日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

漢字自体はお絵かきなんだけれどもなあ。意味と読みが加わるから、ちと面倒なのかもしれません。

2018-10-23 08:37:14 | 日本語学校

曇り。

またまた、曇り空です。なかなか青空は続きません。今にもポトリと落ちてきそうな空模様です。

さて、学校です。

こうも、雨が降ったり、晴れたり、またそれに伴って、気温が高くなったり、低くなったりしますと、年中ほぼ同じ(気温)という地から来た学生達は、どうもいけませんね。元気がなくなる人が増えてきます。ただその中にあっても、いつもと同じという人もいて、まあ、救われるのですが、こういう人に限って、どこかしら「ノウテンキ」で、困ります。

「君はねえ、受験生なんですよ。漢字を覚えなくちゃ」「はい、でも…難しい」「書けば覚えられます。はい、リズムをつけて、ノーに、ヨコ、ヨコ、タテ、タテ、タテ、タテ、ヨコ、そして、テン、テン、テン、テン、無理のム」「はい、はい、(ニコニコニコ)」…でも、成果はない…。面白がっているだけ…。

こういうやり方は、最初の頃こそ、ある程度の効力を発揮するのですが、少しでも「かっこわるい」とか、「気恥ずかしい」とか、あるいは、それが嵩じてしまいますと「子供っぽい」とか「馬鹿みたい」などの感情(もちろん、はっきりとは言いませんが、そう思っているなと、こちらが感づくほどの表情)が入ってきますと、なかなかうまくは参りません。

来日後、初めの2週間で、「ひらがな」「カタカナ」「音便」などをざっと終え、すぐに「『N5』漢字」に入るのですが、最初の頃は、「カタカナ」を用いて攻めていきます。これが、「『N5』漢字」の終わりごろになりますと、もう「漢字」のパーツがほどよく入っていますから、それで確認を取りながら教えていけるようになるものなのですが。

ところが、いくら経っても、「『N5』漢字」がマスターできない人がいるのです。多分、そこには「外国語は話せればいい」という、彼等の国での「ナライ」と言いますか、「思い込み」があって、そうなるのでしょうが。

そうなりますと、もう「点」「縦」「横」などしか道具はなくなってしまいます。そして、言われたとおり書くのは書くのですが、「覚えるため」に書くのではなく、「(その場を)取り繕うため」に書くだけということになってしまいます。

「読み」「意味」を覚える気で書かなくては、時間の無駄だと思うのですが、やる気が無ければそうなってしまうだけなのです。多分「(本を)読む」という習慣がないのでしょう。「聞く」「話す」が主の国と、日本や中国のように「読む」「書く(これはちょっとクエスチョンですが)」が主の国とでは、学び方も異なって来るもの。

本当に書かないですねえ。でも、遊び半分で入れると、面白がって書いてはくれる。そうして遊んでいるうちに、手が書くことを覚え、ある程度は自然に読め、書けたりする…のを、半分期待しているのですが。

だいたい、漢字なんて「お絵かき」の要領なのです。あとはできるだけたくさん読むこと。また自分の考えを書いてまとめて行くとき、簡単な漢字を入れていけば、いつも使う漢字は、自然に覚えられるものなので、見知っている漢字も増えていくと思うのですが。

とはいえ、メモを取る習慣とて無いのです。きっと少ししか覚えなくていいような生活をしていたのだろうなと思ってしまいます。

小学生の頃、その日の授業の終わりに、先生が「連絡事項(明日持ってくるもの)」などを、小さなノートに書かせたりしたものですが、その習慣は日本人には多かれ少なかれ残っていて、大人になっても、何かしら、すぐにメモを取ってしまうのです。ところが、それが、彼等にはない。

午前の授業の学生は、授業後、アルバイトに行ったりしますから、昼、言われたものを、その日の終わりまで覚えているわけがない。アルバイトが終わってから、「疲れた」で、すぐに、眠ってしまうでしょうから。「忘れないように」と言われたものが、そのままリュックに入れてあるものであれば、大丈夫だし、新たに付け足すものであれば、まず、何人かは忘れてしまう。

こういう連絡事項でも、あるいは授業中の大切なことでも、すぐに書いたり、印をつけたりが、あまりできない人が多いのです。学校では、その都度「はい、書いて」とか、「はい、ここはチェックして」とか言って、注意を促しているのですが、「あ、ここは大切なんだ」とか、「メモしておこう」とか、自主的にすることが少ないですね。

ここを出て、専門学校に行ったらどうするんだろう。それよりも、ほとんどの学生が将来日本で働きたいと言っているのだけれども、会社に入ったらどうするんだろう。「忘れました」「できません」は通用しないと思うのだけれども…。

おそらく、こういう日本語学校は、彼等の社会から日本の社会への「つなぎ」の部分になるのでしょう。ある人はこの「橋」を渡るのに、時間がかかってしまい、渡れたとしても、それから後も、うまくはできないのかもしれません。できるだけスムーズに渡れるように、こちらも日本語を教えるだけでなく、日本人の習慣なども加味しながら伝えていこうとしているのですが、壁の厚さ数メートルという人もいて、…難儀やな。

日々是好日

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