宇宙は英語でスペース等という、つまり空間のことだ。
空(くう)の間、つまり空間は距離で測れるとしているだろう。
mm、cm、m、km、あるいは光年などと言っているそれだ。
何か距離という実態があるようにしているが、
しかしながら、それは実体がない事に気づけるだろう。
空間、空間と言っているが・・
それは”空(くう)に違いなく”、距離も重さもありはしない。
えー、距離があるじゃん、A地点からB地点までとか、
さらに遠大な星との距離は何光年とか・・、距離があるじゃないか・・!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/ea/848dd56b6b340f2c2f6c2a98fe05e671.jpg)
しかしながら、あなたの目の前の空間、あるいは星と星との間も・・・空(くう)である。
確かに、
物体と物体の間(あいだ)の距離は、その間に物差しを当てれば相対的な比較ができる。
しかし、よくよく観てみると
・・空間・・間の空(くう)自体は・・空(くう)なのだ!
空(くう)自体、距離も重さも何もない。
空(くう)に”エネルギー波動”が湧き出して、
それが濃密な集合になったものを「物質」というならば、
その物質と別の物質の関係性において、
様々なそれらの相対的な違いを”距離”として観察しているのだ。
そしてそれらの、あくまでも相対的な”変化”のことを「時間」と言っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/f7/bcf91793bdeb477a4d09547652328ad6.gif)
つまり、物質やその姿形、あるいは相互の 『変化』 が時間なのである。
物質と物質の・・相対的関係性・・が”距離や大きさ”ということだ。
これは、観測されるあらゆる事象が相対的でしかないという、
相対性理論では自明な概念である。
肝心なところは何かといえば、
何度言っても言い過ぎではないが、
空(くう)自体には・・・距離も重さ(空間)も、変化(時間)もないのだ。
さて、それでは”無”なのか?といえば、そんなことはない(笑)
空(くう)は空(から)で何もない?
空無、虚無といって恐れるのは、肉体自我である。
もちろん肉体、事物、世界は・・あらわれては消える、
つまり壮大なる創造の中にあるから、
物体・肉体が・・自分だと「思っていれば」確かに超怖い(笑)。
しかしながら、・・・
空(くう)によってこそ、あらゆるものが存在を現すことができるのである。
わたしは・・存在している・・し、
家も、町も、世間も社会も、地球も、そして宇宙も存在している。
そうではないか?
というか、そう観察、観測、認識しているということだが・・、
明らかに・・存在している、在る・・のだ。
そして、その私たちの身体、事物、世界の物質形のすべてが、
空間密度・・10-15乗オーダーのほとんど”空っぽ”なのである。
つまり、我々含め、存在するすべては・・「空」(くう)そのものなのだ。
だから、我々が、私は男だ、女だ、大人だ子供だ、趣味がどうだとか、
好きだ嫌いだ、怖いの楽しいの、・・と言っているわけだし、
性格が、セックスが、お金が・・など騒いでいるし、
体感や既存の経験則は相当に重い実在と勘違いしているが、
そんな我々も含め、世界とは、
空間占有率・・きわめて微小・・あるのかないのか(笑)
そんな”エネルギー振動”波動”・・であるということである。
これを別表現すれば、世界・宇宙は幻想世界と言っているわけだ。
幻想といっても、うすぼんやり・・な意味ではなく、
超リアルな・・バーチャルリアリティな時空物語世界である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/f9/57ae47deb640a354840231df9bf2a780.jpg)
しかしながら、それは無限の可能性をそれ自体に有する、
実にスカスカの時空であるということだ。
ずいぶん馴染んだ3次元的世界感とは、、
あまりにも卑近な物質偏重主体の、
超、超・・狭い事実認識・・観念だということだ。
宇宙スピリチュアルでいえば、3次元世界、
あるいは第3密度の波動の荒い世界。
そのわたしとは何かといえば・・空(くう)である・・というのが、
もっとも正しい自己認識であろう。
なので、我々の身体は、道をすいすい歩き、走り、動き回ることができるのだ。
瞬間ごとに・・、クオーク、エネルギー振動・波動が出現消滅しながら・・
動く身体をエネルギー体として、持続させている・・・。
なので、こう言うことが出来るのである。
我々である・・空(くう)自体には、
距離も重さもない・・つまり3次元どころの話ではなく、
無次元、多次元など超えている・・・と。
常識とされている観念、我々は肉体・物質である・・
そういう認識のほうが、実に”誇大妄想”なのだ。
だから今までの世界は、太閤秀吉のいう”夢のまた夢”といえよう。
------
真我は既に、実現されているからこそ我々も宇宙も・・在る・・。
時間はかかるかもしれないが、
ただ迷妄観念、歪み切った想念を払うこと、
天の岩戸開きの時期、その重い想いのカーテンを開けることだ。
聖者・覚者たちは、昔からこの”単純な真実”を話していた。
悟りの中にいない人はいない(ラマナ・マハルシ)
空(くう)の間、つまり空間は距離で測れるとしているだろう。
mm、cm、m、km、あるいは光年などと言っているそれだ。
何か距離という実態があるようにしているが、
しかしながら、それは実体がない事に気づけるだろう。
空間、空間と言っているが・・
それは”空(くう)に違いなく”、距離も重さもありはしない。
えー、距離があるじゃん、A地点からB地点までとか、
さらに遠大な星との距離は何光年とか・・、距離があるじゃないか・・!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/ea/848dd56b6b340f2c2f6c2a98fe05e671.jpg)
しかしながら、あなたの目の前の空間、あるいは星と星との間も・・・空(くう)である。
確かに、
物体と物体の間(あいだ)の距離は、その間に物差しを当てれば相対的な比較ができる。
しかし、よくよく観てみると
・・空間・・間の空(くう)自体は・・空(くう)なのだ!
