今回は、アセンションについての考察です。これはいったいぜんたい何なんでしょうか。また、今、人類のどの程度の人々が「アセンション」?という概念に気づいているでしょうか。アセンド・上昇・昇天・次元上昇・シフト・転移?などという意味が含まれているようです。もう既にそれなりに理解されておられる人々も多いと思いますが、あえて四角い部屋を丸く掃くような洗い出しをしてみようと思います。(笑)
色々な側面があるようです。1つ1つ見てゆくのもいいかもしれません。
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1、それは、単に現われては消える、スピリチュアル系の流行語でしょうか。
スピリチュアル系のサイトや書籍などで近年アセンションという言葉が流れてくるようになっています。自分もこの「外来語」には数年前にインターネット等で接することになりました。さすがにコンピュータによる世界ネットです、あらゆる情報があっという間に広がる様子は20世紀以前では考えられなかったことです。しかし、アセンションという言葉、これが一体何を意味しているのか?ご覧の方々はどういうふうにお考えでしょうか。
2、それは、どこか不遇をかこつ人々の、便利な現実逃避のためのイメージでしょうか。
現代社会は競争社会とも言われ、自由 即 競争という本来なら理解不能のコンセンサスで動いているようです。まず人より勝る事に意味を見出すこと、人に勝って獲得する物資、名誉、権勢などを目的に生きている人々は多いでしょう。その中で、競争のラインにも立てないと阻害されている人々、また、他人を排除することがどうしても出来ない人々は、別の価値観に引き付けられることもままあるかも知れません。多くの場合、古くからのパターンのように、幸せに満ちた世界を創ってくれる「救世主」的他者に、自分達の希望の焦点を持ってゆきます。これらの人々は、決して他者に迷惑をかけないこころを持った優しい人々でしょうが、現実をしっかり観察する行為や真なる己を見出す努力に、少し欠けたものが感じられるかもしれません。
3、それは、美しさに満ちた世界に転生したい「あこがれ希望症候群」?のようなものでしょうか。
この地上では、本意に沿った表現が出来ない、うまく行かない、こんなはずではなかったという感覚を持った存在がいたとしたら、現実のこの地上のありさまは、信じられないほど稚拙で粗いものに感じるかもしれません。人生が魂レベルの体験学習ということを、どこかで知っている存在の場合には、あまりにも自分の外に展開する世界が、本来から外れたもののように感じてしまうでしょう。もっと素晴らしい世界があるにも関わらず、こんな歪な荒くれ者の多い世界はあり得ないと感じるのでしょうか。いわゆるワンダラーの感じるビックリ仰天さと、そういう存在達の、以前の魂の体験とのギャップを表したものかも知れません。
4、それは、かつて歴史の節目にいつも現われる「大混乱」の予言でしょうか。
有史からこの地球上で勃興してきた諸文明は、文化の醸成、円熟、爛熟を経て腐敗が進み、内部からの崩壊を招いてきました。またそれに付随するように必ずと言って良いほど、その文明の外部環境の変化、つまり他国との戦争、異民族の勃興、気象の激変、食糧難などという加速要素が同時に現われてきます。 確かに、今はこのような条件が整いつつあるようです。
5、それは、経済社会の信じられない「崩壊」を示すものでしょうか。
1例として昨今の経済大変動はその前触れと感じる方々も居られるはずです。確かに今までにはあり得ないほどの経済社会の、一種のカタストロフィー現象が起き始めています。今回は一時的リセッション(景気後退・不況)ではなく、世界全体、同時の、本質的な崩壊と再生のフェーズであるのは間違いないところです。
風説では数京円規模のデリバティブ商品群が経済社会をくもの巣のように覆っているらしく、経済活動が昨今のように収縮してゆく過程で、必ずそれらの信用構造が崩壊してゆかざるを得ないでしょう。お金をベースにした、信用・契約という利益抽出システムが、行き着くところまで行ったのです。少なく見積もっても、日本の国家予算の10倍以上の規模の「貨幣価値」が失われており、何も無かったではすまされないのが、その貨幣を元にした信用・契約構造の本質です。
6、それは、今まで謳歌した資本主義の「変革」の暗示なのでしょうか。
経済資本主義、その根底にあるものは、自由な個人の契約、約束という仕組みです。しかしながら契約は一種の「縛り」でもあり、現在進行中の経済の崩落現象は、その契約というおのれ自身の縛りで身動きが取れず、ひび割れて、崩壊してゆく状態を示しているようです。契約で縛りすぎた挙句、自己破壊してゆくような感じです。契約量の多さは数京円とも言われる金融デリバティブをはじめとする商品群であり、それらは成長のみを前提とした仮想の契約であり、ハイリスク・ハイリターンと言われてきたものです。
ハイリターンは既に何処かに露と消えており、後はハイリスクのみが残され、その処理に追われているのが現状ですが、この約束・契約は多分に「反故」になるしかないと思われます。 すなわち契約を履行することを前提とした信用構造は瓦解せざるを得ないということです。
7、 それは、物質文明が変質し、これから再び「自然」の生活に戻ることなのでしょうか。
少なくともお金持ちが偉いとか、セレブが理想とか、ハイソの暮らしだとか、権威だとか、そのような思わせぶりだけで中身の無い虚栄は消えて行かざるをえないでしょう。真剣に生きるという事が富と権威の集積であるという観念が支配した時代は終るでしょう。生きる為には食わなければならないという身体レベルのみの活動からシフトし、こころの働きに気づく人々が多数をしめるような社会となりそうです。完全なる自由意思の中にある無限性と、究極の自己責任を感じ始める時代でしょう。物質偏重は役に立たないことがやっとわかった時代です。
