萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

陸前高田~大船渡~釜石~陸中山田~宮古

2008年09月14日 | 日々の記録

<大船渡。朝の港の風景。>

昨日、一昨日と社用で三陸海岸を南から北へと移動した。このあたりはかつて学生時代に自転車で来た。リアス式海岸の繰り返されるアップダウンに泣かされた覚えがある。それと、ウミネコだ。獰猛な感じの目を持ち、風に煽られながらも力強く飛び、その名の通り「ニャー」と鳴く。どこかのキャンプ場の夜、崖下に広がる暗い海を月が照らしていて、しばらく釘付けになった覚えもある。

そんな思い出の残る地を今回は社用でクルマで移動した。市と市の間にリアス式の半島があり、トンネルなどを越えると次の市に出る、といった感じの繋がり方である。どの市も3万から5万人の人口を持つ。世界三大漁場のひとつ、三陸漁場が近海にあるので、昔から漁業は盛んである。今はサンマが旬だ。宿で出されたサンマの刺身やサンマの釜飯は大変美味しかった。

但し、他に産業らしい産業が無いので若い人が定着せず、出て行ってしまうとのこと。なんとなく、どの街も淋しそうに見えた。釜石市などは新日鉄が盛んなりし頃は人口は9万人を超えていたそうだが、今は4万人と半分以下になっている。

釜石というと70年代から80年代にかけて活躍した新日鉄釜石ラグビー部を思い出す。明大出身の松尾などが、活躍していた時代だ。ラグビー部も新日鉄の火が消えるとともに、表舞台には出てこなくなってしまった。

この辺りの有名人としては、陸前高田では“歌う不動産王”から“借金王”に転落した演歌歌手の千昌夫、「必殺シリーズ」や時代劇で活躍する俳優の村上弘明、幕末の剣術家千葉周作などがいる。

大船渡では演歌歌手の新沼謙治。山田町には第70代の総理大臣にもなった政治家鈴木善幸がいる。沿道のあちこちに「鈴木俊一」という政治家のポスターが貼られていたが、善幸氏によく似ていて、教えてもらわなくとも、息子だということがすぐ分かる。また、善幸氏の三女は今話題の麻生太郎氏に嫁いでいるそうだ。

こうして見ると、過疎化の進む寂しい“三陸海岸”のイメージが急に身近なものに思えてくるから不思議だ。

宮古からは内陸に入る。国道106号線を辿って、盛岡に向かうためである。この国道はこの辺り一帯の名称「閉伊(へい)」という名のついた閉伊川をさかのぼって行く。大雨が降ったためかもしれないが、急流である。岩手の急峻な山々から湧き出て、一挙に宮古湾に流れ込む。盆地も平野もないので、その川が田んぼや畑を潤す事も無い。なにか、“もったいない”感じがした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする