多くの人々は脳波のことを知っているだろうか。
見る・聞く・嗅ぐ・味わう・皮膚で感じるという五感による知覚等は、脳によって情報処理をされている。
脳とは、コンピュータのプロセッサ(CPU)に該当している機能装置とも言えるだろう。
その脳の電気信号を脳波計で取り出したのが「脳波」といわれているものだ。
脳波は振動数によって便宜上4つに分類されているようである。
1つはベータ波、電気的な波形の周波数は13-40ヘルツ。
これは人が日常の細かな働きをしている時の脳波であり、活発に知的活動を行っている状態に出ているものだ。あれこれ気にして考えたり、また悩みや怒りで激しく活動している時などの脳波ともいわれている。
2番目はアルファ波、電気的な波形の周波数は8-13ヘルツ。
ベータ波よりもゆっくりした脳波であり、眠ってはいないけれどリラックスして、努力をしなくても周囲に注意している状態に出ている。
軽い瞑想、内省、白昼夢、軽度の催眠、創造的な活動をしている時、自然の中ですごす時、リラックスして休んでいる時や運動などをしている時に生じる。
3番目はシータ波で、4-8ヘルツ、
もっとゆっくりした脳波であり、眠りかけたとき、夢を見ている時、夢中で創造活動をしているとき、直感的な啓示を受け取っている時等に見られる。
4番目はデルタ波であり、0.5~4ヘルツ、
さらにゆっくりした脳波であり、深く眠っている時、夢遊病や深いトランス(自己忘我)状態、また自己治癒のプロセスと関係しているようだ。
我々は毎日この脳波状態を体験しているわけであるが、そのほとんどが忙しい脳波レベルである、ベータ波が占拠している状態ではないだろうか。
このベータ波レベルは、知的にあるいは感覚的にめまぐるしく対応している意識状態のことであり、忙しくして活動している割には、こころ落ち着かずまた疲れやすくなっている状態でもある。
まさに都会で忙しくしている人、目先の感覚的刺激を追いかけている人、金銭や疲れと引きかえに嫌々働いている人等にも当てはまるかもしれない。
自分が知的生産に忙しく従事しているという自負がある人でも、本来の落ちついたアルファ波レベルの状態よりも、神経を使い果たすような細かな対応をしているベータ波が主流になっているかも知れないのだ。
ベータ波が悪いということではないものの、この忙しく立ち働く意識状態では、自分という原点を忘れがちになり、
現生対応、現実対応、その場対応のみが主流になるために、
ついつい本来の魂の意図に反した行動や、嘘まがいの言動も出やすくなり、その為に疲れ、あるいは傷ついたりすることにもなりやすい。
これに気づかないで、それをそのままで正しいと誤認した状態が続くと、功利主義的なこころ、自己利益に特化するような「歪み」を生みだしてしまうことにもなるだろう。
生存競争という激しい活動をしている人々のなかで、疲れることや傷つくことで人間そのものが嫌いになり、面倒になり、安全対策としての「自我」という殻を創り上げるかもしれない。
すなわちそれは「エゴ」と言われるものである。
そのエゴの特化した者の陥り易い、自己崇拝やあるいは支配によってそれから逃れようとする行為が、富や権威への希求となって現われてくるのだ。
現代社会は、いかに激しい生産活動をするか、いかにそれからより多くを獲得するかを競いながら、いかに付加価値を造り上げてゆくのか・・という思想によって動いてきたのだ。
それらは主に脳波で言えば、ベータ波の文明であったと言えるだろう。
激しい知的活動、物質加工技術、それによる物質的生活改善という目的に特化した方向であり、
それが行き過ぎて、
人々は疲れ、個我に引きこもり、自己利益のみを求め、
物質的富の行き過ぎた獲得ゲームでの勝者と敗者に分かれてしまったのだ。
ベータ波による激しい知的活動、激しい感覚知覚への特化は、
本来の人間の有り方からみて、大きくバランスを崩していたのだ。
脳波には、ベータ波のほかに、
自然の中で生きることで自然に生じる、リラックスした意識状態である、本来の創造活動にふさわしいアルファー波や、
内面からの直感真知を得られるようなシータ波や、
肉体を超えたあり方の窓であるデルタ波があることに、
もう気づかなけらばならないのではないだろうか。
いや、潜在意識的にでも大勢の人々が気づいているからこそ、
今までの古い時代が音を立てて崩壊してきているのだ。
忙しく立ち回り、あれやこれやと騒ぎまくり、誰が良いとか悪いとか、国が潰れるとか潰れないとか、
一体ぜんたいどうすればいいのだとか、
どうすれば救われるのだとか・・・、
それらはすべて、あいかわらず、意識の表層の働きたる「ベータ波」由来の想念であることに気づくべきではないだろうか。
我々のなすべき、あるいは、なさねばならないことは、
造られた外の世界の騒ぎへの集中ではなく、
それぞれの真実たる自らの意識自体への注視である。
意識する方向にこそ、道があるのだ。
なぜならば、人も誰も皆、肉体的、物質的存在である前に、
意識的存在であるからである。
意識はエネルギーを生み出し、それが物質化という表現をとる。
これこそが宇宙の顕現法則なのだ。
あなたやわたし達においても、しかりである。
何があっても、何が無くても、いつもいつの時も、
我々はいわゆるそういう「創造」の真っただ中にあるのだ。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。