気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

目覚めの道程(11)時間は存在しない

2018-10-06 05:55:34 | 宇宙的気付き
意識は物質に先だつものだ。
先と後といえば、時間の経過を含む意味にとらえがちだが、
時間とはそもそも存在しないもの。
いまだ時間が実在すると考えているならば、まずその誤認識を改めたほうが良いだろう。
時間は物事の時系列的”経過”であって、今の瞬間の連続記憶に過ぎない。
在るのは・・今・・と言われるのは、スピリチュアルな意味深な比喩ではなく、
それそのものが・・事実である。
長い歴史や記録、知識があるではないか?というならば、
それは「今」の瞬間の変化・・今より出現した事象・現象、
そして人々の体験の記憶、記録なのである。

カレンダーや原子時計はあるが、それが「時間」を作っているわけではなく、
太陽や月や、ミクロの原子の規則正しい”変化”のことであって、
それを参照して、生活のリズムを合わせているだけであり、
決して「時間」そのもではない。

世界あるいは宇宙を表す、「時間・空間」という言葉の、”時間”とは、
実は存在しないのである。

そんなはずは?・・・という御仁がいるかもしれないが、
これを理解すれば、その意識に深く大きな波紋を生じるだろう。

この世的な五感感覚の激しさに慣れたマインドが求めるような、
現象面や肉体面でのど派手な爆発的変化ではなく、
真実、世界とは何か?という理解に転換が起きるだろう。


「時間」とは、様々な事象、現象、体験を、
「記憶」という意識的な働きで繋げたものなのである。

古代史、現代史という歴史は、常に今・・想起・発見、記録されたものである。
それは誰がやってきたのかといえば、人であり人の”意識的”働きによってである。

我々は・・世界、つまり時間・空間の中に・・存在する、といわれてきたが、

その「時間」というものは、実はフェイク(嘘)というのは恣意的すぎるものの、
実際には存在しない概念であったならば、

あなたは、「時間空間」という次元枠の1つが存在しないものだと気づくだろう。

時間は、単に概念・観念・言葉であり、
それが何か私たちを縛っているような感覚をもたらしてきた。

時間が主(あるじ)で、
意識的存在である人は、従者のように、
それに従わなければならないという・・従属的感覚である。
感覚というよりも、これは思い・信念である。

意識、想念は、事象、事物・環境・世界に先立って現れるため、
一定範囲内で自由を確保しつつも、
大枠では決して自縄自縛状態から逃れることがなかったのである。

私とは、地球という時間空間の中に生まれて死ぬ、偶然の肉体人間であり、
とりあえず、自らや家、一族の存続をはかることが先決で、
そのための一生であるのは致し方ない・・という信念であれば、

時間。空間を超えているはずの、「魂・意識」は・・、
それ自らの意識の方向性、意図・想念によって、
繰り返しこの次元世界に生まれては死ぬという経験をする。



ある側面でいえば、この世界に存在している人は、いや魂は、
別の無数の ”今の”経験記憶 をすでに有しているがゆえに、
今ここに出現しているとも言えよう。

超簡単に、誤解を招くかもしれない表現をすれば、
あなたという魂・主体意識は、かつてあるいはこれから・・という
過去と未来において、
この閉じられた時空間を超えた世界、あるいは宇宙での記憶を持つのである。

それ自体何も記憶を呼び覚まさず、つまり前世などという、
わたしの意識の経験の膨大なすそ野も思い出せないのは、

たった1度の人生の時間しかない・・という意味不明な出どころの信念の縛り。

時間など存在せず、今ある意識が在る・・ことを悟れば、
意識という、無限に思い・感情、想念を生じる・・それの中、
今・・在る・・そのわたし意識の中に、
無数の想念・記憶も含まれることに気づくだろう。



波動的に言えば、1つの波動形は、無数の波動の集約である。
同じように、

在るのは・・今・・しかなく、
その今の中には・・無限の可能性も内在し、
さらにその無限性の中には、当然ながら過去の経験記憶も、
未来の経験可能性も含まれるのである。

