イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「インドでわしも考えた」読了

2010年08月16日 | Weblog
椎名誠 「インドでわしも考えた」読了

堀田善衛の「インドで考えたこと」を読んでいて、そういえば、椎名誠もそんな本を書いていたなと思い古本屋を覗いてみると105円で1冊見つけた。
堀田善衛は1957年の旅の事を書き、椎名誠は1984年を書いている。前者はインドやアジアの作家から得た印象や、当時のインドそのもの印象が語られているが、椎名誠は椎名誠らしく、メーンのテーマは「3メートル空中に浮かび上がるヨガの達人を探す。」というものだ。そんな人がいるわけがあるはずもないのだがそれを通してみるインドは27年の後の開きがあるが、あまり変わっていなかったように思う。前向きなバイタリティーは53年前も27年前もそして今も変わっていないのかもしれない。
身分の違いや貧しさなどは関係なく、みんな明るく前向きだというのが椎名誠の印象のようだが、やっぱりそこにも「宗教」の思想が深く根付いているように思う。多宗教の国のようで、ヒンズー教、イスラム教、ゾロアスター・・・いろいろあるがみんなきちんとその戒律を守っているようだ。土曜日の昼間、「世界の果てまで行ってQ」の再放送でたまたまインドの話をしていたが、今でもインドのマクドナルドのパテは鶏肉らしい。経済発展の著しい国だから世界中の情報が入ってくるはずだが、やっぱり守らなければならないものを人々はきちんと守っているのだろう。(多分)
日本ではそうはいかないだろう。ビールが高いといえばまがい物の発泡酒をつくり、あげくはアルコールが入っていなとは・・・。多分ドイツ人が聞いたら腰を抜かすのではなか?
ボージョレヌーボーも輸送費が安からといってペットボトルに詰めて空輸したらフランス政府から来年はやめてくれと言われたそうだ。それはごもっとも。と言いながら僕もペットボトルのボージョレーを買ったが、そのとおり、実に味気なかった。
安かったらそれでいいし、体裁だけ整っていればそれでいいと考えているからさまざまなことが持っている本当の意味を知ろうとしない。これもきっと宗教心の欠如から来ているに違いない。

やっぱり、日本人というのはきっとどこかおかしいんだろうとつくづく思ってしまう2冊であった。
人のことは言えないが・・・。

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