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萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

旅に出ようという“強い気持ち”が必要だ

2018年05月14日 | その他旅行
日中買い物に外に出たら、暑かった。スマホで気温を見たら28℃もあった。これから夏にかけてどんどん暑くなるのだろう。嫌いな季節ではないが、暑すぎるのは困る。が、今年の夏は”風來”という強い味方がいる。あんまり暑い時は風來に乗って信州やら北海道に行けばいいのだ。

今年は6月中旬から7月中旬までワールドカップロシア大会があるので、その期間は家にいてW杯を観戦したい。ということで、夏の風來旅は7月中旬以降に始める予定である。暑い時期は東北、北海道方面に行って、秋になったら四国・九州方面に行こうと思っているのだが、野球の公式戦やら月に1度の落語研究会、既に決まっているイベントなどをかいくぐって2〜3週間の旅に出るのは案外難しい。また、世間様の連休とは重ならないようにしたい、という思惑もあるので尚更だ。

「隠居人の風來旅」には前もって宿やホテルを予約しておかなくていい、という利点があるので、家を出る日も戻る日もざっくりと決めておけばいい。あとは、登山にしろ、自転車旅にしろ「今年中に絶対にここには行く」という強い気持ちを持つことだ。“強い気持ち”が無いと、家でぐうたらしているのも好きなので、ついつい先延ばしになってしまうのだ。


<本日の昼メシ:ヨーカドーの鮨「貝づくし握りとトロ鉄火」貝は左から「白みる貝」「とり貝」「つぶ貝」「赤貝」「ほたて」「ほっき貝」。暑い時にはさっぱりと鮨がいい。旨かった
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11泊12日の旅終了。

2018年04月29日 | その他旅行

<奈良井宿>

昨日午後四時、「東海〜近江」&「四国お遍路」の旅から大宮の我が家に戻ってきた。都合11泊12日の旅であった。一昨日の夕方京都東寺に着いた後、まずは風來に乗って京都を脱出し、滋賀県長浜の道の駅まで移動し、そこで、一泊。翌朝4時半に出発して、来る時は東海道を通ってきたので、帰りは中山道を東へ。木曽路までは下道を快調に飛ばし、途中、「奈良井宿」を見学し、佐久からは高速にのって、大宮まで一気に戻った。

久々の我が家はやはり落ち着く。出発前に冷蔵庫はすっからかんにしておいたので、早速近くのスーパーに買い出しに行って、お惣菜などを買ってきた。土佐の皿鉢風料理とカツオの刺身で今回も無事に終えることができた旅に乾杯。この十日間余で撮り溜めた TV番組を観ながら午前1時ぐらいまで呑んでいた。流石にうとうとしだしたので、久々のベッドにもぐり込んだ。寝床に溶け込むように寝た。


<皿鉢風料理とカツオの刺身>
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2018年春「四国お遍路」最終日

2018年04月28日 | その他旅行

<今回巡礼の最後のお寺、第36番「青龍寺」>

4月27日(金) 晴れ時々曇り

本日は今回の巡礼の最終日。高知県から京都まで戻らなければならないので、今日の参拝は午前中の3ヶ寺のみ。最後の36ヶ寺目は土佐市にある「青龍寺(しょうりゅうじ)」。このお寺のそばに高校野球や相撲で有名な明徳義塾高校がある。ここの相撲部だったモンゴル出身の横綱「朝青龍」はこのお寺にある170段の階段で足腰の鍛錬をしたそうだ。横綱の四股名の“青龍”はこのお寺の名からとったという。


<朝青龍が鍛錬した階段>

何事もそうであるが、今回も「終わってみれば、あっという間」であった。初日、作法など何も知らなかった時には36ヶ所も参拝するのに重圧すら感じていたが、終ってみれば何か物足りない気がした。この気持ちが次回、次次回の参加に繋がるのかと思う。

京都の東寺についたのは夕方六時頃。そこで解散となった。小生は駐車場に置いておいた「風來」に乗って東寺を出発。お世話になった東寺の先生やスタッフの方々、道中仲良くなったツアーの仲間たちと別れて、ひとり夜の京都を出て行くのはなんとも寂しい気がした。が、そこは常に大師様と一緒という「同行二人(どうぎょうににん)」の教えのおかげで、克服できた気がした。小生のように一人で行動することが多いものにとっては、この「同行二人」という教えは非常にありがたい教えだと思った。

