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萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

夢は広がる、新コロ収束後。

2020年11月02日 | その他旅行

<近所の景色。秋というより晩秋か。>

令和2年(2020年)11月1日(日)晴れ 総歩数7,456歩

いつの間にか世の中はすっかり秋、どころか、冬の準備を始めたような風景にハッとさせられる今日この頃である。

本日は大宮公園駅そばの焼き鳥屋さんで、NACK5スタジアムで大宮アルディージャの負け試合(琉球に0−3で完敗)を観てきた呑み同志S二郎氏と呑んだ。呑み始めは、アルディージャの「得点決定力が無い」「戦術の無さ」「フロント不信」「ハングリー精神の希薄」「怪我人の多さ」「そもそもサッカーが下手」などの愚痴をサカナに終始。

後半は新型コロナ収束後の海外旅行はどこに行こうかという、発展的な話に変わった。新型コロナなかりせば、今年の5月にはS二郎氏とエジプト旅行に行っていた。それが叶わない状況になったので、新型コロナがあけたら、もっと凄いことに挑戦せんか、という話になった。

落ち着いたのは「ウラジオストックからシベリア鉄道でモスクワまで行こう旅」だった。どのくらいの時間とお金がかかるかはわからないが、身体が動くうちにこういうことをやっておきたいね。という意見で一致した。実現に向けて必要な情報を得ようとお互い約束して、焼き鳥屋さんを後にしたのだった。

<焼き鳥屋さんの「レバテキ」さっと炙った鶏レバーをネギとタレとカラシで食べる逸品>

<こちらは「椎茸焼き」とこの店の名物「皮ニンニク」。両方とも絶品なのだ。(^.^)v>

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”伝説?”の伊東キャンプ

2020年10月22日 | その他旅行

<ファイヤー!>

昨日、今日と今年の2月末にメキシコシティでの仕事を終えて、日本に戻ってきたヨースケ氏の静岡県伊東市の別荘地にある邸宅で、キャンプ&バーベキューをやってきた。名付けて「伝説の伊東キャンプ」。初回から”伝説”とは少し変ではあるが、「伊東キャンプ」といえば、巨人の「地獄の伊東キャンプ」が有名。で、それにあやかって今後定例化するであろう、この集会を「伝説の伊東キャンプ」と呼ぶことにしたのだ。

昨日10月21日は朝7時ちょっと前に大宮の家を出て、宮原駅で呑み同志S二郎氏をピックアップし、圏央道、おだあつ道(小田原厚木自動車専用道路)を使って伊東のヨースケ邸へ。平日だったこともあり、渋滞なしで順調に走れ、休憩を一回入れて、約3時間半の運転で10時40分には着いた。

早速、立派なデッキにテーブル、椅子、パラソルをセット。小生は庭の片隅にテントを設営。これで準備完了。まずはビールで乾杯。お昼はヨースケ氏がお寿司を頼んでくれていて、BBQをやる前にまずは寿司で呑んだ。午後2時ごろ、関西は堺の住人J保氏がクルマで到着。学生時代からクルマ好きだった彼はカッコいい白いアウディに乗ってやってきた。

彼が加わって、本格的にBBQ開始。ヨースケ夫婦、J保、S二郎、小生の5人でのド宴会の始まりである。メキシコから持ってきたという岩塩プレートの上に、厚切りステーキをのせてじっくりと焼いたステーキは絶品であった。さすがに、アメリカ、メキシコ生活が長かっただけのことはあり、ステーキの美味しい食べ方を熟知しておられるご夫婦でした。

巨人軍のそれとは違って我々の伊東キャンプは”地獄”では無く”天国”でありました(^.^)v

小生は昼間から結構な量のワイン、焼酎などを呑んだため、バランス感覚を失い、腰が抜けたのかヨロヨロしていた。情けなし(><)。なんとか、庭の片隅に設営したテントに潜り込んで寝たのだった。

