行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2020年2月14日(金)の日記

2020年02月14日 | 日記

コートは着ていくがボタンを留めなくてもいけるぐらい暖かい。昼間の外のようすはわからなかったが、おそらくコートなしでいけたのではないかと思う。

 

帰りは行徳駅を降りてから松屋豚肩ロースの生姜焼定食を食べる。

そして線路沿いを南行徳方面へ歩き、ジャズライブのHot Houseへ。

飲み物はまずビール。チャーム(お通し)には今日がバレンタインデーということもあって、チョコレートが付いた。

今日は松井節子さんのピアノソロ。

リクエストを聞かれたので、まずは「My Favorite Thing」。ジャズの曲としては前から好きな曲のひとつだったが、前の土曜日に録画してあった映画「サウンド・オブ・ミュージック」を見てこの映画が出自の曲だと初めて知った。それがあったので、今日は生で聴いてみたいと思いリクエスト。

さらにもう1曲のリクエストは去年、この店で聴いて気に入り、演奏を動画で撮影してYou Tubeへ上げた「オブリビオン」

飲み物はもう1杯で、ジャックダニエルの水割り。


2020年2月13日(木)の日記

2020年02月13日 | 日記

朝のうちの雨もそんなに降らず、勤務先最寄り駅を降りたあと一瞬、水滴が落ちて来たぐらいだった。

そして昼間も帰宅時間もポカポカ陽気で気持ちがいいぐらい。つい1週間前にこの冬で一番厳しい寒さとなったから、よけいにそう感じるのだろう。

晩飯はゆで太郎天そば


2020年2月12日(水)の日記

2020年02月12日 | 日記

先週後半のこの冬一番の寒さもおさまって、ポカポカ陽気になる。でもこの先また気温が下がるという予報も出ている。春の三寒四温の気候がやってきたのではないかと思える。

晩飯は南行徳メトロセンターのかつ壱番屋へ。

とんてき定食 並盛150gを食べる。

そして今日はダンベルエクササイズ。今回は上半身メニュー。


2020年2月10日(月)の日記

2020年02月10日 | 日記

飛び石連休の谷間だけに、朝の電車のキツキツさもほんの少しだが緩かった。

明日は休みだし帰りに飲んでいく。でも、今日中にこの日記が書けるぐらいに。

行徳駅最寄り圏へ引っ越してもう3年半ぐらい経つが、行徳駅前にあるのにまだ入ったことがなかったやきとんの筑前屋へ入ってみる。

最初の飲み物は生ビール。

メインのお品書き。

看板に「本物のやきとん」と書いている店なのだから、まずはやきとん類を食べたい。

やきとんメニューから6本注文。”旨ダレ”か"しお”か選べるが、素材をより味わえそうな”しお”にする。

右から、しろ豚なんこつハツ(ハート)たん。あとの2本はどちらかがハラミでもう1本がかしらだが、見た目も味も似ているので分からない。見ると、片方はししとう、もう片方はねぎが挟んである。これはハラミとかしらを区別する目印なのかと思える。なら、厨房のスタッフも見ただけではなかなか区別できないということなのだろう。ししとう挟みとねぎ挟みのどちらがハラミでどちらがかしらかは聞きそびれた。

同時に注文した野菜焼のししとう長ねぎ

ビールを飲み終え次はレモンサワーにするが、レモンサワーにもいろいろ種類がある。その中で一番オーソドックスな定番レモンにする。

お品書きをよく見ると、おつまみのところに特製キャベツ盛を発見。それを注文。

塩昆布と辛味噌が下に書かれているが、辛味噌なら付けて食べるのだろうし、塩昆布だとドレッシングのように振りかけているのだろう。

注文したのは特製キャベツ盛 塩昆布。けっこう大きいお皿に盛って出てきた。

似たようなつまみはあちこちの店にある。こういうのは最初に注文して、串焼き類などをたべつつ、野菜の補充も兼ねてつまむのがよい。最初に気付けばよかったが、なにぶん、初めての店なのでいろいろ書いてあるお品書きをそこまで詳しくは見られなかった。

