気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

今起きていること(13)今とは・・無限のこと

2015-07-26 06:07:11 | 地球の一大変容
人間とは何かといえば、

それは身体と、こころ(マインド)と、意識であることは分るはずだ。

既にある事実なので、気付けば容易に理解できるはずである。

最も身近に感じているのは、多分、肉体ということだ。

そうだろう?

「あそこが痛い、肩が重い、腹が減った、熱くてたまらん・・」

そういう感覚が最も身近であると思っているはずだ。

だから自分とは、この身体・肉体だと思っているわけだが、

よくよく考えてみれば・・・、そう思っている・・だけの話なのである。

思いがなければ、・・ただ単に、身体・肉体がそこにあるだけのこと。

木や石が、ただそこにあるだけのこと。

想い・・・、そうだと「思う」ことで、「わたしは肉体だ」と・・なる。

つまり、こころの働きによって、そういう「自己認識」が生まれているわけだ。

こころの働き、つまり「思考」によって、そういう自己をイメージしている・・ということ。

自己認識、自己イメージに他ならない。





繰り返しになるが、肉体を自分だとイメージしているだけの話である。

たしかに肉体を知覚しているが、それが「わたしの全て」だと、一体全体誰が言ったのだろうか?

また騙されているのだろうか?


正しくは、いま私は、肉体のあることを知覚している・・ということだけだ。

誤解なきように、簡単に言えば、肉体=わたしでなく、肉体<わたし・・というべきである。

あるのは、『自己を認識する働き』・・である。


それがなければ、肉体も、マインド(思考)もない。

自己を自己として自覚する、意識すること・・吾あり・・・I AM・・が根本にあるがゆえに、思考と肉体があるとわかるのである。

だから、わたしとは、意識、想念、肉体の多次元的複合体ということになる。

「肉体」を認識するのは「こころ」であり、

「こころ」を認識するのが・・「魂・意識」・・である。

だから、こころを観る視座に上がらなければ、自らが魂・意識である事がわからないということなのだ。

物ばかりを見る意識から、さらに「こころ」までも観る意識への拡大が、今促がされている。
それをあちら言語で、アセンションとか言っているわけだ。

・・・
●肉体は「神の宮」だというのは比喩でなく事実

ところで、自分が肉体だと思っているとして、

その肉体のことはほとんど解っていないくせに、そう思っているという笑えない事実がある。

医学者だろうが内科医だろうが、ほんの小さな分野以外何もわからないわけで、

ただただ、身体の無数の細胞が、自動的に完全な調和を保ちながら、それを維持しているのが・・その肉体である。

ところで、その肉体を組織化している細胞であるが、人体は約60兆個の細胞で出来ているとも言われている。

60兆個・・・、なかなかピンとこないが、これをビジュアルにイメージすることも面白いかもしれない。

仮に、1個の細胞を1円玉と仮定し、それを目の前で1枚ずつ上に積み上げていくとして、

60兆個分を積み上げたら、どこまで行くだろうか。

1円玉の厚さを1mmとして、60兆枚なので、距離にすると約6千万km  となる。

これは地球を1500回周回する距離に相当し、また地球と月の距離38万kmを160回往復する距離に相当する。




ぎぇー!であるが、ある意味で身体細胞の数を言えば、近宇宙の時空間に匹敵するのだ。

さらに、細胞は、これまた更に小さな「分子」で構成されている。

さらにそれらの分子群は、「原子」で構成されているわけで、その原子の数はいったいどれほどあるのか定かではないほど膨大である。

それはまるで無限の宇宙を見ているようなものである。

身体の体積が有限だから、身体の原子も有限だろうと思うところだが、原子は更に素粒子・クオークで構成され、

それらは存在確率の中を出現・消滅しているわけで、決してそれらの個数など有限で規定されるものでもない。

そう、無限なのだ。

つまり、何げなくその存在を知覚している・・あなたの「肉体」とは、

視点・観点を変えてみれば、まさに「無限」が結実しているということだ!

あなたは「無限の結実」たる身体を持っているということだ。

・・・・
●物質原子とは、ほとんど「空(くう)」のこと
肉体の原子の話が出たついでに言えば、この原子は原子核と外側の電子軌道で出来ていると言われている。

原子核が中心にあり、その周囲を運動する電子が取り巻いているということである。

その原子核と電子の距離は、比率的に相当にひらいている。

原子核の大きさを「1」とすると、原子核と電子のセット、つまり原子は約「3万」倍の大きさということだ。



<この絵の通りではなく、実際の原子核と電子は相当離れている>


つまり、原子核と電子の距離は相当数に離れているということで、例えば10cmのソフトボールが原子核とした場合、外側の微小な電子(KLM軌道)がどこにあるかと言えば、大体1.5~3km先にあるという話。