<伊東の別荘地に建つヨースケ氏の邸宅。広いデッキが素晴らしい>

<このデッキにテーブル、椅子、パラソルをセットしてド宴会は始まったのだった>

<庭のフラットな部分をお借りして、ポーランド軍テントを設営>

<お寿司で呑み始めた>

<この岩塩プレートで焼いた厚切りステーキは絶品でした>

************

巨人軍伝説の「地獄の伊東キャンプ」とはなんぞや。知らない人のために、以下、ウキペディアからの引用で説明します。

伝説化されている巨人軍の「地獄の伊東キャンプ」とは1979年のシーズン、成績の低迷によりBクラスの5位で終わったことによる打開策、および主力選手の高齢化などで世代交代の必要性を感じていた長嶋監督の意向もあり、日本の球界史上43年ぶりとなる秋季キャンプを、静岡県伊東市で実施したもの。

キャンプ地は伊東スタジアムをメインとして使用し、伊東スタジアムに程近い馬場の平地区に存在しているクロスカントリーのコースや急な上り階段を使うなど、伊東市内にある施設も利用した

練習内容は若手にハードなトレーニングを課していたことで「地獄」と呼ばれるようになった。キャンプインの日の1979年10月27日に、長嶋は参加選手全員に対し「どんな艱難辛苦にも耐えて、生き抜く心身をつくるんだ。その意識革命のために、我々はここ、伊東に馳せ参じたんだ!」と訓示し、このキャンプがハードなトレーニングを中心とすることを伊東キャンプ参加選手の全員に覚悟させた

特に篠塚や松本には、ノックや守備の特訓を、体力の限界を一歩超えるところまで課した。長嶋はノック以外にも、急勾配の坂道である馬場の平でのランニングを参加選手に対して幾度も課していた。

地獄の伊東キャンプについてはあまりのハードぶりに下記のような逸話がある。

  • 身体が食事を受け付けず、食事が摂れた選手もすぐに嘔吐した。
  • 照明のないグラウンドで、完全に日の落ちた夜になってもノックを続けた。
  • コーチ陣は選手たちからの報復を恐れて壁を背に食事を摂った。

[参加選手]

  • 投手6人:江川卓(入団1年目)、西本聖、鹿取義隆、角三男、藤城和明、赤嶺賢勇
  • 捕手2人:山倉和博、笠間雄二
  • 内野手5人:篠塚利夫、中畑清、河埜和正、山本功児、平田薫
  • 外野手5人:中井康之、松本匡史、二宮至、中司得三、淡口憲治

なお、定岡正二もこの伊東キャンプに帯同予定であったが、怪我で不参加となった。しかし定岡はその分自分自身に対して猛練習を課し、翌シーズンに向けて身体を鍛え上げて来た。

上記の選手の多くは2年後の1981年に、巨人が藤田元司監督の下で4年ぶりのリーグ優勝・8年ぶりの日本シリーズ優勝を達成した際の主力メンバーとなった。

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もう10月か。

2020年10月02日 | その他旅行

 

<彼岸花>

令和2年(2020年)10月1日(木)曇りのち晴れ  総歩数2,506

今日から10月だ。今年も今月入れて残り3ヶ月。この歳になると、月日の経つのは早く感じるものだが、今年は特に早い。新型コロナのおかげで家にいる時間が多く、季節感を味わえずにどんどん時間が過ぎてしまったのが大きい要因だと思っている。

危険なのは家にいても「面白おかしく生きていける」と思い始めている”自分”である。もともと早期退職して隠居生活に入ったのは、国内外を問わず旅をしたかったからだ。軽キャンパー「風來」を駆使して国内を縦横無尽に走ったり、安い航空券で海外や沖縄方面旅行に行ったりと、隠居生活以降は「旅中心」の生活だった。

それが新型コロナの影響で3月下旬から一挙に制限がかかり、未だに影響している。家に閉じ込められているうちに、家での楽しみ方を発見するとともに”怠けグセ”も出てきて、外に出るのが億劫になってきてしまったのだ。

やっぱ、これじゃあかん。もっと、刺激を求めて”旅”に出ねば。

新型コロナ、悪天候、何するものぞ、という気概が無いとリスクのある旅には出かけられん。雪の降り出す前、10月〜11月は”旅”中心の生活を復活しようかと画策している。

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旅に出たい

2020年04月25日 | その他旅行

昨日は午後から雨が降り出し、夕方から夜にかけては雷をともなうヒョウ混じりの雨が本格的に降った。久々の大降りではなかったか。その雨は夜のうちに止み、今朝は春らしい日本晴れ。どこかに出かけたい日和であったが、自粛ムードでいまいち気分が乗らず、結局、金木犀の仕上げの剪定をしたぐらいで、後は家にひきこもる。

