寝ても覚めてもあるのは何だろうか?
毎日あなたと一緒にある、といえば変な話だが、
あなたという存在というか、今ここに「在る」・・というか、
そういう感覚というか、「自らに気付いている」ということ。
それを自意識と言おうか。
あるいは「わたし意識」と言おうか。
人の根本に常にあるのは、その「わたし意識」なのだ。
それがなくて五感の情報も、思考さえも生じない。
わたし・・意識がすべてを感じて、また自らを生じている。
あなたはそれ・神だ、・・という意味だ。
・・
われ在り・・、
別にどうってことなくて、真剣に気づくこともなく、
当たり前のように過ごしてきた、わたし感覚。
人の成長の過程でも、物心つくといわれるような、
小さいころから次第に明確になってきたのが「わたし意識」
わたしは在るという・・自意識、自覚意識である。
そうだろう?
これは、自らに気付いている・・こと、奇跡的なことなのだが、
生来それが在るためにことさら気づけないのだ。
あなたは気づいたか?
神の創造の起源は、自らに気づき、自らが何者か?という
楽しい問いかけを始めたところにある。
もちろん時間も空間も実在しないため、いつ?ということではないが、
宇宙が生まれた瞬間・・というのを言えば、
あなたがここに生まれて、未分化であっても、
その根源意識が生じた瞬間と同じことなのである。
当然ながら、
神はすべてのすべてを愛している、
あるいはすべてが自己、すべてはわたしであると認識しているため、
そこ・ここに、きらきらとして神の息吹が表れている。
当たり前だ・・。
いや、そこここではなく、すべてがそうなのだが、
神の共同創造者としての人の、そのひずんだ思いをも尊重し、
ある人には、神などどこにあるのか?という、
そういう不可思議な逸脱も「許されて」あるのだ。
神が自己を忘れていることも、許されてある・・
この奇跡以外に、どんな奇跡があろう?
無限である自らの姿、形、思い、感動を味わおうと、
この宇宙、あるいはあらゆる宇宙が活きている。
聖書にもある「最初に言葉ありき」・・
言葉とは言の葉、まるで思いで揺れ動く波動
単なる音声という波動ではなく、あらゆるすべてである根源の波動。
そう、創造の主の「われ・・在り・・」から、
ミクロ、マクロ宇宙すべてが生じている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/d7/cc24002626ded0844173968d05e8c4b4.jpg)
それと気づかなければ何も観えない。
見えるから気づくのではなく、気づかなければ見えないのだ。
ここは非常に重要な意識のポイント。
どこかで言われる「霊主体従」とは、
意識の働きが中心で、身体レベルの経験を生じせしめることを言い、
身体レベルの経験がマインドを造るという、
3次元的な物質依存を超えた存在の仕方である。
マインド、思考、感情というより微細な波動域から、
身体・環境というより粗い波動域に写しめることだ。
「その意識」が無ければ、何も現れない、
こういう話、日常でもすでに経験しているはず。
何か違うことに意識が集中している場合、すぐ目の前にもあることに気づけない。
レーダーを発しなければ、対象物のエコーは起きない。
そうではないか?
あらゆるすべての根本にあるのは、意識・それであり、
日常世界の様々な出来事を五感で感じているのも、その意識だ。
世界の様々なことに関する、反応としての思考や感情も、
あなたのその意識の中に浮き上がるものである。
根源の波動に・・波が生じる・・わけだ。
つまり・・創造。
ちょっと科学的に言えば、
意識は根源波動であり、その波動が様々に変調されて、
様々な思考やイメージ、感情が起きているのである。
思考も高次なレベルでの波動なのだ。
人の繰り返される思考やイメージ、それが定着作用として、
人の経験として、さまざまこの世に「現像」されてくる!
人生とは、まるで3次元写真のようではないか、
それを魂・意識で学ぶために、わざわざ荒れた世界に生まれ落ちる、
そういうことに気づけるだろうか。
余計なお世話だが、・・
あなたがここにいるのは、それに気づくためであった。
えーっ?もう十分おなか・・一杯だろうが、(笑)
そういう意味でなんと素晴らしい世界であったことだろう。
あなたがすでに、自らの思考、イメージ、マインドを、
それを子供の動きのように観ることができるならば、
もう、外の世界に振り回されることもなく、
またあなたが体験したいと思うことから、逸脱させる何かも存在しない。
例えば、生も死も相対的なものでしかない、
なぜならば、
生も死も、在ることが故の、存在の相の転換でしかないからである。
あなたもそうやってここに生まれてきたのだ。
あなたの「在る・・」は消えやしない。
なぜなら・・在るは・・根源の波動なのだから。
それに、今・・在るのだから・・。
えー、知らなかった?(笑)
とはいえ、頭の組み合わせ論理では、これは到底理解不能。
だから時間がかかるともいえよう。
在ること、さまざまに「在ること」が、生まれ変わりや転生だ。
毎日寝ては起きることの繰り返しも、それを示しているのである。
意味のないものは何もない。
実際、本当に身近なことが・・最も大切なこと。
どこか遠くの遥かあなたの空遠くには、今・重要なものは何もない。
あなたは今まで、多分・・、自らの在ること、・を差し置いて、
どこかの何か、誰かを追いかけていたのかもしれない。
われ在り・・いや、在ること、Being・・が、宇宙創成の自己存立原理である。
在るのは、時間空間など全く存在しない・・、
いま・・ここ・・、だ。
今・・在る・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/25/7e1ceb831498a3845b14d9808282b553.png)
毎日あなたと一緒にある、といえば変な話だが、
あなたという存在というか、今ここに「在る」・・というか、
そういう感覚というか、「自らに気付いている」ということ。
それを自意識と言おうか。
あるいは「わたし意識」と言おうか。
人の根本に常にあるのは、その「わたし意識」なのだ。
それがなくて五感の情報も、思考さえも生じない。
わたし・・意識がすべてを感じて、また自らを生じている。
あなたはそれ・神だ、・・という意味だ。
・・
われ在り・・、
別にどうってことなくて、真剣に気づくこともなく、
当たり前のように過ごしてきた、わたし感覚。
人の成長の過程でも、物心つくといわれるような、
小さいころから次第に明確になってきたのが「わたし意識」
わたしは在るという・・自意識、自覚意識である。
そうだろう?