相対的比率で言えば、電子は相当に遠くをまわっているわけだ。

要は原子核の中は、スカスカどころか、ほとんどがからっぽ「真空」なのである。

言うならば、我々の’重く・濃密そうな身体’は、ほとんど全く「空(から)」なのである。

重い軽い、大きい小さい、何kg等といって扱ってる物質は、その中身はほとんど空っぽ同然であり、またその空(から)の中を微小エネルギーが運動しているというわけだ。

●空(くう)こそが全ての根源
まさに、色即是空、空即是色・・なのである。

空(くう)の中に、

本当に微小な原子核や電子が運動しているという図式は、

見上げるところの、太陽系、眼前の「宇宙」と相似形なのだと気付けるだろう。

どこもかしこも、空(くう)で満ちている、その中に運動する微小エネルギーが出現・消滅しているのが、存在宇宙なのだと言えよう。

実に濃密に見える物質もスカスカ、あるのは大きさのない「空(くう)」の中に出現しているエネルギー微子の運動なのであり、ホログラムということになる。

宇宙はマーヤの幻想であるというのはそういう意味だ。

●空(くう)はゼロであり無限でもある
また空(くう)自体には、大きさも距離も、時間もない。

そこも、ここも、いつかも、どこかも無い、ゼロ次元とも無限の多次元ともいえる。

また、そこでも、ここでも、いつかでも、どこかでもあることが出来る。

我々は・・皆・その空(くう)の中にいる!

我々は、また空(くう)そのものでもある!

これがいわゆる「ワンネス」の実際である。

これを深く感得することが重要だ。

・・・

●真に・・楽しくなければ、それは嘘である
宇宙、それはまるで、空(くう)という多次元立体スクリーンに、光が様々な像を結んでいる壮大な多次元映画とも言えようか。

そして、空(くう)をも知るところの「わたし」・・・、

神意識を有する存在、魂・意識たちは・・・、

その中で、空の中に描き出される様々な時空間という諸世界で楽しく遊んでいるということになる。

なるほど、魂が遊びながら大きくなるのは、これもまた自然なのである。

それを意識進化といっている。肉体の進化ではない。

●地球と宇宙の合図を見逃すな
そして、この世界での自己を忘れる遊びはもうおしまいですよ、

額に汗し、目くじら立てながら銭儲けをしなければならない・・遊び・ゲームは終わりだよ・・

という合図が、地球本体から発せられているのである。

極めて局限された意識としての体験、いわゆる3次元的体験学習は、もう終わろうとしている。



今起きている様々な自然、宇宙の異変、人類社会の急激な変化は、次元上昇という地球の舞台転換の兆しを示している。

上昇の波に乗る方が楽しいし、またそれが自然なのだが、

こころの重さを外さなければ沈んでしまうのもまた自然である。

自然・・・本来の、真の・・・自らの在るがまま、再びこれに帰還することである。

物・銭・金、物欲、恐怖、地位、財産、名誉、執着等というカルマの要素は、

そろそろ、きれいさっぱり洗い流す時に来ているのである。

いつか、ではなく、今・・・!





本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

今起きている事(12)魂の無限性に気付くこと

2015-07-20 14:40:10 | 日記

●今起きているのは「次元」という存在展開舞台の転換
思慮深い人ならば、人間が「身体」と「こころ」と、そして「魂」で出来ていることに気付けるだろう。

言わばこれは人の三位一体であるが、「魂」「魂・意識」に気付けるかどうかが、これからの一大世界変転時への対処のカギとなるのである。

あなたは、「身体」と「こころ」と、そして「魂」のどのレベルまで<自覚>しているだろうか?

自覚とは自己認識であり、そうかもしれない・・ような単なる「知識」ではない。

また自己認識とは、物的証拠によって裏付けされるような、「代物」ではない。

みんながそう言うから等の意見や「情報」でもない。

魂に関しては、・・それ自ら・・気付く・・ことである。

●肉体が人間だというのは思い込み
世間一般では、主に自分が肉体・身体だと思い込んでいるだろうが、

それはまさに無意識的な「思い込み」であることに気付かなければならない。

世間ではそう云っているから、それが常識であるから、・・とそう思い込まされている。

要は、そういう「認識」なのである。

自分が肉体でしかないという思い込みにより、

死んだら何もないという刹那的な思い込みが幅を利かせてきたわけだ。

今、そういう風な物質的な自己認識のままで死んだ魂たちが、

自己が魂レベルの意識存在であることを思い出すプロセスを提供していた、

この地球の周囲世界、霊的待機場所が浄化された。

●天へ続くエスカレータ
つまりいわゆる3次元周囲の4次元世界は、既に浄化されたということである。

死んだ、つまり肉体から意識を外した魂・意識が、取り合えず一時待機することが出来る、フォーカスレベルあるいは階層的、霊的時空間が既に浄化され無くなっているということだ。

ヘミシンクの坂本正道さんは、今迄のフォーカスレベルには「エスカレータ」が出来ており、魂が引き込まれる途中の信念体系世界はバイパスされていると言っている。わたし自身も内面のビジョンで観えたのは、天へ続く複数の斜めのルート・道だった。

要は下次元(現界)から上次元(5次元)の間の途中でお遊びできる階層、あるいは地球の物理層へのバッファー領域が、きれいにお掃除されている?ということかもしれない。

従ってそうであれば、今までのようにこの世界の毒気に当たり、無知のままでこの世界から去った、つまり死んだ場合に、魂が勝手な信念を解除するまで一時まどろむことの出来る中間世界はもう存在せず、

そういう場合は親身な魂の教師たちの教導で、地球とは違う生命圏に転生するということになるようである。

なるほど宇宙は無限であり、その魂・意識のレベルに沿った転移先は無数に存在するのであり、今までのような地球周囲の信念体系世界のような閉じた時空間ではなくなったということである。