今まで押さえに抑えてきた自然の自己治癒力の膨大な開放があるでしょう。
8、それは、これから起きるであろう転変地異に順応させる為の、「洗脳宣伝」でしょうか。
地球温暖化というメッセージは、二酸化炭素CO2 というものに元凶をもとめるものではありますが、自然環境の変化に目敏く気づいた、権威筋、支配層からの変動の予告とも感ぜられます。また科学技術を自由に利用できる支配層は、地球内のみでなく、宇宙を含む何かの変動を察知したのでしょう。宇宙開発等が前世紀のある時期から急に水面下に隠れるような状況があり、文字通り、何かの「不都合な真実」を目の当たりにしたのでしょう。
先頭きって物質文明を進めたところ、その「「不都合な真実」に気づき、後から後から地球からの搾取のうまみを得ようとする後発の国々に対して、「おーい、お前らもうダメだ、この先は崖がある、引き返せ~!」というある種の悲鳴のような指示のことかも知れません。しかし、本当の事を言ってしまえば、世界がひっくり返る為、CO2にイメージを固定しようとしたのでしょうが、間に合う訳はなく、事ここに至ったようです。
9、 それは、人類文明の明らかな転換のしるしでしょうか。
近来の地球上の色々な要素がそろって指数関数的に上昇しています。地球上に住む人間の数の指数関数的な増大は人口曲線でも見ることができます。また交通や通信技術の進展もあり、人間の意識する範囲が地球規模になってきています。インターネット等では地球の裏側の情報もすぐに見ることができます。情報量はまさにニューロンネットワークの生長のような指数関数的な増大を示しています。
10、それは、人類集合意識の進化の節目のことでしょうか。
惑星生命圏のもっとも高位にあると言われる人間は、気づく気づかないに関わらず膨大な想念波動を発しています。眼に見えないからと言って、思いや感情を実態のないものだと考えている人々も、未だ相当数存在していますが、それは絶大なる潜在エネルギーのすぐそばにいて、何も気づかない、何も聞こえないようなものです。人間の人間たるところは、チョッとした頭脳の働きと蓄積でだけではなく、その身体、こころ、魂の振動による意識活動全般にあるのです。
それらの人間の眼に見える、また眼に見えない意識活動があるレベルまで一気に駆け上がったかも知れません。多様化や分裂、分化を体現してきたこの文明が、ある一定の飽和状態に来ているような気がします。
11、 地球という惑星意識(ガイア)の進化でしょうか。
人々は、意識があるのは人間だけだと思っているでしょう。なにせ、考えること、感じることは人間以外に出来ないと感じています。意識は動物にも多少在るかな・程度の理解かもしれません。想念・イメージは確かに人類の専売特許のようですが、それは意識の全てではありません。例えていえば、TV発信塔からの電波を受信するのはTVをもっている家庭ですが、その単に1チャンネル分の映像と音声を、全てだと勘違いするようなものでしょう。鉱物、植物、動物などもそれなりの受信機能をもっているがゆえに、この地上に存在しています。存在していると言うこと自体が、大いなる地球というガイア意識波動の賜物なのです。存在していること自体が「意識」の現れということです。
人類の様々な思い、感情は有史以来この地球フィールドに記憶されてきました。膨大な意識活動のある一定レベルの飽和点に来たのかもしれません。例えば、水に熱エネルギーを蓄積するとある飽和点からあっという間に水蒸気に変移するようなものでしょうか。特に、人類の意識が「核」にアクセスした時代であり、連鎖反応による周辺時空の破壊の可能性がそこにあります。いわば3次元といわれる認識レベルの、崖っぷちにいるようでもあります。母なる地球も意識であれば、ここがジャンプの時であると感じているでしょう。このまま進むには、崖から落ちないように、思い切って向こう側にジャンプすることしかありません。
12、 それは地球生命学園ともいえるカテゴリー内のいわば卒業式でしょうか。
まさに天地の移動とは、全てが遷移することかも知れません。そうであれば、人類にとっては通ってきた学校自体が変るようなものであり、そのまま居残りできる教室がなくなることを意味します。進級か転校かの判断をすることになるかも知れません。
大いなる存在の1つの体現であるこの地球意識も、主役たる人類たちの、「泣き・笑い」を内包した、その驚くべき「愚かさと騒ぎの繰り返し」の中にある、それでも確かな生長の姿を、確認したのかも知れません。
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螺旋(らせん)は繰り返しながらも必ず前に進んでゆくパターンを持っています。歴史も、毎日の生活も、睡眠と就寝も、生と死も、銀河系から見た太陽軌道も、地球の公転軌道も、自転の軌跡も、そうして原子核も、電子も「渦」と「らせん」という形態をもっています。繰り返しながらも、一瞬一瞬が変化してゆくこと、その一見同じように見える、その繰り返し自体が、先に進む原動力そのものであるということがわかります。
螺旋であるがゆえにこそ、周回と周回の軌跡、サイクルとサイクルの間には必ずギャップ、空(くう)があります。それが、空(くう)であるからこそ無限であり、愛と光が溢れてくるところであり、あなたやわたし達すべての生命の根源です。
究極に近い言葉でいえば、我々は愛と光である、と言うしかないのです。
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今年ももうすぐ大晦日ですね。皆様お疲れ様です。
本日も拙い記事をご覧頂きまして誠にありがとうございます。