行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2009年7月12日(日)の日記

2009年07月12日 | 日記

8時ごろ起きる。今日は録画した番組や映画ソフトを見る。午前中には昨夜、録画した時代劇専門チャンネルの「大河ドラマアーカイブス『草燃える』」。午後は5月に買ったブルーレイ版の映画「アマデウス・ディレクターズカット」。ディレクターズカット版は3時間と長いが、作り手の当初の意図が見えてくる。時間を確保しないと見られないが、そういうところが面白い。

昼飯は行徳駅そばのポニー1Fにあるケンタッキーフライドチキンで。食べつつ駅前通りの反対側を見ると、そばのゆで太郎とカレーのCoCo壱番屋が出来ている。

改札がある側から駅前通りの反対側へは、横断歩道のほうへ少し回らなくてはならない。たいした距離でもないけれど、人の流れから外れる場所で店が流行るのはなかなか難しい。ゆで太郎は南行徳の今井橋通り沿いにあるし、CoCo壱番屋は妙典の高架下にあって、どちらも流行っているチェーン。なので、そういった集客力のある店を入れたのではないかと思う。

晩飯はめん組へ行く。期間限定の正油ピリ辛つけ麺があったので食べてみることにする。

舌がひりひりするような辛さではない。でも、食べているとしだいに汗が出てくる。最後は黒い容器のスープ割りを入れて飲む。ピリ辛だから、夏の期間限定のようだ。

 

午前中に「NHK大河ドラマアーカイブス」の昨日録画分を見たが、これが最終回。でも放映された「草燃える」は最終回ではなく、その2回前の分だった。

草燃える」は1979年(昭和54年)の作品。自分が高校を卒業した年。その年は進学先がついに決まらず、1年間予備校通いとなった。大河ドラマは1~3月はわりと見ていたが、4月に浪人生活が始まってからはほとんど見ていない。日曜の夜でも午後8時を過ぎると予備校の月曜授業の予習に入るので、見たとしても初めのほうだけ。でも、年末の最終回を含む3回は45分間全部、見ていた覚えがある。

昨夜、録画したのが49話の「実朝暗殺」。源実朝が兄・頼家の遺児で甥の公暁に殺される話。最終話は51話で承久の乱の話。最終回の最後のところで、滝田栄演じる伊東祐之(当時は知らなかったが、「大河ドラマアーカイブス」の解説で、初めて史実にない架空の人物と知った)が琵琶法師となって登場する。たしか、年末の総集編で見た気がするが、幼なじみの北条義時(松平健)の怒りを買って両目を潰されるという話があった。祐之が琵琶を奏でつつ「祇園精舎の鐘の声」と平家物語を語る。主人公・北条政子(岩下志麻)がそれを聞きながら、物思いにふける姿がラストシーンだった。

北条政子のその場面が数十秒は続いたと思うが、その間、岩下志麻が一度もまばたきをしない。家族で見ながら、
「女優さんって、すごいねー!」
とみんなで感動していた。この場面は総集編にもあるだろうし、また、大河ドラマアーカイブスでは放映されなかったが、最終回は家庭用ビデオで録画した視聴者が寄贈したものが存在するらしい。いずれ権利関係の処理が済んだら見る機会もあるだろう。

「草燃える」は最初のほうは、それまでの大河ドラマと比べてずいぶん、軽いノリの作風だと感じていた。ところが、最終回近くや総集編を見ると重い雰囲気だったので驚いた。最初の頃の作風が不評で途中で路線変更したのではないかと思った。「大河ドラマアーカイブス」での解説で謎が解けた。都の人間は時代劇風のセリフにしたが、それに対して、新たに始まる武家の時代(鎌倉幕府が成立した時代の話だから)の主役となる、北条氏を初めとする坂東の豪族たちは現代語のセリフにしたということだ。それで軽いノリだと思えたのだ。

