気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

虚空の舟

2008-03-30 09:16:06 | 偉大なる先達の言葉

今回は<タオ(道)>からのメッセージです。バグワン・シュリ・ラジニーシの言葉をご紹介します。ほんの薄いバリアしかない、<あちら>と「こちら」の認識・実感のちがいが少しわかるかもしれません。 先を行く方々の残したメッセージは味わい深いものです。言葉を通してでも、真実の波動が生じ、空っぽの心の中に反響を与えるものです。

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「荘子 虚空の舟」より

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1つの道は内側に入ってゆく方法だ

この「なんでもない者」を取り除こうとするのでなく

それに目覚めようとすることだ

これこそ荘子が言っていることだ

「空っぽの舟」になるがいい ただ内側に入っていって

自分がなんでもない人間であることに目覚めるがいい

自分が何でもない存在であることに気付く瞬間

あなたは新しい次元に向かって爆発する

なぜなら

人が自分は何でもない人間だと覚醒するときには

その人はまた

自分が<すべて>であることにも目覚めるからだ (虚空の舟・第六話より)

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舟が自分の肉体であり、乗客が「私」であるならば、わたしは「舟」にも乗ることのできる「私」であり、あらゆる景色を観る私でもあり、舟が景色のなかのほんの1つであることを観る私でもあるのでしょう。元々小さな舟は空っぽであるわけです。

 

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保証とは全て不誠実ゆえにあるものだ

あなた方は保証する、約束する、こんなことを言う

「これがその保証です。必ずやってみせましょう。」

が、あなたがそう保証しているあいだ

その瞬間にすでに不誠実がそこにある

完全な誠意はどんな保証もない

なぜなら完全な誠意とはあまりに目覚めているからだ

多くのものごとに目覚めているからだ

まず、未来は未知だ

どうやって保証などできる?

<生>は瞬間ごとに変化している

どう約束できるね?

どんな保証も、どんな約束もこの瞬間のものでしかない

次の瞬間のためにできることなど何もない (同上第四話より)

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つ言えるかもしれないことは、今この瞬間には<無限の未知>がある故に、誰かが保証など出来るものではない、ということでしょう。予測された未来などなく、刻々変ってゆくものであり、そうであるが故に、自分の今を瞬間瞬間観ていることが奇跡なのでしょう。

不確定なる世界を刻々瞬間で、確定させ続ける「意識」をもっているのは誰でしょう。例えあなたや私が神なるものになったとしても、それはいつも始まりであって、決して終わりではないということでしょう。


大いなる繋がり(メイ)

2008-03-29 09:03:26 | 投稿記事

読者投稿記事です。それではどうぞ。

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そうなることは今までにも言われていたことではあっても、

  だからこそ 今与えられた中で 自然に出来る 

喜んでさせていただけることをやる しあわせ(*^^*)

 愛と調和が内なる宇宙にひろがり 

ゆっくりとした静寂な悠久の時空に光り輝く時

 外の宇宙へとひろがりだす。

   あ~生きている!! 咲き初めた桜が今年はとくに美しい!

 みなさまのこころに平安と愛そして・・感謝を。

投稿者:メイ 投稿日:2008/03/27(Thu) 16:54

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ほんにリラックスして、宇宙の中に無限大に意識を広げ、うあーおーっと、背伸びをしているような・・・。

(尚、タイトルはブログ主催者が勝手に付けました。悪しからずご了承を。)


外宇宙は「過去」、内宇宙は「今」(P)

2008-03-27 20:12:57 | 投稿記事

読者投稿記事です。

あの星々がまたたく宇宙が「遠く」にあるという、今までの信念はもう過去のものになろうとしています。実は、すぐそこにあるのでしょう。そこにある無限。無限だからなぜ遠くだと思うのでしょうか?今の信念体系では月に行くのに何日もかかりますが、他の考えや法則が見えないだけであるとも思えます。究極では、今、ここに全てあると言うのが実は本当のことのようです。

 「外宇宙=夜空に浮かぶ銀河や星雲」とした時に、外宇宙を観測するには、観測者は常にその星々の「光の反映」を見ます。ところで、光ですら、速度がある(と 現代物理学:相対性理論 は言っている)と言いますから、100万光年離れた外宇宙は、100万年前の姿だぁー(猪木みたいに叫んで下さい)ということに「なってしまい」ます。(この物理学の認識が真理かどうかについては、Pは態度を保留しておきますが・・・。)そうすると、我々が上空を見上げて見ている「宇宙の実態」は全て「過去の状態」ということになります。

