気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

転生の話(18)地球意識の転生

2019-11-25 13:03:04 | 語り部の章
迷信とは、迷った信念・思い込み
人類の歴史においては、実に古くから生まれ変わりの概念があるが、
近代、現代にいたって物質的な分野の科学的分析や法則化が進み、
転生・魂とか、そういうものは迷信だという強い風潮が席巻してきた。

仏教的教えや古くからの言い伝え等がある優れた文化でも、
そういう思想も、いつか現代科学の進展に準じて消滅してきたとも言えよう。
宗教はカルトに堕し、哲学は既に陳腐化してしまった。

●末法の世では、確かに、こころが否定される
いわゆる末法の世とは、仏教が廃れる世の中という事ではなく、
人間の霊性や精神性なるものが、全て物質的なものに置き換えられてしまう世、
ある意味で、ぐちゃぐちゃした、こころ模様を消去するかのような世界、
実にわかりやすく単純ながら、
味気なく、刹那的で、無味乾燥的な状況になってゆくことを意味している。

●こころのゴミを消し去る働き
この末法の世とは、大変な悪がはびこる末の世の中と考えるものだが、
そういう善悪の価値判断だけの話ではなく、
一種の「マインド浄化」、こころのゴミの断捨離に必須なプロセスでもあって、
実のところは・・これは必ず通過すべきものであるため、
古くからあるような予言等が可能なのである。

●崩壊と再生は予言されたこと
旧約・新約聖書、イスラム、仏教経典にある末期の時代を語る記録は、
このタイプの集合意識世界が、どのように進化・変化してゆくかという、
一種の科学的法則からの帰結としての記録であると言えよう。


●カルマの解消・昇華

ぐちゃぐちゃした感情的因縁の絡みあった集合意識内の精神的なゴミ、
幾世代間で絡み合った因果応報の反応の繰り返しの膨大な蓄積物、
あるいは枝葉の繁茂しきった状況からは必然的に腐敗が生じることになり、
当然ながら、あるいは必然的に自壊と崩壊に至ることは火を見るより明らかなのである。

この地球の生体系では、魂の進化に沿って出てきた副産物としての
腐った有機物あるいは調和から逸脱したシステムが飽和した段階では、
当たり前のように、短い時間スパンでの分解と崩壊が必然なのだ。

やや大きくは、
地球という大きな意識生命体におけるカルマの解消時であるとも言えよう。
カルマとは・・無知無明、因縁と悪感情という想念の塊のことであり、
その個々の魂・意識の波動や、それを受け入れ同期している地球という意識波動の、
そのかたまりを解きほぐすことが、アセンションとも言われるものである。

誰もが避けて通れない、カルマの解消と昇華への苦しい過程は、
エゴの作った閉鎖意識からの魂・意識の開放をもたらすことになるのだ。


●今はもう、もうは既に・・

こころすべきは、今がその末法の世、または黙示録の時代、
あるいは予言が成就される時代という事である。

アセンションという概念で言えば、ある人は2020年の冬至までが、
そのゲートの開いている時期である・・とも言っているが、
誰がそんな勝手なこと?・・等とは言っていられまい。

また、なにもおどろおどろしく宗教がかる必要もない。
身構えて、肉体・自己保身に走っても・・まったく意味も効果も無い。
生きるとか死ぬとか、怖いだとか、サバイバルだとか、
そういう我欲の想念形だけでは全く役に立つまい。

●他者の事ではなく、それぞれのわたしのこと
ある意味で、わたしたちの・・意識で・・知覚している世界、
大きなシステム全体の転生の時なのである。

なので、それぞれの人生のこと、生きる死ぬ、のみならず、
その・・わたしとは何か?
自らが何者なのかという、本質的なテーマに取り組まなければならない時期であろう。

大きなお世話だろうか。

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●今ここに多次元層あり
人類の営々と積み上げてしまった歪んだ記憶(想念の束)は、
生活のために必須だった家庭ごみのように、
地球の見えない波動域(層)に捨てられている。
実際は、どこかに捨てるつもりが、自らの時空内に波動となって記憶されているわけだ。

