかるといえばわかるのですが、わかりやすくはありません。オシャレなデザイナーさんが担当すれば、こうなるんだろうなあとは思いつつ、まあ仕方がない、明るくなったことをもってよしとしましょう。



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ミステリーサークル?

2020年11月12日 06時01分12秒 | 週末農業・定年農業
おや、こんなところにミステリーサークルが! なんだか不思議な形に草が伸びています。しかも、真ん中には生えず、その周りは周囲の草丈よりもずいぶん高い。おかしいぞ………ふと思い出しました。そうだ、ここは野菜に肥料をやろうとして袋から出すときに、こぼしてしまった場所だった!

おそらく、中央の草の生えないところは、肥料の濃度が濃すぎて草が枯れたのだろうと思われます。草丈が高くなっているのは、適度な濃度になって肥料が効いたところでしょう。このことから、肥料をやりさえすれば良いのではないことがわかります。作物に、直接肥料をかけるのではなく、適度な濃度になるように、周囲にばらまくのが良さそうです。そういえば、里芋でもアスパラガスでも、茎の周りに施肥するのではなくて、畝の片側をくずし、そこに施肥してもういちど土をかけて畝を盛り上げるのでした。なるほど、合理的です。

文字通り「失敗も肥やしになる」という見本のような出来事です(^o^)/

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カーキブラックとブルーブラックの混色はほとんど黒だが

2020年11月11日 06時01分58秒 | 手帳文具書斎
先に購入したプラチナ社のクラシックインクのシリーズから、カシスブラックとカーキブラックを2:1に混色してみたら、たまたまゴールドオーカーっぽい色になって(*1)、便利に使っております。では、カーキブラックにブルーブラックを混ぜたらどうなるのか。試しに、カーキブラックとブルーブラックを2:1に混ぜてみました。あくまでも実験的な試みです。

その結果、とくに沈殿したりはしていないようです。休ませていた青軸カクノにコンバータ CON-50 で吸入して使ってみると、ほぼ黒系のインクに見えます。書いている途中では青っぽくも見える黒ですが、後に残るのは焦げ茶色がかった黒です。いわゆる真っ黒とは違う、微妙に青黒から焦茶黒に変化する不思議なインクになっています。ただし、黒インクとどこが違うのかと問われると、あまり意味はなさそうと答えるしかないですね〜(^o^;)>poripori



混色し青軸カクノに吸入してからほぼ二週間。今のところ、とくに詰まりもしていないようですが、もう少し様子を見る必要がありそうです。

プラチナ社の黒インクと比べると、色合いが多少違うといえば違うのですが、古典インクの特徴である酸化されて黒っぽく変化するという過程がはっきりと見えないのでは、あまり楽しくないかも。ブルーブラックは青色の色素が多いために、焦げ茶色を通り越して黒になってしまうのかもしれません。残念ながら、これは外れだなあ。カーキブラックの比率をもっと多くして、ブルーブラックを少なくしたらどうなるだろう。今回、混色した分を使い切ったら、試してみましょう。

(*1):クラシックインク「カシスブラック」と「カーキブラック」を混ぜたら〜「電網郊外散歩道」2020年10月

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デミオXDの冬タイヤを更新、これで雪道も大丈夫

2020年11月10日 06時02分50秒 | 散歩外出ドライブ
先の週末、愛車デミオ・ディーゼルXDの冬タイヤを更新しました。記録を見る限り、たしか新車購入時に新しい冬タイヤを用意し、その後一度も更新していませんので、まるまる五年も使ったことになります。昨年から今年にかけての冬は全く雪のない珍しいシーズンでしたので、あまりタイヤのスリップを感じることはありませんでしたし、だいいち退職して通勤自体がなかった。ところが助っ人を頼まれフルタイムの勤務となった今年は二年ぶりに冬の通勤がありますので、どうしても冬タイヤの更新が必要です。