 「内宇宙=我々の意識の中での創造・想像領域・若しくは未だ発現していない神秘力(例えば心眼)」だったとしましょう。そこにおいても宇宙を観測することができるとした場合、我々の意識は、光を外から観測する観測者ではなくて、光そのものとして、「各宇宙」に行って観測することができるでありましょう。光そのものとして「各宇宙」に行けるって、どんなことでしょうか。光そのものとなった 観測者=意識本体=内宇宙 そのものには、時間の経過はありません。つまり何万光年離れていようが、その宇宙に瞬時(正確には時間0で)に行くことが可能です。これもまた相対性理論に裏打ちされているわけです。ということは、意識体=光 として観測できる、宇宙は、常に「今現在の状態」を「観測」することが「可能」です。
 さて、このことを応用してみましょう!人が、自分の意識の内側を宇宙と認識し、見ることが出来た場合、常に過去も未来もどんな場所の状態も、「今」として見ることができ、そこに時間的「ずれ」は生じないことになります。ちなみに「過去」という概念は、3次元空間が規定されている場合における時空概念ですから、光となった意識の場合、距離という次元が消えるので、3次元的空間の遺物である「過去」の領域は姿を消し、常に「今」となります。(アーカーシックレコードに常時アクセスして正確に観測できている状態)
 ところが、この意識の状態に「ぶれ」があって、少しでも観測者として外から事象を見ようと言う「誤謬」が含まれている場合(意識本来でない、「恣意」「捕らわれ」、光に対する「闇」の状態)には、その時空に「ぶれ」が生じます。
 もっと言いましょう。霊能のある方で、意識が外側の領域に捕らわれている状況下で見ておられるビジョンは、霊視下においても時間に「ずれ」が生じます。それは過去のものだったりすることが多いです。つまり、自分のあって欲しい世界側に意識波動がずれを起こし、過去のビジョンを今のビジョンと錯誤するのです。
では逆に、時間のずれのない予測をしている「覚醒者」の場合は、その内面はどうでしょうか。その意識は、ピュアな光をたたえていることが容易に想像がつきますね。
 我々が、内宇宙たる意識に「闇」ではなく「光」を根付かせようとする「行為」は、こうした「時間」拘束下の「3次元」の次元転換をはかろうとする、進化の方向性と位置づけることが客観的に可能であると思います。


空間の広がりという「認識」のパラドックス(P)

2008-03-26 08:03:05 | 投稿記事

Pさんの投稿記事です、ではどうぞ。

銀河団・超銀河団を理解する(本当に観る)には、意識の微細性を増し、自分自身の内側=インナースペースに入る必要がある。そもそも宇宙空間は真空であるが、外宇宙はどうなっているか?誰も実際には行ったことがない次元であるが、恐らくゆがんでいることでしょう。つまり空間は捻れて宇宙は自己完結しており、一見外宇宙に見える世界は、実は自分の意識の内側に繋(つな)がって広がっているとではないか。

よく空を見て、UFOが・・・と言いますが、見ているのは実は自分の内面に広がる異次元の時空に繋がっているものを視覚的に外に見ている可能性が高い。空海様も虚空蔵求聞持法を修法して、金星が「口」から飛び込んできたとの言い伝えがあるが、こう言い換えると本当の理解に至るかもしれない・・・。空海様は、修法(マントラによる振動数の異次元との同期化)の末、微細次元の金星意識と同調し、頭から金星に飛び込む経験をこの現実世界に置いて、御自分の内側において達成されたと思われる

アーカーシックレコードは、宇宙図書館などと言うから空を見上げるのだが、そこには、「引っかけ」がある。ひっくり返してみても人間が見上げて空間的に無限の広がりを感じると錯誤している宇宙観たる「宇宙」の何処にも、そんな図書館は存在しないということを・・・。考えてみれば、顕在意識下の世界で人間の記憶ってどこにあるのかって、それは脳でしょ ということになる。脳は、体の内ですか外ですか?正解は・・・? 内に決まってますよねー。答えは見えた。宇宙図書館も人間の意識の内側の微細領域下に存在します。他者の記憶に入るのにアクセスコードが必要なのは、他の 宇宙=意識体 だからこそであろう。

しかし、他者の放つ外面からの波動領域からある程度の記憶(前世)に入り込む(変換する)ことができる。これ、霊能力!よって、人の前世を観る力と、オーラがわかる力(波動の色的視覚化)はパラレルな能力として顕現される。(どこかの番組?)よって、自分の外側に神(自分の向かうべき覚醒した意識体)を見ようとしても存在せず、自身の内側に全ての進化の方向性が、「元々」備わっている (ただし未開拓の自覚が必要)。