それは何も地球の物理的上空、あるいは静止軌道上の人口衛星のゴミばかりではないし、
各個人の肉体、DNA、頭脳等の局所だけに、個別に記憶されているわけでもない。


●原初の波動はすべての相(層)のベースにある

意識は原初の超微細な波動であるとすれば、
個々人の意識も、集合意識も、惑星意識も、宇宙意識も・・
その原初の波動帯(神・存在)にあるわけであり、
つまるところ、あなたの意識も・・原初・根源意識の中に含まれているわけである。

●人はみな原初の意識を体現している
空(くう)と称される・・空間・・そこらじゅう、あちらにもこちらにも様々なことが記憶されている。
なぜなら、最先端のまともな科学者が知っているように、
空(くう)はすべての波動母体だからだ。
想念も同じことで、人は誰も皆、熟睡中以外、夢の微睡であっても、
意識ある限り何かを考えているはずだ。

精神的なゴミの束は、人々の想いや発言、行為に如実に現れるものであり、
身近なことを含め、昨今の世界情勢をも観察している人ならば、
いまが相当に”来ている”状況だとわかるだろう。

あなたの知覚する身近な環境や社会の出来事の中に、
そして遠くの世界にも、今の時期は特に、そこから逃げにくい事象としても
その精神的なゴミ(カルマ)が噴出していることに気付けることだろう。

●想念は頭脳の中にあるわけではない
精神的なゴミはあるいは低次の想念波は、
電磁波が地球の大気を飛び回っていると同じように、
その時空内を伝搬振動していると考えなければなるまい。

その伝搬波動に同調するのが・・あなたの人体・頭脳・細胞ということだが、
これは妥当と考えられるだろうか?

頭脳が思いを作っていると考えるのは、
神経細胞の電気的信号を観察出来ることからきており、
それに間違いないものの、思考と同時に発生するその副次的に起きる電気信号は、
想念波動層からの受信結果であると考えられるだろう。
頭脳細胞の観察される電気信号は、情報受信の二次的結果として起きることである。

ある想いが、連想(同調)として瞬時に無数に想起されるのだ。

考えること・想念・・そのことである。

つまり、誰かが何かのきっかけでふと、「想う事」は、
その時空内の無数の定在波のうちの、ある想念波に同調していることを示している。

●スマホのでの例え

例えて言えば、スマホで、ぱっぱサラサラと何かを検索するのと似たようなものだ。
スマホは電磁波動帯の波動情報の感受だが、想念の場合も同じようなもの。

あなたの”意識する方向の何か”を 検索するようなものだ。
これは、アラジンの魔法のランプを使っているようなものだが、
ある人は、自分がお金持ちにならない限り、こういう奇跡のパワーに気付くまい。

定在化した意識に、同調して起きてくるのが「想い」であり、
想いが言葉や行為となるならば、
その想いや意識する方向性に・・注意すべきなのは、
まったくもって火を見るより明らかである。

●意識レベルを上げるとは
意識レベルを上げ、より俯瞰した意識的視座から自らを眺めることが重要である。

その意識の在り方を・・ありのままに観る行為、
つまり・・「観自在」を実践することをしない場合、
言い換えれば、
自らの・・意識の働きを観ない場合には、
想いの連関、連環、即座の想念出現の意味にも気づかないし、
その想念に翻弄されて、苦悩多き幻想の中を彷徨う事にもなろう。

あなたもそうだったかもしれないことに気付いているだろうか。

あなたが何かに”意識的に注意を向ける”時、
即座に”意識上”に現れる何かの”想い”は、
同調した波動域からダウンロードした情報であるとも言えるのである。


それを人々は・・考える・・としているのである。
もしそれがすでに経験済み、つまらないと分かっていることならば、
なぜことさら、繰り返しダウンロードするのか?

それが愚かな行為であるというのは、はっきり理解できることだろう。

それぞれのわたしたちは、何を意識するのか?

また、観自在であること、
自らの意識の在り方を、在りのままに観る意識的行為を通じて、
その様々な想いの上に自らを引き上げることが、

今の時期、いや今までも含め、

何を置いても大事なことではないのだろうか?

これでどうなるのか、

それで何が得られるのか?・・・そんな損得のレベルの話ではない。


転生の話(17)記憶のアクセスキー

2019-11-16 08:26:01 | 語り部の章

●転生の記憶

人々の多くは「転生」という言葉を知ってはいるが、ほとんど馴染みがないといっていい。

概念としては知ってはいても、それが自分とどう関係しているのか?