この他にも今回の「四国お遍路」で、感じたこと、面白かったこと、これからの自分の生活に取り入れたいことなどをおいおい綴っていきたいと思っている。

今までにはない異例の四泊五日の巡礼旅であったが、非常にいい体験をさせてもらったと思っている。この四国お遍路ツアー参加を勧めてくれた大学のサイクリングクラブのY村先輩に深く感謝したい。
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2018年春「四国お遍路」四日目

2018年04月27日 | その他旅行
4月26日(木) 晴れ時々曇り

早くから寝ていたので、午前3時半に目を覚ます。何気に窓の外を見ると星が出ている。玄関から外に出て空を見上げると満天の星空だ。天の河もうっすらと見える。こんな星空はなん年ぶりに見ただろう。弘法大師がこの近くの御蔵洞という海に面した洞穴で修行していたら、明星が飛来して口の中に入ったと伝えられているが、この降るほどある星なら、ひとつぐらい落ちてきても不思議ではないだろうと思った。

部屋に戻って、二時間ほどうとうとしていると夜が明けた。窓の外を見ると、今度は日の出だ。海の上に出る日の出を観るのも久しぶりである。今日は朝から縁起がいい。お大師様のお導きであろうか。


<室戸岬の宿から見た日の出>


<今日も素晴らしい新緑の中のお詣りだった>

今日のお詣りは7ヶ寺。今晩は宿泊最終日なので参加者の親睦を深める為の宴会がある。その所為か、いつもより、巡回速度が速いような気がした。

高知市の市街地にあるホテルに着いたのは4時。6時からの宴会までに風呂に入って、準備を整えいざ出陣。土佐名物皿鉢料理や鰹のタタキなどを肴に、ビール、日本酒、ワインなどをしこたまいただき、酩酊した次第。途中、土地の踊りやカラオケ大会、ヨサコイなど余興も盛り沢山で、愉快な宴でありました。

10時頃部屋に戻ってバッタンQ。
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2018年春「四国お遍路」三日目

2018年04月26日 | その他旅行


4月25日(水) 晴れのち曇り

深夜1寺半、徳島地方は豪雨にみまわれ、宿のそばを流れる那賀川の上流にあるダムも満水になり、放流する為のサイレンがけたたましく鳴った。大きな音のサイレンで、おかけで眼を覚ましてしまった。何事かと思ったが、宿からの避難勧告も無かったのでそのまま寝た。

朝は雨は上がったが、強い風が吹いており、朝一で乗るロープウェイが動くのか、微妙な状況であったがお大師様の法力か、無事乗る事が出来た。本日のお詣りは7ヶ寺。最初の4ヶ寺で阿波のお遍路を済ませ、土佐に入って3ヶ寺巡った。

泊りは室戸岬にあるホテル。普通は食事の時は禁酒なのであるが、お接待でビールが出た。お接待を断ってはいけないのがお遍路のルールだ。ありがたくいただきました(^.^)
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2018年春「四国お遍路」二日目

2018年04月25日 | その他旅行
4月24日(火) 曇り時々雨、風強し

本日の徳島地方の天気は大雨、強風の予報だったので、ずぶ濡れ覚悟で臨んだのだが、お詣りする時は不思議と雨が止んでいて、傘をさしたのは9ヶ寺の内2ヶ寺のみだった。これをお大師様の奇跡、法力と言うのだろうか。


<大雨の予報だったが、ほとんど傘をささずにお詣り出来た>

お詣りの仕方については大分慣れ、境内を眺める余裕もでてきた。改めてみてみると、どのお寺も立派なのに驚く。また、境内に咲く花は見事なものが多い。


<第11番「藤井寺」の藤>


<花を開く前のボタン。ありがたや。>
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2018年春 「四国お遍路」初日

2018年04月24日 | その他旅行
4月23日(月) 晴れ

本日から、京都の東寺主催の四泊五日のお遍路ツアーに参加。東近江市のK杉氏の家を5時半に出た。高速に乗って約一時間、6時半に東寺着。お遍路に必要な納経帳、輪袈裟、白衣、菅笠、杖などを購入し、準備完了。参加者は32人。平日ツアーの所為か高齢者が多い。

