人の存在の仕方のすべて、例えば24時間をみてみると、
大体7-8時間前後は眠っている。
そして残り時間は起き出して、いろいろ活動をしているわけだ。
人の日常のすべては、
「眠り」その次に「夢見」そして「目覚め」の状態がある。
大きく分けて、これ以外にはない。
今、生きて在る・・ことはこれ以外にない。
そうではないか?
眠りには生理学概念で「レム睡眠」「ノンレム睡眠」があるとされる。
寝ている人の脳波と眼球の動きで分けられる概念で、
寝ている時には、眼球が動いているときと、全く動いてない時があり、
あたかも何かを見ているかのように眼球が動く場合をレム睡眠、
まったく動いていない静かに静止している時をノンレム睡眠と呼んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/9b/0d736a9ff8340ced53f9094ff730d988.jpg)
しかしこれらは、今まで説明してきたように、他者の肉体の働きである。
自分がそうである(寝ている)・・状態の時に観察されるわけではない。
つまり他者の睡眠時の肉体の働きの現象観察である。
わたし・・の直接体験ではない。
科学的用語解説で、何か悟ったように感じ、あーそうかと素通りしてしまう、
ところが、
それらは、実は頭の概念だけであって、「わたし・・の実経験」ではない。
これが重要な3次元世界の・・お騙しポイントである(笑)。
夢見はレム睡眠中、浅い眠りであり、
そのときにはあたかも現実を見るかのように、眼球が動いているとされる。
その時は夢を見ているのだが、
見ている当人はそれが現実なのか、夢なのかわからない。
確かに、いま見ているものが夢だと分かっていれば、
悪夢で何かに追いかけ回されて、必死に逃げ回ることもなければ(笑)
夢の世界で、とんでもない場所や状況、あるいは嫌な過去の事象に遭遇し、
「ウワっ・・ギャー!」という思いとともに目が覚めて、
「ほっと」胸をなでおろすこともない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/de/6c200072fcf4229ae12dc44778541945.jpg)
こんなこと誰でも経験しているはずである。
これでわかるのは、自分の意識・・には、
夢も現実もまったく区別がないということだ。
意識にとっては、
これは現実だ、夢だという区別、識別がない・・ということだ。
これは極めて重要な発見ではないか?
目覚めて活動しているときと、現実から見れば明らかに異なる状況、
つまり夢見の世界を、それは・・へっ、夢見の世界だから・・と、
あるいは幻想世界だ、実際には違うんだ・・という判別や識別がない
・・ということだ。
つまり、意識の最前線、つまり知覚が働いているときは、
それが夢見であろうと、いわゆる日常の現実であろうと、
そこにはランク分けや真偽の区別、正誤の判断がないということである。
我々は実に重大な事実を逃し続けてきたのである。
わかるだろうか?
すべては、「私は肉体である」という常識観点がゆえに、
気づかず知らず、学校の先生も、親も友人も、知人も誰も教えず、
肉体レベルの知覚だけが「現実」だと、
社会が、組織が、生活が、金が・・、
だから頑張れ、がんばれ!と、苦痛と快楽の間に涙を浮かべてきた。
気づいただろうか?
つまり、
意識にとっては、現実も幻想もなく、
ただすべてが知覚対象であるということだ。
いやいや、夢はあくまでも夢だよ、この世の詳細現実とは違うじゃないか。
と言うだろうが、・・
それはあくまでもこの世、目覚めている時にそう言うわけで、
夢見の現場では・・あなたの意識は・・それが現実だと思っている。
そうでなければ、悪夢にうなされることもあるわけもない。(大笑)
意識にとっては、現実も幻想もなく、
ただすべてが知覚対象であるということだ。
わたしの視点が、
現象である外の世界、知覚対象の世界、
起きたこと・・過去・・の世界でなく、
それを観ている・・わたし・・に切り替わるだけで、
実に重大な・・・「観の転換」が起きるのである。
今生きてる・・ことを、何も調べず、ただ3次元的な常識観念のまま生き、
そして死ぬことで、また質的に同じ観念から始めることを、
この世界での輪廻転生と言っている。
肉体自我はそのつづきが見たいのである。
肉体自我、つまり想念の形が、この世界で死んでも生まれ変わるのは、
普遍的わたし・・意識、不滅のそれがあるからであり、
生まれ変わりの表現型である、そのときの肉体自我、
私は肉体である・・などと信じ込んでいる・・わたし・・は、
万華鏡の1展開画像、あるいは永遠のわたしの・・1コマなのである。
この世という夢を、夢と見破れず、強烈な思いと感情を味わっている、
苦痛と快楽に満ちた、それでも苦悩だらけで逃げたいと思う、
この3次元世界にはまっているということは、それなのだ。
つまり、
意識にとっては、現実も幻想もなく、
ただすべてが知覚対象であるということだ。
この世は幻想世界、もちろんあの世も何もかも、幻想世界である。
それを見ている、いや観ているものだけが、在る・・。
いまここに、・・いま・・そこに。
想念の根源(ラマナ・マハルシとの対話)
大体7-8時間前後は眠っている。
そして残り時間は起き出して、いろいろ活動をしているわけだ。
人の日常のすべては、
「眠り」その次に「夢見」そして「目覚め」の状態がある。
大きく分けて、これ以外にはない。
今、生きて在る・・ことはこれ以外にない。
そうではないか?
