電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

サクランボの収穫は今が盛り

2005年06月26日 20時12分20秒 | 週末農業・定年農業
サクランボ、特に主力品種の「佐藤錦」の収穫は今が盛りだ。空梅雨で晴天が続いたために、太陽の恵みをいっぱいにあびて、大粒に成長している。今年は例年よりもほぼ一週間生育が遅れており、この週末が収穫の最盛期になっている。どこの園地も、収穫の人々が精を出している。そば屋も出前を断るほど客が多いようだ。

今日は、子どもの嫁入り先の両親と姉夫婦が訪ねてきて、サクランボ狩りを楽しんでいった。生まれて初めてとのことで、感激のようす。写真をとり、ビデオを撮ってから、一粒口に入れると、「おいしい!」確かに、園芸試験場の元・場長さんも指名して依頼されるくらいだから、おいしいのは間違いないと思うが、それにしても大感激のようで、うれしいことだ。丹精している老父も、大いに喜んでいた。

サクランボの収穫は、枝についた軸をつまみ、上に引き上げるのがコツ。そうすると枝からきれいに離れる。決して果実をつまんではいけない。
また、木の高いところにある、日当たりの良い枝の先ほど、大きくて美味しい実がなっている。テントでおおわれていない露地ものであれば、一番おいしいところを鳥が食べている。テントの中はネットをまわしているので鳥も入れないが、そうでもしなければ鳥の群れがやってきて、数時間で食べられてしまうだろう。

人間は脚立をかけたりハシゴを使ったりして、高いところの実を収穫していた。そのため、収穫の最盛期に疲労が重なり、足を踏み外して落下し、頚椎や腰椎をいためて傷害が残ってしまう人が少なからずいた。最近は、高所作業台車が普及し、よほど安全にはなってきているとはいうものの、雇い人の人たちも、疲労回復の時間が必要だろう。我が家の収穫作業も、明日はお休み。

今後、「佐藤錦」から「紅秀峰」へと収穫する品種が交代していく。今日は、N響アワーを聞いて休みましょう。
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プッチーニの歌劇「ボエーム」を見る

2005年06月26日 14時40分04秒 | -オペラ・声楽
プッチーニの歌劇「ボエーム」は、ヴェルディの歌劇「ドン・カルロ」「ラ・トラヴィアータ」やモーツァルトの「フィガロの結婚」などとともに、つい手が伸びる歌劇作品の一つだ。
一つは、ミミをテレサ・ストラータスが歌い、ロドルフォをホセ・カレーラス、ムゼッタをレナータ・スコットが演じる、レヴァイン指揮のメトロポリタン・オペラの1982年の公演を記録したLDがある。舞台デザインはディテールに凝ったもので、フランコ・ゼフィレッリのものだ。
もう一つは、放送録画だが、2002年のブレゲンツ音楽祭におけるウルフ・シルマー指揮ウィーン交響楽団、リチャード・ジョーンズとアントニー・マクドナルドの演出・美術による、現代風の衣装の公演がある。こちらのほうは、2002年11月3日の文化の日にNHK教育テレビで放送されたもので、ミミをアレクシア・ヴルガリドゥ、ムゼッタをエレーナ・デ・ラ・メルセド、ロドルフォをロランド・ビリャソン、マルチェルロをリュドビク・デジエが歌っている。ボーデン湖上ステージでの公演だから、歌い手たちはマイクを付けているし、衣装も1950~60年代を思い出させるものだ。
しかし、あかりをもらいにくるのがやっぱり「ろうそく」であり、ひどい肺結核なのに抗生物質を服用しているふうもなければ、もちろん健康保険が使える様子もない。貧しさと病苦と若者たちの無軌道な生活だけを現代に取り出した設定なのだろう。コルリーネの「外套の歌」にしみじみとした感慨を持ち、かつての仲間たちを思い起こす人も多かろう。おそらく、楽しく貧しい学生生活を送った経験のある中年諸氏は、ほろ苦い懐かしさがこみあげてくるのではないか。

いずれの公演でも、プッチーニの音楽は、オーケストラの中で必要な最小限の楽器で、感受性豊かな効果を発揮している。これは、大規模な音響をもって描かれた神々の世界ではない。多くの人々がかつて経験したことのある、日常的な出来事の一こまのように感じられる世界だ。
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