従って現界は、今迄スピリチュアルで噂されて来た「五次元」世界の幕開けとなっていると言えようか。

●無知の知までも知らぬ欧米物質文化
欧米流の文化は、近代以降の物的な発展や便利さにその威力を感じて、物質的な面ばかりを追求しつつ、それも正々堂々とその無知をやっていたわけである。

物・銭・金をコントロールする知力ばかりに長け、世界を席巻したわけであるが、精神レベルが追い付いていかないために、世界は今・・核での破滅の瀬戸際にある。

ある意味で、地球が3(4)次元から、順次5次元へと移行しているからには、いつかどこかで・・古い3次元的文明世界は消え去る定めなのだ。

そういう高次元的仕組みの変化と、今の3次元的な世界の終末様相は、実は同じ方向であり、その次元変化の内容が自然なものか、あるいは悲惨なものか・・の違いでしかなく、それを選ぶのはそれぞれの魂達の選択だけによっているということだ。

こころすべし!

魂レベルであっても、選択は常に「われに在り」である。

無意識的依存や、その他大勢の無意識集合体では如何ともしがたい事になるだろうが、それも無意識的集合意識が故である。

●こころの統御なしの垂れ流し
自己という自覚の前には既に、「身体」と「こころ」が在るのだが、

物質レベルで終始していると、その意識の向ける先が肉体・五感レベルで止まっている場合が多く、

肉体の上位である「こころ」精神作用に関して全くと言って良いほど無頓着であり、

常日頃、自分の心がどう反応しているのかすら、無チェックの段階の人も多いだろう。


そういう場合、往々にして、喜・怒・哀・楽、怒りや怖れを、単純に起きるに任せた言動に終始して軋轢や闘争を招いたり、

逆にそれをギュッと押さえつけるような、抑圧的な意識姿勢が多いかもしれず、結局はカルマの自己量産に気付いていないということにもなる。

それはつまり、無意識的意識、ある意味で幼い意識であり、想念を「まんま」垂れ流しているということでもある。

●自己のこころを・・対象化する・・こと
赤子の排せつ物の垂れ流しはまだかわいいが、大人の歪んだ思考や感情の自己主張、闘争・戦争等という名の、汚濁した想念・行為の垂れ流しは、宇宙で最も幼いないと言う表現も決して言い過ぎで無い。

いや自己主張も、自己卑下も、優越感も劣等感も、また思考や感情行為の垂れ流しの癖から出来る、個人的、民族的、宗教的な「こころの歪パターン」なのである。

そう、

そのようなこころのパターンを解消するためにはそれに気づくことから始め、

こころ・・・そのものを「対象化」しなければならないはずである。

自己の「こころ」の観察である。

外の世界でワーワー行なっている、他人の批判、評価、審判ではなく・・自己の意識内容を「観察する」ことなのだ。

物・銭・金、世間や他人、外の現象に振り回されては、騙されては、あるいは騙しては右往左往する、条件反射的意識レベルではなく、

そういう面白可笑しきものを流し続けるメディアを追いまわすことを止め、

展開する外の世界によって自己内面に起きるところの「こころの反応」をしっかりと自己観察し、

あるものは・あるものへ、それは・それへという、

落ち着いた大人の意識レベルに、自ら意識を持ちあげなければならないのだ。

●公園で遊ぶ子供を観る親はだれか
例えば、こころを、それを「動き回る子供」のように観察・観るという事だ。

公園で、あちらこちら動き回る子供を観ている者は、誰か?