そしてもう一品、お品書きの筑前屋名物のところに載っているものから。

特製もつ煮

全般に安めのこの店のメニューの中で480円は高い方。でも、もつがけっこうゴロゴロと入っていた。

3杯目の飲み物に宝焼酎レジェンドハイ

最初の一口飲むとまるでウィスキーのような味。でもレモンハイというユニークなもの。

最後の一品はこれも筑前屋名物のところに載っているもので、博多風ニラ玉焼。店名が筑前屋というだけあって、”博多風”を冠したメニューがある。どんなものか食べてみたくなった。

博多風ニラ玉焼

出てきたとき皿の大きさを見て、「しまった!」と思った。1人で食べるには多すぎると思えたから。でも、よく見ると薄い卵焼き。薄焼きのピザみたいな感じ。じゃあ何とか食べられるだろうと、キャベツ盛の残りといっしょに食べる。でも、あとになるほどやはりちょっと多すぎると思えてきた。380円と安めだがやはりグループ向けの料理だろう。

今日が休前日ということもあるだろうけど、店内はにぎわっていた。どちらかというと若い人間のグループが多かった。

いろいろ飲み食いしたが酒類が3杯だったのと、料理も全般に安いのでお代は3,800円弱となった。


2020年2月8日(土)の日記

2020年02月08日 | 日記

午前中に南行徳にいた頃からの掛かりつけの医者へ行って、痛風予防の薬を出してもらってくる。

そのあと南行徳駅前のなか卯で昼飯。

ランチメニューから親子丼(並)・あさりうどん(小)のセット(600円)にする。

親子丼(並)が490円、あさりうどん(小)が350円で正価だと840円になる。だから240円引きでかなりのサービス。メニューにも「240円お得」と書いてあった。季節メニューのあさりうどんの売り出しにそれだけ力を入れているようだ。

あさりうどんはバター風味ということで確かに食は進む。でもなんか居酒屋のあさりバターにうどんを足したような不思議な感じ。

 

そのあと、行徳雑学館トップページレポート用の写真を写しに行く。立春を過ぎて季節外れなのに今ごろ冬晴れが続いているが、空の広さを強調できる場所ということで今井橋へ向かう。

まずは南行徳駅北口の広場。

南行徳駅前通りへ出て今井橋へ。

今井橋に到達。

橋へ上って旧江戸川の上流方向を写す。


しかし、まったく空が真っ青。立春を過ぎているのに春という感じがしない。

今井橋のそばには大きなマンションが建っていた。ここ2,3年に建てられたもののようだ。

初めて見た気がするが、去年秋の相之川の祭礼のときにも見たような気がする。もっとも、祭礼のほうに注意が向いていたのであまり気にならなかったのかもしれない。

 

夜は家飲みして録画してある映画を見るが、食べるものを相之川にあるスーパーヤマイチで買っていく。

買ったのは九重弁当

南行徳に住んでいた頃は、ときどき家飲みのつまみに買った。いろいろなものを少しずつ食べることが出来るから、つまみにするのにちょうどいいのでお気に入りだった。

今日はそれだけでは足りなそうなので、コンビニのつまみや家に買い置きしてある柿ピーもいっしょに食べる。

最初に飲んだのは缶ビールのL缶でキリンクラシックラガー。コンビニではあまり見かけないがスーパーヤマイチで見つけたので買った。

ビールのあとはウィスキー。残り少なくなったサントリートリスクラシックブラックニッカクリアを飲んでしまう。どちらもロックで。

あとはコンビニで売っているポケットサイズ瓶のウィスキー。3年ぐらい前にいろいろ買ったのをだいたい飲み終えたので、また違う銘柄のをいろいろと買った。その中からホワイトホース

飲みながら見た映画はミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」。録画は一昨年2018年の夏だが、3時間近い長尺なのでまだ見ないで残っていた。

