行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2012年12月8日(土)の日記

2012年12月08日 | 日記

土曜日なのでいつものように洗濯・掃除・クリーニング出し。

先週の行徳雑学館トップページレポートは、なかなか冬晴れにならないことを書いたが、週後半ぐらいからようやく冬晴れになってきた。じゃあ、この週末は冬晴れの光景にしようと、昼ちょっと前にカメラを持って自転車で臨海部へ。

行徳駅前通り千鳥橋から市川水路。街なかを走っているときはところどころで今日はちょっと風が強いと思ったが、開けたところにくるとけっこう強い風。

そして臨海部へ達する。千鳥橋のところよりもさらに風が強かった。行徳漁港は防波堤に囲まれているので、水面は穏やか。

だけど防波堤がないところから海を見ると、強風で荒れ気味。

たまに自転車へ臨海部へ来ることがあっても、これまで、おそらくすべて風が穏やかなときだった。なので、行徳に住んで23年で、こんな海を見たのは初めてだと思う。

風は強かったが、北日本の低気圧に向かって南西からの風が吹き込んでいたので、気温は上昇し、特に寒いとは感じなかった。今日は発熱素材アンダーを着ていたが、気温が上がったために、あまりありがたみがなかった。でも、家に帰ってから夕方まで暖房を入れずに過ごせたから、その間は役立っていた。

京葉線の市川塩浜駅前に来ると、すぐそばの、前は工場か配送センターか何かがあった場所が更地になり、そして建設機械が並んで新しい建物を作り始めていた。なので、駅前からアマゾンの建物の全景が見えている。

何が出来るのだろうと、建設計画の看板を見たら、やはり物流センターだった。そうした施設はこの地区にまだ集まってくるようだ。

市川塩浜駅前のCVSベイホテル1階にあるラーメン屋で昼飯にしようかと考えていたが、今日は休みだった。南行徳方面へ向かうとすると、強い向かい風の中を漕いでいかなければならないので、行徳駅前通り方向へ戻る。

そして行徳駅前通り日之出にあるラーメンショップへ入る。長いことある店だがまだ一度も入ったことがなかった。

「うまい ラーメンショップ」のオレンジ色の看板を掲げた店は、折りたたみ自転車のサイクリングのときに入ったことがある。過去日記を探すと2009年の8月で、茨城県の阿見町でだった。霞ヶ浦に近い国道沿いのラーメンショップで冷し中華を食べていた。

なので、熱いスープのラーメンのほうは今回初。看板に「特製ネギラーメン」と書いてあるし、じゃあそれにしようとねぎラーメン(650円也)を食べる。

あっさり味のしょうゆスープに、ほどほどぐらいに背脂を浮かべたスープ。ラーメンの食べ歩きの趣味はないから大した数のラーメン屋には行っていないが、自分が行った範囲で最も感じが近いと思えたのは、葛西のちばき屋のラーメン。この日記の範囲でちばき屋に行ったことがあるか探すと、2009年の4月だった。

写してきた画像でトップページに季節ものショートレポートを作りUP。今週、帰宅後に行徳まつりの画像をアルバムに入れる作業をやってきたが、その行徳のアルバム3も一緒にUPする。 

晩飯はなか卯。この秋に新登場した晩ごはんの定食メニュー3品のうち、まだ食べていなかったカツとじ定食を食べる。

晩飯を食べに出たときは、風も北よりで冷たくなっていた。明日は発熱素材アンダーがもっと役に立ちそうだ。


2012年12月7日(金)の日記

2012年12月07日 | 日記

朝から年1回の人間ドックに行く。

午後に帰ってきて、録画してあった映画を1本見て、明日からの土日はどうしようかと考えていたら、なんか揺れている。テレビを点けたら緊急地震速報が流れていて、ちょっと大きな揺れが来てしばらく続いた。去年の震災で倒れた本棚は、強い固定器具を着けたが大丈夫だろうかと心配したが、大丈夫だった。関東は震度3から4だったようだ。

震源は三陸沖で去年の大震災と同じ。テレビは一斉に地震オンリーとなって、去年の震災のとき、休暇を取って行った箱根のホテルでテレビに釘づけになったときのようだった。明日、明後日のことはしばらく頭から消える。