それから、昔のドラマを見ると、
「こんな人も出ていた!」
というのがある。今回の49話と先週見た48話「船霊」に京本政樹が出ていた。京本政樹は自分より2歳上ぐらいの年齢だが、当時は全然知らない。8年から9年後、「仮面ライダーBlack」にゲスト出演したり、バラエティ番組で特撮マニアであることを話したりしているのを聞いて、ようやく顔と名前が一致するようになった。

役は駒若丸といい、豪族・三浦義村(藤岡弘(今は「藤岡弘、」という芸名に変わっている))の息子。源頼家の遺児・公暁とは幼なじみだが、公暁は同性愛の性癖があって、その相手という役だった。当時の京本政樹は妖しい美少年キャラだったというから、こうした役にはうってつけだったのだろう。

49話では父・義村や叔父・胤義(柴俊夫)と部屋で3人で話す場面があった。暗殺される直前の源実朝(篠田三郎)が鶴岡八幡宮の参道を歩いて行く姿を父と並んで見ている場面もあった。京本政樹ならスタジオへ入って、こうした俳優たちを目にして、
「『仮面ライダー』の藤岡弘さんだ! 『シルバー仮面』の柴俊夫さんだ! 『ウルトラマンタロウ』の篠田三郎さんだ!」
と興奮していたのではないかと思う。

自分だって、「大河ドラマアーカイブス」全般通して、かつて特撮ものに出ていた俳優を見つけると、やっぱり「あっ!あの人!」と思ってしまう。

それから48話には、これも意外な人物を見つけた。オープニングで”侍女”役に「小山茉美」の名前を見つけて「えっ!」。

アニメや外国映画・ドラマの吹き替えで、声優として有名な人だが、端役とはいえ実写ドラマにも出ていたとは知らなかった。当時、アニメには「小山まみ」で出ていたが、「小山茉美」で大河に出ていたとは。

どこに出てくるかと思ったが、この場面で真ん中にいる侍女のようだ。

左は源実朝の妻・音羽役の多岐川裕美。右が北条政子の妹、つまり源実朝の叔母で同時に実朝の乳母でもある北条保子役の真野響子。

都生まれ、都育ちの公家の姫で、格下の武家相手にはいつもツンツンとしているように教育されてきた音羽が、もっと鎌倉の社会に馴染もうとして、自分で実朝の打ち掛けを見立てたという場面。打ち掛けに仕立てのまずいところが見つかって、音羽が自分で直すと言い出し、侍女がその言葉に驚くところでアップになる。

ネット上で見つかる小山茉美の画像とくらべて見ても、やはりこの侍女が小山茉美だと思われる。

このあと、侍女が針と糸を取りに行くが、これを聞いた音羽の乳母・右京局(木暮実千代)が、
「公家の姫に針仕事などけしからん!」
と激怒して入ってきて、真野響子と大喧嘩になり、侍女は間に挟まれておたおたする。

木暮実千代という女優も1979年ごろは知らなかった。社会人になってからビデオデッキを買い、テレビ放映される昔の邦画を録画して見ていたら有名な女優というのが分かってきた。その邦画というのは昭和24年(1949年)の「青い山脈」で、芸者の梅太郎姐さんという役だった。

小山茉美で一番有名な役は、おそらく1981年(昭和56年)から放映された「Dr.スランプ アラレちゃん」の主人公 則巻アラレだろう。それ以前というと、自分が覚えているのは1976年(昭和51年)のアニメ「大空魔竜ガイキング」でのフジヤマ・ミドリ役。ロボットアニメに出てくる美少女ヒロインだが、ユニフォームを着た戦闘部隊の隊員だからウルトラシリーズの女性隊員的なイメージもある。母艦である大空魔竜から戦闘ロボット・ガイキングのパーツを射出するときの、
「ガイキング、パート1、パート2、ゴー!」
というアナウンスが印象に残っている。

1976年というと、その年の大河ドラマは、加藤剛が平将門を演じた「風と雲と虹と」。多岐川裕美は将門の初恋の相手で源家の娘・小督、真野響子は将門の従妹であり、将門の妻となる良子をやっていた。二人が絡む場面はなかったが。