映画は1965年(昭和40年)のものなので、自分が4歳から5歳ぐらいのとき。なので初めて見る。でも子供の頃、家にサウンド・オブ・ミュージックのレコードがあった。アナログレコードの時代でだったが、大きい(直径30cm)のLPではなく、シングルのドーナツ盤と同じ直径(17cm)の小さいLP盤のだった。今回、映画を見てみるといろいろな曲が登場する中で家庭向け、というか子供向けの分かりやすい曲(ドレミの歌など)が収録されていたものだった。

大人向けの曲・・例えば主人公マリアとマリアが家庭教師になるトラップ一家の主人トラップ大佐との大人の愛を描いた場面で歌われるような曲は収められていなかったと思う。記憶にも無い。

映画の冒頭、メインタイトルが出る前に主人公のマリアが高原で歌う場面があるが、LPレコードのジャケットもその場面の写真だったと、何となくだが記憶している。そして映画の最初に歌われる曲もレコードで聴いた記憶があるもの。

そのあとに出るメインタイトル。

登場する曲で驚いたのは「My Favorite Things」。この曲はジャズの有名曲を集めたCDに収められているので、ジャズの曲だと思っていた。あとはJR東海のCMでここ10年ぐらいよく流れるので、「そうだ京都、行こう」の曲というイメージもある。実は「サウンド・オブ・ミュージック」の曲というのを初めて知る。

そしてもうひとつ意外だったのは3時間の長尺で最後の1時間が思わぬシリアスな展開になること。

物語の舞台がナチスドイツに併合された時期のオーストリア。オーストリア愛国者のトラップ大佐はドイツから危険視されているため、最後は再婚したマリアと子供たちといっしょに隣国で永世中立国のスイスへ亡命する。ドイツの追っ手から逃れる展開はミュージカル色が消えていて、子供の頃に聴いたレコードから得たイメージとのギャップの大きさに驚いた。


2020年2月7日(金)の日記

2020年02月07日 | 日記

暖房を入れたまま寝ると喉をやられるので、寝る前にエアコンは止めている。昨夜の冷え込みは相当にきびしくて、室温は10度ちょっとに下がった。かつて冬にそういうことはちょくちょくあったと思うが、ここ20年かそこいら、冬が全般に暖かい傾向になっているので忘れがちになっていた感覚だった。

そして昨夜は2度もトイレに行きたくなって目が覚める。別に歳を取って頻尿になってきたのではないし、ふだん2度トイレなどということもほとんどない。1度だけトイレに行くのはダンベルをやった日の夜が多い。ダンベルをやり終わったあと、お茶(ペットボトルのやつ)をコップに1杯飲むので、その水気とお茶の利尿作用のためだろう。

昨夜は入眠から1時間半ぐらいで最初にトイレに行きたくなった。これは多分、ダンベルのあとに飲んだお茶によるものと思う。ところがその約3時間後にまたトイレに行くたくて目が覚める。これがおそらくは室温が下がった、つまり寒かったためだろう。

掛け布団と毛布の重ね掛けで身体はなんとか冷えず、風邪を引くようなことには今のところなっていない。

この夜の冷え込みはまだ数日は続くようだ。

 

今日の晩飯は松屋行徳南店プルコギ定食(キムチ)


2020年2月6日(木)の日記

2020年02月06日 | 日記

立春を過ぎてからこの冬一番の寒さとなった。今日と明日がそのピークになるらしい。出勤時は手袋とマフラーはもちろんのこと、コートも今シーズン初めてウールのコートを着ていく。

これまでは綿コート+ライナーでいけたが、暖冬のためだけではなく秋に買いかえた新しいコートだということもあるだろう。ユニクロのヒートテック等だけでなく、保温性を高めた衣料用の素材はどんどん開発されているし、衣料品メーカーもおそらくは素材メーカーとコラボして高機能なものを作っているようだ。コートを買ったのはアオキだが、ホームページで買ったコートのところを見ても保温などの機能の高さを強調していた。確かに着てみるとやはり10年以上前にアオキで買った、前の綿コートよりも暖かいと思えた。