でも、しばらくテレビを見ていてたら、民放はCMも流れるようになり、去年の震災のときのような事態でないことが分かってきて、気持ちも落ち着いてきた。

それで、人間ドックが終わった今日は飲みに養老乃瀧へ。

お通しと、最初は中生。

つまみの最初はカキフライ

ビールの次はお酒の大徳利。つまみは寒ブリ

その次はやきとり。たれで。お酒はもう1本。

そして締めは揚ナス前々回に(10月)来たときに食べて、かつての揚げ出しナスを思わせる美味しさだったので、今回また注文。

食べている途中にお酒がなくなったので、酎ハイを1杯。


2012年12月5日(水)の日記

2012年12月05日 | 日記

朝の出勤時、ようやく冬晴れらしい空になっていた。だけど、長続きはせず、夕方には再び曇りだった。

晩飯は南行徳メトロセンターの一心亭

南行徳メトロセンターは今日から歳末感謝祭の売り出し期間。多くの店が感謝祭向けの品を用意している。一心亭はギョーザを半額の150円で提供。

醤油ラーメン。夜の時間の無料トッピングはもやし

そして、半額になっているギョーザ

一昨年まで、歳末感謝祭の期間、一心亭の特別メニューはその時期だけの黒味噌ラーメンだったが、去年からなくなってしまい残念。でも、ギョーザが半額というなら、やはり食べなければ損だと注文。

そして、今夜はダンベルエクササイズ。下半身メニューをやる。


2012年12月4日(火)の日記

2012年12月04日 | 日記

帰りに、自室で使う来年のカレンダーを買う。今回も高橋のエコカレンダーE91。常に当月と翌月の2か月分を表に出せるタイプのもの。いろんな予定を考えるときに便利で、3年か4年前から毎年、使っている。

包装から出して1月と2月の上下を逆にする。

この状態で壁に掛け、今年の最後の12月分1枚だけが前面に出ているのを、2月に重なるように掛ける。すると、12月と1月の2か月分が見えるようになる。

こういうことができるのもなかなか便利。

今日の晩飯は南行徳を降りてから、やよい軒肉野菜炒め定食


2012年12月3日(月)の日記

2012年12月03日 | 日記

昨日に続いて今日も真冬の寒さ。仕事へ行くときは、発熱素材アンダーは着ていかない。会社も節電で暖房の温度設定は一昨年ぐらいまでより低くなっているが、人が多くいて、それに加え、パソコンにモニタディスプレイが並んでいて発熱しているから、上着を脱いでワイシャツでいても寒いとは感じない。

だけど、帰ってきて家にいるときのほうが寒い。発熱素材アンダーを着ているときのように、設定温度を16度にするのはちょっと無理。やはり、17度かそれでさむければ18度だ。

晩飯はなか卯鴨うどんライスつけもの

”勝手に××うどん定食”のパターンで、今回のは”勝手に鴨うどん定食”。鴨脂の混じった汁は暖まる。


2012年12月2日(日)の日記

2012年12月02日 | 日記

真冬の寒さになるというので、この間、買った発熱素材アンダーのうち、ユニクロのヒートテックの長袖、長パンツのを今日は着用。

発熱素材は10年余り前に冬のサイクリング用に買って使ってきたし、それを冬場に箱根や日光へ旅行したときも着ていったから、効果のほどは分かっている。ユニクロのは、かつてスポーツ用品店で買ったものよりずっと安いが、やはり効果はちゃんとあった。部屋のエアコンの暖房温度設定を17度にしていたら、着用していないときは寒くてもう1度上げようかと思えてくるのが、1度下げて16度に設定しても寒いとは感じないぐらい。

昼飯と買い物で南行徳駅前からヤマダ電機・ダイエーへ行ってきた。家を出たときには晴れていたのが、帰りはもう空を雲が覆っていて肌寒くなっていた。でも、歩くとポカポカ暖かい。やはり、身体を動かしてわずかでも汗の水蒸気が出たら、十分に発熱の効果があるようだ。