行きつけのタイヤ店で、ダンロップのウィンターマックスを購入、72,000円也。これまでの冬タイヤは処分し、冬用のアルミホイールに装着してもらいました。ついでに、夏タイヤを外して冬タイヤに交換し、これでいつ雪が降っても大丈夫です。夏タイヤは、作業小屋の片隅に積み上げて保管します。こういうとき、「ど」のつく田舎の無駄に広い敷地がありがたい。



なんだか、明日あたりから峠道や山岳道路では雪の予報も出ている模様。平地にはまだ降らないでほしいけれど、備えあれば憂いなしです。妻のお手製のアップルパイでも食べて元気をつけて出かけましょう。



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週末農業と定年農業の経済性

2020年11月09日 06時38分37秒 | 週末農業・定年農業
2008年、専業農家だった亡父の死去とともに、果樹園経営をどうするかが問題になりました。これについては、亡父と同年代のご近所長老の意見で、定年退職まで四年を残し、2009年春から週末農業でやりくりすることとなりました。これには、次のような点が後押しになりました。

  • 80代の亡父が作業できるように、農業機械や用具類があらかた揃っていたため、新規の設備投資がほぼ不要だった。スピードスプレーヤ、動力噴霧器、軽トラック、高所作業台車、自走式草刈機、動力刈払機、大小様々な脚立、コンテナなど。
  • 亡父の逝去後に約半年だけ間があいたが、最小限の空白期間で再開でき、なんとか果樹園を維持管理できた。
  • 給与所得で生活できるために、農業収入を翌年の経営に回すことができ、多少の赤字は確定申告で相殺できる程度で済んだ。
  • 亡父も中古で買ったスピードスプレーヤの故障と廃車は痛かったが、その他の農業機械は修理程度で済んでおり、新規の設備投資は乗用草刈機くらいで、農業収入の範囲内でまかなうことができた。
  • 亡父の農協組合員資格をそっくり受け継いだために、肥料や防除などの時期や分量、出荷に関する手続き等に関して、農協からの情報提供が役立った。

また、仕事をやめて定年農業となった昨年は、整備した農業機械を維持しながら、自分たち夫婦の労働力で可能な範囲を中心に、ときにワンポイントで応援を依頼する形で経営し、まずまずの結果でした。これは、農業収入に大きく依拠するのではなく、年金などある程度の生活基盤があることが大きいと感じます。

定年退職前の週末農業の段階で、多少の失敗を含めてある程度の練習を積み、定年退職後に農業を中心とした生活に移行するのであれば、比較的スムーズであろうと思いますが、そうでなければかなり無理がかかるのは避けられません。果樹であれば苗木から収穫まで何年もかかりますし、野菜であっても細やかな管理技術と経験が求められます。病虫害や野鳥・野生動物対策など、夢と目論見だけでは、どうにもならない現実があります。退職前から少しずつ試み、フリーになったら本格的に実践できるように準備するというのが現実的かなと感じます。

また、何を栽培するかというのは、専業農家としてやっていくには本質的に重要なテーマですが、週末農業、定年農業では、自分の好みと需要、市況との兼ね合いで決めることができます。サクランボは需要も市況も良好で、桃は自分たち夫婦が共通に食べたいということから、栽培管理には力が入りました。幸いに市況もまずまずで、この二種が我が家の出荷の柱となっております。プルーンは市況は安くて割に合わないのですが、自家利用とともにご近所にファンが多く、差し入れるとご婦人方が喜んでくれます。リンゴは産地内では珍しくもないうえに高い栽培管理技術レベルが要求され、今からこれに伍していくのは容易ではないと感じています。ただ、冬を越せる果実は柿とリンゴだけですので、なんとかもう少し技術のレベルアップを図りたいところです。

野菜は目下のところは自家用オンリーで、美味しい野菜が食べられるのが最大の利点でしょう。わずかに昨年一年だけの経験ではとりたてて語れるものもなく、ただいま修行中といったところ。