 

晩飯は東秀W餃子定食

今日はダンベル。下半身メニューをやる。

帰ったときは室温も下がり、日が当たる側の部屋でも10度ちょっと、反対側の部屋は10度を切っていた。ダンベルをやるときは寒すぎても、かえって身体に堪えそうだからほどほどに部屋を暖めてからやる。


2020年2月5日(水)の日記

2020年02月05日 | 日記

休暇も今日で終わり。今日は録画がたまっている映画を4本見る。

朝と昼はコンビニ飯だが、夜は運動がてら行徳駅前まで食べに行く。朝も昼も暖かだったのが、夜6時過ぎには北寄りの風が強めに吹いていた。明日と明後日に強い寒波が来るらしいが、今日の夕方にもう来たようだ。

行徳駅前。イルミネーションは2月14日までというからあと約10日。

そしてやよい軒へ。

家を出る前は肉野菜炒め定食でも食べようかと思っていたが、北風が強くて寒いので考えが変わる。鍋物の定食にしようかと思ったが、麻婆豆腐の定食が期間限定で登場しているのでそちらにする。

四川麻婆豆腐とから揚げの定食

激辛辣油と花椒もいっしょに出てくる。

辛さも人により好みがあるためだろう、麻婆豆腐自体はそんなに辛いとは思えなかった。辛めが好きな人は自分で調整してくれということのようだ。自分は少し辛めがいいので、辣油も花椒も少しずつ入れる。


2020年2月3日(月)の日記

2020年02月03日 | 日記

旅行の2日目。ハトヤホテルの客室からの朝7時の風景。

大浴場へ行って朝風呂を浴びてくる。

朝飯は昨日と同じ会場だが、混んでいなくても朝はバイキング。

チェックアウトは10時までだが、ゆっくりしてその少し前までいる。

送迎バスに乗ろうと表へ出ると、ホテル全景の空撮写真を載せた案内板があった。

昨日、松川のいでゆ橋から見えたハトヤの大きな看板は写真で左上の建物の上にあったものだと分かる。

送迎バスのナンバー。やはり4126へのこだわりは強いようだ。

このナンバーで思い出すのが、昭和の50年代に放映されていた「カックラキン大放送!!」という午後7時台の30分枠での歌とコントの番組。始まった昭和50年(1975年)か翌年の51年(1976年)だったと思うが、野口五郎と研ナオコがやっていた刑事ドラマコントでハトヤネタが出てきた。

野口五郎演じる刑事が研ナオコ演じる婦警に、停まっている車(マイクロバスではなく乗用車だったが)がどこから来たのだろうという話で、
「伊東だ!」
と言い、なぜかと聞かれるとナンバープレートを指さして、
「ほら、(ナンバーが)4126」
公開番組だったが会場の観客も、そしてテレビの前の視聴者も分かって笑ってしまうぐらい、当時、伊東のハトヤの4126(よい風呂)は世間に認知されていた。

 

伊東線で熱海へ。今日は熱海のMOA美術館へ行くつもり。

熱海駅前。

駅前のマクドナルドで昼飯にする。午前11時半ぐらいで少し早めだが、会社でも昼飯はだいたい午前11時半に食べに行っている。

フィレオフィッシュセット。ドリンクはカフェラテ

MOA美術館のHPを見ると、洋食レストラン、和食レストラン、そば屋があるようだが、洋食レストランはセットメニューの高いのしかない。和食レストランも高めのセットで、食べるのに時間がかかりそうな感じ。そば屋も街中よりは高い。それに、昨日いろいろ食べたから今日の昼は軽いものでいいし、美術館をゆっくり見る時間をとりたいというのもある。

 

