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イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「カレーライスを一から作る: 関野吉晴ゼミ」読了

2018年06月09日 | 2018読書
前田亜紀 「カレーライスを一から作る: 関野吉晴ゼミ」読了

冒険家で医師である関野吉晴が大学でおこなった、「カレーを一から作る。」という公開ゼミのドキュメンタリーである。著者は後に映画にもしたそうである。

関野吉晴はアフリカから世界中に広がった人類の足跡を逆に辿るという、グレートジャーニーをした冒険かとして有名である。リヤカーを引いて旅をしていた人というので知っている人もいるのではないだろうか。しかし、今は武蔵野美大で教授をしているそうだ。やっぱりすごい人はすごい。

食材をスーパーで買ってきてカレーを作るというのではなくて、その食材を自分たちで育てるところからはじめようというものだ。食べ物の始まりを辿るという、関野吉晴ならではの企画である。
どうして「ゼロ」からではないかというと、人間の食べ物というのは、食塩を除いては植物を含めてすべて命のあるものを殺して調達するものである。というところから、命は作ることができない。だから“一から”ということになるのである。う~ん、言われてみるとそのとおりだと思った。含蓄がある。
現代社会では化学調味料や食品添加物など、生命でないものも人間は口にするようになってしまったけれども本来はすべてのものが自然からもらってくるものであったのだ。それがいったいどういう意味を持っているのかということを、カレーを作ることを通して体験してみるというのがこのゼミの内容だ。約1年をかけて、米、にんじん、ジャガイモ、タマネギはもとより、香辛料、そして肉までも育てるのだ。
農業の経験のない大学生が四苦八苦しながら野菜を育て、鳥を飼うのであるが、この本のクライマックスはやはり鳥の命を奪って食材にするという行為がどういう意味を持っているのかということを学生ひとりひとり、それに加えて読者に問いかけているところだろうか。4つ足の動物は法律で場で処理をしなければならないけれども鳥は自分たちで締めても法律上問題はないそうだ。動物は育てているうちに愛着が湧いてくる。それを殺して食べることができるのか。それが大きなテーマのひとつになっている。ある人は無理して食べることはないではないか。食べるとしても卵を産み終えてある程度鳥の人生を全うさせてあげてからでもいいのではないかと言い、ある学生は、食べるために育てているのであるから当然食べるべきであるという。

関野はそこで、ペットと食材としての生き物の違いについて説明する。アフリカの原住民はペットのインコが死ぬと3日間は泣いて暮らすが、森で見つけたインコは美味そうだといって獲って食べる。結局は、人間を含めて動物はすべて自分の都合で生きている(命を殺して食べている。)のだと結論付けるのである。それを受け入れられるかどうかそれだけである。結局鳥の首を捻じる役は関野教授がやっていたというのは現実的である。

釣った魚を殺すというのも確かに自分の都合だ。このゼミに参加した人たちの中にもそう思った人がいたのかもしれないけれども、この魚を殺して食べなくても今の自分は飢えるわけではない。そうなら無理に殺すことはないのではないだろうか。
そこに少なからず罪悪感が生まれる。しかし、お金と引き換えに食べているものも誰かに命を奪われたもの。お金を代わりにして罪悪感から逃れようとしているとも受け取れる。
参加者の女性のひとりが、「人間は卑怯だ」という感想を書いていたけれども、まさにその通りに思う。

それに折り合えるような答えはないのだろうからどうしようもない。卑怯な人間として覚悟を持って魚を締めよう。
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水軒沖釣行

2018年06月07日 | 2018釣り
場所:水軒沖
条件:小潮 0:44満潮 7:11干潮
釣果:ボウズ

昨夜からの雨が上がった。
とりあえず海に出てみよう。
低く垂れこめた雲も、



靄に煙る遠くの景色も、



誰もいない港も、



僕は嫌いではない。

今日は小船の性能維持のため。



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「一歩を越える勇気」読了

2018年06月06日 | 2018読書
栗城史多 「一歩を越える勇気」読了

著者は無酸素単独登頂で世界の高峰に挑む登山家であった。先月、8度目のエベレスト登頂失敗の後、下山途中に遭難死した。凍傷で指を9本失うような無謀ともいえる登り方やベテランとは思えない技術、インターネットを使った生放送にこだわるなど批判的に語る人もいたそうだ。(凍傷になったのはインターネット中継のためにパソコンのキーボードを操作したためらしい。)
そういえばそんな人をテレビで見たことがあったなというのをこのニュースを見て知ったくらい記憶にはなかった。

この本は登山家がどうして山を目指すようになったのか、そしてなぜ山に登るのかを登山家自身が書いたものである。2009年、最初のエベレスト登山が失敗に終わるまでを書いている。

