<騎牛帰家>
牧童は牛の背中に乗って、悠々と笛を吹きながら家に帰る。
もうマインドはあちらこちらウロツクこともなく、
家路に向かう道中を援けている。
「自分のこころのままに生きる」、ということが言われるが、
これは誤解しやすい言葉である。
人が、その時々の感情や喜怒哀楽、思いや希望の方向に動くとなれば、
常に・・ころころと変化する「マインド」に翻弄されていることになる。
こころ模様・マインドの状況は、まるで空模様のようなものである。
さらに今は、この地球の気象現象も相当に荒れてきていることも、
すでに知っているだろう。
思考や感情は常に意識内面に湧き出し続けており、
その湧き出す思考やイメージは、
常日頃培った・・こころの鋳型つまり考え方、感じ方の「癖」を
ひな形パターンとして湧き出してくる。
生活における体験、そのエネルギーの「鋳型」を、
自分の「心のパターン」が創っているのだ。
それは自動生起プログラムともいえよう。
プログラムに忠実に、進行・現象化してゆくのは、
何もパソコンやブルドーザや巨大クレーンや、ジェット旅客機だけではない。
自分の意識内面に描かれているプログラム、マインドの刻印
わたし・・の・・全ての原因は「ここ」にある!
マインドで自己創造しているのである。
何か嫌なことが心に溜まり、何日も悩んで憂鬱だったことはないか?
あるいは若いころ、不可思議な恋こころで、胸いっぱいになったことはないか?
そんな時には、世界がどうの、お金がどうの、政治がどうした等、
どうでも良いことではなかったか?
そう、外の世界の出来事は、大勢のマインドの共同創造の・・結果であって、
結果を何とかしようとすることの愚かさに気づかなければならない。
あの人が変わればな~、(・・・きっと自分は楽になる)
社会がよくなればな~、(・・・きっと私は認められる)
皆が悟ってくれればな~(・・・きっと俺たち住みやすくなる)
そういう一見切実な思いは・・まさに、そうでない!ことの宣言である。
例えば、国家の政治家たちが、国民の損になる事ばかり、
それも自信満々、嘯きながらやっているのは、
そうでない!ことを、現象として見せているのかもしれないわけだ。
・・だったら、・・くれれば、・・?
だから、いつもそうでない・・事実、
これに、気づけるだろうか。
だから憂鬱にもなるし、
胃のあたりが重たく、ハートが不安を感じる。
葛藤ばかりを生み出し続けていたこと、
気づけば実に馬鹿馬鹿しいとはこのことである。
嗚呼、それはもうやめようか。
古いパターンをどうした、こうした、少しいじれば良くなるとか、
それはもうやめたほうがいい。
すべての古い価値観を、放下するのだ。
「そうでない」ことの宣言はもう止め!である。
撃ち方止め!・・・だ。(笑)
敵はどこにもいない、葛藤そのものであったのだ。
望んでいないものをバンバン宣言し、
不都合なウソの真実を、気づかず知らず創っていた!
しかしながら、
すべての思いは、単なるマインドでしかない、
また、マインドはどんな幻想をも創り上げるエネルギーの鋳型であるが、
その鋳型を加工して様々に作り上げるのは、牧童である<わたし>・・である。
わたしとは、魂(霊)、マインド、身体の複合体であり、
その本質のわたし、魂(霊)が・・十牛全図で示す牧童と言えよう。
牧童が自己のマインドを観る・・、あるいは内面の面倒を見る、
そういう、内に誠実なプロセスを続けるうちに、
確実にそれに慣れてくることになる。
続ければ絶対に習得してしまうのが人間である、そうではないか?
マインドと格闘するような「胸突き八丁」を越えれば、
つまり古い観念によって生じる「葛藤」が消えてゆけば、
あなたはもう、周りの景色や条件に翻弄されることなく、
気づけば強力なマインド・牛を道ずれに、
ゆったりと笛を吹きながら、
すでに故郷に戻る帰途にあることに気づけるのだ。
やあ・・本当に・・よくここまで来たもんだ・・(笑)