イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「古事記の研究」読了

2020年01月07日 | 2020読書
折口信夫 「古事記の研究」読了

折口信夫というひとは名前を聞いたことがあるだけであったけれども、古典学者で民俗学者であったそうだ。こういうことを書くと本当に教養のないやつだと思われてしまう。
その人が古事記について講義をおこなったものを書籍に起こしたものが本書だ。

以前に古事記を読んだとき、日本の歴史の原点がここにあるなどと思ったけれども、この本を読んでみると、その神髄は後半の歌が書かれている部分であるという。
実は僕は文庫本のなかの前半の神話の部分を読んでなんだか知った気になっていたわけであるがそこは単に伝説でしかなかった。子供の頃から親しんだ物語が次々に出てくるので「読んだ」感があったのだ。(もちろん、口語訳しか読めないが・・)

そして、前半部分の所々と後半部分には歴代天皇の業績とそれにまつわる数々の歌が書かれている。口語訳でもよくわからない内容であったので適当に読み飛ばして全部読んだことにしていたのだが、そこが大切だとこの本には書かれている。

元々古事記は、神様の子孫である天皇家が日本の国を統治するまでの物語であるが、それは裏を返すと土着の人々を征服してきた歴史でもある。
そして、当時の服従のやりかたというのが、その地域で伝わっている歌を朝廷に献上することであったというのだ。これが本当かどうかはわからないけれども、なんとも平和的な統合のされ方だ。まあ、反抗すると容赦なく討たれてしまうのだろうけれども。
歌は声として発せられる。その声を支配するということがすなわち統治するということであったらしい。声と言うものは神と交信する唯一の手段であると考えていた古代の人たちにとっては何よりも大切なものであったということだろうか。
また、声は約束に使われる物であった。言葉に出したものは必ず守らねばならず、守らなければ神から罰せられる。それほどに言葉、声というものを重要と考えたのが古事記の時代の人々であった。
最近は失言や暴言、意味不明の発言なんかがいっぱいニュースで報道されているけれども、時代が時代ならみんな神の罰を受けねばならないということだろうか。

そして、統治と言う意味では、「まつる」という言葉が出てくる。これは文字の通り、「まつりごと」のもとになっている言葉ではあるが、もとは、地上の民がその年にできた作物や採集、狩猟した獲物の内容を神様に報告する儀式がもとになっている。これは、もともと、天上の神様が地上に降りて生産業務に精を出しなさいといって遣わされたのが人間の祖先であるのだからその結果を報告するのが当然で、そのための儀式が「まつり」であるということだ。それを中央と地方に置き換えて、地方は中央に対して作柄を報告し、税を納めなければならないという統治の正当性の根拠にしたということだそうだ。
まあ、結局は統治のための道具であったということは否めない。

そして、稗田阿礼というひとはイメージとしては年齢も定かでない老人という感じであった(実は古事記のどこかには28歳であると書かれてはいるそうだ。)けれども、それはまったくの間違いで女性であったらしいという著者の見解は斬新である。
そんな難しいことはやっぱりこの本を読んでも、古事記を読んでも(もちろん口語訳)どこから導き出せるのかさっぱり見当もつかない。それよりも最初の神様たちの冒険譚や、家の近所にある、古事記にまつわる場所を訪ねて、う~ん、ずっと昔にそんなことがここで起きていたのかと思いを馳せている方が面白いと思ったのである。

古事記には33代の推古天皇までの業績が書かれているわけだけれども、26代までは架空の人物と思われるが、ここに書かれたそれぞれの天皇の行動や言動は当時の人々の理想像として記録されたそうだ。けっこう暴力的であったりまた、恋愛事情についてはおおらかであったりというのは当時では当たり前のことであったと推測されるそうだ。
人々のモラルや考え方というのは時代が変わるにつれて変わってゆく。20年前で当たり前であったことも今ではとんでもないということも多々ある。インターネットが進歩して、これからはいったいどんなことが当たり前でどんなことがとんでもないことになってゆくだろうか。あんまり変わっていかれるともう、ついてゆけなくなる・・。

どうして古代の人たちは空想の歴史を作ろうとしたのか。当時の人たちはそれを事実だと考えていたのかもしれないが、それよりも自分たちは一体どこから来たのかということを知りたくて仕方がなかったのかもしれない。
今日は雨模様で釣りに行けないのでスターウォーズの最終話を見てきたけれども、そこに出てくる登場人物もやはり、自分が何者であるか、ファミリーネームは何であったのか、それに悩む。それが不幸を招くことになったとしてもそれを知らないと前に進めない。そしてそこから自らを作り出していく。
古代の人たちもこの物語を読みながら自分たち行き先を探っていたのだろうか・・。



この本は戦前に出版されたものだが、文章は当時のまま書かれていてほとほと読みづらい。内容が難しいうえに文章が読みづらくてとうとう最後まで読むことができなかった。万葉集について書かれた章が最後にあったのだがそこは読めずに読了とした。
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