登山をするようになったきっかけはあまりにも他愛のないものであったけれども、それを確固たるものにしたのは、ひとつは著者の母親の死であったそうだ。
著者の母親は著者が高校生の頃に亡くなったそうだが、そのときの最後の言葉が「ありがとう」であったことから、自分もありがとうと言える人生を歩みたい。そしてもうひとつは自分の無謀とも思える行動に勇気をもって立ち向かう姿をみせることによって人々に元気を与えたいという気持ちからで、インターネットでの中継を試みるというのもその共感を高めるためであったということだ。
自身も書いているけれども、登山をするには体力も持久力も人並み外れているというほどではなかったそうだが、その熱意でスポンサーや仲間を動かしてここまできた。
最後は無謀な試みであったのかどうかは知らないけれども「ありがとう」とつぶやくことができたのだろうか・・。

「かつて仕事は自己実現であった。」そうだ、すくなくとも団塊の世代のひとたちまではそう考えていた。だから休日出勤、深夜までの残業をいとわず働き続けることができたのだととあるコラムに書かれていた。著者は単独無酸素で世界の高峰に登ることが自己実現であった。自己実現したいものがあるのは幸せで他人の批判をどこ吹く風とやり切れるのは幸せだ。
やり切ったという感慨、そういうのはどういうときに思うのだろうか。サラリーマンなら、やっぱり、この会社のここの部分は俺が作ったのだと思うのだろうか。しかし、それは目で見えるものなのだろうか?
ぼくにはそれがわからないのである。多分、物をつくる仕事であればこれだけ完成度の高いものを作り、それが顧客に支持されればそれが自己実現されたことになるのであろうが、それがない。
勤続30年で社業に貢献してくれましたと言われてもまったくピンと来ない。



今は通勤時間を含めて、睡眠時間を除くとおそらく人生の半分以上の時間を会社のためにささげているのであるので、そこで自己実現がなされないというのはひょっとしなくてもなんとも悲しいことではないのだろうかと思わせる1冊であった。
唯一の救いは、この本の出版社がサンマーク出版というちょっと胡散臭い出版社であるということだけであった・・。

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「料理歳時記」読了

2018年06月05日 | 2018読書
辰巳浜子 「料理歳時記」読了

著者はNHKの「今日の料理」によく出演していた人だそうだ。画像をネットで調べてみるとたしかにどこかで見たことがある人のように思う。
四季折々の食材をテーマに書かれたエッセイなのであるけれども、春の一番最初が山菜について書かれたものだった。冬の寒さを乗り越えて最初に口にする新鮮な食材が山菜である。その苦味には自然にかなった何かがあると書かれているわけだが、そうなんだよ、そのとおりなんだよ、いい事を書いてあるじゃないかとうれしくなってくる。
小豆菜とはいったいどんな山菜なのだろう?野アザミの葉っぱは食べられるらしい。来年は絶対に採ってこよう。

そして季節のページが進んでいろいろな食材が出てくるのであるけれども、すべてに一貫しているのが、旬に旬のものをきちんと処理をして美味しく食べるということだ。実際に書かれている作業を読んでみると、なかなかそこは真似ができないぞと思うわけだがその気持ちはよくわかる。そして、様々な加工食品や出来合いの惣菜などについても批判的に書かれている。それも同感だ。
ぼくは某コンビニの、「なんとかプレミアム」というブランドのCMをみておぞましさを感じる。内容はこんな感じだ。家族の健康と幸せのために暖めたらいいだけのレトルト惣菜を買いましょう・・・。これに違和感を抱かない人の頭はどうかしているのではないだろうか。家族の幸せを願う心があるのなら自らの手で食材を刻むだろう。それ以前にどこから来た食材なのか、何が添加されているのかまったくわからないものを食わせる気持ちにはならないだろう。
しかし、残念ながら、この会社のグループはそのコンビニ部門は絶好調で、GMS部門(まだ、加工前の食品を相当部分扱っているというだけ健全である。)は苦戦を強いられている状況だ。人の家庭の食卓に対して偉そうに文句を言えるほどの立場でもないけれども今の世はそういうことが普通になっている証拠に思える。なんと悲しいことか・・。少子化や孤独死、ついでにいじめや不登校もすべてコンビニがなくなってしまえば解決してしまうのではないかと思うのはちょっと極論過ぎるだろうか。塩分と脂質の多い食べ物ばかりを食べているからみんなバカになってしまっているに違いない。

