今回は<タオ(道)>からのメッセージです。バグワン・シュリ・ラジニーシの言葉をご紹介します。ほんの薄いバリアしかない、<あちら>と「こちら」の認識・実感のちがいが少しわかるかもしれません。 先を行く方々の残したメッセージは味わい深いものです。言葉を通してでも、真実の波動が生じ、空っぽの心の中に反響を与えるものです。
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「荘子 虚空の舟」より
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1つの道は内側に入ってゆく方法だ
この「なんでもない者」を取り除こうとするのでなく
それに目覚めようとすることだ
これこそ荘子が言っていることだ
「空っぽの舟」になるがいい ただ内側に入っていって
自分がなんでもない人間であることに目覚めるがいい
自分が何でもない存在であることに気付く瞬間
あなたは新しい次元に向かって爆発する
なぜなら
人が自分は何でもない人間だと覚醒するときには
その人はまた
自分が<すべて>であることにも目覚めるからだ (虚空の舟・第六話より)
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舟が自分の肉体であり、乗客が「私」であるならば、わたしは「舟」にも乗ることのできる「私」であり、あらゆる景色を観る私でもあり、舟が景色のなかのほんの1つであることを観る私でもあるのでしょう。元々小さな舟は空っぽであるわけです。
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保証とは全て不誠実ゆえにあるものだ
あなた方は保証する、約束する、こんなことを言う
「これがその保証です。必ずやってみせましょう。」
が、あなたがそう保証しているあいだ
その瞬間にすでに不誠実がそこにある
完全な誠意はどんな保証もない
なぜなら完全な誠意とはあまりに目覚めているからだ
多くのものごとに目覚めているからだ
まず、未来は未知だ
どうやって保証などできる?
<生>は瞬間ごとに変化している
どう約束できるね?
どんな保証も、どんな約束もこの瞬間のものでしかない
次の瞬間のためにできることなど何もない (同上第四話より)
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1つ言えるかもしれないことは、今この瞬間には<無限の未知>がある故に、誰かが保証など出来るものではない、ということでしょう。予測された未来などなく、刻々変ってゆくものであり、そうであるが故に、自分の今を瞬間瞬間観ていることが奇跡なのでしょう。
不確定なる世界を刻々瞬間で、確定させ続ける「意識」をもっているのは誰でしょう。例えあなたや私が神なるものになったとしても、それはいつも始まりであって、決して終わりではないということでしょう。