眠りには生理学概念で「レム睡眠」「ノンレム睡眠」があるとされる。
寝ている人の脳波と眼球の動きで分けられる概念で、
寝ている時には、眼球が動いているときと、全く動いてない時があり、
あたかも何かを見ているかのように眼球が動く場合をレム睡眠、
まったく動いていない静かに静止している時をノンレム睡眠と呼んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/9b/0d736a9ff8340ced53f9094ff730d988.jpg)
しかしこれらは、今まで説明してきたように、他者の肉体の働きである。
自分がそうである(寝ている)・・状態の時に観察されるわけではない。
つまり他者の睡眠時の肉体の働きの現象観察である。
わたし・・の直接体験ではない。
科学的用語解説で、何か悟ったように感じ、あーそうかと素通りしてしまう、
ところが、
それらは、実は頭の概念だけであって、「わたし・・の実経験」ではない。
これが重要な3次元世界の・・お騙しポイントである(笑)。
夢見はレム睡眠中、浅い眠りであり、
そのときにはあたかも現実を見るかのように、眼球が動いているとされる。
その時は夢を見ているのだが、
見ている当人はそれが現実なのか、夢なのかわからない。
確かに、いま見ているものが夢だと分かっていれば、
悪夢で何かに追いかけ回されて、必死に逃げ回ることもなければ(笑)
夢の世界で、とんでもない場所や状況、あるいは嫌な過去の事象に遭遇し、
「ウワっ・・ギャー!」という思いとともに目が覚めて、
「ほっと」胸をなでおろすこともない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/de/6c200072fcf4229ae12dc44778541945.jpg)
こんなこと誰でも経験しているはずである。
これでわかるのは、自分の意識・・には、
夢も現実もまったく区別がないということだ。
意識にとっては、
これは現実だ、夢だという区別、識別がない・・ということだ。
これは極めて重要な発見ではないか?
目覚めて活動しているときと、現実から見れば明らかに異なる状況、
つまり夢見の世界を、それは・・へっ、夢見の世界だから・・と、
あるいは幻想世界だ、実際には違うんだ・・という判別や識別がない
・・ということだ。
つまり、意識の最前線、つまり知覚が働いているときは、
それが夢見であろうと、いわゆる日常の現実であろうと、
そこにはランク分けや真偽の区別、正誤の判断がないということである。
我々は実に重大な事実を逃し続けてきたのである。
わかるだろうか?
すべては、「私は肉体である」という常識観点がゆえに、
気づかず知らず、学校の先生も、親も友人も、知人も誰も教えず、
肉体レベルの知覚だけが「現実」だと、
社会が、組織が、生活が、金が・・、
だから頑張れ、がんばれ!と、苦痛と快楽の間に涙を浮かべてきた。
気づいただろうか?
つまり、
意識にとっては、現実も幻想もなく、
ただすべてが知覚対象であるということだ。
いやいや、夢はあくまでも夢だよ、この世の詳細現実とは違うじゃないか。
と言うだろうが、・・
それはあくまでもこの世、目覚めている時にそう言うわけで、
夢見の現場では・・あなたの意識は・・それが現実だと思っている。
そうでなければ、悪夢にうなされることもあるわけもない。(大笑)
意識にとっては、現実も幻想もなく、
ただすべてが知覚対象であるということだ。
わたしの視点が、
現象である外の世界、知覚対象の世界、
起きたこと・・過去・・の世界でなく、
それを観ている・・わたし・・に切り替わるだけで、
実に重大な・・・「観の転換」が起きるのである。
今生きてる・・ことを、何も調べず、ただ3次元的な常識観念のまま生き、
そして死ぬことで、また質的に同じ観念から始めることを、
この世界での輪廻転生と言っている。
肉体自我はそのつづきが見たいのである。
肉体自我、つまり想念の形が、この世界で死んでも生まれ変わるのは、
普遍的わたし・・意識、不滅のそれがあるからであり、
生まれ変わりの表現型である、そのときの肉体自我、
私は肉体である・・などと信じ込んでいる・・わたし・・は、
万華鏡の1展開画像、あるいは永遠のわたしの・・1コマなのである。
この世という夢を、夢と見破れず、強烈な思いと感情を味わっている、
苦痛と快楽に満ちた、それでも苦悩だらけで逃げたいと思う、
この3次元世界にはまっているということは、それなのだ。
つまり、
意識にとっては、現実も幻想もなく、
ただすべてが知覚対象であるということだ。
この世は幻想世界、もちろんあの世も何もかも、幻想世界である。
それを見ている、いや観ているものだけが、在る・・。
いまここに、・・いま・・そこに。
想念の根源(ラマナ・マハルシとの対話)