<こんな感じ>


<境内のボタン。お寺に咲く花はすべてありがたく感じる>

本日の行程は東寺からバスで徳島まで行って四国八十八箇所巡りの第一番「霊山寺」にお詣りしてから、第十番「切幡寺」まで巡る。

【お寺でのお詣りの仕方】
まず、境内の水場で手と口をすすぐ。
次に以下を本堂と太子堂とにそれぞれ行う
・灯明とお線香を供える
・納め札を納める
・お賽銭を供える
・お経(般若心経等)、御詠歌を唱える

以上であるが、これが結構忙しい。ローソクもお線香も自分でライターで火をつけて、所定の場所に供えるのだが、32人が一斉にやるので、なかなかすんなりとはいかない。お寺に着いても落ち着いておられず、バタバタしているうちに、次のお寺に移動、という感じなのである。

こんな感じで本日は十カ寺巡った。お陰様で最後の方は、やる事及びその順番は覚えられた。後は唱えるお経(特に般若心経)や御詠歌の暗記だが、これは今回のツアー中には難しいだろう。

ともかくも、お寺に行って、何をやるかはとりあえず掴めた初日でありました(^.^)
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三十数年ぶりに、潮干狩り。

2018年03月19日 | その他旅行

<神奈川県の金沢八景近く。平日とあってそれほど潮干狩りをやってる人はいなかった>


<時間とともに潮が引いていく>

今日は朝から、「風來」で神奈川県の金沢八景近くにある野島公園に行って、潮干狩りをして来た。会社に入ったばかりの頃に仲間と行って以来なので、恐らく三十五、六年ぶりだと思う。

昨年の今頃のこと。藤沢市在住の同志M野谷氏が潮干狩りでアサリを採ったというメールを送ってきた。アサリは採れたてが一番うまい。しかも、メールでは大漁の様子だったので「来年は是非とも小生も連れて行ってくれ」とお願いしておいた。氏はその約束を覚えてくれていて、今回誘ってくれたのだった。

早朝6時半過ぎに家を出たのであるが、休み明けの月曜日の為か首都高が渋滞していて新宿あたりまで、ノロノロ運転。もっと早く家を出るべきだったと後悔す。それでも、新宿を過ぎるとクルマは順調に流れ、約束の9時半には野島公園に着く事ができた。

すでにM野谷氏は来ていた。氏に事前に教えてもらった装備を持っていざ出陣!小生の思い描いていた潮干狩りは熊手とバケツか網を持って、潮の引いた砂地を引っ掻いてアサリを採る、というイメージだったのであるが、M野谷氏の方法は全く違っていた。


<M野谷氏が送って来てくれた装備の写真>

右上にあるペットボトルをくくりつけたカゴに紐付きのペグをつけておく。完全に潮が引いていない膝まで海水のあるところへ行って、ペグを砂地に差込み潮で流れないようしておいて、砂地を砂ごと手で救いこのカゴに入れる。海水でカゴを洗うようにすればアサリだけが残る。この方法である程度カゴにアサリが溜まったら、左上にある浮き輪につけた網(ビクのようなもの)に移す。この網にも紐付きペグをつけて、砂地に差しこんでおくことで潮の流れに持って行かれないようにしておく。熊手などは一切使用しない。

ということで、出で立ちもウエーダーといって胸まであるツナギに長靴がついた防水着を着て、手にはゴム手袋をはめる。この格好で海に入って上の装備で採るのである。この方法だと非常に効率よく採れる。

また、こんなアサリ採りをやっていると、小生のDNAに刻まれている太古の昔の採集狩猟民族の記憶が蘇るのか、非常に楽しい。海に入って食料を調達する、という行為自体に心身共に喜びを感じているようなのだ。三時間近くもアサリの採集にあたっていたのだが、その時間は瞬く間だった。かなり、この単純作業に没頭していた証拠である。

で、肝心の釣果じゃないところの“採果”であるが、アサリ自体は沢山いたのだが皆小ぶりだった。仕方ないので、まあまあの大きさのものだけ選別して持って帰った。

帰路は平日の昼間だったので、都心で少し渋滞があった以外は順調で大宮の家には午後三時過ぎに到着。夜はとりあえず、砂抜きしたアサリの味噌汁を作っていただいた。出汁がよく出て、臭みはまったく無く、とても美味しかった。やっぱりアサリは採れたてに限るね