しばらくは、こんな感じで致し方ないのかもしれないが、後ろ指差されない旅の仕方は無いかと考えてみた。一人暮らしの人間が、自分のクルマで出かけて、コンビニや道の駅にはよるだろうが、人と接触する場面ではマスクを着用し、車中泊で旅を続ける分にはリスクは少ないのではないか。

大宮の我が家に住んでいても、食糧調達のためにスーパーには足を運ぶ。自宅待機していたって、感染リスクはある。だとすれば、風來で旅に出ようが、自宅にいようが、リスクは同じではないか。

まずは一泊二日ぐらいの風來旅をしてみようかと思っている。

<本日の昼メシ:「クリームシュチューとバゲット」鶏肉、玉ねぎと冷蔵庫に余っていたゴボウ、ニンジン、大根で、クリームシュチューを作ってみた。滅多に作らないメニューだが、結構美味しかった。手軽にできるし、今後は頻繁に作ってもいいなと思ったのだった。>

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しばらくはキャンプ遊びに力を注ぐか。

2020年04月04日 | その他旅行

<天幕の中の薪ストーブ。寒い時でもテント内を温め、料理もできる便利なアイテムだ。>

昨日、つくばのキャンプ地から帰ってきたが、月曜からまたキャンプに出かけるので色々と準備した。汚れた食器をしっかり洗ったり、手斧を研いだり、使いやすいパッキングを考えたり、やることは結構ある。何をやるにも参考にするのはYouTubeが一番だ。

スポーツ観戦ができない今、YouTubeのキャンプ情報をよく見ている。道具の選択からそれらの扱い方、キャンプ場情報、キャンプメシなどなど充実している内容が多く、色々と参考にさせてもらっている。

ただし、YouTubeで紹介されているキャンプメシはどれも肉食中心で西洋風の脂ぎったものが多い。しかも、撮影者たちはこれでもかっという感じで朝昼晩よく食べる。あんな脂ぎったものをあんなに食べて大丈夫なのかとついつい彼らの健康が心配になってしまう。

いわゆる”ばえ”のために頑張っておられるのだろうが、もっと和風のさっぱりした「キャンプメシ」の紹介はないのかと思ってしまうのだ。

ま、なんにしても唯一打ち込める趣味がキャンプ遊びぐらいしかなくなったので、しばらくはこれを極めるために資金(大したことは無いが)や時間を費やすことになるだろう。

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「埼玉県立嵐山史跡の博物館」&菅谷館(すがややかた)見学。

2020年02月15日 | その他旅行

昨日は曇りではあったが気温は高く過ごしやすい一日であった。年末に汲んできた寄居の日本水(やまとみず)が切れたので、天気もいいし、暇なので汲みに行ってきた。

ただ行くのもなんなので、行きに「嵐山史跡の博物館」と隣接の「菅谷館跡」を見学してきた。博物館では「戦国大名は如何にして軍需を調達したか」という企画展をやっていた。なかなか面白い展示であった。入館料はたったの100円だ。こういう博物館が増えてくれるとありがたいね。今度は常設展の時に来ようと思ったのだった。

<菅谷館跡>

<館跡の梅。まだ見頃とは言えないが、かなり咲いていた。ここのところの陽気で一気に咲いたのかもしれない>

博物館を出てから風布川の水汲み場に行った。いつもなら、数組汲んでいる人がいるのだが、今回は小生だけだった。50リットルほど汲んで我が家に帰ったのは16時半頃だった。

<寄居の水汲み場に行く途中で腹が減ったので、台湾ラーメン屋によって、台湾ラーメンと中華丼のランチセットをいただいた。野菜も沢山入っていてこれで680円は安い、と思ったのだった。>

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2020.01 石垣〜波照間島の旅 三日目〜五日目

2020年02月01日 | その他旅行

<波照間ブルーの海>

呑三人衆の旅だとどうしてもブログ更新の機会は少なくなる。「呑んでるか、酔ってるか」だからである。ということで今回もついつい二日間更新せずに過ごしてしまった。

三日目と四日目の午前中は曇り時々晴れの天気の中、波照間島をレンタサイクルでポタリング。天気はイマイチだったが、静かな島を気分よく散策できた。有名なビーチなどを巡り、昼はカフェとか居酒屋のようなところで「八重山そば」や地元のツマミをアテにオリオンビールと「泡波」という波照間の泡盛を呑んだ。波照間はヤギとカラスの多い島であった。また、八重山諸島の英雄「アカハチ」は波照間島の出身で中心地に誕生地なる碑があった。