年金生活の基盤の上に、赤字にならないように農業を営むことが私の定年農業の目標ですが、自分の楽しみや喜びの面と経済的な実益の両面がモチベーションになっています。働く充実感があり、いろいろな人に喜ばれる嬉しさがあり、お小遣いが増えるのも楽しみです。亡父の例を見るとこれから頑張れるのはあと10〜15年くらいでしょうか、農業機械に新規に投資していてはとても回収できないでしょうから、今後は徐々に規模を縮小して労力や負担をスリムにしていくことが大事になりそうです。




一昨日は、すっかり後回しになっていたサツマイモを収穫。ほったらかしのまま時期的に一ヶ月も遅れたでしょうか、幸いに病虫害や野ネズミの被害もなく、自家用としてコンテナ7〜8割程度の収穫をあげることができました。これで、美味しい「天ぷら」や「豚バラ肉との甘辛煮」、ほくほく「焼き芋」などを楽しむことができそうです。

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借りてきた本には書き込めないので〜百均の情報カードの利用

2020年11月08日 06時01分53秒 | 手帳文具書斎
ふだん、自分の本、とくにノンフィクション系の本には、けっこう書き込み(*1)をします。ノンフィクション系の本は、何十年も時が経つと内容が古びてしまうことが多いため、ある程度割り切って書き込みをしているのですが、図書館などから借りてきた本の場合は、そういうわけにはいきません。

そういうときは、例えば付箋に書き込む(*2)などして、本を汚さないようにしていますが、今回は付箋がなかったので、名刺入れにいつも数枚は入れている百均の情報カードを使いました。名刺サイズですので、短いフレーズに要約して書き込み、該当のページにはさみます。あとで備忘録ノートに転記すると、読書記録ができてしまいます。

先日は、山本紀夫著『ジャガイモのきた道』でこの方法を使いました。内容も興味深かったし、書き残したメモも発見がありました。実際に自分でジャガイモを育ててみて、納得できる点が多かったために、よけいに印象が深かったのでしょう。


 (老母の花畑から。ホタルブクロみたいな形ですが、何という花なのかな。)

(*1):本に書き込みをするとき〜「電網郊外散歩道」2009年9月
(*2):読んでいる本への感想・コメントは付箋に〜「電網郊外散歩道」2019年9月

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山本紀夫『ジャガイモのきた道』を読む

2020年11月07日 06時01分34秒 | -ノンフィクション
先日、図書館から借りた岩波新書で、山本紀夫著『ジャガイモのきた道〜文明・飢饉・戦争』を読みました。岩波新書創刊70年の記念年であった2008年の5月に第1刷が刊行されているようで、著者は1943年に大阪で生まれ、「あとがき」にあるように、中尾佐助著『栽培植物と農耕の起源』に影響を受け、この道に入ったもののようです。本書の構成は次のとおり。

はじめに ジャガイモと人間の壮大なドラマを追って
第1章 ジャガイモの誕生―野生種から栽培種へ
第2章 山岳文明を生んだジャガイモ―インカ帝国の農耕文化
第3章 「悪魔の植物」、ヨーロッパへ―飢饉と戦争
第4章 ヒマラヤの「ジャガイモ革命」―雲の上の畑で
第5章 日本人とジャガイモ―北国の保存技術
第6章 伝統と近代化のはざまで―インカの末裔たちとジャガイモ
終章 偏見をのりこえて―ジャガイモと人間の未来

思えば、週末農業で果樹ばかりにエネルギーを集中し、野菜畑は老母と妻にまかせきりにしていたところを、退職して自由になった昨年一年間、私も野菜作りに参加し始めました。そこで経験した里芋やジャガイモなどイモ類の栽培はたいへん新鮮で、とくに日本での歴史の新しいジャガイモには興味があります。

