イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「方丈記―付現代語訳」読了

2016年05月21日 | 2016読書
鴨長明 簗瀬一雄/訳注 「方丈記―付現代語訳」読了

いやはや、僕と同じ思いの人が1000年近く前にも(前から?)いたとは・・・。
出世の道からはじき飛ばされ、裕福な人たちへの羨望と嫉妬。厄災を目の当たりにして感じる無常観・・・。しかし、それを吹っ切ったときに訪れる安らぎ。それでも割り切れない虚しさ。それを切々と綴っている。
同期はもとより、年下の上司に仕えなければならない虚しさ、大金持ちの顧客と比べる自分の生活。しかし、一方で自分なりに感じることができる四季のすばらしさ。長明もまったく同じことを方丈記で語っている。

長明は京都鴨神社の禰宜の一族で出世競争に負けて遁世出家し一丈四方の小さな庵を組んで後世を送った。そこで綴ったので方丈記。世の中の煩わしさから逃れて四季の移り変わりを愛でて生きてゆく。それはそれで清々しい生き方だが、やはり割り切れない思いはぬぐい去れない。ずっと矛盾を抱えて生きていた。そしてそんな心境をさりげなく誰かに知ってもらいたい、いつかどこかで知ってもらいたい。そんな気持ちでこの著作を残したのであろう。

長明は震災や大火事で生きることの虚しさみたいなものを感じ取ったようだが、僕にも自分の人生観を変えてしまった強烈な体験がある。今から20年ほど前、上司が突然亡くなったのだ。この人も釣り好きで、ずっと一緒に釣りに行っていた。特に田辺にはよく通った。この人の最後の釣行の時も一緒で、「今日はちょっと腰が痛くて・・・。」と言いながら1日を過ごして3日ほど後に入院し、そのまま彼岸へ行ってしまった。それまでは人の死というのはまったく別の世界の話で年寄りでなければ死ぬことはないと思っていたが、当たり前の話で、ひとは死ぬものでそれもいつ死ぬかわからないのだということを痛いほど思い知った。釣りとお酒が好きな人だったからもっと釣りをしてもっと呑みたかっただろう・・・。
そう思うと仕事で嫌なことがあったから釣りに行く気がしなくなったなんて言っていられないと思うようになった。とりあえず、今やりたいことは今やっておかなければ後悔すると思うことにしたのだ。残念ながら今やりたいことが仕事ではない。僕とても会社から給料をもらっている身だから、当然のことながら会社、ひいては社会に貢献しなければならないはずだが残念ながらそれをする能力がない。休日も返上で働く上司や同僚を横目に休日は休日と割り切っているのはいいのだがどこか後ろめたい気持ちでそんなことをやっている。
しかし、これからも後ろめたい気持ちを抱えながらも休みは休んで海や山に行く。幸いにしていままでリストラもされずにこの会社で生き残っていられた。あと数年もすると役職定年だ。自己啓発というのも手遅れで誰かがやってくれる仕事ならその人にやってもらえばいい。自分もできるようにならなければなんて思うこともまあ、いいだろう。幸いにしてどこの部署に流されても仕事のできる部下に恵まれている。(今のところは。)
あまりやる気がないのがバレると本当にまずいことになってしまっては困るのでこれからもずっと韜晦して生き続けるのだ。

そしてそんな愚痴にもならないことをずっとブログに書き続けている。書き続けいるということは、多分誰かに読んでもらいたい、しかし匿名で書いている以上、読まれたくない。いや、読んでもらいたい。ここにも矛盾を抱えている。
元々魚釣りの記録を残して次の年の参考にしようと始めたがだんだん愚痴と無能さの言い訳になってきた。
年々歳々人同じからず。僕のブログが変わっていくのも仕方がないということか・・・。
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