時間という束縛は本来存在していない、
観念だけがあったのだ。

過去も未来も、いま・・在る。
それは決して閉じられていない・・

無限の・・今の瞬間だ。




多次元の話(6)魂の多次元ネットワーク

2016-05-06 10:51:50 | 宇宙的気付き
●人も多次元生命体
多次元的なこと、それは人間とは異なる何か別の世界の構造のことではなく、

いわゆる「魂」そのものが、多次元構造をしているということを意味している。

本質の自己が多次元構造であるからこそ、その観察する世界が多次元構造で投影されるということでもある。

繰り返しになるが、存在の根本にあるエネルギー、

その無限に連なる波動は様々な周波数帯域を作り出す。




本質の自己、真のわたし・・真我、のことを「魂」などと言う場合もあるが、

要は、存在の根源たる、神なる本質が、様々な自己にその身を変じて、

多次元宇宙、諸世界を創造・観察・探究している仕組みとなっているということ。

もとはひとつの・・<わたし>・・いわゆる「神」が様々な神々あるいは不滅の魂となって、

存在の諸相である多次元世界を創りだして、自らが体験しているということ。


●宇宙も星々も、多次元意識体

今地球から観察している3次元的宇宙も、その1つの周波数帯域のことで、

空間として無限遠方に広がるこのハッブル的膨張宇宙も、その1つの帯域を見ているということだ。

また、地球という惑星も壮大な「魂」であり、当然ながら、それそのものも多次元構造であって、

我々が家を建てビルを林立させている、地球の地平面での時空間、3次元的時空間さえも、

その多次元世界のひとつの世界相に過ぎない。


ヘミシンクで説明している地球の周囲の多層の信念体系世界、フォーカスレベルと言われるものもそれに符合している。

地球だけが宇宙での生命の惑星だとかは、まさしく地動説のようなものであって、

人類の小さな独善的な認識が全てだと言っているに等しい。


人間は死んだら終わりの肉体存在でしかないという常識?観念や、

例えばUFOなるものが世界各地、様ざまに観察されていても、

世間一般では、未だなんのことかわからないという有様は、

今まで人類全般が独善的な支配観念に閉じ込められていたことを示すのである。


●地球も多次元意識体

そう、実際のところは、地球という壮大な多次元魂の1つの相の中に、

鉱物、植物、動物、人間という発展途上の魂達が、その成長のために存在しているということになる。

そうして、生きるとか死ぬとか、そういう次元間の相転移をしながら魂の経験を積んでいるということなのだが、

しかしながら、この世界そのもの、いや人類意識レベル自体が粗いために、

毎回転生して生まれてきても、その多くが幼児期の教育、無知な大人たちの「良かれと思う常識洗脳」のために、

魂の記憶を思い出すチャンスが潰されてきたとも言えるだろう。

たまに前世を語る子供が現れても、「何変な事言ってんの、この子は?」みたいに、

何かの間違いのように無視されてきたことだろう。


●今までの地表3次元世界

目の前にある物質の諸形態のみを信じる場合、あるいは、

世間や他者が与えるものでそのまま人生を生きている場合は、

他者による支配という「揺りかご」が、無意識に心地よく感じる段階であり、

自らの意識と意図に気付き、その創造性を駆使し始める前の表現段階の魂とでも言えようし、

自信満々、まっこと3次元世界の常識人ではあるが、無知と無理解の文明のなかで、

善や悪、快楽と苦痛という2極性で醸し出される極端な経験での英知の蓄積によって、

真我である魂の無限性、その多次元性に気付いてゆく仕組みだったわけだ。


なるほど、ここは魂の修行のための地球学校というのが相応しく、

特に今の時期は、その学校が進化しつつ、模様替えを始めているということに、

魂の年長者たちはもう既に気付いているかもしれない。

またある意味で、地球も多次元意識生命体であれば、リインカーネーション(生まれ変わり)もして当然なのである。


●曼荼羅、魂の仕組みと多次元ネットワーク

仏教でいう「曼荼羅」は魂のネットワークを図解したものと言えるだろう。

大小の様々な<仏>が、「多次元的なネットワーク」を構成している・・・、





誰も皆、・・・その時々で・・・進化の途上で・・・、

その中のひとつである「わたし」なのだ。

しかし、すべてはひとつ・・それに気付けば、実に目出度いことではないか。

誰も皆、よぼよぼとして、弱弱しく、ポツネンと孤立している、スタンドアローンの、

それも死んだら終わりの儚(はかない)肉体存在・・等ではない。

漠然とした世間がいつも言う事が真実などではない。


生れて死すべき<肉体自我>としての、個人の<私>は儚く見えるが、

その大きな母体である、より大きな<わたし>は・・多くの個人我を超えて存在している。

言い換えれば、大いなるわたしが・・様ざまな個人我になり経験や英知を蓄積してゆくということだ。

今のここ時、この場所のあなたやわたし達も、元はひとつの「無限の叡智」そのものだが、

様ざまな存在層、次元を通して諸世界を体験しているということ。


より大きなわたし、高次の自己、それをハイアーセルフ等と言っているが、

あなたを含んでいる高次の自己、ハイアーセルフがあり、

さらにそのハイアーセルフを含む高次の自己というネットワークで、

大いなる全てのわたし・・I AM  に繋がっている。


すべては・・様々な段階の・・I AM・・われあり・・

すべてはひとつの意識でつながっているのだ。




大小の仏が描かれているのは、

個別のわたし・・神の派生意識が、

いわゆるところの「悟り」「魂の開花」・・の程度に応じて、