<アカハチ生誕地の碑>

<波照間島ポタリングに使った地図。波照間はこれが全てだ。>

四日目の午後に石垣島に戻ってきて夕方は「ひとし」という予約が必要な有名店で一杯やった。マグロを中心に上手くて安い刺身が食べられるのだ。夜はゲストハウスで宿泊客や従業員と夜11時過ぎまで話し込みながらちびちびと泡盛やウイスキーを呑んで過ごした。

<最終日午前中は竹富島へ>

<夕方の便で成田へ。家に着いたのは夜11時半過ぎだった。>

最終日五日目は船で竹富島にいって波照間島同様レンタサイクルで観光してから、午後石垣に戻って夕方の便で成田へ。我が家に着いたのは夜11時半過ぎ。四泊五日の呑兵衛旅で流石にくたびれた。

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2020.01 石垣〜波照間島の旅 二日目

2020年01月29日 | その他旅行

<部屋からみた海> 

令和2年1月28日(火) くもり

6時起床。シャワーを浴びて7時にはホテルを出た。8:00発の波照間行きの船に乗って、波照間島へ。所要時間は1時間半。さほど揺れもせず、無事波照間到着。小雨降る中、迎えに来てくれた宿のクルマに乗って本日の宿へ。

 ひと息ついてから、レンタサイクルで島を散策。当たり前なのかも知れないが、島は非常に静かだった。人間が暮らすのに喧騒はいらない。「静か」こそがひとを落ち着かせる。

いいじゃないか、静か。

今回は「静けさ」を味わう旅を満喫しようと思ったのだった。

夕方からは他にやることがないので、地元の泡盛「泡波」を買い込んできて部屋で酒盛り。三人で心地よく酔っ払ったのだった。

静と酎、いい一日でした(^.^)

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2020.01 石垣〜波照間島の旅 初日

2020年01月28日 | その他旅行

 

令和2年 1月27日(金) くもり

関東は本日午後から雨か雪、という天気があまり芳しく無い中、15半過ぎの便で石垣に向かった。例によって、安いチケットがあったからなのだが、4泊5日の日程である。同行するのは会社の同期M野谷氏とS二郎氏。

この期間、石垣地方は雨は降らないが「曇り」の予報。気温は25℃以下で期待していたほどは暖かくないようだ。今回は石垣から波照間島まで足をのばす予定である。

昨年の今頃も一人で石垣に遊びに行って、市内散策やロッテのキャンプの様子などを見てきた。今回は行ったことのない波照間島にも行けるし、三人旅なので面白い旅が出来るだろう。

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令和二年の“旅”スケジュール。

2020年01月04日 | その他旅行

<能登半島最北端「禄剛崎」2019.10>

令和二年の“旅”スケジュールが決まりだしている。1月後半は四泊五日「石垣・波照間の旅」、2月下旬に三泊四日「大分長湯温泉」、少しとぶが6月に「四国お遍路」、11泊12日「タイ旅」、7月「OB自転車旅」、11月「信州自転車旅」〜「同期旅行」などだ。

以上は確定したものであるが、この他に「風來旅」として「四国・九州」「東北・北海道」は必ず入れ込みたい。海外旅行ももう1、2ヶ所は行きたいし、百名山踏破にも決着をつけたい。

“旅”以外では、東京オリンピックが7月24日〜8月9日。この時期は家にいてTV観戦三昧となるだろう。また、還暦野球は今年から正式に選手登録されたので、これも忙しくなるだろう。

やること、やりたいことがいっぱいある。

のんびり暮らしたい、と思っているのだが・・・

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無事帰還。

2019年10月27日 | その他旅行

伊勢志摩の会社の仲間との旅行から始まり、昔の先輩たちとの交流会であるマキノ高原キャンプ場ド宴会に参加して、我が家に帰る16泊17日の今回の旅は無事終了した。

狭いクルマの中の世界から我が家に戻ると、なんと我が家の空間が広くて便利なことか。いいもんですね。やっぱり我が家が一番ですわ。

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宇都宮ちょい旅 大谷資料館〜水木しげる展〜川蝉

2019年09月11日 | その他旅行
昨日は隠居の“呑み同志”N林・S二郎両氏と小生の3人で、日帰り旅をしてきた。場所は宇都宮。以前ブラタモリでも放映されたことのある「大谷資料館」と現在「水木しげる 魂の漫画展」を企画展示している「宇都宮美術館」、美味しい鰻を食べさせてくれるお店「川蝉」の三箇所をターゲットに朝7時台のJR宇都宮線に乗って出かけたのだった。