空(くう)自体、距離も重さも何もない。
空(くう)に”エネルギー波動”が湧き出して、
それが濃密な集合になったものを「物質」というならば、
その物質と別の物質の関係性において、
様々なそれらの相対的な違いを”距離”として観察しているのだ。
そしてそれらの、あくまでも相対的な”変化”のことを「時間」と言っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/f7/bcf91793bdeb477a4d09547652328ad6.gif)
つまり、物質やその姿形、あるいは相互の 『変化』 が時間なのである。
物質と物質の・・相対的関係性・・が”距離や大きさ”ということだ。
これは、観測されるあらゆる事象が相対的でしかないという、
相対性理論では自明な概念である。
肝心なところは何かといえば、
何度言っても言い過ぎではないが、
空(くう)自体には・・・距離も重さ(空間)も、変化(時間)もないのだ。
さて、それでは”無”なのか?といえば、そんなことはない(笑)
空(くう)は空(から)で何もない?
空無、虚無といって恐れるのは、肉体自我である。
もちろん肉体、事物、世界は・・あらわれては消える、
つまり壮大なる創造の中にあるから、
物体・肉体が・・自分だと「思っていれば」確かに超怖い(笑)。
しかしながら、・・・
空(くう)によってこそ、あらゆるものが存在を現すことができるのである。
わたしは・・存在している・・し、
家も、町も、世間も社会も、地球も、そして宇宙も存在している。
そうではないか?
というか、そう観察、観測、認識しているということだが・・、
明らかに・・存在している、在る・・のだ。
そして、その私たちの身体、事物、世界の物質形のすべてが、
空間密度・・10-15乗オーダーのほとんど”空っぽ”なのである。
つまり、我々含め、存在するすべては・・「空」(くう)そのものなのだ。
だから、我々が、私は男だ、女だ、大人だ子供だ、趣味がどうだとか、
好きだ嫌いだ、怖いの楽しいの、・・と言っているわけだし、
性格が、セックスが、お金が・・など騒いでいるし、
体感や既存の経験則は相当に重い実在と勘違いしているが、
そんな我々も含め、世界とは、
空間占有率・・きわめて微小・・あるのかないのか(笑)
そんな”エネルギー振動”波動”・・であるということである。
これを別表現すれば、世界・宇宙は幻想世界と言っているわけだ。
幻想といっても、うすぼんやり・・な意味ではなく、
超リアルな・・バーチャルリアリティな時空物語世界である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/f9/57ae47deb640a354840231df9bf2a780.jpg)
しかしながら、それは無限の可能性をそれ自体に有する、
実にスカスカの時空であるということだ。
ずいぶん馴染んだ3次元的世界感とは、、
あまりにも卑近な物質偏重主体の、
超、超・・狭い事実認識・・観念だということだ。
宇宙スピリチュアルでいえば、3次元世界、
あるいは第3密度の波動の荒い世界。
そのわたしとは何かといえば・・空(くう)である・・というのが、
もっとも正しい自己認識であろう。
なので、我々の身体は、道をすいすい歩き、走り、動き回ることができるのだ。
瞬間ごとに・・、クオーク、エネルギー振動・波動が出現消滅しながら・・
動く身体をエネルギー体として、持続させている・・・。
なので、こう言うことが出来るのである。
我々である・・空(くう)自体には、
距離も重さもない・・つまり3次元どころの話ではなく、
無次元、多次元など超えている・・・と。
常識とされている観念、我々は肉体・物質である・・
そういう認識のほうが、実に”誇大妄想”なのだ。
だから今までの世界は、太閤秀吉のいう”夢のまた夢”といえよう。
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真我は既に、実現されているからこそ我々も宇宙も・・在る・・。
時間はかかるかもしれないが、
ただ迷妄観念、歪み切った想念を払うこと、
天の岩戸開きの時期、その重い想いのカーテンを開けることだ。
聖者・覚者たちは、昔からこの”単純な真実”を話していた。
悟りの中にいない人はいない(ラマナ・マハルシ)