写真①:明治7年に創業した「豊村酒造」
=福津市津屋崎新町で、2008年2月3日撮影
〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉 17
:豊村酒造
福津市津屋崎新町の「豊村酒造」=写真①=は、明治7年(1874年)に創業。江戸時代から栄え、〈
津屋崎千軒〉と呼ばれた古い町並みの面影を今に伝える老舗です。
大正時代末期には、九州一の生産量を誇った清酒醸造元で、現在も築120年の酒蔵は古く大きな梁に当時の隆盛を偲ばせます。商売繁盛の神様として知られる「
宮地嶽神社」(福津市宮司元町)との関係も古く、新年には御神酒を奉納されています。
もとは福岡県新宮町にあった造り酒屋「豊賀屋(とよがや)」の豊村喜右衛門当主の二男喜三郎(きさぶろう)氏が、流通の利便性を考え、当時、海上交易の拠点として栄えていた津屋崎に敷地3,300平方㍍の酒蔵を開いたのが始まりという。
「九州日報」(「西日本新聞」の前身)が明治41年7月3-5日に連載した「福岡県実業家十傑記事 豊村喜三郎君 清酒醸造業(宗像郡津屋崎町)」では、〈津屋崎の豊村と云えば、県下屈指の酒造家として、其名関西に聞ゑて居る〉とし、〈喜三郎君の祖父は、当時苗字さえ許されて豊賀(とよが)平四郎と呼び、筑前四十八浦の庄屋役を勤め、記録にも其名を遺して居られる〉と紹介。
明治31年、
「全国酒造家番付」で幕の内
「豊村酒造」に九州一の栄誉
さらに、喜三郎氏の酒造りについて、同記事は〈明治二十五六年頃は、約四千石を仕込み、三十一年全国酒造家の番付が出来た時には君は幕の内に据えられた〉とし、〈当時幕の内に据ったものは、九州では外にないのだ〉と、酒造家番付で九州一だったことを賞賛。62歳当時の公職は、郵便局長や宗像銀行取締、製塩会社取締のほか、
津屋崎馬車鉄道を走らせていた津屋崎軌道会社の監査役、〝筑豊の炭鉱王〟・
伊藤伝右衛門も出資した「
津屋崎活洲(いけす)会社」の取締などを列挙し、〈津屋崎の今の繁盛は、君が間接直接の効も少くはあるまい〉と記事を結んでいます。
「豊村酒造」は、大正末期には旧宗像郡津屋崎、福間両町にまたがる第二工場も設けましたが、戦争などの影響で昭和16年に同工場は閉鎖。現在は、宗像地方を中心に清酒ブランド「豊盛」=写真②=を出荷しています。
写真②:原酒「豊盛」や「大吟醸」などが並ぶ展示コーナー
=「豊村酒造」で、08年2月14日撮影
巨大な梁組の土間があり、白壁の長い板塀=写真③=や、そびえる煙突も望める「豊村酒造」の建物は、〈津屋崎千軒〉通りのランドマークといえるでしょう。
写真③:白壁の長い板塀
=「豊村酒造」南側で、07年6月11日撮影
2007年6月16日には、福津市主催のオカリナとフルートの演奏会「
蔵・しっくコンサート」=写真④=が開放された玄関の土間で開かれ、多くの鑑賞客で賑いました。
写真④:開放された玄関の土間で開かれた「蔵・しっくコンサート」
=「豊村酒造」で、07年6月16日撮影
「豊村酒造有限会社」(福津市津屋崎新町。℡0940-52-0001):◆
交通アクセス=〔バスで〕西鉄バス「商工会津屋崎支所前」下車、徒歩5分〔電車で〕JR鹿児島線「福間駅」下車、タクシーで約10分〔車で〕九州自動車道古賀インターから国道495号線経由で約20分。
「豊村酒造」の位置図
(ピンが立っている所)