その人は・・・愛深い親・・であるはずだ。

それも既に経験しているだろう。

こころの観察が出来るようになると、

「親」が現れてくる・・つまり愛深い本体・魂意識が顕れてくるということなのだ。

理解可能だろうか。


しかしながら、これは意識的に・・・実践しなければわからない。

知識では水辺にしか行けず、泉の水を飲むことができない。

自らが・・そう・・在らねばならない・・と言うことでもある。

誰のせいでも、相談でもない。


自己観察は、自己が「肉体」にあらず、また「こころ」でもないという事実に気付くためであり、

またそれは、いわゆる「波動を上げる」「意識レベルを上げる」と言っていること、「こころを浄化する」とも言っていることである。

魂は、体と、そしてその上位の「こころ」の上にあるそれ、観ているそれ、身体とこころを次元的に包含しているそれだ。

●こころを認め、それを観察すべし
今起きている地球の変容は、今まで、善悪・優劣・白黒・生死等、そのような2元性で遊んで学んでいることが出来たこの世界が、

その遊びや学びが質的により深く広くなり、あたかも幼稚園から小学校になるようなものである。

幼稚園での何でもありのお遊戯遊び、あどけなく幼く無知な自己意識、そういう経験していないだろうか。

そういう幼いあどけない意識が、物質優先の世間に入るまでに、人類の様々な歪を記憶せざるを得ないのだ。

常識という中の、歪で固まったマインドが主流であれば、

起きる感情や思考に条件反応的に対応することになる為、

感情や思考の揺れや爆発が起き、人間関係や人生そのものをぶち壊すことにもなり、後で後悔したり嘆いたりすることになるわけだ。

誰でも経験していることであるが、要は、こころの重要さを社会全体が教えることがないために、多くの人がこころや感情反応の統御が出来ていないということであり、

生活の中の様々な不都合な事象に対しては、誤魔化したり、嘘をついたり、逃げたりして回避しようとするものである。

いま世界中で騒いでいるのは要はそういう類のことだ。

●現代文明は欲望と恐怖の砂場遊び
現代は、最大限の欲望を追究する資本主義的活動が推奨され、こころの話よりも、贅沢や快楽、安楽を探し求めることが吹聴され、

知力を駆使した自己主張同士を裁判や金や、戦争で片付けようとする「エゴ」が主人公の文化・文明であったわけである。

そして、その最先端を行ったのが、あのアメリカという国であった。

ある意味で、今迄の人類の歪の学び、カルマの蓄積、そしてそれを人類的に解消するためでもあろうか。

●スピリチュアルの流行は一時の道標(みちしるべ)
こころは主観的であり、画一化した量産販売商品にはなりにくく、それゆえ用をなさない代物に貶められてきたのだが、

それが故にこそ、人生や環境のプログラムであるはずの「精神」よりも、銭・金・物・道路や車、ビルや都会、科学技術を使った先端利器などが優先された、

少なくとも庶民にはそういうものしかないという宣伝をずーっと流してきたのだ。

「金や金や!、こころがなんぼのもんや?」てなもんである。

昨今ではスピリチュアルワーク・グッズなどが商品化されているが、それはあくまでも商品としてのなじみやすさや、一定の霊的知識に触れるためであって、そういう知識だけではこころの浄化はこころもとない。

美しいイメージだけをこころに植えつけるだけでは心もとないのである。

●心ここに在りて、それを観る<吾>あり
こころを統御するには、古代(いにしえ)からも様々な方法があるのだが、実際には自己観想、想念観察、こころの対象化は避けて通れないのである。

普通の生活の中で、思い出す限りいつでも、自己のこころの動きを観ることだ。

こころの内容に入り込むのではなく、それらの動き・働き自体を観る・・こと。

こころを観るものは、あなたという小我の親であるあなたと言えよう。

親であれば、子には無条件の愛を感じるはずである。そうではないか?

その愛は、単なる感情的な愛などではなく、宇宙の全ては調和であることを真に理解し、お互いをお互いの写し絵であるという悟りのもとに、お互いを高める行為を言う。

こころある者は気付くべきである。

世間がどうだとか、社会がどうだとか、どの国が良いとか悪いとか、制度がどうしたとか、競争に勝つとか負けるとか、

今更どうでも良いものは、棄て去らねばならない時期にあるということだ。

気付くべきは、自己とは何か?ということである。

単なる肉体なのか。

肉体と、それに気づいている「こころ」のことなのか。

そして、さらにそれを観ている高次の「あなた」は、既にそこに在るはずである。





本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。



今起きていること(11)目覚めた者へ

2015-07-14 07:15:16 | 地球の一大変容
下記の文は、あるサイトに出ていたもので、いわゆるチャネリングメッセージのようだ。

ひょっとして、ゾクゾクと背中で感じる何かがあるかもしれない。

あるいはこの中に、時間と空間を超えた魂の多次元性を感じるかもしれない。

チャネリングがどうだとか、誰がどうした、こうしたという外側の飾りや信憑性の話よりも、そのメッセージや体験で一体何を感じるのか?

要は、外側の情報で迷うよりも、内側で感じることが極めて重要だということ。

分析や思考で分るのは外の現象の動きであり、その背後の因は直に感じるしかないものだ。

本質は頭でなく、ハートで感じると言われていること。

日常の様々な体験の中で、何か「真実」を感じようとする意図を保持していれば、枝葉末節の騒ぎの増大した混乱世界の中で、騙しや虚飾のない事実を見ることが出来るだろう。

マインド(こころ)の癖になったような利益追求姿勢、それで何が得られるのか、という想いを、あたかも子供のように観察しつつ、

何処か本質的な輝きを感じ取れるならば、あなたもこの世界で大きな利得を得たと言えるだろう。

利得といっても物質の過多、地位や名誉の上下ではなく、

宇宙を貫いて在る・・・愛や慈悲という名の・・無条件の・・それである。

・・・・


(以下、コピーペースト)

「目覚めた者へのメッセージ」
この感動を
この胸の震えを
どう伝えたらいいかしら
あなたたちは
インターネットという
光を手に入れ
加速度的に
結束しだした
  
ああ やっと   
私たち あなたたち
ここまで来れたのね
  
本名なんて知らなくても
たとえ会うのは初めてでも
すぐに同類だと仲間だと
瞬時に分かるこの感覚
懐かしさに言葉が出ないでしょう
点が線で繋がる度に 
ゾクゾクするでしょう

懐かしい瞳をたくさん見たでしょう
私たちも何度見ても
あなたたちが再会し繋がってく様子は
嬉しくて涙が出るのよ
もはや 何回会ったとか
何時間 語り合ったとか
そんなものは全く関係が無いのよ

