イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「雑草はなぜそこに生えているのか」読了

2020年01月05日 | 2020読書
稲垣栄洋 「雑草はなぜそこに生えているのか」読了

著者は前回読んだ、「いきものの死にざま」の学者である。本職は「雑草学者」だそうだ。雑草を研究しているひとがいるという驚きと、「いきものの死にざま」の文章があまりにもよかったのでこの人の書いた著書を探してみた。
まずは雑草の定義から。こういうことも定義があって、アメリカ雑草学会が決めた定義は、『人類の活動と幸福・繁栄に対して、これに逆らったりこれを妨害したりするすべての植物』だそうだ。こんな学会があるのも驚きだが、よく考えると、雑草をコントロールするということはすなわち農産物の収量をあげることにもつながるのであるからこれはきっと大切な学問ではかなろうかとあらためて思うのである。

雑草というのは繁殖力があって生命力が強い植物だと思いがちだが、それはまったく逆だそうだ。雑草は弱い植物である。普通のフィールドでは競争に負けるので他の植物が好まない環境で生き延びようと考えたのが雑草であるというのだ。そんな環境とは人間が暮らしているところ。具体的には土が少ない道端であったり常に耕されている田んぼや畑なのだ。
日本では種子植物は約7000種類存在していて、そのうちの約500種類が雑草として認め(?)られているらしい。

植物の強さは、「競争に強い」、「ストレスに強い」、「攪乱に強い」という3つの指標で評価される。それは「C-S-R三角形理論」と呼ばれているが、そのうちの攪乱に強いのが雑草である。
攪乱とは環境が極端に乱されることで、具体的には畑が耕されて土が上下入れ替わることや、芝生が刈られて上がなくなってしまうことなどをいう。また、人に踏みつけられるとも攪乱のひとつなのだろう。
そんななかで生き抜くためには雑草たちは様々な戦略を駆使している。
ひとつは種が強い。攪乱された環境が落ち着くまで何年も土の中で待っている。
ひとつは他殖と自殖をうまく組み合わせている。他殖とは違う花同士で受精すること、自殖とはひとつの花の中でめしべと花粉が受精することをいう。環境の変化に強い種を残すためには他殖が良いのだが、条件が悪かったらそうもいかない。そんなときには最低限次の種を残すために自殖する。しかし、いったん環境が整うと他殖をして環境に変化に強い種を残そうとし、ついでにそんなときには種を一気に増産する能力も持っている。
ひとつは時間差で発芽する。種が同じときに一気に発芽するとそのあと耕されてしまうと全滅してしまう。だから意図的に時間差で発芽してどこかの時点で成長できるチャンスを窺っているのだ。だから畑の雑草は抜いても抜いてもまた生えてくる。
ひとつは環境に応じて形質を短時間で変えることができる。ゴルフ場の雑草は同じ雑草でもラフとグリーンとフェアウエーでは背丈が違っているらしい。これは遺伝的に異なってしまったのではなく、そこの環境に合わせて背丈を変えているだけで、環境が変わるとそれなりの背丈になるという実験結果もあるそうだ。
「踏まれても踏まれても立ち上がる」のが雑草なのである。

ここだけ読んでいても雑草はすごい。
それともうひとつ雑草を見ていていつも思うのだが、彼らが虫に食われているのをあまり見たことがない。僕の叔父さんの畑ではちょっと気を抜くとキャベツだろうが大根だろうが、見るも無残な姿になってしまう。だから定期的に農薬を撒くことになるのだが、雑草たちは農薬が無くても穴だらけになっているのを見たことがない。これは虫たちも美味しい葉っぱと美味しくない葉っぱを見分けることができて、雑草が畑のそばに生えていると敵を野菜に引きつけさせることができるので自分は助かることができるという戦略だったりするのだろうか・・。と思ったりするけれども、これは、「アレロパシー(多感作用)」という化学物質を放出しながら植物が周りの植物を抑制したり害虫や動物から身を守る行動だそうだ。

ちなみのこの本は中高生向けの新書シリーズなのだが、著者はこの雑草の生き方を若い人たちに向けてのエールに変えている。
雑草の生きる環境は「ニッチ」と言われているけれども、これは生物学の分野では「ある生物種が生息する範囲の環境」と意味で使われる。通常は「隙間」というような意味で使われるので一般的な植物が生息する環境の隙間を狙って生きているのが雑草だということになる。そしてひとつのニッチではひとつの生物種しか住むことができない。それは別の解釈をすると、オンリーワンの場所であり、そこで生き延びている雑草たちはその環境でナンバーワンの存在だからであるとも考えられる。他人と比較しながら生きるのではなく、オンリーワンの場所を見つけてそこでナンバーワンになるための努力をしないさいと著者は言う。
また、生物は常に激しく競争し合っているけれども一方では助け合って生きている。35億年の生命の歴史の中で導き出したのが、「助け合ったほうが得である。」ということである。ということは、すべての生き物がオンリーワンであり、ナンバーワンであると言える。誰もがどこかでナンバーワンなのである。と、やはり「いきものの死にざま」同様うまい締めくくり方をしているのだ。

あと数年で定年のおっさんからすると、じゃあ僕は道端に間違えて種を撒かれたキャベツじゃないかと思ってしまうのであるが、それもあとの祭り。芯まで喰われる前になんとかゴールを迎えられないものかとまったく受動的にしか物事を考えられないのである・・。
ど根性大根にはなれなかったのである・・。
コメント
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