多分、それを突っ込んで探求・調査などしたことがほとんどないだろうということだ。

あなたはどうだろうか?

多分、そのような概念に全く無縁な人はこれを読んではいまい。


●過去生が無ければ来世も無いという考え

前世の記憶があるならば、わたしに転生(生れかわり)があることが理解できるが、

その前世の記憶が無いために、前が無い・・ならば、後も無い・・と、

そう言う風に考えるのは自然なことだと思うものだ。

普通は漠然とながらそういう考えを通過しているはずだ。

その思考のまま、その先を突っ込まないまま、肉体の維持できる間だけ、

忙しく人生を消費するということをやっていたということだ。


そんなもの無いと、みんなそう言っていると勝手に鵜呑みにしているわけだが、

鵜匠に使われる「鵜」は、ただ上に指示されるように魚を飲み込む者の例えだ。

与えられていない、または聞いてない、

わたしの・・今のこの意識には、過去の記憶がない・・、

なので、一切無いということにして、そのまま・・

何もしていないという事である。

それで良いと、人生を通じて思い込んでいるということだ。

皆が信じていることが正しいという考えを吹き込まれ、また、

事実ならば、教えられるはずだと・・そう思い込んでいるふしもある。

しかしながら、この世界は決してそんなお花畑的世界ではない。



●アクセスしないものは出てこない


前世記憶などは・・無いのではなく、

単に・・”アクセス”していない・・ということだ。

アクセスとはこの場合、意識探査とも言える行為だ。


原理原則を言えば、

根源・神・創造者が宇宙すべてを創っているというように、

(魂・)意識が知覚対象世界を投影しているのであって、

知覚対象世界(現象)が、意識を創っているのではないということ
である。

これは深く理解すべきところであって、

これを理解することは、大いなる意識転換であると言えるだろう。


●全ては気付き・意識の対象

単純に”こころが先か物が先か”というのではなく、

唯物論か唯心論かの、永遠のバトルロイヤルでもなく、

物もこころも・・いわゆる次元(波動帯)は違えど、気付き・意識の対象ということだ。


そして、

前世の記憶”情報”というのも、やはり意識の知覚対象に含まれるのである。

他人にトイレの用を済ましてもらうことが出来ないように、

自分でアクセス・知覚しないで、どうもこうもありはしない。

気付くまでは永遠に。


●アセンションは内側から外側へグレンと引っ繰り返ること

余談かも知れないが、

外側世界が変わることがアセンションだという誤解釈?も未だにあるようだが、

(集合)魂・意識の、その(波動)質に応じて、集合世界が展開するということ、

また今は、その一段の意識波動の上昇時期にあるということであるが、

これは妥当と感じられるだろうか。

内側(意識)が、外側(知覚世界)に

グレンと(一機に)

引っ繰り返る(転換)する時期(周期)とも言えよう。

なので量子的飛躍などとも言われる所以である。

量子的飛躍とは、エネルギーの増大して飽和した量子(素粒子)が、

一気にその活動位置を上昇・ジャンプするようなことである。


魂意識の波動(周波数)レベルの高い人は、

それだけ情報アクセス力もあるといえるため、

いま世界の様相がかなり変わってきていることに気づいているはずである。


●科学的実践意識へ

誰もが科学的な姿勢を重んじるというだろうが、そもそも、

科学的姿勢とは、それが事実かどうか試しつつ法則を見いだしてゆく行為である。

そして、

転生の証、前世の記憶、つまり
魂レベルの・・わたし・・の情報に関することは、

そもそも、・・わたしの意識・・の事なので、

わたし(意識)が・・為すことが必須なのである。

また、

それぞれの別のわたし(意識)達が経験して出した結果等を参考にすることも

立派に科学的な姿勢なのである。


意味不明で思わせぶりな、悟った風な謎の人達の言い分を鵜呑みに信じることではないし、

ましてや、意識的、霊的と言われる次元のことなど、

試してもいないどこかの先生が話すこと、単なる権威づけされた言説などには、

どんな真実性も妥当性も無いことに気付かなければならない。



これはよく言われる個人だけの主観的経験の話ではなく、

意識としての・・それぞれのわたし・・の科学的法則の探求なのである。



物質組成が意識を作っているはずだと言っている

頭脳や神経、裁縫組織という肉体機能を研究しているとされる科学者は、

わたし・・意識の直接の経験をせずに、ことを済まそうとしているわけであり、

それこそ単なる”思い込み”なのであるということなのだ。

真実は・・単に理論や推論だけではなく、

直接経験・・今・・生きて在る・・ことに深く気づいてゆく直接経験からくる。

そうではないか?



