電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

我が家の「近代産業遺跡(?)」

2015年05月12日 06時01分04秒 | 週末農業・定年農業
ゴールデン・ウィークに、少し離れた園地の草刈りをしたところ、今年もまた、「世界文化遺産」ならぬ我が家の「近代産業遺跡」が姿を現しました。これは、かつて一面の桑畑だったところを、昭和30年代の初頭に、わが祖父が井戸を掘り、これを水源として開墾し田んぼに変えた、いわゆる「開田」の歴史を物語る水路の跡なのです。



ここの井戸の記憶は、私にもあります。まだ耕運機が農業の機械化の中心だった頃、水田の農作業を見ようと開田した田んぼに行くと、冷たい水がこんこんと湧き出す井戸に、大きなスイカがどぶんと冷やしてあるのでした。休憩時に、暑さの中でよく冷えたスイカをほおばる美味しさは、子供の頃の記憶に強い印象を残しています。昨日の出来事は忘れても、あの井戸水の冷たさは、忘れません。

今はすっかり水が枯れてしまい、父(祖父)が開いた田んぼは、息子(父)が果樹園に変えて、孫(私)が受け継いでいます。それでも、高度経済成長以前の時代に、国や県が企画した事業ではなく、近隣の土地区画の所有者と語らってその中心となって開田を実行した祖父の行動力に、孫は感嘆の声を惜しみません。

そういえば、妻(祖母)が病気のために若くして失明したときも、自分が一生面倒をみるからと、実家の両親からの離縁申し出を断ったというエピソードも伝え聞いており、晩年の寝たきりの姿のイメージが強い祖父の若かりし日の遺産を前に、思わず厳粛な気持ちになります。

もっとも、そういう記憶のないわが妻にとっては、我が家の「近代産業遺跡」も、何やらニョロニョロと出てきそうで気持ち悪い区画としか思われていないようですが(^o^;)>poripori
それは、ある意味やむをえないことなのでしょう。

コメント (2)