行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2012年1月9日(月)の日記

2012年01月09日 | 日記

3連休3日目の朝飯は多少変化をつけようと、南行徳駅まで行ってロッテリアでモーニングセットを食べる。

午前中に昨日録画しておいた今年のNHK大河ドラマ「平清盛」の第1話を見る。源平ものだがリアリティ重視の作り方で、華やかさのようなものはない。一昨年の「龍馬伝」に近い作風になっている。

大河ドラマは1990年代半ばから見なくなったが、2005年の「義経」から再度、見るようになった。そして、2009年の「天地人」までは見たが、そのあたりから再び、毎週放映のドラマを見るのはしんどいと感じるようになり、一昨年の「龍馬伝」、昨年の「江」は最初のほうをちょっと見ただけだった。さて、「平清盛」はいつまで続くか。

昼飯は欠真間二丁目にある中華の喜八へ。

去年の秋、この店に洋食屋ふうのメニューがあるのを見つけ、最初はドライカレーを食べ、次にキチンライスを食べ、そして今回はオムライス

なお、洋食屋ふうメニューはこの3種類だけ。

午後に舞浜のイクスピアリに映画を見に行く。浦安市市制30周年記念に作られたというカルテット!。浦安の各所でロケをする予定で準備を進めてきたら、去年の大震災が起こってあちこちに液状化被害が出たが、それを乗り越えて、撮影を行い完成したという作品。なら、そうした映画を見ることも浦安の応援だと、地元で上映されている映画館へ行く。

南行徳からイクスピアリだと、東京ベイシティバスの37系統で乗り換えなしでいけるが、行きはうまく時間があう便がなかった。それで、電車で浦安へ行って、そこから浦安市役所前を通り、段差道路を経由する便に乗った。帰りは、大三角線経由で南行徳まで来る37系統に乗る。

行きのバスが通るルートでは車窓から見る限り、液状化被害がまだ残っているような場所は見当たらなかった。ところが、舞浜駅に着いてバスを降りたら、歩道部分が波打ってでこぼこの状態だった。舞浜駅前という人が多い場所で、まだこういう状態だというのに驚いた。

JR舞浜駅の改札を出たら、イクスピアリもディズニーランドも歩道橋で行けるので、電車で来たらちょっと分からない状態だ。

イクスピアリへ向かう。

そして、シネマイクスピアリへ。

映画カルテット!だが、家族の崩壊(正確に言うと崩壊寸前)と再生の物語。同じテーマの作品をいろいろと見てきているから、物語としては特に新味は感じない。3年ぐらい前の映画に「トウキョウソナタ」(自分が見たのはケーブルテレビでだが)というのがあって、これも家族の崩壊と再生の物語だが、父親はリストラされて無職とか、家族の再生の鍵となるのが音楽だとか、子供は2人で、下の子(男の子)が音楽の才能があるとか、設定も似たところがある。しかも、「トウキョウソナタ」は物語も描き方もかなりのアクの強さで、そういうものを見てしまっているから、「カルテット!」を見ても物足りなさか残る。同じテーマを描いていても、「カルテット!」は30年かそれ以上前の、テレビのホームドラマ的だと思えた。

ロケ地は確かに浦安の各所が出てくる。最初のほうで、ごく短い間、地域イベントらしき場面が出てくるが、そこに「行徳のり」ののぼりが大きく映っていたりする。と思えば母親役の鶴田真由が浦安魚市場で働いているのだが、働いている店が玉子焼きの山田茂商店。たしかに浦安魚市場に売り場を持っているが、行徳の広尾一丁目にある会社。それから、実在の会社では内山アドバンスの浦安工場も登場。実はこの会社の本社は行徳の新井三丁目・・・南行徳駅から今井橋通りを渡ってすぐのところにある。

これは、なんと言うか、この前のドラマ「帰郷」で冒頭こそ行徳駅のあたりが映ったものの、そのあと、浦安の境川周辺(旧江戸川に近いあたり)での場面がやたらと出てきたときの感覚と共通するものがあった(一応、「帰郷」の設定では行徳の富浜の架空の四丁目ということになっていたのだが)。だから、浦安の人がこうした場面を見たら、自分が「帰郷」を見たときと同じような違和感を覚えるかもしれない。

それから、もう一つは母親役をやっていた鶴田真由のこと。すっかりお母さん役の女優になってしまった。いや、鶴田真由だけでなく1980年代後半から1990年代前半にかけてデビューした女優・・・有森也実、鈴木京香、水野真紀、最初はアイドルデビューだが中山忍など、まだ有名になる前に端役で出ていたり、単発のドラマに出ていたり、雑誌で紹介されていたりしたのを見て、気持ちが引かれた女優たちだった。鶴田真由は日債銀の広告モデルで出ていた。1990年代の前半の時期だが、東西線車内の壁と天井の境目のところにある広告で、日債銀のがあって、そこに出ている女性に気持ちが引かれた。電車が空いてきたところで近くに行って見てみたら、隅に小さく”鶴田真由”と名前が書いてあった。人の気持ちを引きつけるようなキャラクターは、いわゆる「芸能人オーラ」を強く放っているということなのだろう。そういう人は注目され、伸びて行く。

1980年代後半から1990年代前半は自分も20代後半から30代前半。若い女性芸能人への興味も強くあったころ。そして、その頃、注目した若手女優たちも、いまやお母さん役が板についている。まったく時間の経過を感じる。

ちなみに鶴田真由は1990年代の終わりごろまで日債銀の広告に出ていた。新聞の日債銀の広告にも写真が載っていたが、1999年の秋に、急に鶴田真由が出なくなった。そればかりでなく、代わりのモデルも登場しない広告になった。当時は金融機関の破綻がいろいろとあったから、広告モデル代を惜しむとは、もしかしたら日債銀も危ないのではと、単に軽くそう思っただけだったが、なんと、その1ヶ月か2ヶ月後に日債銀破綻のニュースが流れた。

 

南行徳まで帰ってきてから晩飯。映画を見るときは座っているので、あまり腹は減らない。なので軽く、なか卯鴨うどん

鴨うどんは季節メニュー。いつ終了するか分からないから、食べたいと思ったときに食べておく。