<アサリの味噌汁>
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泊まり旅の無い月。

2018年02月21日 | その他旅行


今月は平昌五輪開催月ということと、手配の遅れから風來にスタッドレスタイヤを装着できなかったことなどで、泊り旅の予定は入れなかった。隠居生活に入ってからこっち、旅に出ていない月というのが思い当たらないので、過去のスケジュール表をチェックしてみた。2014年8月に隠居生活に入ってから2018年の1月まで42ヶ月(3年半)になるが、旅に出ていない月というのは2015年10月だけであった。

2015年10月はMLBのポストシーズンに加え、ラグビーワールドカップがあった月で、スポーツ観戦に専念したのだと思う。また、この年は前月の9月に自転車旅や九州旅行など合わせて17日間旅に出ていたため、10月は家でのんびりしようという気持ちが働いたのかもしれない。

ともかくも、泊り旅の無い月はそれ以来となる。42ヶ月間で1度しか無いのである。我が事ではあるが、改めてあちこちに遊びに行っていたのだなと感心した。このまま、今月、一泊もせずにいるのも何か癪にさわるので、雪の降らない暖かい所に風來で行って、1〜2泊してこようかと考えてみた。

まだ、1週間ある。やれるかも
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2018.01 京都旅 三日目「暇つぶし」

2018年01月18日 | その他旅行

<京都国立博物館>


<ライトアップされた京都タワー>

京都三日目の昨日は朝から雨だった。帰りは23時の深夜バスを予約していたので、それまで雨の京都で暇を潰さねばならなかった。しかしながら、昨年来、京都には度々来ているので是が非でも行ってみたいというところは少なくっている。そんなこんなを考えると、なんで前の日の深夜バスを予約しておかなかったのかと後悔した。前の晩なら、蕎麦屋での宴会&二次会スナック歌合戦が終わった時点でほとんど待ち時間なしで深夜バスに乗れたはずだ。酔っていたのですぐ眠りについて、気がつけば大宮、という最高のパターンになり得ただろう。スケジュール的にはそれがベストだったと思う。

一日長くいる予定にしたおかげで、時間潰しに苦労した。ホテルをなるべく遅くチェックアウトしてから、京都駅に移動し荷物をコインロッカーに預けて、駅から比較的近い、京都国立博物館に行った。ここで二時間ほど時間を費やした後、隣の方広寺を見て、東本願寺そばにある「餃子の王将」で遅い昼メシを食べた後、駅周辺に戻ってさらに時間を潰した。最後は駅八条口にあるマンガ喫茶に入って三時間ほどマンガなどを読んで時間調整したのだった。

この体験から、京都への旅は行きは大宮から深夜バスでもいいが、帰りは新幹線の方が苦労しないのではないかと思ったのだが、費用を考えると躊躇せざるを得ない。平日の京都ー大宮間の深夜バス料金は4000円程度であるが、新幹線だと13600円かかる。ほぼ一万円の違いだ。ここまで差があると収入の無い隠居人としては体力があるうちは深夜バスに頼らざるを得ない。幸いにして今回、バス停のそばにマンガ喫茶を見つけたので、次回からはそこをうまく利用して暇つぶしの苦労も半減しようと考えたのでった。


<本日のモーニング。フレンチトーストセット。>
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2018.01 京都旅 2日目 「平安神宮」

2018年01月17日 | その他旅行

<平安神宮。広々としていた。>

京都二日目となる昨日は前の晩に、お茶屋さんでも二次会でも結構呑んだので、朝の目覚めは遅かった。メインイベントのお茶屋再訪がすでに終わってしまったので、特にやりたいことはなかったのだが、漠然とまだ観てない平安神宮でも行こうと思い、10時頃ホテルを出た。

途中、谷崎潤一郎なども通ったという「イノダコーヒー本店」でコーヒーを呑んで、三条通りを三条大橋の方に向かった。この通りは三条大橋手前で、寺町通りや新京極通りと交差し、賑やかな通りとなる。おみやげ買うならここだなと思いつつ通過する。