大きく、小さく描かれるだけのことであり、

例えば端末PCの情報そのものは、端末にありつつ本体サーバに確実に接続されているように、

無限に続く広大無辺な・・わたし・・のネットワーク全体が・・本質のわたし・・、

その究極のわたし・・至高の存在・・「真我」だ。

そう、それぞれのあなたの本質は、

真我、本質の自己・・究極のわたし・・宗教的に言う「仏」「神」・・である。

余計なお世話だが、ニヤケテ、ボヤケテいる場合ではないし(笑)、

あなたもわたし達も、次元降下先の肉体衣服ではないし、死んだら終わりなどではないのだ。


●全てはひとつ、また無限なり

魂の展開、それらは多次元に渡って、無限数であり、またひとつである・・。

一は即ち・・多なり、 多は即ち 一なり・・・・

禅で出てくる話が、ピンと来れば・・それはネットワーク間に生じる「直観知」が起動しているとも言えるかもしれない。

分ったようなわからぬような・・なぞなぞゲームではなく、真実の語りなのだが、

論理、物量加減算、大きさ・重さの3次元観念世界では、これが何が何だかで、

「無限」を扱え、測れ、と言われているようで、なかなかピンとこないかもしれない。


●物量思考の暗いトンネルをくぐったか

なぜなら、それほど競争や物量の計算ばかりに明け暮れ、勝った負けた、

あれが旨い、これはまずいとか、

何千円になったとか、第何位だったとか、どんだけ獲得したとか達成したとか、

そういう唯物偏重文明のただ中にいたからには、

本質では全ては神である・・という言明さえも空しく響き、

自らの無限性さえも、すぐに獲得すべき物量でイメージするような、

そういう物量思考のマトリクスに囚われていたのであろう。

・・・
●魂の進化とは、もとはひとつ・・への帰還の旅

高次の自己、それをハイアーセルフ等と言っているが、

あなたを含んでいる高次の自己、ハイアーセルフがあり、

そのハイアーセルフの中に、今ここの次元に、・・生きている・・今の私がある。

すべては・・様々な段階の・・I AM・・われあり・・

ひとつの意識でつながっているのだ。


昔から不滅の「魂」といっているのは、これら「霊的仕組み全体」のことと言えるだろう。

実のところ、それぞれの私という肉体自我、「個人我」もこの無数の中の・・

もとは、ひとつの「わたし」以外の何ものでもない。


この世界でごく一般に、生きる、死ぬ等と言うのは、

より高次元のわたしに帰還する、あるいは逆に多次元に派生するということで、

魂の相転移、次元降下、次元上昇であり、それによって

魂は・・もとはひとつ、あらゆる全てへと帰還する旅の途上にあるのだ。

今までの地球次元の特殊性とは、唯物観念支配が濃厚が故に、生れて以降、思考の罠にはまり、

何度も無意識的に繰り返し転生をするという仕組み。

魂が・・閉じ込められるという意味で、宇宙の牢獄等と言う場合もあるが、

悟りや解脱とあるいはアセンション等と言われてきたように、

そこから脱出する為にはかなりな英知、エネルギーを要したわけだし、

それもこれも、今までのこの世界が極めて低エネルギー世界、

荒い波動で満ちていた世界であったからだと言えるだろう。


しかしながら、気付ける人には解るのだが、それは今はもう過ぎ去った時代なのである。

そう、個人が別箇に切り離された時代、分離の時代は終わりを迎えている。

今残っているのは、古い思考のパターン、癖になった分離感だけなのだ。

・・・

●分離から統合へ

本来、すべては・・様々な段階の・・I AM・・われあり・・

もとはひとつの意識でつながっている。


ここで<われ>・・というのは、個人、あんた、おれ、儂、僕・・という個人名・人称のことではなく、

I am・・我、われ・・という自己創造・存立原理そのものであり、


創造主、根源神、神様、仏さま・・表現はなんでも良いが

全てであり、全ての元である「無限」のわたし・・意識そのものだ。

そして、あなたもまたそれである。

だから、小さくとも、今・・わたしという「自意識」がある。

●神々の時代

それぞれの私の・・本質は、

真我、本質の自己・・究極のわたし・・本当の意味での「仏」「神」・・である。

他人事でなく、すべてそれぞれの・・わたし・・意識の中に在る・・それ。

だから、あなたも私たちも、いわゆる「神」と言って良い。

それに宗教的違和感があれば、

「わたしとは・・つまり、無限の叡智の顕現である」と自覚すべきところだ。


言葉というものはいつもその限界を感じるものだが、

あなたが神だと言う意味・・・、

・・・直感で理解可能だろうか。




本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

多次元世界の話(5)想いは、高次元波動エネルギー

2016-04-28 06:33:47 | 宇宙的気付き
●想念も高次の波動エネルギー

想いや思考は何か頭の中で生じる、何か空虚なものだと思っている人が多いかもしれない。

じつはこれは嘘である。

目に見えないものは存在しない、あるいは役に立たない、あるいは飯のタネにならない?・・。

そんな唯物論的「思考」で作られている、完全な誤解・あるいは虚偽、または無知を意味する。


人は皆、多次元存在、多次元エネルギー体、多次元意識体である以上、

思考や想いも、その振動帯域が異なるものの、その人の身体と同じ「エネルギー波動」である。

例えば人が頭のなかに描く「思い出」や「過去の光景」等は、記憶の再生等と言っているが、

その画像イメージはまさしく「情報」であることがわかるだろう。

そう「情報」であるからこそ、加工や、計算や記憶も出来るのである。

また情報は必ず媒体なる波動を伴なうのだ。