アンデスの山岳地帯で、野生種ジャガイモから毒を抜く方法が工夫されて栽培されるようになり、品種改良を経て高い生産性を発揮するようになります。やがてヨーロッパを経て江戸時代に日本に伝えられ、とくに東日本の寒冷地に救荒作物として定着していきます。この過程がたいへん興味深くおもしろい。十代の頃、学校で習った飢饉対策の救荒作物は甘藷先生と呼ばれた青木昆陽とサツマイモの話ばかりで、東日本におけるジャガイモの意義などは聞いたことがありませんでした。その意味でも、日本史における白河以北は一山三文扱いなのだなと感じます。

将来の食糧危機にもジャガイモの可能性を説く著者の見解はあまり当たってほしくないけれど、気候変動時代の新型コロナウィルス禍の渦中では絶対に起こらないとは言い切れないところがコワい。



例によって、著者の文脈とは無関係に、個人的に興味を持った点は次のとおり。

  • アイルランドの飢饉の原因は、単一品種のジャガイモだけに依存する災害になっていたこと。真菌類のフィフトラ・インフェスタンスが原因。
  • 16世紀に日本に伝えられた救荒渡来作物は、(1)カボチャ、(2)サツマイモ、(3)ジャガイモ。
  • 18世紀にはドイツ・オランダ等、北ヨーロッパを中心にジャガイモ栽培が普及し、主食化した。
  • アンデス山地で標高差が1,000mにおよぶ高低差を持つジャガイモ栽培の理由は、植え付け時期をずらすことで収穫時期を変え、危険分散すること。(垂直分散)
  • 5年に1回ずつ植え付け、四年の休耕期間をおく理由は、線虫被害の防止にあり、他品種混植も病虫害耐性の違いに基づき、全滅を回避するアンデス山地に適した方法。(水平分散)
  • 栄養豊富なジャガイモの欠点は水分量が多いことで、長期保存が難しい。加工食品の工夫が必要になる。

などです。たいへん興味深く、収穫したら数日〜一週間ほど晴天の乾燥したお天気で乾かす必要がある理由も納得しました。

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晩秋、今年の干し柿は230個、渋抜きする柿はさらに多く

2020年11月06日 06時01分46秒 | 週末農業・定年農業
晩秋、老母が植えている草花も最後の花を咲かせています。文化の日の祝日に収穫した分を加えて、今年の干し柿は230個を下げたとのこと。1人で皮むきをした妻の努力に感謝です。さらに、焼酎で渋抜き(*1)をする分は2樽で360個を仕込んだとのこと。こちらはまだ未収穫分が残っていますので、さらに増える予定。お嫁に行った娘のところでも、家族そろって柿が好物だそうですので、どさっと送ってやる予定です。



11月4日、通勤時に葉山に降雪を見ました。中腹まで白くなっており、冬の訪れの予告となりました。当地、山形県の村山盆地では、月山が真っ白になるのはだいぶ早く、続いて葉山が白くなると冬支度を急ぐべしと言い伝えられております。初雪はまだですが、心もち急き立てられる感があります。そういえば、冬タイヤも更新しなければいけませんし、剪定枝の焼却もあります。まてよ、サツマイモの収穫を忘れていた! 週末の好天を望みたいところですが、さてどうか。

(*1):柿を収穫し、渋抜き作業を撮影する〜「電網郊外散歩道」2012年11月

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桜井俊彰『長州ファイブ〜サムライたちの倫敦』を読む

2020年11月05日 06時00分26秒 | -ノンフィクション
今月11月新刊の集英社新書で桜井俊彰著『長州ファイブ〜サムライたちの倫敦』を読みました。一昨年に読んだ中公新書で柏原宏紀著『明治の技術官僚〜近代日本と長州五傑』と共通の方向性ですが、中公新書のほうが伊藤博文と井上馨を除く三人の、技術官僚としての役割に注目したものであるのに対して、本書は最も若い長州ファイブの一人で「鉄道の父」と呼ばれる井上勝(旧名:野村弥吉)を中心に取り上げたものです。語り口は平明で、むしろざっくばらんな講話を聴いているような趣です。

