電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

山本紀夫『ジャガイモのきた道』を読む

2020年11月07日 06時01分34秒 | -ノンフィクション
先日、図書館から借りた岩波新書で、山本紀夫著『ジャガイモのきた道〜文明・飢饉・戦争』を読みました。岩波新書創刊70年の記念年であった2008年の5月に第1刷が刊行されているようで、著者は1943年に大阪で生まれ、「あとがき」にあるように、中尾佐助著『栽培植物と農耕の起源』に影響を受け、この道に入ったもののようです。本書の構成は次のとおり。

はじめに ジャガイモと人間の壮大なドラマを追って
第1章 ジャガイモの誕生―野生種から栽培種へ
第2章 山岳文明を生んだジャガイモ―インカ帝国の農耕文化
第3章 「悪魔の植物」、ヨーロッパへ―飢饉と戦争
第4章 ヒマラヤの「ジャガイモ革命」―雲の上の畑で
第5章 日本人とジャガイモ―北国の保存技術
第6章 伝統と近代化のはざまで―インカの末裔たちとジャガイモ
終章 偏見をのりこえて―ジャガイモと人間の未来

思えば、週末農業で果樹ばかりにエネルギーを集中し、野菜畑は老母と妻にまかせきりにしていたところを、退職して自由になった昨年一年間、私も野菜作りに参加し始めました。そこで経験した里芋やジャガイモなどイモ類の栽培はたいへん新鮮で、とくに日本での歴史の新しいジャガイモには興味があります。

アンデスの山岳地帯で、野生種ジャガイモから毒を抜く方法が工夫されて栽培されるようになり、品種改良を経て高い生産性を発揮するようになります。やがてヨーロッパを経て江戸時代に日本に伝えられ、とくに東日本の寒冷地に救荒作物として定着していきます。この過程がたいへん興味深くおもしろい。十代の頃、学校で習った飢饉対策の救荒作物は甘藷先生と呼ばれた青木昆陽とサツマイモの話ばかりで、東日本におけるジャガイモの意義などは聞いたことがありませんでした。その意味でも、日本史における白河以北は一山三文扱いなのだなと感じます。

将来の食糧危機にもジャガイモの可能性を説く著者の見解はあまり当たってほしくないけれど、気候変動時代の新型コロナウィルス禍の渦中では絶対に起こらないとは言い切れないところがコワい。



例によって、著者の文脈とは無関係に、個人的に興味を持った点は次のとおり。

  • アイルランドの飢饉の原因は、単一品種のジャガイモだけに依存する災害になっていたこと。真菌類のフィフトラ・インフェスタンスが原因。
  • 16世紀に日本に伝えられた救荒渡来作物は、(1)カボチャ、(2)サツマイモ、(3)ジャガイモ。
  • 18世紀にはドイツ・オランダ等、北ヨーロッパを中心にジャガイモ栽培が普及し、主食化した。
  • アンデス山地で標高差が1,000mにおよぶ高低差を持つジャガイモ栽培の理由は、植え付け時期をずらすことで収穫時期を変え、危険分散すること。(垂直分散)
  • 5年に1回ずつ植え付け、四年の休耕期間をおく理由は、線虫被害の防止にあり、他品種混植も病虫害耐性の違いに基づき、全滅を回避するアンデス山地に適した方法。(水平分散)
  • 栄養豊富なジャガイモの欠点は水分量が多いことで、長期保存が難しい。加工食品の工夫が必要になる。

などです。たいへん興味深く、収穫したら数日〜一週間ほど晴天の乾燥したお天気で乾かす必要がある理由も納得しました。

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