<イノダコーヒーのモーニングセット>

三条大橋を渡ってから左に折れてしばらく歩いてから、冷泉通りを右に行って、またしばらく歩くと平安神宮に着く。

明治になってから造られた神宮のためか新しい感じがした。しかし、広々としている。桜が見事だという外苑があったが、入場料を取られるので、桜の季節に来られた時のために今回はパスした。

帰りも結局ぶらぶら歩いて3時頃宿に戻った。夕方6時からY村先輩の知人たちとの宴があるので、それまではテレビで大相撲観戦などしながら時間を潰した。

宴会は五条にある蕎麦屋で行われた。料理も蕎麦も美味しかった。二次会はスナックに行って歌合戦。京都二日目の晩もよく呑んだのだった。


<蕎麦屋での宴会の締めはやはり蕎麦でした。旨かった。>
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2018.01 京都旅 初日続き「御座敷再び」

2018年01月16日 | その他旅行
昨年五月に先斗町で初めて御座敷に上がって、芸妓さんの舞を観ながら酒を呑むという、贅沢なひと時を過ごした。そのお茶屋さんを再訪することが、今回の旅のメインである。

ということで、旅の初日である昨晩、さっそく先斗町のお茶屋さん「上田梅」に行ったのであった。メンバーは昨年五月にも行ったY村先輩、M原先輩と小生の三人だ。今回は芸妓はんと舞妓はんが相手をしてくれた。

前回は立方(たちかた=舞踊を主にする者)と地方(じかた=長唄や三味線などの演奏をうけもつ者)の芸妓はんが来てくれたので、踊りを披露して貰ったが、今回は地方の芸妓はんがいなかったので踊りは観ることが出来なかった。

しかしながら、芸妓になる前の舞妓はんとお話が出来たのは、もちろん初めてだったので感激した次第。今回もお金はかかったが、夢のようなひと時を過ごせたのでした(^^)
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2018.01 京都旅 初日

2018年01月15日 | その他旅行

<鴨川>

今日から京都。難関の京都検定二級試験に見事合格したY村先輩のお誘いに乗ってやってきた。

昨晩22時過ぎ大宮発の夜行バスに乗って、今朝6時に京都に着いた。まだ、暗くて寒かった。駅構内に6時からやっている喫茶店があったので、そこに入ってモーニングセットのフレンチトーストをたのんだ。まあまあうまかった。


<モーニングセットのフレンチトースト>

本日午前中のテーマは「平清盛」。まずは、京都駅の西側にある「梅小路公園」内にある「西八条第跡」に行く。ここは清盛が全盛期に造った壮大な建物があったところである。また、平家の京都での拠点であった六波羅にも行ってみた。

おっと、夕方の宴席の時間が迫ってきてしまった。続きは明日にでも。
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2017.12 九州旅余韻 その3「“友”たち」

2017年12月11日 | その他旅行

<唐津の浜を歩く“友”たち>


<名護屋城天守閣跡から壱岐対馬方面をみる“友”たちの影>

2014年7月に33年間勤めていた会社を退社して「隠居生活」に突入してまる三年が経ち四年目に入っている。会社に所属してさえいれば、昼間はもちろん、夜も同僚や関係先との付き合いなどで日々忙しく過ごしていただろう。ところが、いざ、退社してみると、会社関係との付き合いは、本当に仲が良かった連中だけになる。今回の九州旅で一緒に遊んでくれた連中も皆そういう人たちである。

唐津に集まった10人中8人は入社同期のメンバーだ(F原・N林・M野谷・S二郎・ホセ・エアロ・タスケ氏に小生)。それに、1年後輩のK杉氏、2年後輩の久留米在住のS田氏の10名である。九州在中のものもいるが、大半は首都圏から飛行機に乗ってやってきた。やることは朝から美味しいものを肴に呑むことである。年齢的には57歳から61歳の面々であり、病気を持っている者もいれば、薬にお世話になっている奴もいるが、この時ばかりはおかまいなしにとにかく呑むのである。こんな旅をみんな揃ってあと何年続けられるかわからないが、今の所、この旅の形態は変わっていない。