<宇都宮駅西口朝9時前。9月というのに35℃超えの猛暑日。それでも、空は天高く、秋の空模様。涼しい秋はもうそこまでやってきているのだ。>

土呂駅7:31のJR宇都宮線宇都宮行きに乗ったのだが、通勤通学時間帯なので混んでいた。3人ともバッグに缶ビールやら日本酒を忍ばせていたのだが、さすがに車内で呑めるはずもなく、宇都宮駅へ。到着は8時半過ぎ。大谷資料館行きのバスは9:20だったので、宇都宮駅西口のベンチで持ち寄ったビールで乾杯。ようやく、我々の旅のペースになってきたのだった。


<大谷資料館入口付近。発掘場所は地下なのだが、地表にも大谷石の凝灰岩の岩というか崖が露出している。>


<坑内は気温12℃。地表が35℃なのでその差23℃。かなり涼しいのだ。>

資料館は坑内視察が主だ。中は12℃ということで地表の35℃の蒸し暑さに比べると天国のような涼しさであった。しかしながら、大谷石を切り出す為によくもこんな広大な空間を地下に作ったものだと、人間の努力というか欲に感心した。

手掘り時代の採掘法では18×30×90cmの大谷石を一本掘るのにツルハシを4000回も振るったとのこと。一人の石切り職人の採掘量は、一日で約十本なので、一日40000回もツルハシを振るったことになる。また、この一本の石は150kgあるのだが、これを搬出するのは背負子を使った人力だったそうだ。

このような人力作業は機械化になる1960年(昭和35年)頃まで行われていたという。小生が生まれた頃までは人力で何もかも行なっていたのだった。さぞかし、力持ちで屈強な人たちで溢れかえっていたのだろう。そう思うと頼もしい気もしたが、健康状態はどうだったのだろうかと心配にもなった。


<資料館から歩いて10分ほどにある「大谷寺」。岩にめり込むかような寺院は印象的だった。>


<これも資料館のそばにある「平和観音」。高さ27m。福々しいお顔の観音様でした。>

資料館を出た後は近くの「大谷寺」「平和観音」を散策。平和観音のそばに手頃な東屋があって、そこでN林氏が持ってきた日本酒で酒盛り。なかなかいい場所でいつまでも呑んでいたかったのだが、宇都宮駅に戻るバスの時間が迫っていたので止むを得ず腰をあげた。

宇都宮駅に戻って、ちょうど昼だったので名物餃子を食べることにした。食べログで評価の高い駅前の店に並んだ。狭い店なので回転が悪く並ぶこと約40分。やっと入れたのだが、普通の餃子とは違った上品な感じ。女性に人気があるのかも。小生的にはもっとパンチの効いた餃子が好きなので、美味しくはあったが、40分も並んで食べる程のものではない、と思った。


<上品で美味しい餃子だったが・・・>


<宇都宮美術館「水木しげる 魂の漫画展」>

昼メシを終えて、午後は宇都宮美術館へ。現在「水木しげる 魂の漫画展」をやっている。水木ファンとしてはこれは見逃せないので、開催中に絶対行こうと思っていたのだった。館内での写真は一切ダメだったので、美術館前の看板の写真を撮ったのみ。

展示は非常に満足のいくもので1時間半かけてじっくりと観させて貰った。お土産を買って帰ろうと思ったのだが、いいものがなく、仕方なしにビニールファイルで比較的いい絵があったので、それを収める額と共に買って帰った。現在、どこに飾ろうか吟味しているところである。


<買ってきたお土産。さて、どこに掛けようか・・・>

夕方5時に宇都宮駅に戻ってきて念願だった「川蝉」へ。過去二回この店を訪れたが、予約なしで来た為、二回とも断られた。今回は十日前に予約を入れておいたのでバッチリ。お刺身やうな肝をアテにビール、日本酒、焼酎で下地を作って、いよいよ「うな重松」を注文。贅沢な夕メシだったが、大満足の美味しさ。「生きててよかった」とはこういう時に言うセリフですナ。


