イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「地図のない道」読了

2018年03月31日 | 2018読書
須賀敦子 「地図のない道」読了

この著書についても著者についても僕はまったく知らなかったのだが、発刊当時はかなり話題になった本らしい。

タイトルの「地図のない道」に加えて「ザッテレの河岸で」の二編のエッセイが収録されている。
「地図のない道」は、友人から贈られた1冊の本からヴェネツィアの「ゲット」に思いをはせるもの。「ザッテレの河岸で」は、同じくヴェネツィアの「リオ デ インクラビリ」という水路からイタリアの高級娼婦「コルティジャーネ」に思いをよせる。

ゲットというのはムッソリーニの時代、ユダヤ人の迫害のために設けられた隔離地区のこと。「リオ デ インクラビリ」は治癒の見込みのない患者の水路という意味である。
1943年、ヴェネツィアではナチスドイツの侵攻に合わせてユダヤ人の強制収容が開始された。友人から贈られた「一九四三年、一〇月一六日」という本を読み、過去にゲットを訪ねたこと、そして友人のことを思い出す。当時は1968年、そのゲットの惨劇を経験した友人もいた。

「インクラビリ」という言葉は“治癒する見込みのない病人”という意味だそうだ。その水路のそばにそういう病院があった。そしてそこに入院したのは身分の低い娼婦だったそうだ。当時は不治の病で合った梅毒に罹った女性が収容されていた。

イタリアというと、なんとも陽気で、アモーレ・カンターレ・マンジャーレと言う言葉が本当によく似合うイメージがあるけれども、そうやって心に傷を負いながらも明るく生きている人たちがいる。
著者は後年、そのインクラビリを探すのだが、どうしても入り口にたどり着くことができなかった。それを神様に、「まだ来るのは早い。」と諭されているようだと書いている。著者も夫と結婚して2年で死別したそうだ。それでも前を向いて歩いてきた。

地図「に」ない道ではなく、地図「の」ない道を手探りで一生懸命歩いてきた。そういう意味がこのタイトルには込められているように思う。

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