これは、自らに気付いている・・こと、奇跡的なことなのだが、
生来それが在るためにことさら気づけないのだ。
あなたは気づいたか?
神の創造の起源は、自らに気づき、自らが何者か?という
楽しい問いかけを始めたところにある。
もちろん時間も空間も実在しないため、いつ?ということではないが、
宇宙が生まれた瞬間・・というのを言えば、
あなたがここに生まれて、未分化であっても、
その根源意識が生じた瞬間と同じことなのである。
当然ながら、
神はすべてのすべてを愛している、
あるいはすべてが自己、すべてはわたしであると認識しているため、
そこ・ここに、きらきらとして神の息吹が表れている。
当たり前だ・・。
いや、そこここではなく、すべてがそうなのだが、
神の共同創造者としての人の、そのひずんだ思いをも尊重し、
ある人には、神などどこにあるのか?という、
そういう不可思議な逸脱も「許されて」あるのだ。
神が自己を忘れていることも、許されてある・・
この奇跡以外に、どんな奇跡があろう?
無限である自らの姿、形、思い、感動を味わおうと、
この宇宙、あるいはあらゆる宇宙が活きている。
聖書にもある「最初に言葉ありき」・・
言葉とは言の葉、まるで思いで揺れ動く波動
単なる音声という波動ではなく、あらゆるすべてである根源の波動。
そう、創造の主の「われ・・在り・・」から、
ミクロ、マクロ宇宙すべてが生じている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/d7/cc24002626ded0844173968d05e8c4b4.jpg)
それと気づかなければ何も観えない。
見えるから気づくのではなく、気づかなければ見えないのだ。
ここは非常に重要な意識のポイント。
どこかで言われる「霊主体従」とは、
意識の働きが中心で、身体レベルの経験を生じせしめることを言い、
身体レベルの経験がマインドを造るという、
3次元的な物質依存を超えた存在の仕方である。
マインド、思考、感情というより微細な波動域から、
身体・環境というより粗い波動域に写しめることだ。
「その意識」が無ければ、何も現れない、
こういう話、日常でもすでに経験しているはず。
何か違うことに意識が集中している場合、すぐ目の前にもあることに気づけない。
レーダーを発しなければ、対象物のエコーは起きない。
そうではないか?
あらゆるすべての根本にあるのは、意識・それであり、
日常世界の様々な出来事を五感で感じているのも、その意識だ。
世界の様々なことに関する、反応としての思考や感情も、
あなたのその意識の中に浮き上がるものである。
根源の波動に・・波が生じる・・わけだ。
つまり・・創造。
ちょっと科学的に言えば、
意識は根源波動であり、その波動が様々に変調されて、
様々な思考やイメージ、感情が起きているのである。
思考も高次なレベルでの波動なのだ。
人の繰り返される思考やイメージ、それが定着作用として、
人の経験として、さまざまこの世に「現像」されてくる!
人生とは、まるで3次元写真のようではないか、
それを魂・意識で学ぶために、わざわざ荒れた世界に生まれ落ちる、
そういうことに気づけるだろうか。
余計なお世話だが、・・
あなたがここにいるのは、それに気づくためであった。
えーっ?もう十分おなか・・一杯だろうが、(笑)
そういう意味でなんと素晴らしい世界であったことだろう。
あなたがすでに、自らの思考、イメージ、マインドを、
それを子供の動きのように観ることができるならば、
もう、外の世界に振り回されることもなく、
またあなたが体験したいと思うことから、逸脱させる何かも存在しない。
例えば、生も死も相対的なものでしかない、
なぜならば、
生も死も、在ることが故の、存在の相の転換でしかないからである。
あなたもそうやってここに生まれてきたのだ。
あなたの「在る・・」は消えやしない。
なぜなら・・在るは・・根源の波動なのだから。
それに、今・・在るのだから・・。
えー、知らなかった?(笑)
とはいえ、頭の組み合わせ論理では、これは到底理解不能。
だから時間がかかるともいえよう。
在ること、さまざまに「在ること」が、生まれ変わりや転生だ。
毎日寝ては起きることの繰り返しも、それを示しているのである。
意味のないものは何もない。
実際、本当に身近なことが・・最も大切なこと。
どこか遠くの遥かあなたの空遠くには、今・重要なものは何もない。
あなたは今まで、多分・・、自らの在ること、・を差し置いて、
どこかの何か、誰かを追いかけていたのかもしれない。
われ在り・・いや、在ること、Being・・が、宇宙創成の自己存立原理である。
在るのは、時間空間など全く存在しない・・、
いま・・ここ・・、だ。
今・・在る・・・。
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