<昨日の晩メシ。幸せの極上うな重。>

帰りの電車はグリーン車に乗り込んで、N林氏が持ってきてくれた日本酒を呑みながら帰ったが、ウトウト状態でロクに呑めず。最寄りの土呂駅に降りた時はかなり出来上がっていたのだが、結構強い雨が降っていたので一気に目が覚めた。風も強く、家にたどり着くまで結構濡れてしまった。

いろんなことがあったが、総じていい1日でした(^.^)。
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2019.08 上高地小梨平キャンプ 2日目

2019年08月30日 | その他旅行

<河童橋。いつも清い流れの梓川が水嵩を増した濁流に。穂高連峰もついに見えず。>

令和元年8月29日(木) 曇り時々雨

小梨平キャンプ二日目も朝から雨。時々止んだが基本的には雨の日であった。ついに穂高連峰は拝めず。小梨平から大正池方面に散策して途中の東屋で雨を避けながら、スパゲティを作ってお昼としたり、上高地温泉に入ったりして昼間は過ごした。

夜は外でバーベキューをやろうとしていたのだが、あいにくの天候だったので、部屋で分厚い牛ステーキを焼いたり、ローストビーフを作って食べたりと、結構豪華な食事となった。赤ワイン約4リットル、ウイスキー2本、日本酒四号瓶1本などが空になった。

2日目の晩も大いに盛り上がったのだった。


<この日の夕食のメイン:「ぶ厚いステーキ肉1kg」ミディアムレアに焼いて食べた。旨かったなぁ。赤ワイン1升がたちまち無くなってしまった(°_°)>
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2019.08 上高地小梨平キャンプ初日

2019年08月29日 | その他旅行
昨日、上高地小梨平キャンプ場に到着。今年の小梨平キャンプのメンバーは、

隊長 T村さん、 西宮市在住 67歳 会社時代の先輩
副隊長 Tさん、岐阜市在住 65歳 会社時代の先輩
隊員 M野谷氏、藤沢市在住 60歳 旅同志
隊員 S二郎氏、行田市在住 60歳 呑み同志

と小生の5名。

泊まりは、二階建てのケビン。キッチンもトイレもついているので快適だ。昨晩のメニューはバーベキューの予定であったが、あいにくの天候の為、室内で鍋を囲むことになった。

鳥の手羽、豚バラ肉、ウインナー、舞茸、シメジ、ニンジン、ナス、レタス、ハム、などあり合わせのものを土鍋にぶち込んで、醤油味ベースの鍋を皆で作って食べた。

結構上手かったので、持って行った、ウィスキー二本、ワイン3リットル、缶ビール15缶はほとんど空いてしまった。

上高地の天気予報は3日間とも雨。部屋にこもって呑むこと必至。アルコール類が全然足りない事態となってしまったのだった。
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JR八高線に初めて乗ったのだ。

2019年08月25日 | その他旅行
一昨日の話になるが、会社時代の隠居仲間3人と高崎線、八高線、中央線を使って、宮原駅から高崎経由で八王子、横浜と回って大宮まで帰ってくるJR鈍行旅を決行。駅から一度も出ることなく、ビール、酎ハイ、ウイスキー、ツマミなどをクーラーボックスに入れて持ち込み、10時から16時半までの鉄道の旅を楽しんできた。

宮原→高崎、横浜→大宮はグリーン車を使ったが、基本の乗車料金は宮原〜大宮間の190円しかかからなかった。グリーン車のボックス席で仲間と小生4人でビールやらウイスキーを楽しみながらの呑み旅であったが、そこそこ面白かった。昼メシは高崎駅で買った名物ダルマ弁当。久々に食べたがこれが結構旨かった。

大宮には17時前に着いて、そこで皆で打ち上げ。すでに汽車旅で十分酔っていたのにも関わらず、3〜4軒ハシゴしてさらに呑んだ。おかげで、多分夜10時ぐらいには家に戻ったと思うのだが、バタンQ。楽しかったが、呑みすぎた一日でした(_ _)。




<この日の昼メシ:高崎名物ダルマ弁当>
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