本書の構成は、次のようになっています。

プロローグ 英国大使が爆笑した試写会での、ある発言
第一章 洋学を求め、南へ北へ
第二章 メンバー、確定!
第三章 さらば、攘夷
第四章 「ナビゲーション!」で、とんだ苦労
第五章 UCLとはロンドン大学
第六章 スタートした留学の日々
第七章 散々な長州藩
 休題 アーネスト・サトウ
第八章 ロンドンの、一足早い薩長同盟
第九章 「鉄道の父」へ
エピローグ 幕末・明治を駆けた長州ファイブ
あとがき
長州ファイブ年譜

ご覧のとおり、密航留学の実際の姿と思われるエピソードが多く語られており、読み物としても面白く、これならば高校生あたりにも面白く読めるのではないかと思います。

とくに興味深かったのは、著者も四十歳代で留学したというUCL=ロンドン大学の性格を伝えるあたりで、「ガワー街の無神論者たち」とオックスブリッジを出た保守層から非難されたロンドン大学の開放性、革新性が印象的で、だからこそ東洋のサムライ青年たちを受け入れる許可を出したのだなと納得できました。



ただし、本書の意義をあとがきのように「留学のすすめ」にまとめてしまうのは少々疑問です。古くは遣隋使・遣唐使の時代から長州ファイブまで、留学生が日本を作ってきたのだから、コロナ後の若者よ海外を目指せ、というだけでは、正直に言っていささか物足りないように感じてしまいます。

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備忘録ノートは今年三冊目に、自作ダイアリーは使い終えた

2020年11月04日 06時02分36秒 | 手帳文具書斎
備忘録ノートは、残り4枚で週が改まるタイミングを見計らい、今年3冊めに移行することにしました。今回は、今年の残り日数を考え、A5判ツバメノート50枚、横罫A(7mm)のものを選択し、10月25日に使い始めました。

また、B6判キャンパスノート(A罫・22行/頁・40枚)に自作したダイアリー(*1)も10月末で使い終え、同サイズの新しいキャンパスノートに移行しました。昨年10月から今年の10月末まで、一年間使ってみましたが、1日3行でその日の記録を書くという用途にはちょうど良い分量と感じました。



ただし、日付や曜日を間違いなく記入するというのは案外難しいもので、1週間単位で1ページに日付を書いたはずが、途中で合わなくなる事態が生じます。結局、どこかで日付を間違えてしまっているのです。市販のダイアリーであればそういう問題は起こりません。結局は、手間暇をかけることをどう考えるか、という問題のようです。



そんなわけで、新しいキャンパスノートの自作ダイアリーは今年12月までとし、来年は市販のキャンパスダイアリーに移行します。



(*1):B6判キャンパスノートでダイアリーを作ってみる〜「電網郊外散歩道」2019年10月

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山形の秋は見慣れた風景にもハッと息を呑む

2020年11月03日 06時01分16秒 | 季節と行事
大学を卒業して就職した関東某県は、温暖な気候のためか、秋になっても木々が緑色を失わず、11月も押し詰まってから急に葉っぱが茶色に変わり、落葉してしまうのでした。そうか、関東の温暖な気候では紅葉しないんだ! 山形生まれには驚きの事実でした。

紅葉しない秋や積雪のない冬を何回か経験した後、故郷にUターンが叶うこととなり、同郷の妻とともに三月の東北道を北上すると、雪を抱いた東北の山々がハッとするほど美しい。わが故郷の自然はこれほど美しかったのかと、あらためて認識しました。



