気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

予言という標識と人類

2007-11-06 11:24:15 | 色々な気付き

今ジョセリーノさん等に端を発しているような色々な予言がクローズアップされています。本やTV等でも紹介されています。本はそれほどでもないのですが、TVの場合は視聴率を意識するあまり、衝撃的、断片的、恐怖に彩られたインパクトを感じやすいものに仕上がるケースが多いですね。

予言は予定ではないと思います。「現状ではこうなる確率が高いよ、だから予め注意しとくよ。・・・」という注意メッセージと考えられます。またジョセリーノ予言集Ⅰの中でも、本人が何度も訴えているのは、心の持ち方を変え、行動を変えてほしいと言っていることでしょう。ある人の不幸を映像で感じ、注意をしたが聞き入れず、そのとおりになってしまったことも多々あるようです。この場合の予言する、注意する当人のやるせなさは、いかばかりでありましょうか。

我々が車を運転するときには、色々な道路標識に従うことで安全なドライブが出来ます。予言、預言などもこのようなものと考えるべきでしょう。その標識を無視して突っ走ると良くない事態に遭遇することになります。例えば山道の国道で「落石注意」とか、「この先工事中!右折せよ」とかの標識・看板があったとします。利口な運転者はその注意書きを見て、リスクを回避する行動を取ります。まさか落石やら工事中の車線に突っ込むことはしないでしょう。人類全般の今後のドライブは、そのように考えるべきではないでしょうか。「難しい難しい・・良くわからない・・ほんとなの?・・また何かのデマ・・お遊びさ・・・結構怖い・・」等という考えを超えて、今素直に予言者の注意・警告を聞いてそれを回避すべきでしょう。人類全体の運命・・となると回避できない、とんでもなく質量のあるものと考えられますが、各人のやるべきことは、各人がやれば良い訳であり、世間というものに御意見を伺って行動していては、個人のコースはそれほど変わらないでしょう。そうこうしている間に、ハンドルを切れず車は危険車線に進んでいくでしょう。あなたや私の車のゆく道は1人1人が決めればよいのです。そのためのせっかくの命がけの標識を掲げている存在たちにとっては本望なのではりませんか。

1人1人が標識を素直に受け止め、今はハンドルを急に回さなければならない時期です。物や名誉やお金などでなく、我々の心・思いを洗濯調律し、思いやりや感謝の念を少しずつ広げてゆくことです。

想念・心・感情の質が時間という醸造機をへて空間・体験・経験というものを決めてゆくのが宇宙のシナリオであることに気付いている人間はもう既に多いはずです。