日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

みんな目的が違うので、大変です。

2021-05-21 15:21:20 | 日本語学校

曇り。

今のところ、曇りですが、少し前までチョボチョボと雨が降っていました。夕方にはこちらでも大雨になるそうで、この強風の元での大雨となりますと、ちと怖い。とはいえ、家を出るときには、止んでいてくれましたから、助かりました。

ただ、この風の強さ。思わず、「それにつけても、風の強さよ」とか、「とはいうものの、お前ではなし」などと口ずさみたくなってきます。これをなんと言いましたっけ。何にでもつけられるのです。前の部分は忘れて、後半部分だけ覚えているのが、なんだか面白い。

今日のような強風の時。自転車で角を曲がりながら、「この通りは向かい風」とか、「この通りは楽ができる」などと思っているのです。「向かい風」の時は、例の「ヨイショ、ヨイショ」です。不思議なことに、何も言わないと力が入らないのですが、口ずさみながら、それに合わせて力を入れていきますと、今日のような強風でもリキが入って、自転車が前に進むのです。

まあ、涼しい顔をして自転車を走らせている若い人には判らないでしょうけれども。私らは、自転車を漕ぎながら、「ヨイショ、ヨイショ」と言っているのですよ。

さて、学校です。

「地理」を読み進めていると、最初はよく(読めなくて)固まっていたのに、最近は自信なさげでも、それなりの読みができるようになりました。「読み」においても三段階です。第一段階、「わからないと、止まる。じっとしている」。第二段階、「自信がないので、声が小さい。…聞こえない」。第三段階、「(何度も出た故に)彼女にしては大きい声で読める(大きいと言っても、他の学生に比べれば、蚊の鳴くようなもの。声が大きいと私が言うような人は、私が「やめろ」という声さえかき消してしまうほどなのですから)」。

二人のうちの一人は、話すのは大丈夫なのですが、漢字の問題があり、高校を受験できなかった…らしい。最近は「N4」漢字を終え、「N3」に入っているので、それに伴って、「漢字の読み」についても、応用が効くようになったのでしょう。

もう一人は、やっと漢字一字の、本来の意味が判りかけてきているらしい…。らしいというのは、言いながら、頭の中がごちゃごちゃになっているような時があるからなのです。
「(その漢字の読みを、○○と言いながら、すぐにこちらの顔を見て)違った。××。あっ、これも違う。えっ、△△、ああ、違う。判らな~い」

聞いていると、間違える理由がわかってくるから面白い。音が似ている。他の熟語の読みを言っている(似ている漢字と思っているらしい。意味も全然違うので、文章の意味がとれていたら、そうは決して読まないと思うのですが)。そして追い詰められて、テキトーに言っている。

結局は、読解力なのでしょう。意味がとれているかいないかによるのです。

その点、日本と彼等の母国とを行き来してきた学生の方は、日本で生まれているし、ある時期まで日本で教育を受けているので、…こういう悩みはないのです。ただ、一番、いろいろな知識が吸収できる時期に、日本を離れているので、それが悩ましい。一方、語学や他の知識は欠けているにせよ、日本語で話していても、こちらの意図するようなところを取り違えてしまうということは、あまりない。

「地理」や「歴史」の教科書を読んで、その分野の単語を覚えていくことは、日本で、それなりに生きていく上で、必要なことです。

その点からも、やはり、教科書はよくできていると思います。中学生レベルですから、広く浅くであっても、漏れはない。それ以外のところでは、読んでいる途中に彼等が興味関心を持つようなことがあったら、そこで止まって、付け加えていけばいい。

もちろん、まずは、合格しなければなりません。けれども、学ぶことと、受験はまた別物。試験の傾向も変わったと聞きます。漢字が判らぬが故に、中学校で置いていかれてきた人が、高校に合格するのは、やはりかなり難しい。他の学生達の倍は頑張る必要があるでしょう。

これまでは、せいぜい、「漢字」と「数学」ばかりで、こういう「社会科」を教えたことはありませんでした。「日本語」ができないので、それに足すにしても、(日本語の授業の他には)、「漢字」と「数学」の基礎(計算)が、やっとだったのです。

今は、留学生も一人しかいませんし、在日生も入れても、二クラスしかありません。午前中だけです。で、午後は、言わば、プライベートで授業をしているようなもの。「N2」を目指す学生が1人、そして「高校」「大学」を目指すという2人、それから週に二回しか来られない人が、午後、追いつくための授業を受けている。これは2人。

これまでも、ここの学生になって、午前か午後のクラスできっちり授業を受けていれば、彼等の目的、あるいは必要に応じて、教員の手の空いている時間に、それなりに面倒を見てきました。今回の「地理や歴史、数学」もそれと同じことです。

もちろん、勝手に休んだり、適当にされれば、こちらも手を引きます。まずは本人の自覚が大切になのです。

日々是好日

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