熱海へ向かう列車内でも、熱海駅前のバス乗り場でも、MOA美術館を「モア美術館」と言っている人がいたが、正しくは「エムオーエー美術館」。なぜか公式HPではなく、公式Twitterのほうに書いてあったりする。

では、MOAが何の頭文字か、あるいは英単語の最初の3文字かというのを調べると、こちらにあった。創設者が岡田茂吉という人物で、その人の名前をとった「Mokichi Okada Association」の頭文字とのこと。

熱海は山が海に迫っている土地なので、山の上にある美術館へ行くバスは少し市街地を走るとあとは急坂を上っていく。上へ行くほどつづら折りになり、美術館の玄関前に着く。所要は7分。

だけどここからがまた長い。エスカレータ7基を乗り継いでロビーに着く。

エスカレータを乗り継いで行くというと、一昨年の夏に行った南紀勝浦のホテル浦島を思い出す。岬の下にある建物から岬の上にある建物へ長いエスカレータを乗り継いで上がる構造になっていた。MOA美術館のエスカレータは2基目と3基目が長めだったが、思ったほどではなかった。東京の地下鉄駅で長いエスカレータというと千代田線の新御茶ノ水が頭に浮かぶが、それよりも少し短い感じ。そして、上の方の4基は1フロア分か2フロア分のそんなに長くないもの。

メインロビーに到着して、見学ルートの最初は能楽堂。実際に公演も行われているようだ。

次が黄金の茶室。豊臣秀吉が作った黄金の茶室を再現したものという。

ようやく熱海の市街地を見下ろすことが出来る場所に来る。

そのあと、展示室を順に巡っていく。借用作品(説明板に撮影禁止マークが付いている)以外は撮影はOK。ただし、フラッシュや三脚、一脚、自撮り棒などの使用はNGと多くの展示施設と同じ。

今回、展示物で一番印象に残ったのがこれ。屏風なのに西洋画という作品。

最初は外国のものかと思ったが、日本人の手によるものらしい。説明板を見ると作者は不明だが、桃山時代の作とのこと。

ちょうどキリスト教や鉄砲が伝来した時代。やはり伝来した西洋画の手法を習得して製作に挑んだ日本人がいたということだ。だが、キリスト教や鉄砲は日本でも広がったが、西洋画は広がらなかったようだ。

日本の古い時代の美術作品というと、美術館や博物館でいろいろ見てだいたいどんな感じというイメージが頭に出来上がっている。また、西洋画は明治時代以降に日本に入ってきたものという先入観もあった。だから、そのイメージに当てはならないとか、先入観を覆すとかの作品があるということにまず驚いた。そしてまた、桃山時代に外来の技術を取得して作品作りに挑戦した人がいたということにも驚きを感じた。

展示室を一通り見て、建物外の日本庭園へ。茶の庭という名前の庭園。

ここに光琳屋敷がある。江戸時代の画家 尾形光琳が京都に建てた屋敷を再現したもの。実際の屋敷は無くなっているようだが、設計図が残っていたのでそれを元に再現したとのこと。

庭園のそばに竹庭もあった。斜面林なので階段を下っていく。

美術館敷地の行き止まりのとこまで下る。

そこから振り返って見た竹庭というか竹林。

けっこう下ったので、上るのがちょっとしんどかったが。

美術館内にはコーヒーを飲める場所があるので一休み。the cafeというコーナー。

ブレンドコーヒー(380円)を飲む。

紙コップを見て自動販売機のコーヒーみたいと思ったが、紙質はわりとしっかりとしたものだった。カフェや美術館の名前を印刷した特注品のようだ。

そしてthe cafeのようす。

 

再びエスカレータを乗り継いで玄関へ戻るが、途中にムアスクエアという広場に出ることができる。そこで美術館の建物をようやく目にする。エスカレータ下の玄関からは見えない。

熱海駅前のバスターミナルで山の一番上にベージュの建物が見えたが、どうやらそれがMOA美術館だったようだ。

 

