ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

テクノの秋

2018年11月12日 18時07分02秒 | 田舎暮らし


ここの近くにテクノポリスという播磨科学公園都市がある。
ここには世界に誇る施設がいっぱいあるのだけど、まあそんなことはどうでもいい。

ここはとっても人口的な町。
ここは人が考えられる美しい自然いっぱいの町。
本当の自然を破壊して人口的な自然あふれる町。

ここは今、美しい秋の風景がいっぱい!
でも・・・ただ、感じるのは・・・
た・い・く・つ!!

テクノに行くと、人が作った自然の限界をついつい感じてしまう。
ここに住んでる人たち、ねえ~、退屈してない?

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ティモン

2018年11月12日 06時35分09秒 | 本の中から
人間嫌いには本人の意思に反してある種の滑稽さが付きまとう。
それでよく喜劇の題材になる。
モリエールの「人間嫌い」のアルセスト、
本人がまじめであればあるほど人を笑わせる。

ティモンは人間嫌いとして古代アテネで有名だった人。
そのため喜劇などいろんな作品に取り上げられている。
アリストファネス、メナンドロス、ルキアノス・・・
ティモンは俗福だったけど、それを気前よく使い、友人らにさんざんたかられた挙句すっかり破産してしまった。
すると友人たちは手のひらを返したよう、もう誰も相手にしてくれない。
そして金を借りに行くと冷たくあしらわれる。
それですっかり人間嫌いになってしまったという。

悲劇的な題材ではあるけど、日常的な悲劇的な世界なので逆に悲劇にはなりにくい。
ところでシェイクスピアも書いているという。
えっ、書いていたかな?
シェイクスピア全集を読んだのは大分昔なので思い出せなかった。
それは「アセンズのタイモン」という作品、それも悲劇で。
気になったので読み直してみた。
(本は大分処分したけど「シェイクスピア全集」はまだ大切に持っている)
読んでみて、正直言って駄作だ。
シェイクスピアはこの劇を一度も上演しなかったらしい。
矢張り悲劇にするには無理があるのだろう。

ところで同じシェイクスピアの悲劇「リア王」にも、またバルザックの「ゴリオ爺さん」にも悲喜劇的な要素が、あるいはある種の異常さが感じられる。
リア王は娘たちに財産のすべてをそしてもっとも親を大切にしてくれる子にたくさん残そうと思い、それぞれ娘たちに聞く。
そして思いっきり優しい言葉をかけてくれた姉2人に財産を分配し、そっけなく感じた末娘には怒って何も渡さなかった。
ところが財産をもらったとたん2人の姉はリア王に冷たく当たる。
末娘だけが相変わらず優しい。
読者はきっと悲劇を感じる前に、リア王ってバカだなぁ~、と思うだろう。

ゴリオ爺さんは俗福な商人。
そして自慢の一人娘を金にあかして貴族に嫁がせる。
それが父親、ゴリオ爺さんの自慢。
ところが貴族になった娘は商人の父を恥ずかしく思う。
娘に会えない父親は屋敷から馬車で出てくる娘を見るのを楽しみとする。
娘はちょっと会釈をするだけ。
こんな関係を維持するためだけに、娘の貴族としての体面を維持するために多額の金をつぎ込み最後はとうとう破産する。
こんな小説を読むとそこに悲劇というよりも人間としての異常さを感じる。
でもまあゴリオ爺さんはまれだろう。
でもリア王は今の日本にもたくさんいるに違いない。

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