昼飯はゆで太郎野菜天もり

ヤマダ電機でセラミックスファンヒーターを買ってくる。

写真で右が今日買ったほう。左が社会人になった年の冬に買った電気ストーブ。もう28年になる。

昔、入っていた独身寮にはエアコンなどはなく、冬はこたつで暖を取るのがメインだった。6畳の部屋でたいして広くないから、電気ストーブも使うと、こたつ布団という布ものに直接、熱が放射されてしまう。それが、どうも危なっかしいと思え、余り使用した覚えはない。

独身寮を出て今の部屋に移り、エアコンを取付けてからは、エアコン故障時の非常用、それとエアコンがいるかいらないか微妙は寒さのときに使うために、ずっと持っていた。実際、一冬に使うのは5回もなかったと思う。それだけ、使用頻度が低かったから、28年も故障せずに長持ちしたのだろう。やはり社会人になった年に買った扇風機は、夏場、風呂上りに身体を乾かす用途がほとんどとはいえ、夏の間は毎日使うから、痛むのが電気ストーブよりも早く、3年前の夏に買い換えている。

まだ、故障はしていないとはいえ、28年前のものだ。部屋の中だから、何かあれば、即、対応できる状況で使ってはいるが、さすがに安全上の不安はある。なので、今年の冬は買い換えようと決めていた。電器店に行くと、同じような電気ストーブは今はハロゲンヒーターという名前で売られているが、熱を放射するタイプは狭い部屋で、熱が家具などにも当たって熱くなったりするのが、自分にはどうも好ましくない。でも今は、セラミックスファンヒーターという空気を温めて吹き出すタイプの暖房器具がある。それで、そちらを買うことにした。

これで、今年、冬本番に備えて予定していた買い物は終わり。

晩飯は松屋チキントマトガーリック定食


2012年12月1日(土)の日記

2012年12月01日 | 日記

いつもの土曜日のパターンで、洗濯・掃除・クリーニング出し。 

それが終わって昼前にカメラを持って、旧江戸川堤防を歩き、目に付いたものを写しつつ常夜灯公園まで歩く。

香取で。

次の2枚も香取で。
 
湊にある屋形船乗り場。

関ヶ島。もう常夜灯公園手前。

常夜燈。

そして常夜灯公園。寒い日だけに人影もまばら。

人が少ないからか売店は休業。でも、江戸前のしじみ直売だけはやっていた。

今年は寒くなるのが少し早く、急なので、晴れよりも寒くて不安定な空模様の光景を写して、トップページのレポートは季節もののショートレポートにしようと考えた。そして、常夜灯公園で数枚写す。すると、ぽつぽつ雨が落ちてきた。このときはすぐにやんだ。

行徳街道に出て、文化屋3丁目

本行徳三丁目の八幡神社。

本塩。

本塩のバイパス沿いにあるかつやで昼飯にする。店に入ろうとするときに再び、ぽつぽつと雨が降り出した。

たまたまだが、今日から5日間は年末感謝祭で500円に値引いたメニュー4種類のみの提供。

ロースカツ定食を食べる。

外は一時、本降りになっていた。店を出たときもまだ降っていて、路面はすっかり濡れていた。

朝の予報で、雨雲が通過しそうだと言っていたので、折り畳み傘を持って行った。それで正解だった。

妙典駅まで歩いて電車に乗り、葛西の馴染みの床屋へ行って散髪。

葛西駅に着いたときは雨はもうやんでいた。散髪して南行徳に戻ってきたときは地面は乾いてはいなかったが、青空が見えていた。

常夜灯公園で写した写真で、トップページレポートを作り、行徳雑学館の更新。今週初めから作業してきたが、下妙典春日神社の祭礼画像を行徳のアルバム2に入れたのも一緒にUPする。

ネットで注文しておいたキャリーバッグが今日、届いた。

これまで親の家に行くときは、社会人になった年に買った旅行鞄(写真で左)を使い、ノートPCや大きいカメラを持って行くようになってからは、そうしたものはデイパックに入れて背負っていくようにしていた。

ところが夏休みに親の家から帰ってきたら、翌日から何日か腰痛になってしまった。やはり加齢には逆らえないと思い、正月休みにはキャリーバッグを使うことにして、この前から品定めをしていた。