時間じゃないわ 
密度なのよ
ハグだけで
目を合わすだけで
笑顔だけで
全てのエネルギー交換は出来るし
愛の連鎖は果てしなく続く

例え 相手が忙しそうで
声をかけられなかったとしても
ああ、あの人も居てくれると
感じるだけで 
ちゃんと伝わってるし
相手の気分も
訳も分からず良くなるのよ

だから貴方の気分が
訳もなくいい時も
誰かが貴方にいいものを
送ってくれた証拠なのよ
よくぞ ここまで辿り付いてくれました
心から祝福します 
おめでとう

ねえ
あなたたち 何をしてるのか分かってる?
例え短い時間だろうと
同じ志の者 集いて 同じ祈りを捧げ
また それぞれの土地へ
持ち場へと帰ってゆくこと

それは
肉体が無い時にやっていた
魂の集会 そのものなのよ
銀河連合の集会の縮図を
魂の同窓会の縮図を
肉体を持ちながらも成し遂げたのを
確かに見せてもらったわ

自由な魂が宇宙で銀河でやっていたことを
あなたたちは
そんなにも制限がある地球で
実現させ始めているのです
可能にしようとしているのです
飛べない肉体を持ちながら よくぞ
時間やお金の拘束を抜けながら よくぞ
数々の不安や恐怖をふりはらい よくぞ
直感に従ってくれましたね

自然と調和しながらも
飛行機やネットの近代的な恩恵をも受けて
見事に使いこなして
光のサーファーとなり
各地を飛び回るその様子は

アトランティスでも
ムーでもない
アトランティスでも
ムーでもある

融合させようとしてる
新しい姿だわ
とてもとても
美しい姿だわ
地球って
人間って
素晴らしいわよね
本当に・・・ありがとう

また 日常に戻れば
何てことは無い暮らしでしょう
TVを見れば悲惨なニュースも多く
街を歩いても電車に乗っても
暗い顔の人も多く
仕事中に あなたの輝きを封印する必要もあるでしょう

自分は何てちっぽけで世界どころか
身近な人さえも変えられないのかと
落ち込んでるのも知ってるわ
でも あなたたちなら
自分を変えるのがどれ程大変か知っているでしょう

それを相手にだけ押し付けるつもりかしら
自分は正しいからいいのかしら
相手の正しさは尊重しなくていいのかしら
誰も誰かの物なんかじゃないでしょう
誰かに幸せにしてもらうなんて
本当の幸せじゃないでしょう

そう 誰もが
自分しか変えられないのよ
目覚めた者よ
目覚めた者たちよ

あなたたちは
魂での状態を覚えてる者達である
思い出してくれた者達である
目で見えないものを感じれる者達である

でも特別なんじゃないわ
みんな本来はそうなのよ
忘れてしまってる者を責めないでね
いつか わかるから。
いいえ 魂レベルでは本当はもう知っているから。

そう あなたたち
宇宙飛行士でもないのに
地球を宇宙から眺めたことがあるでしょう
それは妄想なんかじゃないわ
魂の記憶なのよ

そして 至福に溢れた 魂での旅を完成させ
次のステージの舞台に
地球を選んだ者達である
勇気ある愛の戦士であるのは当然だけれど
あなたたちは何も勇者を気取りたかったんじゃないのよ

地球の美しさに惚れこんで
ここでの経験を壮大なミッションを
面白そう!だと思い
楽しそう!だと思い
一度忘れて また思い出すなんてステキ!と興奮し
あんな飛べもしない ちっぽけな肉体でまた仲間達と
広くて危険も多い地球のどこかで
再会するのはドラマチック!と目を輝かせ
ねえ どっちが先に覚醒するか勝負よ!と笑い
私があなたを見つけるから!と約束し

学びのプログラムをあんなに高く設定したから
抜け出すのに時間がかかるかもしれないけど
待っててね!と手を振り
OK 優等生 手伝うよ!と手を振りかえし
世界各地に日本各地に分散してゆきました

一番ドラマチックで感動的になるような見事な配置で。
この壮大なゲームを楽しみに
ワクワクとドキドキの好奇心と
全てを知りたい!という知的欲求をふくらませ
舞台を地球に選んだこと

あんなに瞳をキラキラさせて
地球にダイブした あの時のこと
忘れたとは言わせないわ

あなたは
映画が好きかしら
本が好きかしら
ゲームが好きかしら
スポーツが好きかしら
旅が好きかしら
音楽が好きかしら
琴線が震えるということ
それは魔法を受け取った合図

ねえ あなたはいつまで
自分の弱さにしがみついているのかしら
無いものを見つめ続けているのかしら
右脳が強い者だけで不安なら
左脳が強い仲間がいるじゃない
英語が出来ないなら 話せる仲間がいるじゃない

エネルギーを感じるものも居れば
目で見えるものも居るじゃない
何も感じないと言いながらも
必要な場所へ行けたりしてるじゃない
絵で描くものがいれば
踊りだすものもいるでしょう

スピリチュアルなことは興味なくとも
仕事としてプロとして目覚めてる者も沢山いるわ
そう 地に足をどっかり付けてる者達こそ
大いなる味方なのよ
沢山の人達のお陰で
衣食住が整って快適だからこそ
あなたたちは心の魂の問題にまで
向き合えていることをどうか忘れないで

せっかくの協力するという仕組みを
もっと活用していいのよ
自然の仕組みを
もっと信頼していいのよ
手を伸ばしさえすれば
あなたは一人じゃないのよ
誰もが全てを一人では出来ないこと
それはいいことなのよ

ねえ いつまで待ってもオールマイティーにはならないわ
すでに最初から完璧なんだもの
意味が分からないかしら?
神のように万能にならないと
何も始められないと思っているでしょう
美しい神殿を構えないと
人を呼べないと思ってるでしょう

サイババのように聖灰が出せないと
自分はまだまだと思ってるでしょう
あれも出来ないし これも苦手だし?