そして慌ただしく40年が過ぎた秋。普通に迎える紅葉の秋です。ごくありふれた東北の秋は、山頂付近から色づき始め、次第に麓へと下りてきます。晩秋、里山も色づき山頂部の新雪と麓の紅葉とが鮮やかなコントラストを見せるとき、若かった時代を過ごした、紅葉しないで突然に落葉が始まる秋を、逆に懐かしく思い出すのです。

都には まだ青葉して見しかども
  紅葉散り敷く 白河の関
      (千載集より、源頼政)



そういえば、学生時代から就職したばかりの頃、フォーレの音楽がなぜか心にしみました。YouTube より、フォーレの「ピアノ五重奏曲第2番」。

G. Faure / Piano Quintet No.2 in C minor, Op.115 (Live) Shusuke Kanda & Cise Quartet 2017


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干し柿用の柿を収穫する

2020年11月02日 06時01分06秒 | 週末農業・定年農業
日曜日は朝から寺の雪囲い作業に従事、帰宅後は前日の歌劇「トゥーランドット」の記事の続きを書き、干し柿用の柿を収穫しました。干し柿用は、縄に挟み込むため、枝をT字に残して切らなければいけません。そのため、単純にもげば良い渋抜き用の収穫よりも手間がかかります。雪囲い作業でくたびれたこともあってまだ3分の1も終わらず、もう少し時間がかかりそうです。



今年のでき具合は、昨年と比べるとよろしくないです。昨年は、ある程度は剪定も摘果も消毒もしていましたので、大きな実がなりました。今年は剪定・摘果不良で混み合う枝どうしが擦れてキズもついています。まあ、自家用ですから見た目はあまり気にしませんが、実が小さくてザクザクなっているのは収穫が大変です。サクランボや桃の収穫作業が終わってから実施している数回の摘果作業が、収穫の労力軽減の意味でも、やっぱり大事だということだな。



夜は読書の秋、芸術の秋。ただいま今月の新刊で、桜井俊彰著『長州ファイブ〜サムライたちの倫敦』(集英社新書)と、図書館から借りてきた本で山本紀夫著『ジャガイモの来た道〜文明・飢餓・戦争』を読んでいます。両方とも、たいへん興味深い内容です。また、CDでフォーレの室内楽を聴いています。もっぱら若い頃に熱心に聴いていたピアノ五重奏曲第1番と第2番をジャン・フィリップ・コラール(Pf)とパレナン四重奏団で。

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プッチーニの歌劇「トゥーランドット」を観、聴く

2020年11月01日 06時02分15秒 | -オペラ・声楽
まずは痛恨の大失敗から。私の手帳には、15時開演とメモしてあったのですよ。もちろん、私の思い込みによるうっかりミス。老母に晩御飯も作り、万全の態勢で出かけて駐車場に車を入れたのが14時、コンビニでのど飴などを買って、余裕だなと思っていたのです。そうしたら、「まさかの」14時開演! チケットを確認したら、たしかに14時と書いてある。嗚呼!
何の話かというと、妻と二人でプッチーニの歌劇「トゥーランドット」を観に出かけたのです。

気を取り直して、第二幕から入場。新県民ホールはステージ前にオーケストラピットを設け、ステージ両側に日本語字幕、正面上部に英語字幕を準備してあり、原語イタリア語には全く疎い素人音楽愛好家にもわかりやすい配慮です。うん、これなら古いレーザーディスクの字幕よりも大きくて字が読みやすいかも(^o^)/

第一幕のあらすじを簡単に紹介すると、ダッタンの王子カラフは、中国の都・北京で、戦火で離れ離れになっていた父王ティムールと女奴隷の召使リューと再開し、喜びに浸りますが、その頃の北京はなんとも残酷なことになっていました。皇帝の娘トゥーランドット姫に求婚した外国王族の王子は、姫の出す三つの謎に挑戦し、解けない場合は惨殺されるというのです。王子カラフは、姫の美貌にポーッとなり、父とリューの反対にもかかわらず、謎に挑戦することにしてしまいます。



