つまらない小話を1つ・・・。 題して、
●自分を「車」だと勘違いしていたドライバーのお話・・・・・・・・
その運転者は、いつか気がつくとある車の運転席にいました。最初は意識がハッキリせず、一体どこにいるのかすらも分からなかったのですが、徐々にですが目の前のフロントガラス越しの景色が理解できるようになりました。親と呼ばれている、近くの大きな車の親切なケアと指導で、何年か経って何とか自力運転もできるようになりました。
そうやってやっとのことで、ガラス越しに見える世界を見ながら、次第にあちこちと動き回れるようになりました。ただいつも見ているのはガラス越しの向こうばかりです。それらは社会と言われているそうです。その中では車ばかりが行き来しています。中身は皆目わかりません。そのような車に溢れた社会のなかでは、毎日毎日運転する車体、ボディだけが頼りです。他の車に衝突でもしようものなら何が起きるか分かりません。だからこれを傷つけないように運転をしています。わたし達は車、ボディばかりの社会を構成しているようです。
一日が終ると車用のガレージに入り、数時間休憩をします。ガレージの中はいつも真っ暗です。そうこうしている間に夜明けが来て、またガレージから出て外界にドライブに行きます。そうです、常に私はいつも車と一体なのです。私は車、ボディです。だから車は常にケアが必要です。毎日このために一生懸命です・・・。
しかし、ある時、ふと、車の中に視線をもってゆくと、バックミラーというものがあり、何者かが映るっていることに気がつきました。ビックリしましたが、あれはひょっとして車自体を運転している者ではないでしょうか。その者が運転しているのでしょうか。であれば、その者は私であり、この車の運転手なのではないかと思います。今まで外ばかり見ていて気がつかなかったのですが、車内を見ると何者かがいて、車を運転しているではないですか。 やっと自分を見つけた思いです。車が運転出来るのは、私という運転者がいるからだったのです。今まで車自体が私であるとばかり思っていました。
また、この車には扉もあるのに気がつきました。ドライブに疲れ、夜いつものガレージに入っている時に、その扉のレバーを引いてみたんです。最初はどうしたものかと苦労しましたが、なんと扉が開くではないですか。私は車からちょっと出てみました。でも怖くなっていつもの車にもどってしまいました。
朝がやってきて、またいつものように外の世界へドライブに出かけます。あれ以来、ガレージで眠っている時にも、いつのまにかそこから出ているような感じはしますが、普通と違う体験のせいか忘れてしまうようです。どうも何処かへ行っている気はしますが、いつも車の中にいるのに慣れているために、外に出るのが怖いのです。
・・・何年か経ちました。
そう、最近は、自分が車ではなく、運転者であることがわかります。今まで自分が車だと勘違いしていたことにやっと気がついたのです。今では車を時々利用しますが、いつもその中に居続けることはありません。
あたりまえですよね。
そうそう、車から自由に出たり入ったりも出来るんです。ガレージなんかで寝泊りする必要はなく、ちゃんと暖かい家があり、そこにはゆったりとした部屋がいくつもあります。そこで寛ぐのが本来の私であったことを思い出しました。家族も友人も沢山います。本当の世界がこんなに広いということを、どうも忘れていたようです。やはりわたしは「車」ではありませんでした。
私は本来自由自在に行動できる「存在」だったのです。
(という小話 ・・・・・終了です。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あなたがたの意識は
脳の内部にかたく拘束されたまま、
どこへも抜け出る事はないと信じていますか。
あなた方の意識の果ては、 肉体という境界線までだと思いますか。
もしあなたがそう考えておられるなら、
それはみずからを過小評価していることになります。
・・・・・・・(「セスは語る」 ㈱ナチュラルスピリット)