その点、僕はスーパーやデパートで売っている惣菜なんかは別の意味だけれども大嫌いだ。そこはうちの奥さんも似たり寄ったりで、貧乏性のために、「そんなもの、高すぎる。」思ってしまうのだ。そしてもうひとつの理由は本当に衛生的なのか?という疑問がある。
ここから先は僕の友人から聞いた話なので信憑性はどのくらいあるかわからないのだが、彼が勤めているところでいくつかの信じられないことを目にしたそうだ。
ひとつ目は、彼が担当している部署が食品の倉庫と同居していたころ、床のゲス板の下が汚いので掃除をしようというのでめくったところ、大量のホコリとともにネズミのミイラが出てきたというのだ、そこには惣菜なんかを乗せるスチロールのトレーが保管されていたのだが、多分1枚1枚洗うわけでもなく、洗っていたとしてもね~・・・。
ふたつ目はトイレでの出来事、某有名な三つの数字が並んだ豚マンを作っている職人さんがとなりで用を足していた。大柄でかなり太っていたその人の腋臭がえげつなかったそうだ。まあ、豚マンに臭いが移ることはないのだろうが、あのオッサンが豚マンとシュウマイを作っているのかとおもうとなんだかげっそりして食べる気がしなくなってしまったそうだ。
三つ目もトイレでの出来事、食品部門のアルバイト風の若い男が、よく見る薄いゴムの手袋をしたまま鏡の前で一生懸命髪型を整えている。満足したのかトイレを出て行ったのだが、手袋をしているからなのだろうか、手を洗わずにそのまま出て行ってしまった。普通、トイレとは排尿や排便をする場所なのだろうから、ひょっとしたら彼は手袋をしたまま用を足したついでに髪の毛を整えていたのではなかろうか・・。どこの厨房からきたのかわからないけれども仕事場に帰ってそのまま何かをスチロールのトレーに盛り付けているのではないだろうか・・・。
これはかれの仕事場だけのことでもないだろう。これは僕の想像ではあるけれども、規模が大きくてやたらと従業員が多い所、ましてやたくさんの業者が入り込んでいる所(という条件が揃った所というのも珍しいかもしれないけれども・・。)というのは多かれ少なかれこんなことがありうるのではないだろうか。やっぱり自分の家で作ることが一番安心で、外のものを食べるのなら、顔がわかって作っているところがわかるところでないといけないと思うのだ。
僕は特に潔癖症というわけではない。ゴカイやオキアミを触った手で平気でおにぎりを食べることができる。それでもこのようなことを想像してしまうと、どれだけおいしそうに見える食材でも食べる気がおこらなくなってしまうのである。

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水軒沖釣行

2018年06月02日 | 2018釣り
場所:水軒沖(沖ノ島沖)
条件:中潮 2:02干潮 7:29満潮
釣果:アジサバ 多数

今日は森に暮らすひまじんさんをお誘いしての釣行だ。
先週の僕の釣果はショボいものであったが、その後出撃した人たちはかなりの釣果を上げていた。季節が進むと型が小さくなるのでとりあえず急いで出撃だ。
何としても釣果を得なければならないので用意周到で行かねばと昨日は菊新丸さんに連絡をして状況を聞いてみた。ちょっと厳しくなって水深60メートル付近まで遠征をしなければならないそうだ。
朝は午前4時10分に出港。天気はすこぶるよい。風も波もなく穏やかだ。これで魚が釣れれば万事よしなのではあるけれども・・。



沖ノ島まで行ってそこから水深60メートルまでというとかなりきついのでまずは水深50メートル付近からスタート。とりあえず仕掛けを入れて入れて菊新丸さんに電話を入れてみた。コールの最中にいきなりアタリだ。
おお、調子がいいではないか!菊新丸さんは63メートルくらいのところでかなりの釣果を上げているようだが、ここでアタリが出るのなら遠くまで行かなくてもというズボラな気持ちが頭をもたげこの場所で続行。
ひまじんさんも2匹釣り上げている。しかし、ここから数が伸びない。ここで潮の流れが収束するのを待つべきかそれとももっと沖を目指すべきか・・・。
再び菊新丸さんに電話を入れるとすでに生け簀が満タンで帰りますとのこと。この時点で午前6時。向こうでは散発ながら反応もあるらしい。僕も東の風に流されてすでに水深55メートルまで来ている。あと5メートル詰めてみようと移動を開始。水深60メートルまで来ると確かに反応があった。40メートル位のところに大きな反応だ。
すかさず仕掛けを入れるとしばらくしてアタリが出た。その後30分ほどはコンスタントにアタリが出て数を稼ぐことができた。

しかし、わずか5分ほどの移動でこんなに反応が変わるものとは驚きだ。まるで水深60メートルを境にしてA.T.フィールドが張り巡らされているような感じだ。
今日も神様、仏様、菊新丸様で釣果を得ることができた。他力本願ではあるのだがひまじんさんにはそこそこの数の魚を持って帰ってもらえてホッとしたのであった。


先月の末、津本陽が亡くなったというニュースが流れていた。「雑賀六字の城」は面白い小説だった。沖から見える章魚津子山から秋葉山にかけてそれぞれの山の頂上には砦が築かれていたそうだ。かつての人々も沖からこの光景を見ていたのだろうか。



記録:

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