「情報」は波動であり、内容がその波動に重畳されて伝搬するのは、

スマホや携帯電話、TVラジオ等でも明らかであろう。

パソコンやスマホの画面、そこに映る映像は何かと言えば、

通信用の電磁波に重畳された「情報」であり、それを液晶画面を通じて見ているということだ。

そして、

貴方の頭の中に描くイメージも「情報」であり、従って、

思考やイメージは、それはつまり「波動」と「情報」を意味しているのだ。

これは宇宙全体に貫いて在る・・「意識」と「意図」の関係である。

「意識」は宇宙を貫く波動であり、「意図」は想い、イメージということ。

・・・
●想いは多次元に伝搬している

つまり、人間の想いや感情は、・・あらゆるところに受信・発信伝搬しているということ。

もっとも、その波動は肉眼視を超えた、極めて振動の高いエネルギー帯域、

言うなれば精神あるいは意識領域の波動であるため、

今までの現代科学では検出が難しいと言うだけの話であって、

あなたの頭に思考やイメージが・・生起・消滅する・・ということは、

それが波動として受・発信・伝搬されていることなのである。

貴方の想いは、あらゆる宇宙の領域に放送されていることになる。(笑)

おー、マイ、GOD!


常識に固まった人々は、そんなこと露も知らず、知らされず、教育も受けず、

従ってそういう現象が存在するという認識がないために、全然気づかないだけの話なのだ。

嘘もばれなきゃ良いじゃないか、うまく隠しおおせれば儲けもの、

嘘も繰り返せば本当に見える・・・・・そんなことやっている者は実際結構多いだろう?

特に目立ちたがり屋が集合している、政治や経済や利権の世界に、・・・(笑)

でも、いつまでも騙され続ける必要などありゃしない。

●真実情報は内面から来る

例えば、

ある人と話していて、「ふと」その人の考えていることが「わかった!」感じがしたことはあるだろう?

ある人と一緒にいて、その人が好意持っているか、嫌悪しているか・・何か魂胆があるか・・

表情と会話内容の裏腹にある「想い」を、なぜか身体の一部や感情面に感じたことはあるだろうか?

・・・

こういう内面情報のやり取りは、人が道端に簡単に見ることが出来る「石ころ」物体情報とは、全く異なる情報であるために、

全てが物だ、銭だ、金しか価値がない・・というような唯物論的精神状態、

霊的・意識的な領域の概念がない場合は、内から来る真実情報をまったく検知出来ないことになるのだが、

実際には間違いなく波動情報として存在しているのである。

有るのだが・・気付いていない・・意識的同調状態にいないということ、

あるいは気づかない様に大勢の人の観念を方向づけしていることもあるだろう。

これはいわゆる見えないマトリクス的洗脳支配である。

そう、何ごとも「対象」として「気付かなければ」現れようもない・・・

・・・
●自分の想念に気付かぬ不可思議さ

想念は「精妙な波導域」の情報の受発信・伝搬現象として存在している。

いつも人間の頭の中、こころの中を無数に去来しているわけだが、

ところが・・・、実に不思議なのだが、

想念が自分の中に年中沸き起こるにも関わらず、

人々はこの、自分の中に沸き起こる思考やイメージに相当に無頓着なのではないだろうか?

人生や経験、はたまた転生にも影響する「種」に関して、相当に無頓着ということだ。


そう、これは、この次元世界に支配的な、様々な別の思考・想念形に洗脳、餌付けされている姿を物語っている。

ある意味で、これこそ・・魂が眠っている状況を意味していたのだ。

自己を見失っていた・・自己内面からの情報を見失っていた・・・

魂レベルの真実情報を見失っていた・・ということだ。


●人の想いが伝わる実証実験

人の想念、思考や感情が波動情報として伝搬することについて、1つ実証実験的な話がある。(下記はあるサイトの記事から採用した)

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バクスター効果について
 1964年、クリーブ・バクスターはこのポリグラフを、近くにあったドラセナの鉢植えに付けてみることにしました。 

植物に水やりをしたあと、根から葉にのぼる水量の増加によって起こるはずの電気伝導率の変化を読みとろうとしたのですが、何も起らなかったため、彼は植物を拷問にかけてやろうと思い立って、葉の先端を熱いコーヒーにつけてみました。

これでも何も起こりませんでした。

次ぎに、マッチを使って葉を燃やしてしまおう、と考えたその時です。ポリグラフの記録ペンの軌跡に劇的な変化が現れたのでした。

そして実際にマッチを探すために部屋を出て、戻ったときにも同じように激しい反応が現れたのです。実際にマッチの火を近づけたときの反応は、それほど激しくはありませんでした。

しかも、葉を燃やすふりだけしてみたところ、全く反応はなかったのです。

このことから、植物は人間の考えていることが分かるらしい、しかも、本気の時と見せかけの時を見分けることもできるらしいということが分かったのです。

そうしてバクスターは、植物が身にふりかかる危険について察知するらしいことを発見し、ある種の基礎的なレベルの知覚があると確信するようになりました。

彼はそれを「基礎的知覚」と名付け、その存在を証明するために、その後も引き続き実験を行ったのです。 

この反応は、自分に対してだけでなく、仲間の植物や他の生物に及ぶ危害についても同様に反応します。
(参考:アースワークス・ちくま文庫 1986)

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●植物も想念を受発信する
アメリカのバクスター氏が、ウソ発見器の電極を植物に取り付けて実験している時に、

