電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

帝国大学の整備と教育の目的の変化

2015年05月21日 06時04分53秒 | 歴史技術科学
明治初期には、お雇い外国人教師を中心に様々な学校で行われていた高等教育でしたが、国費留学生が帰朝し、教授に就任するなどして、徐々に日本人教員に置き換えられていき、高給で雇われた外国人教師たちも、少しずつ帰国していきます。
工部大学校の都検(実質的校長)として活躍したダイアーも、明治15(1882)年に帰国し、英国で『大日本』という本を発表します。東洋の島国に移植した西欧の技術とそれを支える思想が、どのような実りをもたらしつつあるか、また将来の日本の技術的自立を予言するものでした。しかし、この本は、明治の日本では発禁となります。これは、おそらく底流を流れる社会進化論的な思想が、当時国家主義的方向に大きく再編成されつつあった日本にとって、有害とみなされたのでしょう。

(森有礼)

明治19(1886)年、学校令が公布されます。これは、(1)帝国大学令、(2)師範学校令、(3)小学校令、(4)中学校令、(5)諸学校通則の五つの法令からなり、教育に対する国家の支配を決定的にするものでした。この中の帝国大学令により、工部大学校や駒場農学校など官立学校が開成学校と統合されて帝国大学となります。これを、かなり強権的に推し進めたのが、幕末期に英国に密航留学していた旧薩摩藩士で、グループが分裂し、アメリカに渡って宗教的コミュニティに幻滅し、国家主義的な考え方を育んだという経歴を持つ人物、森有礼でした。もちろん、その背後には、プロシアのビスマルクと面談し、その影響を濃厚に受けて英国からドイツへと方向転換をするようになった伊藤博文がおり、やがて明治22(1889)年に大日本帝国憲法の成立へと進むこととなります。
森有礼は、帝国大学の目的を、国家に奉仕する人材の育成と定めます。これは、ダイアーらお雇い外国人教師たちの中にあった、技術と産業を通じて社会を変革するという情熱や、教育の目的を社会の進歩と人々の幸福に置くというようなタイプの考え方を、基本的に相容れないものとみなしたのでしょう。ダイアーの離日に際して、名誉は贈るが著作は発禁にするという処置は、森有礼あたりの影響が色濃く出ているのではないかと推測しています。



この頃、足尾鉱山の鉱毒事件が世間を騒がすようになります。明治10(1877)年に操業を開始した足尾鉱山からは、多量の鉱毒が流出しており、明治20(1890)年の大洪水によって、一気に問題が顕在化します。かつては穀倉地帯だった渡良瀬川流域を中心に、鉱毒に汚染された状況を見て、沿岸の青年有志が田畑の土や川の水を採取し、明治24(1891)年、東京帝国大学の丹波敬三教授と農科大学の古在由直助教授に持ち込み、分析を依頼します。

(古在由直)

とくに、この事件に関わりの深い古在由直氏は、明治19(1886)年に駒場の農学校を卒業し、明治22年に農科大学、明治23(1890)年に東京帝国大学農科大学助教授に就任したばかりの少壮学者でした。分析の結果、明らかに銅が含まれていることが判明します。この事件が大きな社会問題となるや、古在助教授は明治28(1895)年にドイツのライプニッツ大学に留学を命じられ、日本を離れることとなります。この背景にあるのも、国家に奉仕するという帝国大学の使命であり、意志であったと言うことができるでしょう。しかしながら、古在助教授は帰国後にもその節を曲げず、徹底した調査活動を行います。明治35(1902)年、鉱毒調査委員を命じられた古在は、渡良瀬川流域を地図上でグリッド化し、その区画毎に銅の濃度をプロットすることによって、自然銅ではなく鉱山に由来するものであることを明かにします。この手法は、まさに駒場農学校で学んだ実践的なフィールドワークの手法の適用であり、鉱山側の責任を誰の目にも明かにするものでした。

足尾鉱毒事件は、明治の鉱山技術を産業として適用した結果の事件であるとともに、化学分析によってその実態が明らかになったわけですが、日清・日露戦争を背景に、富国強兵政策をなおも推進する政府は、鉱山側をかばいます。足尾鉱毒事件は、田中正造という人物によって議会で取り上げられ、大きな社会問題となりますが、鉱毒の回収や無毒化など技術的な解決は不可能で、結果的には谷中村一村の強制移転という形になってしまいます。にもかかわらず、局地的に起こった不幸な事件として受け止められ、国民全体が意思表示することはありませんでした。このあたり、なにやら福島原発事故により周辺町村が集団移転させられた一連の事態を連想してしまいます。渡良瀬川流域の住民は、自ら収集した記録集の発刊を発禁処分とされましたが、現代では発禁処分という対応はできない、という点に違いがあるでしょうが。

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