●今在ることの中にすべては存在する


意識は・・存在・・そのものである。

今・・在ることの中に・・・すべて、そう過去も未来もある。

あなたの転生の記憶も、いまそこに、

すでに人としての形として再現・出現しているといえるのだ。


過去も未来も・・今の瞬間・・の連続であり、

その連続という感覚は・・「記憶」の連続として形を成している。


今の気付いている・・(顕在化した)意識、

肉体的に生まれてからその時までの断片的な記憶は、

その意識表層にあるごく一部の記憶に過ぎない。

要するに、わたしとは単なる肉体であるという信念が、

意識的なアクセス範囲を狭くしているのだ。


わたしとは・・何かという・・真我への持続した問いそのものが、

前世の記憶も含む、その広大無辺な層への”アクセスキー”なのである。


この先、

外の映画の世界(変動する知覚対象世界)に巻き込まれたままか、

それを投影しているその光源(意識)に気づいてゆくか

・・今選択すべき方向性といえば、ただそれだけと言えよう。





転生の話(16)忘我と輪廻

2019-11-12 09:07:20 | 語り部の章

●魂とは存在そのもの

魂というのは「意識」あるいは「存在」という意味でもある。

自意識は・・自分自身だけが”内側から”感じている存在感覚である。

内側?、肉体の中?、そんなはずはあるまい。

そう、内側・・というのが・・意識ともいえよう。


●魂はその存在の光源から投影される世界を伴う


内側から・・すべての世界が投影されるという意味は、

意識によって・・その知覚対象世界が現れているということだ。


観ている映画の世界が・・観客席のわたしではないように、

知覚対象世界そのものが・・・(わたし)意識を創っているのではない。


●ある時空間(世界)に生まれるとは

わたし意識が、とある(知覚対象世界)に参加した・・のが、

その世界に生まれた・・ということだ。


その・・とある知覚対象世界は、

とある一定の集合意識で映し出された世界であり、

魂・意識である”あなた”は・・そこに「興味」を感じたがゆえに、

その世界に・・意識として参加したということだ。

生まれるとは、意識が肉体を伴って出現するということだ。


●無数の集合意識世界への参入と経験

諸世界とは・・宇宙において、とある一定の集合意識の作り出す諸世界のことであり、

あなたはその、とある集合意識世界(今の・この地球世界)に参加・参入したというわけだ。

参加・参入といっても、肉体が・・ではないことは明白だろう。

これは何かのコンサートにチケットを買って参加するのに似ているが、

魂・意識の参加は、その”時空を超えた”ところからの”魂・意識”による参入である。

その参加・参入以降に、自らを忘れたことにより、

元の魂・意識(いわばホーム)への帰還も忘れ、

その時空内で多くの転生が行われる場合がある。

そうやって、気づかぬ間に無意識的に行われる繰り返し転生を輪廻転生という。

理解可能だろうか?


●3次元的世界へと意識がダイブ


いわゆる3次元的と呼ばれる世界、例えば今のこの地球ワールド、

自己が肉体であるという認識レベルの者たちが集い、共同創造されている世界では、

特別な魂・意識のものが意図して降下した場合以外は、

自己忘我という、

トンデモナク破天荒?な設定がされていたということだが、

自らのことをさっぱり忘れるという経過を経ているため、

再び思い出す過程が必要になって、

そのための繰り返し試行過程としての輪廻転生が存在したということでもある。

もちろんそのこと自体、実に得難く不可思議な魂にとっての経験になるものだ。

そう、I AM THAT I AM

それも自己創造であり、自らの探求でもありながら、

死んだら終わりだと・・思い込んでいては、

毎度、死んだら終わり・・で、生まれ変わることになる。

つまり、前世などというものを憶えていない、

あるいは思い出しにくい境遇に生まれるという事にもなるはずだ。


あなたは今、どうだろうか?

いつでも自我のスタート点に引き戻される経験は、いかがだっただろうか?


しかしながら、

今までのこの世界では、そういう状況が大勢を占めていたわけだが、

実のところ、すでにもう大きく変わってきたことにも気づけるだろうか?