今回買ったのは、ふたの裏にノートPC用ポケットがあるタイプ。ビジネス用を考えた製品だが、ビジネス以外の旅行にノートPCを持って行くのにもちゃんと使える。地元のスーパーなどでも、いろいろと見てみたが、こうしたタイプのものはなかった。

このキャリーバッグを普段、入れておく場所を確保するために、押入れの中にあったものを先日、整理して不要なものを処分した。新しいものが入るためには、やはり断捨離が必要だ。

晩飯はラーメンのえじそん

寒くなると食べたくなるのが、鉄焼こがしの味噌らぁめん。今日は、味玉味噌らぁめんにする。

味は濃厚かあっさりかきかれたが、濃厚を選んだ。コレステロールがたまらないよう、玉子や、味の濃いのは控えるようにしているが、急な寒さにさらされたからか、身体がこうした食べ物を求めたようだ。

 

葛西の床屋で、待合席に置いてあるスポーツ新聞の芸能欄を見たら、こういう内容の記事が目に付いた。

「吉永小百合、武井咲は『若いときの私に似てる』」

武井咲は、メディアへの露出がとにかく多いし、自分がいつも利用する東京メトロなど出ている広告も多いから、いやでも目に付く。その武井咲の写真を見ると、確かに10代のときの吉永小百合に似ている、というか、そっくりだと前から感じていた。

吉永小百合は自分より15年程度、上の年代だから、自分は10代の吉永小百合はリアルタイムには知らない。小学校高学年から中学にかけて、芸能人に興味を持つようになった頃も名前ぐらいしか聞かない。大人(といっても当時の20代ぐらいの若者だが、小中学生から見れば大人だ)たちに絶大な人気がある絶世の美女らしいとは聞いても、小中学生が見るようなテレビ番組には姿を現さない。やっと、吉永小百合がどういう姿の女性かを見たのは、高校に入った年のNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」(1976年)だった。そのときの吉永小百合は30代になったばかりだ。

社会人になってビデオデッキを買い、テレビ放映される昔の邦画で興味の湧いたものを録画して見たりしているうちに、10代の頃の吉永小百合を目にするようになった。そして、10代の吉永小百合は目が釣り上がり気味の顔だったことを知るようになる。

実際、目が釣り上がり気味の武井咲を見ると、10代のときの吉永小百合にそっくりと思える。単に、そっくりなだけでなく、頭の中で2人を並べると、おばあさんと孫に見えると思えていた。

今回、2人が対面してツーショットになったのは、映画賞の授賞式とのこと。各紙の芸能記事が取り上げているが、似ているということに対するそれぞれのコメントぐらいしか載っておらず、どこも「おばあさんと孫」みたいということは書いていない。そりゃ、吉永小百合というベテランの大女優で、しかもいつまでも若々しいことを求められる人なのだから、もし記者が2人がおばあさんと孫のようだと感じても、そういうことは失敬なことになるから書きはしないだろう。でも、世の中全体には、自分と同じように、吉永小百合と武井咲がおばあさんと孫みたいに思えるという人は、けっこう多くいるのではないかと思う。

ここは個人のブログ日記だから、そうしたことも自分の印象や感想として書きとめておく。

そして、もう一つ、自分が感じていたことを書いておく。

自分のパソコン画面に表示した、吉永小百合と武井咲が似ているというネット上の芸能記事。その手前においてあるのが、1995年発売で自分が買った鶴田真由の唯一の写真集。箱カバーに入っている写真集で、左のほうがその箱カバー、右が写真集の中の1ページ。

この写真の鶴田真由が20代~30代ごろの吉永小百合に似ている。

自分の頭の中にある鶴田真由のイメージというと、やはり箱カバーの写真のような感じだ。ところがこの写真集を買った17年前、ページをめくっていくと、
「あれ、吉永小百合に似ている!」
と思った写真が2枚あった。1枚が上に示したページのもので、他の1枚は風景の中でもっと小さく写った写真だった。表情の出方によって、吉永小百合みたいに見えるようだ。

このことが頭にあったので、武井咲が10代の吉永小百合に似ていて、おばあさんと孫のような感じと思ったときに、もう一つこんなことも頭に浮かんだ。

「吉永小百合と鶴田真由と武井咲を並べたら、祖母・母・娘だな...」