若い頃、まとまった時間がほしいと思うことがあった。細切れの時間でなくまとまった時間があれば、あれもこれもできるのに、というわけだ。今も同じことを思わないではないが、少しさめている。たぶん、まとまった時間ができても、あれもこれも仕上げる気力は残っていないような気がする。
若い人を見るとき、可能性とか時間があることをうらやみはしない。選択することは他の可能性を捨て去ることと同義であるし、時間があっても有効に使えるとは限らない。つい衝動に動かされて動いてしまうことのほうが多いだろうと思うからだ。
だが、一つだけ若い人がうらやましいのは、気力の充実だ。新しいことを覚えてやろう、ものにしてやろう、という貪欲さがある。これがなければ、かりにぽかっとまとまった時間ができたとしても、何もできずに過ぎてしまうことだろう。
若い人を見るとき、可能性とか時間があることをうらやみはしない。選択することは他の可能性を捨て去ることと同義であるし、時間があっても有効に使えるとは限らない。つい衝動に動かされて動いてしまうことのほうが多いだろうと思うからだ。
だが、一つだけ若い人がうらやましいのは、気力の充実だ。新しいことを覚えてやろう、ものにしてやろう、という貪欲さがある。これがなければ、かりにぽかっとまとまった時間ができたとしても、何もできずに過ぎてしまうことだろう。