バカ言ってんじゃないわよ

世界を見なさい
まだこんなにも戦争があり
貧困に喘ぐ 国があり
破壊された自然があり
取り尽くされた資源があり
近所にさえ おかしな人がいるわ
あなたはそれを許さないというの
あなたはそれを存在させてる
それを許してる 
地球を許さないというの
地球をここまでにした
私たちを許してはくれないの

そう
自分を許していないから
神をも許せずに
あがいている貴方たち
完璧にコントロール出来ることに
面白みなんて無いわ

完璧な人間を目指すのでは無く
不完全さを変化を 許し受け入れるという完璧さを備えなさい
この人達はいいけど
あの人達はダメ?
スピリチュアルな友達と
一般の友達を分けている?
分離するのはエゴだけなのよ

妄想の幻想の霧を晴らしなさい
一人一人の意識のみがそれを晴らせる術である
マヤの長老の声を聞いたかしら

目覚めよ
立ち上がれ 
1グループももらしてはならないと。
そう 2012年に破壊者が
地球に害ある者達が
全滅すればいいと
思う気持ちも分かるけれど
分からない奴は死ねばいいと
思うことがあるのも知ってるけれど

それでも やっぱり
1グループも置いて行っては行けないのよ   
上がりなさい
上がった者は手が届く者を引き上げなさい
全ての生命を引き上げたいと思う気持ち
あなたたちにもあるでしょう

それは何も 波動の世界を知らない者達の中で
熱く語り ドン引きさせることじゃないのよ
恐怖と疑いにまみれた者達はますますガードを固くするわ
準備が出来た者に 少しづつ伝えればいい
第3の目が開いた者達が順番に
自然にあなたたちに引き寄せられるでしょう
思いがけない質問をして来たりするタイミングを見逃さないでね
ここだ!と分かるハズだから それまで見守り待ちなさい。

それだから あなたたちは
ヒッピーのコミューンで
仲間達だけで完結するのでは無く
制限された幸せで満足すること無く
それぞれの土地に住み
それぞれの役割を日常に溶けこます

そして また
たまの集会で
魂の同窓会をして
健闘を称えましょう
そして充電したら
また日常という持ち場で
1日1日を楽しく過ごしましょう
日常を幸せに過ごすこと
それが全てなのよ

目覚めた者へ

愛する者へ

目覚めたあなたたちへ
愛するあなたたちへ 
このメッセージを
伝えます

さらなる
壮大なる物語のステージへ
あなたたちが
上がってくるのを
お待ちしております







本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。font>

今起きていること (10)5次元意識

2015-07-12 09:32:31 | 地球の一大変容
●物質は実在しない
物質は実在しているわけではなく、単に存在感のことであり、それが証拠に量子科学でミクロにズームインしても、実体はとらえどころがなく、そこにはエネルギーの動き・軌跡による、なんとなくの「存在確率」しかないのである。

最近ではエネルギーのひもの振動で説明しようとする「ひも理論」「超ひも理論」があるが、それらでは多次元という概念がでてくる。

物理だ科学だという中では、解りやすい数式化が行われるのだが、そもそも人間の意識がなければ、数学も物理も科学もなく、ましてやそれを扱う物質など存在できるものではないのである。

観察者がいなければ、どうして観察物等という物があろうものか!

物が先にあるという・・漠然とした信念が唯物史観を生み、さらに拝金思想を生み、強欲の金融資本主義までを生み出した。



まるで間違っている信念なのだが、地球上に創られた人造マトリクスというべき仕組み、とうとうそれが今、爆発・崩壊を・・・し始めている段階である。

今までのような世界に君臨している者たち、物の世界にハマりこんだ存在達は、今相当に苦しいはずである。なにせ、その物が無くなる、あるいは無かったことが解ってきたからである。

あなたは、物が先にあると思うだろうか。

それに気づいている「あなた」が先にあると思うだろうか。

●時間は実在しない
時間も物理量、現象として実際に有るものではなく、それらの記憶の集積に他ならない。

在るのは、そう・・変化する今の瞬間だ。。。。なんという奇跡・・感じないか?

誰でも、今の瞬間だけに気付いているのだが、生れ落ちてからの教育や経験によって、
外の世界の歴史や記録を意識するように仕向けられているために、あたかも過去が「存在」しているような錯覚をもつのだ。

銭・金・物・名誉・地位・獲得・栄冠・追われる生活・子育て・ローン返済・・・様々なやるべきことに追いかけられ、今の瞬間等感じるどころでもないだろうか。

しかしながら真実は、時間はどこにも存在しない。
過去などというものはどこにも無い。また未来というものも、どこにも無いということ。

在るのは、そう・・変化する、今・・・今・・・今しかない。

また変化とは創造の根本である無限の多様性のことである。

そして、今・・・それに気づいている・・・「意識」だけが存在するのである。

これがこの世界で把握すべき本質でもある。



●ところで空間は存在するか?
時間はなく、在るのは瞬間であり、物質もまた実在せず、それらは存在感覚、あるいは観察意識の投影像であるとするならば、時間・空間の「空間」はどうだろうか?