例えば ”今だけ”・・降りてきている高次からの情報のうち、

下記のような賢者の子供の語り風のパフォーマンスの中に、

真実の一端を感じ、思い出してゆくだろうか?

あるいは、単なる無知なる子どもの嘘八百だとして捨て去るだろうか?




うわべは子供、中身は魂の賢者の語る生と死







転生の話(15)記憶のアップ・ダウンロード

2019-11-02 09:08:09 | 語り部の章
あなたは「魂」のことを何も知らないと思っているかもしれない。

この世界のほとんどの人にとっては、

今では転生の主体としての「魂」と言う概念さえ迷信、死語になっているかのようだ。

そんな抽象的なことにかかずりあっていては生活も成功もできない・・という

世間全体の物質栄華先行の社会観念プログラムが邪魔をして、

真の自分自身のことの探求が生涯にわたっておろそかにされるため、

自己保身で安全と見える集団の惰性の中で生きて行き、やがては年老いて、

あるいは偶然・ハプニング・事象の異変に巻き込まれてこの世界から去るような、

その生涯を何度も何度も繰り返すことにもなるということだ。


そういう自己自身・魂に関して”無意識”であるがゆえに、

無自覚でこの世の人生を幾度も繰り返すことを「輪廻転生」と言えよう。

クルクル回る無限ループの輪・・輪廻である。


自己自身に関してどんな探求もせず、

他者や世界の事ばかりをいじくりまわして挫折・失望・恨み・後悔を繰り返し、

気付かず知らず、その幾多の生に渡って潜在意識に蓄積された記憶の束、

皆々どこかに感じているはずの真の自己、真我、

本来の自由自在の魂の本質から遥かに疎遠なはずの「歪んだ記憶の束」のことを、

”カルマ”と言っていいだろう。


カルマは主に”歪んだ感情”や、”癖になった想念”によって形になっている。

その感情や思考の記憶は、現在の生における性格や行動様式、

つまり、気付かず知らず・・ついつい出てくる思考様式、

根っこの想念と、その表現形としての「性格」「人格」「個性」として現れている。

そして、その想念に無自覚なまま考え・話し、行為してしまうことで、

様々な不都合・不幸な出来事が起きてくるのだ。


これをパソコンで例えるならば、

パソコンは”プログラムされたとおりに”動いているわけで、

そのプログラムを変えない限り、パソコンの動き・働きは決して変わらないようなものだ。

本体内の見えないプログラムがぐちゃぐちゃ・幼稚であれば、

パソコンの動きや機能もぐちゃぐちゃになって、

多分誰でも・・怒りまくるはずである・・(笑)


プログラムはパソコン本体・機械のなかの、

ほんのごく一部に書かれている小さな容量の膨大な文書であり、

専門家でなければどこをどう探していいか分からないものである。

また、そのパソコン(人でいう肉体)が壊れた・死んだ場合には、

そのプログラムもそのまま捨てられるのではなく、

決して無駄にせずに別の機種に転写され、再現されるだろう。


人の肉体死の後には、魂という膨大なプログラムはアップロード・保存され、

この世で言えば、別の(赤子の)肉体にダウンロードされるということだ。


あなたは幼少期・・自分の意識に気付いたのはいつだったろうか?

親たちが、この世界の生体系の中の仕組みに沿って生殖行為し

結果用意された赤子の肉体に「魂」がダウンロードされ、

それを可能にしている・・それ・・真我こそが、

そこに自己自身を置いた・・自己投入した、その時が、

この世界に再び降り立った時であると言えようか。


無限の意識が個別化しつつ、

本来の無限性に帰還するプロセスが「魂」の進化と言えようか。

その中で、おのれ自身まで忘れて艱難辛苦の末に・・思い出す、

奇跡的な経験が出来る時空としてのこの地球という閉じたフィールドは、

今まさに種から地上へと雄々しく開花する時を迎えている。

嗚呼、これもまた良きかな・・ではないか。

地球もすでに転生時期であるからこそ、今誰でも気づくほどに大きく変化していると言えよう。


あなたはもう気付くべき時、目ざめるべき時が来ていると、

・・そう想えないだろうか?

少なくとも、昨今の明らかな地球の変化に気付けば、

尋常ならざる時に至ったことが、既にわかるはずである。