今朝は、寒い。窓を開けるなり、北風小僧のビュ―という白い息が流れ込んできました。思わず、ワッとせっかく開けた窓をまた閉めてしまいました。冬の到来です。
今朝のこの風で、もしかしたら、色づく前の木の葉が落ちてしまうかもしれません。心は、はや次の課外活動、「紅葉狩」に飛んでいます。
空に浮かぶ白い残月を横目に見ながらの、通勤です。忙しなく歩いて行く人々と無縁の世界を、あの無機質であるが故に、清々しい白い存在に見て、人は、立ち止まったりするのでしょう。
とはいえ、陽の当たる方、陽の当たる方と選びながら道を歩んでいる自分に気がつきます。もう日溜まりが恋しい季節になりました。ついこの間まで、木陰を選びながら歩いていましたのに。
さて、学校です。
十月開講の「Dクラス」ですが、かなり普通の授業ができるようになりました。教師がいる時には、「大声で私語をするのは慎むべきだ」ということと、「テストの時にカンニングをするのは悪いことだ」ということが、共通認識として定着したような気がするのです。
実際には、ついつい、思わず(今でも)してしまうようですが、私と目が合うと、「しまった」という顔をしますから、すぐわかります。以前のように、「平然と」とか「うるさい、また文句を言っている」というような表情は、覗えません。
だからというわけでもないのでしょうが、一二週間前までのイライラがかなり消え、「さて、彼らの力をどこから伸ばしていったらいいのか」という建設的な観点から考えられるようになってきました。
それまでは、(相手の考え方を)更地にする(乱暴な言い方ですが、授業中、私の大声が届かないのです。黙ってみせるとか、いくつかの手を、それなりに打ってみたのですが、それが通じるような、ある種の感受性を相手が持っていないと言うことに気づいてからは、やめました。実力行使に移ったのです)ということに、精力の半分を割いていたわけですから、かなり疲れていたのです。
何事によらず、建設的に考えることができるようになれば、人は疲れとは無縁になる…は無理でも、無縁に近い存在になれます。同じように日の半分を費やしているとしても、モグラたたきをしているような無力感に苛まれるのと、ゲーム感覚で遊びながら双方の力が増していくというのとは、違います。
日々是好日
今朝のこの風で、もしかしたら、色づく前の木の葉が落ちてしまうかもしれません。心は、はや次の課外活動、「紅葉狩」に飛んでいます。
空に浮かぶ白い残月を横目に見ながらの、通勤です。忙しなく歩いて行く人々と無縁の世界を、あの無機質であるが故に、清々しい白い存在に見て、人は、立ち止まったりするのでしょう。
とはいえ、陽の当たる方、陽の当たる方と選びながら道を歩んでいる自分に気がつきます。もう日溜まりが恋しい季節になりました。ついこの間まで、木陰を選びながら歩いていましたのに。
さて、学校です。
十月開講の「Dクラス」ですが、かなり普通の授業ができるようになりました。教師がいる時には、「大声で私語をするのは慎むべきだ」ということと、「テストの時にカンニングをするのは悪いことだ」ということが、共通認識として定着したような気がするのです。
実際には、ついつい、思わず(今でも)してしまうようですが、私と目が合うと、「しまった」という顔をしますから、すぐわかります。以前のように、「平然と」とか「うるさい、また文句を言っている」というような表情は、覗えません。
だからというわけでもないのでしょうが、一二週間前までのイライラがかなり消え、「さて、彼らの力をどこから伸ばしていったらいいのか」という建設的な観点から考えられるようになってきました。
それまでは、(相手の考え方を)更地にする(乱暴な言い方ですが、授業中、私の大声が届かないのです。黙ってみせるとか、いくつかの手を、それなりに打ってみたのですが、それが通じるような、ある種の感受性を相手が持っていないと言うことに気づいてからは、やめました。実力行使に移ったのです)ということに、精力の半分を割いていたわけですから、かなり疲れていたのです。
何事によらず、建設的に考えることができるようになれば、人は疲れとは無縁になる…は無理でも、無縁に近い存在になれます。同じように日の半分を費やしているとしても、モグラたたきをしているような無力感に苛まれるのと、ゲーム感覚で遊びながら双方の力が増していくというのとは、違います。
日々是好日