人間の強烈な思いに植物が明らかな反応を見せたという記録である。

ここでは、犯罪捜査で虚偽を判定する手段の1つであるウソ発見器(ポリグラフ)が検証機器となって、植物の生体反応が微小な電気信号に変換されて検出されたわけである。

人間の想いや感情、意図 ⇒ 植物への生体化学反応・・・の実験だ。

想いや感情が、直接波動伝搬して、植物が生体化学反応しているということである。

つまり、思考やイメージが「直接」伝わっているということを意味する。

直接・・と言う表現は、現代科学ではその情報を媒介する波動が未だ何なのかわからないということ。

ただ言えることは、

「想念」は・・音波や光波、圧力波など、五感で知覚できる波動域をはるかに超えた、

より振動数の高い帯域の波動であるということだ。

植物がペラペラ喋るわけではないが、人間の想念・感情が・・すべて伝わっているということだ。

こういう話、植物や動物を愛でる人たちには理解可能であろう。

●人の想いは多次元放送

ところが、どっこい、知らぬは人間ばかりなり・・?

常識で固まった人にとっては、想いが伝わる事など知らないゆえに

「表面意識に現れない」わけだが、何を隠そう・・・

誰・彼の想いの、嘘や本当も・・全世界にそのまま伝わっている事に気付くべきである。

詐欺師が上面(うわずら)を美しく装って、身体表現、言動よろしくその中に大きな嘘を隠していても、

実際にはまったく筒抜けなのであるが、知らぬ存ぜぬ人々は、それに気づかぬだけ。

想念は波動実態であることを知らないため、それを検知、察知出来ずいつも騙されてしまうという寸法だ。(笑)