うーむ・・。ありがとうございます。


次元の分かれ目は近い(P)

2008-03-24 20:37:24 | 投稿記事

読者投稿記事です。

このブログの直前の記事に対して、スタンスは好意的ではありますが、その思うところを、別の切り口でスパッと指摘しているようです。

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さて、色即是空の認識と同時に、この次元への感謝が必要であるとの記事の指摘に対して、このロジックの間を埋めるシンクロ的着想を披露させていただきたいと思います。
我々は、極小空間においては素粒子の「観測者」に過ぎぬものであることは、このブログの記事の啓蒙も含めて認識できているわけであるが、では出鱈目で確率論的存在である素粒子の集合体である原子や分子及びその集合体の有機体、原始生命体・・・果ては我々人類に至るまで、何故にこのように秩序だっているのか?何らかの力(意思の力)が働いているということにも、実は「気づき」はじめているように思われる。その秩序を司っている存在を 「神」 とも言うし、実は「我々のこれから向かうべき存在(意識進化を選択した場合の)」とも換言できるのかもしれない。感謝の念を持つというのは、見えないものの働きを感じ、そのフィールド上で観測者として訓練し学習させてもらっていることを文字通り「感謝」し、背後次元(上位次元)の「お働き」を認識しているという意識段階である。カルマの観点からすれば、見えない存在への感謝を捧げることの反転領域として、今後、我々自体が存在の状態を遷移し、素粒子を意思の力で秩序化してこの世の創造に関与し、観測者の内、観測者であり続けることを選択した存在(次元上昇を選択しない魂)や新たに生命次元に参入した存在(推定)に対して、観測体験のフィールドを提供することにより、感謝を捧げられる存在になる「新(神)領域」の存在が考えられる。
極小空間と極大空間が、捻(ねじ)れの中で接続しているとした時に、我々の存在は、漆黒の宇宙に浮かぶ一つ一つの恒星であるとの説がある。先述の変幻自在のホログラム素粒子空間の中で、ポツンと一人観測者でいるとする3次元の人間存在と、漆黒の闇(無明)に一つだけ存在する恒星(光の意識)という状態は、パラレルであると考えても非常に合点が行きやすい。太陽は非常に大きく見えるのに、星々は何故にあんなに小さいのか。また星によって、大きい小さい、光の性質の3次元的解析に基づく遠い近い、昨今では観測技術の向上(=意識の次元上昇局面の顕在化)により、惑星を従えている恒星の存在も確認できている。この恒星の様々なる状態は、一人一人の意識に差異があって、そのホログラムは一様でなく分化していることの表れであるように考えられる。
地球意識とは何か?日本神界的表現を用いるのならば、国常立神 の「現れ」とも言うべきか、60億もの意識生命存在(様々な状態の「本来」恒星意識)を抱えて、その成長を見守り、そのお役目を懸命に果たして頂いてきたように思う。我々の意識から「地球」を見るとそのホログラムの表層は水をたたえた物質的存在であるが、その本当のお姿は、既に人間的存在過程をはるか昔(3次元的時空表現)に終えて、その振動数を惑星地球としての巨大なる存在に姿を変えられた、我々意識存在の超大先輩が姿を変えたもの=大神 と考えるのが妥当であるように思う。
今後、我々の次元も、近々に必ず遷移を迫られるように思うが、その時には「選別」ではなく個々の「選択」があるのみだと推定される。その際、意識の進化次元を選択する場合に重要なことは、一人一人の意識生命体としての現実のホログラムのコントロールの度合いであるように思う。つまり、単なる観測者の立場からホログラムの設計者(神)の意図(意思)を感じ取り、その振動数に漸近させることにより、自然な形(カルマの法則の理解とコントロールなど、真理の法を順守した形)で「思い」の「実現」を図れているか否か(=ホログラムコントロール能力)が自動的に判別されることになるように感じられる(この場合に前世的な「素質」による神秘力の発露の状態如何は関係が薄いと考えられる)。コントロールできているということは、既に創造者(=3次元的表現では神々)と同等の振動数(光のエネルギー及び振動数)を有しているということでスムースに移行することになるように思う。
これらの事柄は、おそらく御嶽の神に近づいたことを遠因として私にインスパイアーされた内容であるように推定され、御嶽神に感謝申し上げる次第であります。
またこのブログ直近の記事及びHana様のシリウス革命の解説に端を発した再度の解析解読(読み直し)も大きく影響しております。両者様に感謝を申し上げます。