体外離脱や幽体離脱、またそれに関連する生まれ変わりという現象があるといわれている。経験したことがなければ、そりゃ一体なんだろうかと考えるにちがいない。特に現代社会においては、多分、多くの人がそれらの不可思議を全てまがい物と考えているかもしれない。また、好奇心がある人は、それは魂が抜けることか?とも考えるかもしれないが、それは違うようだ。
現在の物質的な科学では、検証、観測可能なものしか扱えないため、肉体が動いていない状態での意識的体験ともいえる体外離脱は、公の学術・研究対象にはなりにくいのが現実だろう。しかしながら、現在、世界には様々な体験談の統計やその法則性の検証が行なわれている。
確かに物質メカニズムではないメカニズムがあってもおかしくはない。電磁波も目には見えないが、その不可視の波動も周波数変調等により、TVや映画のような観測可能な現象として現れてくる。 多くの人が馴染んでいる携帯電話も、我々の五感に感じない波動を利用しているわけである。 どんな不可思議な現象も、それは無いのではなく、知らないのだと考えてしかるべきだろう。 どんなことも、それを知れば恐怖がなくなるものだ。
少なくとも、五感に直接映じないからと言って「存在しない」という観点に縛られることだけはやめるべきなのだ。たしかに、そう思えるならば、世界は未知で輝く数多の星座のように感じるだろう。
こころではどんなものでもイメージできる為、法則などないと考えるかもしれない。また、そこには確かに「主観」、「こころの働き」という意識的作用が強く働いていたとしても間違いなく法則があるのだ。体外離脱とか生まれ変わりというものは、人間および生命の変化のプロセスについてのものであり、そこにも「法則」があるということだ。
体外離脱や生まれ変わりという、人間の「意識分野」でも、もしそこに誰でも再現可能なプロセスがあれば、それは追求・探求の対象とするべきなのだ。世界の歴史や昨今のスピリチュアルな書籍、臨床医学からの報告や統計なども含め、そのような先入観を外したアプローチをする勇敢な人々がいる。
ロバート・A・モンローもその勇敢な一人だ。
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自分は何者か、どこから来て、どこに行くのか、生命とは、生まれて死ぬとはどういうことなのか、その意図は? 等の貴重な示唆を与えてくれる書であると思う。特に今世紀を生きている意識的存在には必須ではないだろうか。 ご覧になれば、ひょっとして当初は私のように違和感を感じてビックリするかもしれないが、きっと良かったと感じるだろう。
貴重な体験である日常の生活もさることながら、少し先を導いてくれるような書に出会うということは、単に時間つぶしの読書の為のものでなく、生きた知識を得る、または本来の自分を思い出してゆくための援けの階段でもあるとも感じるのだ。
(以下、「究極の旅」 ロバート・A・モンロー著 日本教文社刊 から抜粋)
(「究極の旅」p2-5)
恐怖は、人間にとって大きな障壁となる。この世に生まれてくるとき、私たち人間が感じる恐怖は二つしかないという。大きな音への恐怖と落下の恐怖---どちらも誕生のプロセスにともなう恐怖だ。
しかし私たち(のほとんど)は、年齢を重ねるにつれ、より多くの恐怖を知ってゆき、成人する頃には、恐怖を山ほど背負い込んでしまう。私たちは肉体的には成長してきたわけだが、真の成長、すなわち自分の本当の潜在能力に気付くという点に関しては、ひどく阻害されたままなのだ。
未知なるものは、恐怖を生み出す。暗闇が怖いのは、何が隠れているかわからないからだ。また、肉体的な痛みが恐怖を生むのは、その痛みが何を意味するかわからないからだ。こうした「未知」(アンノウン)そのものが「既知」(ノウン)の知識に変わるとき、恐怖は薄れて消え去り、私たちは自分が直面する全てに対処することが出来るようになる。
私たちはみな、すでに充分すぎるほど「未知」なるものを、そして恐怖を抱えて生きている。これ以上(恐怖を)探す必要などありはしない。・・・
(中略)
一九五八年、思い当たる原因もないのに、私は自分の肉体から漂い出るようになった。自分で意図したことではないし、そんな芸当をしようと思ったわけでもない。睡眠中の出来事ではないので、ただの夢として片づけるわけにもいかなかった。私は起きている現象を完全な意識で自覚していたが、当然ながらこのことは事態をいっそう深刻にするだけだった。
これはひどい幻覚の一種で、何か危険な---脳腫瘍か、脳卒中か、精神病が引き起こしているのではないかと考えた。死の前兆かとさえ思った。
この現象はその後も続き、自分ではどうすることも出来なかった。それはたいてい、横になったり、リラックスして休息しようとしたり、眠ろうとするときに起こった。
(中略)
当時の私は健康的に申し分なく、たいした問題もストレスもないと思っていた。生活は大変に忙しかった。いくつかのラジオ局のオーナーをしていたし、他の事業もあった。ニューヨークのマジソン・アベニューにオフィスを構え、ウエスト・チェスター郡に家があり、そして何より、妻と二人の幼い子供がいた。薬はのんでいなかったし、ドラッグもやらず、アルコールもほとんど飲まなかった。特に信仰する宗教もなく、哲学や東洋思想を学んでいたわけでもない。こんな途方もない変化は、予想もしないことだった。
こうした状況で私が感じていた恐怖と孤独感は、筆舌につくし難いものだった。誰にも相談できないし、---心配かけたくなくて、はじめのうちは妻にも話せなかった。私は一般的な西洋文化と科学に深くなじんでいたので、当然のように従来の医学とオーソドックスな科学に答えを求めた。医者は、精密検査の後で、脳腫瘍もなけらば、生理的名原因も見当たらない、と太鼓判を押してくれた。だが、それ以上のことはわからなかった。
その後ようやく、友人の精神科医と心理学者に、この問題をうちあける勇気が湧いてきた。うち一人は、私が精神病ではないと保証してくれた(この友人は、私のことを知りぬいている親友だった)。もう一人は、インドの導師(グル)のもとで、何年か修行してみたらどうか、と言った。---これは私にはまったく思いも及ばない考えだった。私はどちらの友人にも、他の誰にも、自分がどんなにひどく怖がっているかをうちあけることは出来なかった。これまで自分が属していると思っていた文化、賛美し敬意を払ってきた文化の枠からはみ出してしまったのだから。
とはいえ、生存本能とはしたたかなものだ。少しづつ、ほんのすこしづつではあるが、私はこの現象をコントロールするすべを覚えていった。これは必ずしも死の前ぶれではなく、制御が可能であることがわかった。しかしまるまる一年を費やしてようやく、体外離脱(体脱)体験というものの実在を受け入れるに至ったのだ。 (今でこそ、OBE-- out-of-body experience という呼び方も定着しているが) 私は体脱の旅を、慎重に確認しながら四十回以上も繰り返してはじめて、信じることができたのだ。この旅は、、私に-私だけに-豊かな知識を与えてくれた。その知識に出会うと、たちまち恐怖は消えてゆき、それにとって代わったのは、同じくらい強い好奇心だった。
(②へ つづく)
出会い「こんにちわ クールベさん」 クールベ:1854
本日も拙い記事をご覧頂きまして、誠に有難うございました。