美術館での時間を多めにとるプランを組んだので、帰りは新幹線。

行徳へ着いて東秀で晩飯。酸辣湯麺を食べる。


2020年2月2日(日)の日記

2020年02月02日 | 日記

会社の休暇制度を利用して臨時の休暇を取り1泊の旅行に行く。行き先は伊豆の伊東。

そして今回の旅の最大の目的は伊東のハトヤホテルに泊まること。

ハトヤホテルというと自分が子供の頃(昭和の40年代)にはテレビCMを盛んに流していた。
「伊東に行くならハトヤ、電話はよい風呂(4126)」という歌が流れるCM。
ハトヤグループHPに過去のCM動画がある)
自分が見たのは主に夕方の再放送の時間だった。

こういう話が分かるのは、今の何歳から上の年代だろう。

昭和の40年代、そして50年代も民放局は午後7時台が子供と10代向けの30分枠の番組が中心で、午後8時以降が大人向けの1時間枠のドラマという編成になっていた。なので午後7時台はアニメに特撮、その他にも30分枠のドラマもあった。スポ根(スポーツ根性もの)の流行期にはアニメ、実写のそういう作品。それから30分の時代劇を見た覚えもある。まだ白黒作品でたしか剣士もの。桜木健一主演の「刑事くん」のような30分の刑事ドラマもあった。

そして、平日(月曜~金曜)の午後5時台、局によっては午後6時半までは30分番組の再放送の時間。ハトヤホテルのCMは午後7時台に見た覚えはなく、流れるのは再放送時間のスポットのCMだった。

自分が社会人になったのが昭和50年代の終わりで、それ以降は午後5時台も午後7時台もテレビを見ることがあまりなくなったから、今のように午後4時前後から午後7時までニュースと情報の番組、午後7時台以降はバラエティ番組となったのがいつ頃からなのかは分からない。

それで、ハトヤは関東のホテルだが大阪のテレビでも流れていたし、CMの最後に予約電話は東京、名古屋、大阪みんなよい風呂(4126)とやっていたから、名古屋地区でも流れていただろうと思う。

子供の頃からCMをしょっちゅう見ていたから一度は泊まってみたいという気持ちはあって、10年ぐらい前にも一度、ネットでお一人様プランがないか見てみたが、その頃は2人以上のしかなかった。でも今回、見てみると「一人旅応援プラン」という名前のお一人様プランがあったので予約。やっと、ハトヤホテルに泊まる機会を得ることが出来た。

行きは東京から熱海までは東海道線の普通列車。

たまの休暇で特別急ぐのでなければ、東京~熱海の距離なら新幹線や特急踊り子号の自由席より安い普通列車のグリーン車がいい。ゆっくり座っていけるし。

熱海で伊東線に乗り換え、伊東駅に着いた。

伊東は7年余り前に来ている。そのときはすぐバスに乗ってシャボテン公園へ行った。今回は初めての市街地へ。

伊東へ着いたのが正午過ぎなので、すぐ昼飯。あらかじめ調べてよさそうに思えた店へ行く。駅近くの賑やかなエリアを過ぎたあたりにある店で、旬の味たなか

伊豆へ来たら食べたいのが金目鯛。この店は金目鯛の煮付け定食があって、値段は2,000円ちょっとと高めだが、しょっちゅう来るわけではないのだからやはりよさそうなものを食べたい。

日曜の昼飯時だったが、先客はカウンター席に一組。後ろの座敷、テーブル席はまだ空いていた。

注文した金目鯛の煮付け定食

金目鯛の煮付けではこれまでで一番美味しいと思えた。口の中に味が広がって、とろけていく。ちょっと高めだけだけど、素材も板さんの腕もそれだけいいということだろう。アルコール類を注文したい気持ちになったが、夜にホテルであまり飲めなくなるし、それにこのあと市街地のスポットを回る予定なのでこらえておく。