なるほど今の時代は、それに気づけるための、ウソと騙しと混迷に満ち満ちた終末の世の現出とでも言えようか。

こんな時代、今までなかっただろうに・・・。

●意識空間を静謐に保つ
例えばの話、現代社会に五万と渦巻く、陰謀や、嘘や誠を判別するには、

その対象に意識を集中し、かつ情報を受信する為の・・『静謐な意識状態に』ある必要があるということだ。

そうすれば、多くの人が何気なく使っているスマホや電話と同じく、内面を通じて必要な情報が得られることになる。

外側の世界に、真実を探す人もいるだろうが、

外の世界は物的、想念的に雑多な結果報告の集積であって、何が真実かは、

結局それは、内面からの直観によることを、肝に銘ずべしなのである。



●混迷の時代に必要な「直観・真知」

有用なアイデアの発案も、人生においての岐路の選択も、

余計な災厄を避けることも、事象の真実を見通すことも、

そういう意識のプロセスにおいて可能となる。

つまり大切なのは・・いわゆる内から起きる「直感」というやつだ。


ここで言う「直感」とは、

こころを空(くう)にしておくことで、

必要に応じて・・その意識内に湧き上がる情報のこと。


単なる希望妄想や自己都合なイメージ創出のことではない。


もっと詳しく言えば、無心・・であること、こころを空にしておくことだ。

とはいえ、決してこれは「想い」を無くするように力むことではなく、

「こころ」そのものが・・空(くう)であり、

その空の中に様々な想いが湧き上がり、伝搬していることに気付くことである。

何か偏った想念形で、意識空間が占有されていない有様のことである。

●こころという魔法の杖の使い方
推進すべき時は・・目的の想念を意識内に占有保持し、

直感を得る時は・・意識内を空(くう)にするのである。


今まで人はその時々の様々な「想い」にのめりこみ、囚われていたことを悟る必要がある。

「この野郎、馬鹿め、絶対許さない、・・あー悲しい、なんと卑劣な・・」

その「想い」に引っかかり、囚われることで、小さな世界で輪廻転生をすることにもなるわけなのだ。

1つの想いや感情に捉われることで、憎しみや恨み、後悔や自責の念に執着してしまい、

それを解消、昇華するために、小さな閉鎖世界で更に輪廻転生していたということだ。

それはもう終わりを迎えている以上、

今は、魂達がそれに気づけるためがゆえの、混迷に満ち満ちた終末の世の現出であろうか。

●意識を自らで上げよ

人間社会の全ての現象の動因である「想念」に気付き、

その「想念」に囚われず、ましてや他人の嘘や無知に振り回されることなく、

こころを空(くう)に出来る意識レベルまで自らを持ち上げようか。

そうして思考やイマジネーションという創造の杖を使うようになる時なのである。


全ての人々の想いは、宇宙の高次元的領域では、全く筒抜けであると同時に、

あらゆるところに通じているのである。

当然ながら・・・、すべてはひとつ・・であるからには、

意識がより高振動領域に同調すればそれだけ情報量も増え、

今まで見えなかった様々な物ごとが、パノラマのごとく一望されることになるのである。





本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。



多次元世界の話(4)誰も皆、本質では神成り

2016-04-20 19:44:08 | 宇宙的気付き
存在宇宙の全て、物質、非物質にかかわらず、

あらゆるものが根源意識の派生・・、全てが根源波動から分化された波動であり、

その無限から無限へと渡る波動形成には、明らかな「意図」が貫かれている。

それは人的表現で言えば「調和」と「愛」ということだ。

「調和」が無ければ、宇宙などすぐにも壊れてしまうだろうし、

「愛」が無ければ、様々な生命を生み出し、成長し、進化することもあるわけもない。

進化と言っても、不足から満足へ・・的な、人間の欲望観念とは関係なく、

簡単に言えば、宇宙にとっては、

あれもよし、また、これもよし・・嗚呼!、これはなおさらよし、・・ということである。

こころある人々は、例えば大自然のありさまを観察して、それに気づけるはずである。

・・・

ちなみに、

足立郁郎さんの著作「波動の法則」には、

あらゆるものに魂が宿っており、EXAーPIECO≒「魂」というものが、

宇宙意識にまでその振動を高める途上にある、

無数のクオークの集合体で構成されていること、

世に「魂」と言っているものが「8層の多次元構造をしたエネルギー波動体」であるということが書かれている。

それらの構成要素の元に有るのは、無限小の回転・振動エネルギー、現代科学で言えば原子核の集合体であり、さらにそれらは「クオーク」のエネルギー体だとしている。

魂・霊といっても、なんとなくぼんやりした霞(かすみ)のようなものではなく、肉体表現をも最下層の振動帯域に含むところの「多次元エネルギー」という実体。

この霊的構造説明は、古くから人間の多次元層、つまり人のボディは肉体のみならず霊体があること、さらに言えば、それらは肉体、エーテル体、メンタル体、コーザル体等と言われるような多次元層のボディの複合体であるということと符合している。

人は皆、単なる肉体ではなく、意識体、多次元生命体であるということだ。


またこの多次元構造は、人の霊的中枢とも言われる7つのチャクラにも相当している。

残念ながら現代物質文明では目に見える物だけ、エネルギー波長のごく狭い領域だけを認識しているに過ぎず、またそれで良しとしているだけの話だが、

科学的認識の発展は決して無駄ではなく、霊体そのものを量子場で語られる根源波動エネルギーあるいは「クオーク」と理解することによって、

人間は単なる肉体ではなく、言うなればその時々の生存時空のインターフェースとも言える肉体を、その外層に含むところの「霊体」としての認識が深まったという事になる。

例えば、キルリアン写真で見える「生体エネルギー場」は、その一部というわけだ。

ちなみに、生体エネルギー場は人間のみならず、鉱物、植物、動物どんなものにも存在するのである。



切れた葉っぱのキルリアン写真だが、存在しないはずの空間に葉っぱのエネルギー場が残っていることがわかる。
外側の物質体(肉体場)が消えても、他のエネルギー層は残っていることを示す



「波動の法則」での表現によれば、EXAーPIECO≒「魂」が、様ざまな世界、時空において、

その様々な経験・スタディを通じて、「魂」のクオークが増え、エネルギー振動数が高くなり、

より広範囲でより高い次元を含むような、最終的には宇宙意識に同調する、そういう意識進化の成長途上にあるとされている。

これを科学的・霊的な事実として認識するか、そんなものあるわけないと棄て去るか、

これもつまり意識的進化の1つの重要プロセスなのである。



とはいえ、あくまでも迷信やら何かの間違いと考える人もいるだろうが、

迷信とか思い込みというものは、自己都合に特化したエゴ的想像物であり、

自己が物質的な肉体である・・という漠然とした世間一般的な信念こそが、

作られた迷信、あるいは集団幻想的信念であることに気付けるかどうかなのだ。

人間死んだら終わりだという信念の・・責任者はいるだろうか?

・・・

ちなみに、この「波動の法則」には、様々な宇宙からのメッセージ・情報、

実に深遠な知識が記述されているのだが、

良くて、スピリチュアル系のジャンルの中の1つの、

チャネリング系の、まあそれらしい本だとされているかも知れないし、

また知らない人も多いのかもしれないが、これは1つの極めて重要な情報であって、

今のこの時期に臨む多くの魂達の思い出すべき、

魂進化に関するまっとうな宇宙科学的情報であると思われる。

今の時期、この著作は必ず読んで・・、

というよりは学んでおくべきだと強く推薦せざるを得ない。

・・・

原理原則的に言えば、

窮極の根源的な波動から・・・様々な振動波、エネルギー波動が生じ・・・

それらは様々なスペクトル帯、周波数帯域を創り上げている。

その振動帯域は、帯域毎の多次元構造をしている

さらにそこに様々な意図、情報が重畳されているということ。

この世界、地球という惑星上の一定の周波数域、3次元的時空も、

その1つに過ぎないということだ。


そしてなお、地球という壮大なクオーク、エネルギー波動の集合体も、

複数の波動振動帯域、言わば多次元時空で構成されている。

3次元、4次元、5次元などと言う表現での、

次元世界、存在世界のカテゴリー概念は、それを示している。

人間死んだら、肉体を脱ぎ捨て高次元体に戻って、また肉体生誕をするか肉体とは違う層のボディでスタディするかということになる。

ところが、肉体が自己だと思い込んでいる、そういう信念波動を持っている場合は、

地球の物質次元周辺に自己係留することになって、死んだあとハイアーセルフ、高次元からの様々なサポートが必要になるわけで、

(いわゆる、迷わず成仏ではなく、・・迷って成仏しない状態で、助けが必要ということ)