算数で習った、ある速度でA地点からB地点に行くには何分かかるか、という問題でお馴染みのように、A-Bの間の距離、つまり空間も厳然と有るとしているだろう。

時間と距離(空間)は一体で語られるわけで、かの有名なアインシュタインの相対性理論では、数式上、空間(XYZ)と、時間(t)は相互に変換されるという事が言える。

●空間と時間は相互作用の関係にある
X^2+Y^2+z^2-(Ct)^2=0( ^2は2乗、Cは光速)

3次元的な「距離」は、即ち=、「光速×時間」という話だ。

ピンとくるような来ないようなものであるが、単独の空間と別個の時間などは無く相互に入子関係であるということを意味している。

とすれば・・・、時間が存在しないならば・・・空間も存在しないことになるではないか。

『そんな馬鹿な・・・』という事になるが、実際のところ、我々には空間・距離も存在している「ように見える」ということだ。

空間も実在ではなく、有る様に見える、観測、観察によって生じているということだ。

これを極端に言えば、「あなたが目を閉じれば、その間視覚的世界は消滅する」という意味である。

●空間は実在しない、つまり仮想存在である
物体と物体の「距離」としているのが、つまり「空間」というものであり、それも観察者なしでは存在しないものであると言えよう。

X^2+Y^2+z^2=(Ct)^2   で、t=0ならば距離も0だろう?

ぎゃっ・・・?!、

今の瞬間しかない者(観察者)から観たら、距離等も無い・・という事になるじゃないか。

実際、そういうことになる。


ここで重要なのは、物質だけの関係を数式だけで論じるような科学認識ではなく、

量子論的観察者効果、また遠距離の間の瞬時の情報伝達や相互作用、量子もつれ効果等を含んだ時空認識なのである。

簡単に言えば・・・意識のベクトルというか、認識が違うだけの話なのだ。

ジョルダーノ・ブルーノやガリレオの時代の、地球が平たいか丸いかの論争のようなものだ。

認識が変わるからこそ、観察されるものも、それ相応に変わるという事に気付けるだろうか。

今まで科学だ現実だと、これが事実だ・・真実だ・・と言う証拠集めと理論づけをしてきたということなのだが、新たな証拠が出てきたからにはいつまでも誤魔化しきれるものではない。

数十年以上前に、すでに古い世界は崩壊を始めたのであるが、今迄なんとかごまかしごまかし、騙しだましで進んできたというわけだ。
・・・

今起きていることは、そういう古い観念世界の根本的終焉と、拡大された次元への新生なのである。

多くの人が気付いている、現状の世界規模の異変や、それに伴う何か起きそうな予感は、主に恐怖感からくる終焉と崩壊かもしれないが、

生命の本質は死んで終わりのような意味のないものではなく、「終わり」はすなわち「始まり」であるという意識が極めて重要な時代にいるのである。

いざという時には、常識生活で役に立つ銭・金・物・地位や名誉など、一切合財なんの役にも立たないのだ。

本質で・・いまここ・・に気付けるならば、永遠がそこにある事を垣間見ることになる。


●5次元認識
時間も空間も仮想であるとする認識を有する存在は、

時間と空間を超えている視点に上がることになる。

それが納得、実感できるまでに古い観念を浄化するならば、

それが、X・Y・Z/t という3(4)次元を超えた5次元認識に到達することになる。

そう、これらは、ある切り口で表わしたところの5次元とは何かという説明である。


今、ここに在りて、時間空間に束縛されず、

どこにあっても自由自在な、今を生きること、

どこかに何かを探す必要なく、

ただ、在るがままの「自己」に気付いてゆくということである。

在るのは、今の瞬間であり、その気付きである。

それは時間・空間を超えている。




本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました




今起きていること(9)「時間」は実在しない!

2015-07-02 15:35:37 | 地球の一大変容
時間は実在しない
物質・諸現象は意識の投影像であると同じく、時間もその投影像の「変化率」でしかない。

「時間」といわれている何かも、その存在感でしかなく、実在しない。

理化学でよく示される「時間軸 t」は便宜上の次元軸であって、実在するものではないのだ。

時間という概念は、つまり現象変化の速さの相対的な違いでしかないのである。

V=ΔX/Δt(v:速さ、ΔX:変化、Δt:時間)
Δt=ΔX/V(時間とは、速さの変化率である)

ここで言っていることは物理科学と矛盾していない。

数式では、時間に数値が顕れるために、何か量的なものだとしているが、

時間という単体の「物・現象」自体・・・何処にもない。
・・・

「時間が実在しないだって? えー?・・馬鹿言うんじゃない・・
過去の歴史もあったし、『昨日』というものはあったし、
実際『今日』もあるじゃないか! どこに時間が無いと言うんだよ・・」

そういう想いが聞こえるようだが、人があると思っているような時間は、実際には存在しないのである。

あるのは・・「今」という瞬間だけである。

それが変化してゆくのを観察しているだけ。


あの変化は早いね、これは遅いね・・という相対的な比較論でしかない。

ただ・・有ると言えば、そう、ただ・・今・・・それだけなのだ。

しか・・実在しない!


●時間とは意識上の変化の「記憶」のこと
あるのは、今の瞬間・・だけ・・であり、それが人生として連続しているから、

その「連続感覚」を時間経過等と言っているだけなのだ。

人間が歳をとる・・という変化も、何か実際の時間が過ぎた・・という感覚を与えているが、時間量というものもなく、全く架空のものでありそれは変化の記録というべきものだ。

過去がある・・ように「思う」のは・・変化を記録したイメージ、記憶の連続によって生じる経過感覚があるからだ。

これは全く、パラパラ漫画絵のアニメ動画と変わらない。

●過去という「何か」も、実在しない
実際には「過去」という何かなど、どこにも無く、ただ経験の「記憶」があるのみである。

瞬間の連続、その「記憶」の集合、それが歴史であり、過去である。

在るのは「今」・・しかなく、過去の想い出というものも、今での記憶再生なのだ。

そうだろう?

