行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2009年7月5日(日)の日記

2009年07月05日 | 日記

9時ごろにようやく布団から出る。洗濯の残り分をやって今日も脱衣場の突っ張り棒へ干す。

昨夜、録画した番組を見た後、トップページレポートのネタを探しにカメラを持って、お買い物自転車で出かける。梅雨の最中らしい光景がいいと思ったが、昨日も今日も梅雨の中休み。結局、市川水路と行徳南部公園のところで梅雨の中休みの休日らしい光景を写す。

これはそのあと、中江川のところで写したもの。

行徳駅前の西友まで行って、買い物ついでに昼飯。地階のフードコートにある西山ラーメンへ行く。

西山ラーメンの写真で向かって左隣は今は何もなく、カウンターも塞がれているが、かつては軽食を出す店があって、そこで1回ぐらいは食べたことがあった。西山ラーメンは今回が初めて。

10年ちょっと前(1997年~1998年ごろ)、インターネットが普及して個人サイトがブームになったが、そのころ地域のグルメ情報でここの西山ラーメンはおいしいというのを見た覚えがある。でも、スーパーのフードコートには大しておいしいものはないという先入観もあったし、次々に新しくできるラーメン屋のほうに興味を引かれて、全然、足を運んだことはなかった。

カウンターの西山ラーメンの暖簾には「西山製麺」の名前が出ているのだが、札幌にある製麺屋で、札幌ラーメンの麺としては大変に有名なものらしい。それも今まで知らなかった。

それで、味噌バターラーメンを食べる。

おいしかったというか、非常に心地よい味。1970年代の札幌ラーメンブームの頃から続いている味噌ラーメンの味だった。くるまやの味噌ラーメンを初めて食べたときと同じような感覚だった。

10年ちょっと前というと、自分もまだ30代半ば。今は40代の後半。どんどん味覚も保守的になっている。だから、10代の頃から馴染んだ味が心地よく感じるのだろう。そしてまた、おそらく同じように感じる人が多いから、この西山ラーメンがずっと続いているのではないかと思う。

買い物をして帰り、写してきた画像でトップページレポートの更新をする。

パソコンに向かいつつ、昨日買ったCDを聞く。昨日、映画を見たシアターは銀座四丁目の山野楽器のすぐ裏。チケットを買ってから開場までの間にちょっとのぞいて見た。すると1970年代~1980年代アイドルのアルバムもなかなか揃っている。

その中から山口百恵のCD2枚組みのベスト盤を買ってきた。

3月にiPodを買って、iTunesストアでもいろいろと買っているが、どうも子供の頃から社会人になる直前の時期にテレビでよく聴いた曲が中心になってしまう。でも、iTunesストアに出てこない歌手の曲はCDを買うしかない。山口百恵もその一人。

山口百恵は特にファンだったわけではない。でも、ケースに載っている曲名を見ると、曲の一部でも思い出すものが多い。思い出せなかったものでも、聞くと「ああ、あったなこんな曲」と思い出す。それだけ、記憶に残る存在だったわけだ。当時、レコード(アナログのドーナツ版のシングルもLPのアルバムも)を1枚も買ってはいないのに。

歌でまず思い出すのは「青い果実」。

「あなたが望むなら、私、何をされてもいいわ。」
という歌詞は強烈だった。初めて聞いたときは尾てい骨から背中にかけてびりびりと電気が走ったようだった。

それが1973年(昭和48年)のこと。自分が中学1年の年。山口百恵はまだ中学3年生だった。聞いたのが、たしかNHKで日曜の夜、午後7時のニュースと8時からの大河ドラマの間にやっていた「お笑いオンステージ」でゲスト歌手が歌うコーナーだったと思う。中学生の女の子が、夜の7時台の、それも当時、大変お堅い放送局だったNHKで「そんな歌を歌っていいの?」と思った。

昭和の40年代は、その前の時代と比べて性の道徳観はゆるくなっていたということだけど、今と比べるとまだまだ堅い。そんな時代に中学生の女の子が
「あなたが望むなら、私、何を(=どんな性の行為を)されてもいいわ。」
と歌うなど、驚天動地だったのだ。

山口百恵は好みのタイプでもないし、ファンにもならなかったが、この歌のおかげで自分の意識にすっかり入り込んでしまった。

三浦友和との共演でも強烈なものがあった。最初は文芸作品の映画で「伊豆の踊り子」や「潮騒」だったが、テレビ初共演の「赤い疑惑」で大変な人気となった。2人は愛し合いながら実は異母兄妹だったために決して結ばれることのない関係で、しかも山口百恵のほうが白血病になって死ぬという話。最終回、ヨットの上で山口百恵が意識を失う瞬間、三浦友和がブチューッとキスをする。ヒロインの時間が止まる瞬間に2人が結ばれている状態であることで、永遠の結びつきになるわけで、女性たちはこうした場面で涙を流すのだろう。自分も含めて男のほうは、ブチューッとやる行為それ自体を喜んで見ているのだが。

そして、「赤い」シリーズや映画で2人は何本も共演していたが、そうなると見ているほうはプライベートでも2人は恋人同士で結婚するのではと期待するようになる。自分もそのころは10代の思春期だから、特にファンでなくても芸能人の恋の噂は気になってしまう。特にこの2人には。そして、自分も含めて同世代の多くの人間が期待した結末になって、山口百恵は三浦友和と結婚して引退した。

引退して時間が経つほど、神秘的なイメージになっていってしまうが、山口百恵も現役の頃は歌とバラエティや、あるいはバラエティと歌の番組・・「ヤンヤン歌うスタジオ」や「カックラキン大放送」に同世代のアイドルたちと同じようにたびたび出演してコントをやったりしていた。自分もそういうのもリアルタイムに見ていた。時間がたって過去の大スターイメージになってしまうと、忘れ去られて行く部分だが。

そうして、単に歌手としてだけでなく、女優としても、噂に上る芸能人としても1970年代でもっとも記憶に残る存在だった。

 

ちなみに、自分がファンに、それも一目ぼれ的にファンになって、レコードを何枚も買ったアイドルは倉田まり子だった。山口百恵は自分より2歳年上になるが、倉田まり子は同い年。今は、アナログレコードはもう手元にはなく、ファーストアルバムをCD化したの(写真で左)とシングルA面を集めたもの(右)のを持っているだけ。

倉田まり子はその後、いろいろあって芸能界を引退し、今は本名で就職カウンセラーの先生をやっている。

その先生のサイトでは、「倉田まり子」という芸名でアイドルをやっていたことをはっきりとは書かないものの、毎月のメッセージで触れられることがある。かつてのファンのことは「旧友のみなさん」という表現をしている。

そう、僕もその旧友の1人です。