今までの地球はそういう手厚い霊的保護が必要な、言わば幼稚園のようなものだったわけだ。

別に幼児的段階が悪いというわけではなかろうが、あらゆる全てが宇宙意識への進化という道中にあるからには、いつまでも幼稚園という訳にもいかないということだ。

・・・
人間の本質:魂は、

与えられた自由意思を逆用してエゴが重くなり過ぎてしまったような、

自己の本質からあまりにも外れ過ぎた、特別な場合を除いて不滅であるとされる。

不滅というのは、外側の物質体が消えても「多次元本体」は消えないということを意味するわけで、

肉体は消滅しても本質:霊は消滅することはないということだ。

ところが、多次元レベルで、自己の本質からそのエネルギー振動があまりにも外れ過ぎた場合は、

当然ながら存在宇宙との同調が外れることもあり得るということのようだ。

当然、同調が完全に外れてしまえば、その魂:「多次元エネルギー振動体」自体はクオーク、あるいは空(くう)に還元されることになるという。


不滅であるはずの「魂」が消滅することもある・・等と言われるのはそういう意味であろうか。

ある意味、霊的実体も永遠に駄々を捏ね続けるということは、決してあり得ないという話なのではなかろうか。

パラドクス的に見えるが、つまりそれは・・はなから存在しないというになるということだが、理解可能だろうか・・・。
・・・

人間に肉体、エーテル体、メンタル体、コーザル体・・等の複数の「ボディ」があることは

古くから言われているとおりである。

肉体だけが五感で知覚できるので、自分を肉体だと「思って」いるだけのことで、

特に物質形だけ、五感に映る範囲だけを信じる傾向の強い西欧米文化では、

それが世界を席巻した物質文明では致し方ない事だったのであるが、

そういう物質文明で、物質とは何かを追究してゆく過程で、

究極の原子の構造がクオークで出来ている、クオークは空間に自在に出没しているという

観測事実に至った段階では、遅ればせながらも、

古代から言われてきた霊的事実から、もう逃げも誤魔化しも出来る段階ではなくなり、

人間の構造そのものが、肉体、こころ、霊(魂)という多次元構造をしているという、

古代からの情報を再認識せざるを得なくなったのである。



例えばあなたの目に前にあるすべてのものも、単なる物ではなく、

スカスカの空間密度における、究極の素粒子、エネルギー波動で出来ており、

波動として必然的に付随する「情報」を持っている。

言葉を変えれば、全ての事物はそれ相応の「意識」と「意図」を有しているというわけだ。

「山川草木、国土悉皆、成仏」 すべてに仏が宿る・・のが事実認識である。

全てのものに意識と意図があるといっても、例えば消しゴムがペラペラしゃべるわけではないし、

パソコンも鉛筆もコーヒーカップも、はさみも花瓶も勝手に動き回るわけでもないが、

何もかもが原子やクオークで出来ているわけで、

それを大所高所から言えば、

つまり、それらは全て・・根源波動から派生した振動波であり、

宇宙の意識と意図の顕れ、顕現と言えるわけである。

そう、気付かず知らず・・だが、

常にどこにも神は臨在する!ということだ・・・

そして、まず気づく必要があるのは、

あなたやわたしも・・そうだということ、

・・・

世界で最も誤解多き言葉と言えるかもしれない「神」という言葉、

その為に馬鹿な争いをしてきたとしても・・、

誰に頼らず、それぞれの意識において・・今の瞬間に放下し、

無知や偏見と肉体エゴの欲望ために歪んでしまった「神」という言葉を、

今・・ここできれいさっぱり洗い流し、刷新し、


宇宙の根源生命、無限の叡智としての神を認識すべきであろう。

神が無限の愛であるならば、宇宙のたとえその一部であろうと、

無限の叡智の顕現であることを悟らなければならない。

部分も全体もひとつ・・

そしてその表現型である創造そのものが意識進化と言うべきもの。

それが「道」である。


そしてあなたや、わたし達も・・またそれなのである。

それが全ての想いと、認識の根本にあるべき意識の姿である。

謙虚に、穏やかに、在るがまま・・有り難い・・ありがとう、

それが「われ・・神成り」の「意識」の表明であり、

その意識こそが、

宇宙全てとの共振波動を生み出す、調和と愛の世界次元へのベクトルとなるだろう。





本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

多次元世界の話(3)次元と魂の進化

2016-04-16 09:37:08 | 宇宙的気付き
●宇宙・万物は全ては波動で出来ている
人類が電磁波を使用できるようになってから、空気中、大気中には、様々に変調された電磁波が飛び交っている。

飛び交っているが全然目には見えないし聞こえもしないのは、五感で知覚する小さな振動範囲を超えているからだ。

無いのではなく、知覚できないだけだ。

パソコンだってスマホだって、その電波に同調することで文字情報や画像、音声情報をキャッチしているのである。

それらの電磁波は、TV、ラジオ、通信機器、携帯電話、スマホなどの種類によって、周波数帯域(振動数のある規定範囲)が割り当てられており、そのいくばくかの周波数範囲の中で実に様々な情報を伝えているわけだ。