アニメや外国映画・ドラマの吹き替えで声優としての活動が多い人も、やはり役者だから実写ドラマに端役で出ることもときどきはあったようだ。今は、どうかはわからないが。「草燃える」から4年後の1983年(昭和58年)、自分が大学4年のとき、大河ドラマは「徳川家康」をやっていたが、多分その年の秋ぐらいに放映された回のオープニングで、
加藤精三
という名前を見つけた。自分と同年代なら小学生のころ、「巨人の星」のエンディングの声の出演のところで毎週、目にしていた名前。そう、星一徹役の人。「徳川家康」での役だけど、(25年余り前だから記憶も少しあいまいだが)雑兵か郎党だったと思う。

素顔の星一徹がどんな人か注意して見ていた(それで、その回のストーリーを気にしなかったわけではない)が、残念ながら分からなかった。でも、雑兵か郎党たちが集まって
「みんなで殿さまのために戦おう。」
と気勢を上げる場面で、
「そうじゃ!そうじゃ!」
という星一徹の声が聞こえたのは覚えている。

小山茉美に話を戻すと、「草燃える」が放映された1979年にアニメでやっていた役というと、そうあれだ。

機動戦士ガンダム」のキシリア・ザビ

「草燃える」後半の主人公・尼将軍 北条政子よりも怖いおばさん。美少女も、アラレちゃんのようなコミカルな役もやるかと思えば、怖いおばさんもできるのだから、小山茉美は芸達者な人だ。

ガンダムというと、今年が30周年ということでお台場に実物大ガンダムが期間限定で作られている。そのうちに見に行ってみようと思っていたが、行くなら天気のいい日にしようと思っていたら、なかなか機会がない。この土日も予報では今一な天気のようだったから、土曜日は映画を見に行って、夜は飲みに行って、日曜は家でゆっくり映画ソフトでもということにしたら、今日の日曜なんかは予想外にいい天気。それじゃあ、次の週末は海の日を入れて3連休だから、うち1日ぐらいは行けるように予定を考えておこう。

でも、ガンダムがもう30周年というのだから時間が経つのは早い。予備校通いをしながら週末にガンダムを見るのを楽しみにしていたのが、ついこの間のことだったような気がするのに。

「大河ドラマアーカイブス」では登場する俳優についても解説するが、「草燃える」に出ていた柴俊夫と真野響子が結婚したのはその年(1979年)の秋だったとのこと。この2人が夫婦だというのはずっと後まで知らなかった。10代から20代の頃というと芸能人の恋愛や結婚の話題には敏感になるが、当時、自分も含めて若い人間が一番気にしていたのは、山口百恵と三浦友和がどうなるかということだった。そして、1979年の秋には有名は出来事があった。

山口百恵がリサイタルで、
「私の好きな人は三浦友和さんです。」
と言ったこと。これが、
「恋人宣言」
としてセンセーションを巻き起こした。山口百恵は翌年に引退して三浦友和と結婚した。

ついこの間の出来事だと思っていたのに、もう30年。柴俊夫と真野響子は娘が芸能界デビューして、大河ドラマ(一昨年の「風林火山」)に出ている。多岐川裕美も何年か前に娘が芸能界デビューしている。山口百恵と三浦友和もこの前、長男がデビューした。ついこの間、若手やアイドルと思っていた人が、もういいお父さんとお母さんだ。

 

今日の日記は、ずいぶんと長くなってしまった。「大河ドラマアーカイブス」が最終回だから、それを見て思ったことを書いてみようと思ったが、次から次へといろんなことが出てくる。高校生から大学生のころにかけて、つまり10代後半から20代前半にかけては、やっぱり思い出すことがどうしても多くなる。 30歳を過ぎてからは時間が経つのがどんどん早くなり、今は1年もあっという間に過ぎてしまうのに。