また伊東へ来る機会があったら、駅から徒歩圏の宿を朝食のみか素泊まりかで予約して、夜にこの店に来るのもいいだろう。あるいは、帰る日に午後2時ぐらいの特急を予約しておいて、昼飯に食べて飲んで列車で寝て帰るのもいいかもしれない。

 

昼飯のあとは市街地のスポットへ。

まずは東海館。1997年まで営業していた大きな木造旅館が保存され公開されている。

見学料200円を払って入る。

1階は往時の旅館の姿のまま公開されていたが、2階へ上がるといろいろな展示がされていた。

アート作品が並ぶ部屋。

伊東の魔除け人形を展示した部屋。

その他にも伊東にゆかりの人物を紹介する資料を展示した部屋も複数あった。

3階へ上ると旅館の大広間。芸者さんの人形が並ぶ。

こういう大広間におじさんたちが膳を前にすらりと並び、ステージで芸者さんたちが踊り、またおじさんたちにお酌をしたりする。そういう宴席に行ったことはないが、古い時代の映画(それもテレビ放映)で見たことがある光景だ。

3階のさらに上の望楼も公開されていた。望楼から海側。

そして山側。

東海館を出てそばの松川を渡り、対岸から。観光写真に使われるのはこの光景。

 

次に伊東東郷記念館。見学料は200円。

日露戦争で日本を勝利に導いた連合艦隊司令長官 東郷平八郎が晩年、病気の妻の療養のために建てた別荘ということ。

観光ボランティアの人が常駐していて、内部を案内して貰った。

 

海のそばへ出ると伊東市観光会館があるが、土産物店や飲食店などはなく展示ホールのようだ。

近くまで行ってみたが、次の展示のための搬入作業をやっていた。

松川の北側にある公園へ向かうが、橋のたもとにあったのが日本初 洋式帆船建造の地のモニュメント。

松川を渡り、こちらもアート作品が並ぶなぎさ公園。

今回の旅行で一番海のそばまで来た。

 

市街地へ戻り、木下杢太郎記念館へ。ここの見学料は100円。

展示室。

奥にある木下杢太郎生家。こちらは文化財になっているので、廊下のところまでしか入れない。

木下杢太郎(本名:太田正雄)は医学者にして文学者で優れた才能を持ち、多くの功績を上げた人物というがこれまでまったく知らなかった。小中学校ぐらいの歳で読む偉人伝でも名前を見た覚えがない。展示資料を見ると、ハンセン病に関する研究をかなり行ったが、存命中に治療法の確立などに到達しえなかったようで、そのあたりが偉人伝の人物になっていない理由かと思えた。

 

伊東駅へ戻り、無料送迎バスに乗ってハトヤホテルへ。ホテルは小高い丘の上にある。かつてのテレビCMでもホテルのすぐ下に伊豆急行線のトンネルがあって電車が出てくるのが映っていた。

ハトヤホテルの玄関前。

ホテルの全貌がどうも分からないが、東海館のそばで松川をいでゆ橋で渡ったとき、上流方向に「ハトヤ」の大きな看板が見えたので思い切りズームして写した。こんな感じで高台にある。

ロビー。さすがに豪華な感じ。

お一人様プランと言っても、夕食・朝食付で税込19,800円。決して安くない。楽天トラベルで予約したが、たまっていたポイントを5,000ポイント使う。つまり14,800円にした。

そして部屋だが、眺望がいい方に変更したということ。つまり、空いていて予約が入らなかった部屋に変更してくれたようだ。しかし、2月は閑散期とはいえ、ハトヤのような有名なホテルでもそんなに混雑はしていないとは。

思い出すのは一昨年の今の時期に下田へ行った2日目。下田駅前の寿司屋で昼飯を食べて飲んだが、店のおねえさんが言うには、
「昔(国内旅行が盛んで、伊豆が人気観光地だった頃)は、お一人様プランなんてあり得なかった。」
ハトヤも空いていたり、お一人様プランができたりする、そういうご時世なのだ。