まだ、現役で働いている者たちは日曜日の夕方の飛行機で首都圏に戻ったが、隠居生活の者や働いてはいるが休みが取りやすい者たちで月曜、火曜と引き続き呑み歩いた。先日のブログでも紹介したが、F原・M野谷氏と小生は由布院の小生の学生時代の友人A氏と会って、杯を交わした。このA氏は「友人」というよりは先輩といった方がよく、今よりもさらにどうしようもない人間だった学生時代の小生の面倒をよく見てくれた、いわば恩人である。

会社を辞めても、こうやって時々遊んでくれる“友”たちがいることは小生の唯一無二の財産だと思っている。彼らに足を向けては寝られないと思うのだが、東西南北全てに友人・恩人がいるので、誰かには足を向けて寝てしまうことになる。とりあえず、家にいるときは慣例に従い、北に足を向けて寝ている。

小生宅より北に住む皆さん、すいません。この場を借りてお詫び申し上げます m(_ _)m
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2017.12 九州旅余韻 その2「神社仏閣めぐり」

2017年12月09日 | その他旅行
友人N林氏の影響もあって、昨年あたりから御朱印帳を持って歩いて、神社仏閣見物の折には記帳してもらうようになった。今回の旅でも二神社二寺に記帳してもらった。

【博多 櫛田神社】



<御朱印>

櫛田神社は博多祇園山笠が奉納される神社で、飾り山笠が一年中展示されている(下の写真)。博多っ子からは「お櫛田さん」の愛称で親しまれていて、博多の総鎮守だそうだ。祭神は正殿に大幡主命(櫛田宮)・左殿に天照皇大神(大神宮)・右殿に素戔鳴尊(祇園宮)の三神。また、夏のお祭り「博多祇園山笠」の櫛田入りは祭りの最高潮とのこと。博多で一番由緒ある神社である。


<この飾り山笠は社殿の隣に常時展示されている>


【博多 東長寺】



<御朱印>

空海(弘法大師)が日本で最初に創建したお寺で、真言密教が東に長く伝わるようにと祈願されたとのこと。奥には綺麗な五重の塔があり、その横に黒田家二代忠之公、三代光之公、八代治高公の墓所があった。また、屋内には「福岡大仏」が鎮座している。


【唐津神社】

<偶然だが縞模様の綺麗な雲がかかっていた。「何事のおわしますかは知らねども」というフレーズが思わず浮かんだ。>


<御朱印>

唐津のまちの中心部にある唐津神社は奈良時代の創建で、住吉三神と神田宗次とを祀っているとのこと。唐津最大のお祭り「唐津くんち」は唐津神社の秋季例大祭で、11月2日〜4日には14台の曳山が唐津のまちを練り歩くそうである。


<入口にそびえたつ白い鳥居の上にも霊験あらたかな雲が・・・>


【由布院 佛山寺】

<佛山寺山門>


<御朱印>

康保年間(964年~968年)、性空が由布岳の山腹で読経すると鳴動する岩があり、その岩で観音像を造り祀ったのが始まりと伝えられる。 以来、由布岳信仰の本拠地として数十ヵ寺の末寺を有したが、文禄5年(1596年)の慶長豊後地震で倒壊。山麓の当地で再興、臨済宗の禅寺となった。本尊は石造の由布霊山観世音菩薩で、天台宗の僧・性空が彫ったとされる。秘仏で、33年に一度開帳される。[ウイキペディアより]

ここの山門については司馬遼太郎もその著「街道をゆく」でふれている。以下は抜粋。

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わら屋根の小ぶりな山門が、かぼそげな四脚でもって立っている。絣の似合う幼な顔の美少女を見るようで、じつに姿がいい。
「このお寺では奥さんが大変鐘を撞くことにご熱心で、里にいますと、朝、昼、晩の三度きこえてきます」
と、中谷氏はいった。梵音響流(ぼんのんこおる)というが、音の輪がこの丘からころげおりて盆地の里々をゆるゆるとまわるという音の景色が、中谷氏の由布院によく適っているように思える。
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このお寺の住職が由布院で一緒に酒を呑んだ友人のA氏である。お寺に挨拶に行って辞す時に、山門の上の鐘楼で鐘が撞かれていた。聞けば、A氏の奥さんが撞いているという。1970年代に書かれた司馬遼太郎の文書に出てくる“奥さん”はA氏の母上に違いない。
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