行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2020年2月29日(土)の日記

2020年02月29日 | 日記

起きたときはどんよりと曇っていたので、洗濯物は半分だけやって脱衣場の突っ張り棒に干して除湿機乾燥にする。ところがそのあと晴れてくる。なんとも嫌な天気。でも面倒だし、ベランダに干し直すことはせずそのまま脱衣場で乾かす。残り半分は明日やるが、晴れるようならベランダ干しにしよう。

昼ちょっと前に葛西のいつもの床屋へ散髪しに行くが、そのときの行徳駅前の空。

朝は寒かったが、昼間は日差しがあると暖かい。ダウンジャケットだと汗ばむから中厚のブルゾンで出かけて、それで十分だった。

葛西に着いて、床屋へ行く前に昼飯。葛西メトロセンターの一番西葛西側にあるみそ膳というラーメン屋へ行く。

ここのところいろいろな味噌のラーメンを食べたいという欲求が強くなっている。このラーメン屋もいろんな味噌ラーメンを出す店というのは知っていた。でも入ったことはまだなかった。今回初めて入る。

お品書き。確かにいろんな味噌のラーメンがある。

その中から玄海みそらーめんとトッピングの白ネギ。麺は太麺・細麺を選べるが太麺にした。

玄海みそは福岡の麦味噌。麦味噌のラーメンは南行徳メトロセンターにあった一心亭のメニューにもあった。でも、いつからかメニューから消えた。過去日記を探すと最後の食べたのは2010年4月2日。少なくともその時点ではまだやっていた。

かなり前なので味ははっきり覚えていないが、スープの最初の一口でなんとなくこんな味という気はした。

みそ膳はどさん子グループの店(→公式サイト)。

葛西のメトロセンターは東西線高架と交差する道路を挟んで、西葛西側と駅側(環七側)の2つの区画がある。自分が社会人になって葛西の独身寮に入った1984年(昭和59年)には、西葛西側の区画しかなかった。環七側はもう30数年前のことではっきり覚えていないが、自転車置き場か資材置き場かそんな感じだったように思う。そして、今のみそ膳の場所がたしかどさん子だった。

葛西駅は行徳駅と同じく1969年(昭和44年)に東西線の東陽町~西船橋が開通したときにできたから、最初のメトロセンターも早い時期にできただろう。

環七側は長い間、空きスペースだったことになるが、自分が社会人1年生の1984年中頃から工事が始まり、翌1985年(昭和60年)春にメトロセンターができた。そして新しい区画に2軒目のどさん子ができたが、現在もあるどさん子がそれ。

就職1年目で会社の都合で原木中山の独身寮に移ったが、床屋は最初に葛西で馴染みになって以来、今まで同じ店に通っている。なので、昼飯時にかかれば葛西のメトロセンターで食べたりする。西葛西側の区画にあったどさん子はいつの時期かまでは覚えていないが、別のラーメン屋に変わった。最初からみそ膳だったかどうかまでは定かではない。でも、なんとなくいろんな味噌ラーメンをラインアップした店になったというのはかすかに覚えている。

 

新型コロナウィルスの流行で公共施設やレジャー施設が休みになっているが、葛西の高架下にある地下鉄博物館はどうだろうと見にいくと、ここも休みになっていた。

今日から休みに入り、一応は3月16日までとのこと。

 

帰りは、ジーンズを1本買い替える予定があったので、南行徳のバイパス欠真間にあるアメリカ屋本店に行く。

自分が独身寮を出て南行徳のバイパス側に移り住んだのは1989年(平成元年)だった。近いところにこの店を見つけて、それ以来、ジーンズはみんなここで買っている。

今日、「この店、長いですよね。」と聞くと、開業以来約40年という。ということは、自分が初めて行ったときは約10年目の頃ということになる。レトロな感じの店だからその時点でもっと長くやっているのではと思っていた。ようく見ると、レトロというよりはアメリカの郊外の街にあるような感じの造り。ジーンズの店で店名が「アメリカ屋」だから、そういうふうにしたのではないかと思う。

今日、アメリカ屋で買ったジーンズはこれ。

 

今日は録画した映画を見ながら家飲み。一昨年の夏に録画してまだ見ていなかった3時間近い長尺の洋画を見る。

新型コロナウィルスの影響で、やはり週末の飲み屋のような人口密度が高い場所はあまり行きたいとは思わない。だから、一昨日の週中に行ったりしたのだが。

それで今日のつまみは家に買い置きしているものとかコンビニで買ったつまみとか。

最初は第3のビールでサッポロゴールドスターの350ml缶。

そのあとは家に置いてある焼酎で芋焼酎の一刻者と麦焼酎の壱岐の島

残っていた分をみんな飲んでしまう。

締めの食べものはこれもコンビニのサーモン寿司。