で、第二幕です。三人の大臣ピン、パン、ポンがおかしみのある幕間劇を演じます。今はトゥーランドット姫に求婚し謎解きに敗れた外国の王族の処刑に明け暮れる日々、「こんな仕事やだ〜」「故郷へ帰りたい〜」といった心境でしょうか。
一転して謎解きの場面。何やら三人の女性ダンサーが宙吊りになり、死と亡霊を象徴する怪奇幻想趣味の情緒を漂わせる中でトゥーランドット姫が登場。アリア「この宮殿で、幾千年もの昔」を歌います。そんな大昔の話を持ち出して、求婚する若者を次々に処刑するなんて、私なら先天的に残虐無道な姫なのではなかろうかと疑うところですが、王子カラフは自信満々、謎解きに挑戦し三問とも正解します。姫はうろたえ、「こんな人と結婚するなんて嫌よ!」と父(皇帝)に訴えますが、「約束は神聖」と拒絶され、カラフを憎みます。王子カラフは、逆に「私の名前は?」という謎を出し、夜明けまでを期限に命を投げ出します。姫とカラフの二重唱、地を這うような低音が不気味さを示すオーケストラの響きなどが印象的な第二幕です。

幕間の休憩の後、第三幕です。トゥーランドット姫は住民に恐怖のお触れを出しますが、それは王子の名を明らかにできなければ住民を死刑にするとの無茶苦茶なものでした。三人の大臣は、カラフに財宝や美女など様々な誘惑を持ちかけますが、カラフはこれを拒絶。「誰も寝てはならぬ」を歌い、勝利を確信します。ところが、カラフと一緒に話をしていたという住民の密告があって父ティムールと召使リューが捕らえられ引き立てられてきます。拷問により口を割らせると脅すトゥーランドット、王子の名を知っているが言わない、それは愛ゆえにと「氷のような姫君の心も」を歌い、自ら死を選ぶリュー。カラフよりも父ティムールの悲嘆と哀惜の歌が胸に迫ります。葬送の音楽に続くのは、カラフとトゥーランドットの心理ドラマを描く音楽です。

まあ、王子が接吻すると氷のような姫の心も溶け去るというのは、昔のステレオタイプなロマンス話の定番ですからそれほど呆れはしませんで、荒唐無稽な物語でもちゃんと音楽として成り立たせてしまう全曲の幕切れは立派なものでした。鳴り止まない拍手、カーテンコールでは聴衆が起立して関係した皆さんを讃えます。本当は「ブラヴォー!」の声が多数かかるところですが、「ブラボー・タオル」を掲げて意思表示している方が大勢いました。全く同感、妻と二人で、良かったね〜と話しながらホールを後にしました。



今回の公演は、演出と振付の大島早紀子さんの意図で、コンテンポラリー・ダンスが取り入れられたところが特徴だろうと思います。実際、怪奇幻想小説のような雰囲気を全編に漂わせているところは、手元にあるレーザーディスク(ゼフィレッリ演出)のものとも違う、独自の雰囲気を持ったものだと感じましたし、歌唱も演奏も素晴らしいものでした。ほんとに良かったと思います。

とりわけ心に残ったのは、リューの死を悼む老王ティムールの嘆きです。国を追われ、眼が見えなくなった無力な老人を一途な心で世話をしてくれたリューを、息子の行動で死なせてしまった哀惜と絶望、複雑な感情を隠して歌われる名場面。おそらく私が若い頃だったならば、この嘆きの歌を素通りしてしまっただろうと思いますが、年輪を重ねてはじめて観念としてではなく実感として理解共感できるのではなかろうか。思わずうるっときてしまいました。もしかすると老王ティムールは、女癖の悪い夫プッチーニと不倫をしていると疑った妻が自殺に追い込んだ小間使いを悼む、60代半ばの作曲家自身の姿なのかも。加藤浩子さんによる作品解説から、そんな想像をしてしまいました。

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