●波動とその中の情報、つまり意識と意図

いちばん細かい「基本」波動を使って、そこに「変調」を加えることで色々な情報が乗っかる仕組みなのである。

これは宇宙にあまねく在る普遍意識、宇宙意識と、神なる意図、想念との関係に似ているだろう。

どんなものでもなる、在る、有る・・「意識」と、無限の創造の変化を演出する「意図」ともいえようか。

観測される宇宙の全てを創っているのが物質、分子、原子、クオーク、トップクオーク(窮極素粒子)であるならば、

それらはまた全て。ざまざまな微細な「エネルギー波動」であるわけで、

まるで空中を飛び交う無数の電磁波と同じようなものだし、

その様々な電波に情報が乗っているということも含めて、

宇宙の全てのエネルギー波動には、すなわち情報や想いが乗っているとも言えるのだ。


キルリアン写真による、生体エネルギー場、これらは人間のボディが肉体だけではなく、様ざまな多次元的エネルギー放射場があることを端的に示している。

●意識と意図で織りなす宇宙シンフォニー
全ての存在形は、即ち「想いの具象化」ということだ。

宇宙のあらゆる存在は、全て、・・いわゆるところの創造の根源、神の想いの具象化だ。

それも無限の可能性が故の、変化絶えないダイナミックな具象化なのである。

あなたや私たちも、まさしくそれ。


例え人々が、目先のことばかりに気をやっていたとしても、

自分が本質で何者かを、皆目調べることなく、人生を流れていたとしても、

銭・金・物を確保すべく、毎日追いまくられていたとしても・・・、

壮大な見地から観える宇宙の存在事実は変えようがない。


●なんのために今・・生きている?
今在るところの・・宇宙、多次元構造の宇宙に「意識的に」同調してゆくプロセスが、

魂の進化、意識のレベルアップ、次元上昇、生命の進化ということだ。

人々が・・今、生きて在る・・・のは、なぜか?と言えば・・・本質は・・それ。


何のための人生か?・・の答えはそれ、

答えと言っても、・・それで終わる様な枝葉質疑の回答ではなく、

それは、無限の方向を指し示す、道標のようなものだ。


より広く、より高く、より美しく、より華麗で、より自由度があり、

より愛に満ちて居心地よく、より感動を味わえる方向に進むことは、

実際楽しい事であるからこそ、魂の進化と言う道を歩いているのだ。

人は死んだら終わりの、偶然の生成物、有機物質組織、肉体人間?

おー、マイ、ゴッド!



●次元進化は自然の過程
人間が生まれ、幼稚園や保育園、小学校や中学校に通いながら肉体と精神が成長するように、

さらに、肉体や精神を含んでいるよりマクロな、あるいは高次元存在である「魂」も壮大なレベルで成長しているのである。

だから、あなたもわたし達も、今・・この世界に在る・・。

そう、不思議な世界、今までの世界は、自己を忘れなければ来れない世界、

多次元の魂にとって、情報の少ない世界つまり無知、あるいは闇の多き世界だったということだ。

したがってここにいるあなたも、多次元宇宙でも「めちゃくちゃ勇気ある魂」であることを知るべきであると思う。(笑)

そうでなければ、ここに在る・・わけないではないか?

・・・

より広く、より高く、より美しく、より華麗で、より自由度があり、

より愛に満ちて居心地よく、より感動を味わえる自らを開拓すること、

そもそも、これが本来の人のあるべき「欲望」の方向性なのであって、

いつか、欲望、欲し望むことが、

銭・金・物、肉欲、物質欲、名誉欲に変質させられている有様こそが、

逆に、生存の難しき、サバイバルだらけの、疲れの多い世界を創っていたということだ。

しかしながら、今はもう、

自らが「魂、精神、肉体」という多次元存在であるという認識に至ることで、

当然ながら・・・「肉体」だけではなく、さらに「精神」を重んじ、

さらにそれらを包含している「魂」に気付くことが、

今人類の、・・この地球惑星生命圏の、「次元」移行時のテーマである。

間違っても、今はもう、貯めれば貯めるほどかすめ取られる、銀行預金の残高を増やすことではないし(笑)、

ましてや、大勢の民衆を騙して利益を上げ、常に儚く終わる定めの地位や権勢を向上させることでもない。


あなたは気付いているかどうかなのだが、

既に次元進化が大きく進んでいるからこそ・・、

死んだら終わりだから、えーい!なんとしても、自分だけは、

どんな犠牲を払ってもサバイバルするという、一種の古めかしいエゴゲーム遊びも、

今はもう、そういう者たちが新・旧世界の狭間に急速に集まり来たりて、

一大勝負を掛け、最終最後で爆発炎上・消尽し、

文字通り死んだら終わりの方向に進んでいることに、気づかなければならないのだ。


外の世界を無理やり変えて、自己の肉体だけを安楽に維持しようとするのではなく、

世界を見ている根本である・・それぞれの「わたし」意識こそが、

次元などはるかに超えた魂、進化する多次元存在であることに気付くことだ。

●有限の時・・もうじき至れるか

表面意識、顕在意識はなかなか気づかないが、

深層意識、あるいは魂・意識は、いまはその’時が来ている’ことを知っているかもしれない。

ところで、あなたはどう感じているだろうか。

あなたは既に自己の無限性に気付いているだろうか。






本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。