だから、例えば、過去の出来事で悩む??等は、幻想で悩んでいることであり、架空の悪夢にうなされていることに等しい。

悪夢にうなされて、目覚めた瞬間、それが単なる夢であったと安堵する経験は誰でも経験しているように、

この世界で過去の何かに「悩む」とか「苦しむ」とか、必死になって逃れるとか、

そういうことには全く実在性がないということだ。

つまらない落語や漫才よりも、なお、面白くも何ともないものである。

無理して引きつった笑いなどする必要もなかったのだということだ、そうではないか?




●地球人類は架空世界の恐怖遊びがお好き
多くの悩める人々は、実在しないものと、必死に・・遊んでいると言ってもよい。

ある意味では、かわいそうな・・も、助けなければ・・も、余計なお世話なのだ。

物質も、そしてそれらの動き・変化をいう「時間」も厳然と存在するものではなく、人間の意識、認識上ものつまり架空の設定なのだ。

それを知らない場合には、悪夢で真剣に「苦しみ」、それを知っている場合は悪夢はその質を変え、敢えて言えば「ホラー」映画を観ているようなものになる。

過去のトラウマ等やカルマなどと言われる、時間を引きずったような「こころ」の歪は、ただ単に「今ある」記憶の整理と理解、つまり言わば「魂の学習」を怠っているというだけであり、

今の瞬間には、実際「過去」など、どこにも無いことを知るならば、

ないものを後悔し、ないものを怖れ、ないものに傷ついている事に気付けるのだ。

・・・・
●過去は記憶であり、その記憶もまた曖昧である
過去はつまり、記憶という情報のことであり、人類の歴史等というものさえ、ある方向、断片から、ちょいと覗いたようなものであり、

ましてやその時代時代の支配者側の都合で、その記録を偏向するのが常なのだし、個人の歴史等といっても、それと似たようなものなのである。

客観的な過去など実在しないのに、過去を肯定するとか・・否定するとか・・取り戻すとか、そういうことは全く意味をなしていないわけである。

・・・・
「時間」は実在しないといっても、

人によっては、うーん、なかなか・・なのだが、そのうーんは、・・正しいと思い込んでいた・・社会通念の習慣からくるわけだ。

「時間」と金と生活に追われることから得てしまった、こころの習慣をすぐに洗った方が良いということだ。

世界で一番重いのは、何あろう、歪んだ習慣思考、思い込み、信じ込み・・である。

これに比べれば、月の重さや地球の重さなど有って無きがごとし。

実に、こころの浄化は、誰にでもある共通事項、喫緊の重要仕事であるとも言えよう。

●地球規模での浄化プロセスが開始されている
歪んだ習慣観念や思い込み信じ込みが、今世界で暴れ出しているだろう。

宗教の違い、集団自衛権、アメリカ、金融資本家、イスラム、過激派、国家間の憎しみの増大、EU、ギリシャ債務、ロシア、中国・・・何か尤もらしい、何か意味ありそうな世界の動きであるが、

その根底、そう・・・根元にあるものは「欲望」と「恐怖」である。

歴史や過去という、実在しないそれに、溜まりにたまったその歪み、あるいは汚れが、

もうどうしようもなく、いやも応もなく、表に現象化して、消えてゆくプロセスが既に開始されている。

世界の政治・経済・社会の動きを観ればよくわかるはずであり、今出てきている様々な事件、事変、新たな国家間条約、あるいは条例等というものには、

何の希望も正当性もなく、その多くが人間や社会の「欲望」と「恐怖」という歪の表出と消滅のプロセスを意味している。

いわゆる悪い方に、悪い方に流れていくプロセスなのだ。

まるで最期に崖下に転落か、大爆発して終わるアメリカ映画の様なものである。

だから、識者たちは苛立っているかもしれない。

政治家や行政が、民衆を良い方向に導くべく努力しているという「嘘」をいつまでも見破れない民衆にいらだちを感じていることだろう。

それは、ハーメルンの笛吹男についてゆく幼児たちの、親のような心境かも知れない。

●こころには波長があり、反発・共鳴作用がある
扇動の当事者たち、あるいは呆然と巻き込まれている者たちは、カルマ、トラウマなどと言う未だ整理していない、魂の記憶上の歪によって相互に引き付けられるのだ。

立場は違えど、同じ「こころの波長」を持っているといえよう。

・・・



さらに、人類の生きているこの大舞台でも、つまり地球の地殻変動が、既に開始されており、人類へのその気付きを促がすために、次第に・・大揺れに揺れる傾向が出てきたわけで、揺れが大きくなれば、必然的に「水」での洗濯も行われるはずである。

敏感に気付いている人々も、生き残りだとか、サバイバルだとか・・そういうことではなく、本質的なところの、意識の洗浄を行わなければならないということだ。

それぞれの内面意識が、時間空間として投影されていることがわかるならば、実践すべきこととは、投影像の根源である、内面の光の具合の調節だと分るはずである。


あなたはどう感じるだろうか。




本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。