さて、変更してくれた部屋だが、広い部屋を1人で使えるのはプランでもともとそうなっていた。

そして窓からの景色は眺望のよい海の側。

遠くをズームアップして初島。

部屋は畳部屋の部分が15畳。団体さんも泊まれる広さだし、家族連れなら夫婦と子供が2人か3人、それにおじいさんとおばあさんも一緒に泊まれる広さ。自分が子供の頃、父方の祖父母は2人で旅行するのを好んだが、母方の祖父母は孫と一緒に旅行するのが好きで、何度かいっしょに旅行したのを思い出した。

洗面台。このホテルが出来た頃は広い洗面台は豪華だったのだろう。

今は鏡の上の照明が、特に女性がメイクするときに光が足りない感じだが。

大浴場へ行ったので使わなかったが、広さに驚いたのが内風呂。スペースがゆったりしている。

家族連れが泊まったときに、親が小さい子供と一緒にゆったり入れる余裕がある。

ホテルの中を探検してみる。大浴場入口のとなりにあったゲームコーナー。ホテルの開業時からあったかどうかまでは分からないが。

だけど、ゲームコーナーとなりの卓球コーナー。

そして、そのとなりのマッサージチェアコーナーなど、いかにも昭和の温泉ホテルという感じ。

ハトヤホテルの施設でもうひとつ気になっていたのが、本館と別館をつなぐ円形通路。

Googleマップのレビューに「キューブリックの世界」というようなことが書いてあった。キューブリックは1960年代の名作SF映画「2001年宇宙の旅」の監督スタンリー・キューブリック。つまり、円形通路の雰囲気は1960年代SF風らしい。

ところが、通路入口は扉が閉ざされていた。

空いていて別館は今日は使わないので扉を閉めて施錠していると思った。

ところが施錠しているというのはまったくの勘違いというか思い込み。以下の円形通路の写真は翌朝のものになるが、チェックアウトしてロビーのソファで送迎バスの時間を待っているとき、若いカップルが扉を開けて通路に入っていった。たぶん、入れるか試してみたのだと思う。なら自分も入って写してこようとあとに続く。

確かに1960年代SFっぽい。「2001年宇宙の旅」は最初の公開後、権利関係か何かでゴタゴタして日本では再上映やテレビ放映もなかなかされず、自分が始めて見たのは大学生だった1980年代前半のテレビ放映だった。だから、1960年代のSF感覚というとその時代のアニメ、特撮や、小学生向けの雑誌に載った「21世紀の世界」といった読み物やイラストなど。当時、21世紀は30年余り先の未来だった。そして、21世紀になってもう約20年。50年余り前の未来イメージは今や懐かしの昭和の世界だ。

 

大浴場で温泉に浸かり、部屋へ戻ると午後5時半。

そして午後6時。

晩飯は午後6時半から。会場へ行く。

宿泊客が多いとバイキングになるらしいが、空いているのでプランごとの晩飯。自分のは和食膳。和食といってもローストビーフもあった。

最初の飲み物は瓶ビール。サッポロビールの静岡工場で作られたもので、伊豆限定のラベル。

コンロで温めるものが2品。ひとつはミニ寄せ鍋。

そして、もうひとつはアワビ。さすが、税込19,800円だけのことはある。

少し遅れて出てきた天ぷら。

料理の分量はたっぷり。飲みながら食べるにもいい。最初のビールが終わったら冷酒にしたいが、白鶴の180ml瓶とあとは富士錦という静岡の酒の720ml瓶しかない。720mlは多すぎるので白鶴の180mlにする。

だけど、180ml1本では足りないのでもう1本注文。

最後は緑茶ハイ。居酒屋と同じような飲み方になる。

にぎり寿司もあったが、それに加え最後にご飯とみそ汁とフルーツ。

少し腹がきついぐらい満腹した。

 

部屋へ戻って気が付く。床の間の置物。

ハトヤだけに鳩の置物。