遊園地やデパート、ショッピングセンターなどで、時たまお目にかかるのは、縫いぐるみを被ったおどけたキャラクターです。子供達にはいつも人気があります。子供達は真面目にそこに動物さんたちがいるように反応し、嬉しがったり、怖がったりします。真剣にその縫いぐるみの動物さんたちと接触しているようです。我々大人はそれを眺めがら、そうではないよ・・と言わずに仮想動物さんたちや子供達に微笑んでいます。
我々人間が、ひょっとして皆縫いぐるみを被っていたとしたらどうでしょうか。小さい頃から慣れ親しんでいる、この肉体・身体は、ひょっとして縫いぐるみのようなものと考えられないこともありません。肉体という至れりつくせりの機能をもった縫いぐるみを、いつの頃か被って、その蒸し苦しさや、その目の穴を通して周辺の出来事や他人との面白いやり取りを経験しているということも有るかもしれません。地球という数億年という年月に培われた結晶、あるいは色々な意識存在の改良を経て用意され、進化をした有機組織から生成されたスエットスーツのような肉体を、すなわち高度な機能を持ったかわいい縫いぐるみを我々は被っているかもかもしれません。
被るということは、すなわち地球上に「産まれる」ということであり、縫いぐるみを真に演じるために、入った瞬間に忘れる・・というルールが備わっているかも知れません。その時という舞台経験を真剣に演ずるために、一時全てを忘れてスタートするようなルールです。
「実は1日9000円になるのでさー、アルバイトで縫いぐるみに入っているんだよーー!」などと子供達に言えるわけはありませんよね。それでは自分も子供達も興ざめです。
本来の自分自身を忘れて、縫いぐるみの人生を演じることで真剣さを伴った経験が生まれるということでしょう。全てを忘れて没頭し、誠意を尽くして演じることで、かけがえの無い経験が出来る訳なのでしょうか。実はこういう仕組みであるかもしれません。いや実はそうではありませんか。我々は新しい人生を味わうために、一旦全てを忘れて来ているのかもしれません。
我々が自分を再び思い出すきっかけは、おのれが縫いぐるみに徹し切って、一生懸命なりきったあとで、身体に吹き出すどうしようもない汗によってかもしれません。重たくても、不自由でも、みっともなくても、真剣に演じることで、ふっと自分の本当の中身の身体に吹き出る汗に気付いた時かもしれません。それはなんともいえない達成感のようなものでしょうか。よくやったね!・・すごい汗だ!ちょっと疲れるんだけれど楽しい感じ。外に出れば吹き出る汗がさわやかに感じます。気持ちよく本来の自分に戻ることができます。
色々な経験ができるのが「地球という楽しいドリームランド」です。皆々本来は自由自在にもかかわらず、時には忘れるというスリルのある経験を出来るところです。