気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

マインドの話(3)意識はエネルギー

2016-11-26 06:59:39 | 宇宙時代の考え方
思考も波動であるという話をしたが、
「波動」とはすなわち「存在」のこと。

存在・・それは波動・・そう、すべてだ。
様々な事物、現象は、原子、クオークという、元は波動で出来ている。

物質なるものは、ミクロでは「波動」であり、原子・素粒子レベルでは、文字通り、
「波動性と粒子性」を併せ持つが、
マクロな人間世界レベルでは、主に「粒子性、何かの「塊」と観測されているわけだが、
元は・・波動/エネルギーなのである。


なじみの肉体の話でいえば、
あなたも・・突き詰めれば波動・エネルギーに他ならない。
体は重く、そんなに強くも、美しくなく、野暮ったいかもしれないが(笑)、
人は皆、様々な事物、現象も、間違いなく「波動・エネルギー」なのである。

身体は50兆とも言われる細胞で出来ている、
それを創っている分子は・・ナカナカ数えきれない、
原子となると、もう数えるという事自体が・・おバカであり、
クオークとなれば、まったく「無限数」といっていい。

身体が有限の立体面積を持っているから、
クオークの数も有限個だろうと、思うのも愚かなことで、
「そこに、その時」・・それが、有ったかと思うと消えているような、
クオークはまさに確率存在的、神出鬼没な存在であり、
そういう意味で、限られた数、数値など全く意味を成していないのである。

つまり、あなたの肉体、身体さえもが・・無限の表現体なのである。
あなたは無限という・・それの体現者なのである。

嗚呼、本当に・・物質の塊の観念の中で、眠っている場合ではない(笑)


ミクロが合わさって結果がマクロになり、
つまり、ミクロの在り方がマクロに展開されているということは、
ミクロの波動によってマクロの粒子性が決まってくるということだ。
マクロの粒子性・・といえばそういうものは、
我々の見る聞く味わう・・世界のこと。

物理科学者が必死になって原子構造を追求したのは、
学問上の興味のみならず、そこに現象を生み出すパワーを求めたからである。
あらゆるものは結局は「波動エネルギー」に帰せられる。
これが一つの重要な結論である。

実に問題の多い、原子核エネルギー、原発、
「愚の真骨頂」ともいうべき核兵器で爆発するのは、
ガンマ線、ベータ線、アルファ線などと呼ばれる電磁波、
これも「波動エネルギー」である。



あらゆるものが波動に帰せられる・・。
人がそこまでの意識レベルになった時代以降、スピリチュアルな流れが起き、
UFOなどに象徴される宇宙レベルの事象への体験やうわさ、
ESP、人の超常能力に関する情報が増大してきたのも、
まったくの自然の流れなのだ。
さらに上位の波動に気づき始めるステージになったわけだ。
波動を創っている波動・・思考や想念という、
さらに精緻で微細な波動である。

あなたの頭に浮かぶ・・その思いが・・実にそれである。
身近すぎて・・見えていなかったそれ、今の現実・・。
・・・

何度も言うけれども、スプーン曲げもまったくの事実である。
とはいえ、自分は曲げたという嘘を言う人も事実なら、
マジック、トリックで曲げたと演出するのも事実、
へへ・・そんなのまやかしに過ぎないというマスコミも事実だ。

しかしながら、
純粋なこころをもって、
それが曲がるんだと当たり前に思える大人、子供たちが、
それを曲げて見せたのも・・事実である。



思考が信念、通念、当たり前になると、
それがその人の周囲世界に展開するのだ!

物質なる我々のなじんだ事物は波動エネルギー、
そして想い、思考、信念も波動エネルギーでありながら、
自在に設定、加工、組み合わせができる、
さらに上位の「意識・エネルギー」なのである。
あなたの想念は上位次元のエネルギー、・・
それを知っていた?

宇宙とは「宇宙意識」の展開する無限、多次元の世界、
あなたやわたしたちは、その宇宙意識の部分である世界の、
その創造者である。

気づくか気づかないか別として、
今までも、今でもそうだ。

今生き・・在ること・・!・・自体が、
間違うことのない・・自己創造の証拠である。

われ、在り・・!

今・・在ること・・その奇跡の自己創造を、
あなたは目撃をしているのである。

OH MY GOD!!



マインドの話(2)実感創造へ

2016-11-20 07:26:14 | 宇宙時代の考え方
思考は波動である。
波動は伝搬し、情報を運んでいる、ある種の振動エネルギーともいえる。

あなたの頭の中?に浮かぶ映像のようなものや、
人との関わりで出てくる様々な内面の精神的反応、
つまり思いは「波動」として起きているものなのである。

そう、想いという波動も、振動波として伝搬し続けている。

波動の性質に同調、共鳴。共振増幅という働きがあり、
共鳴とは波動と波動の「波長」が合うために共振増大する性質をいう。

超簡単に言えば、
様々な小さな波も、それが重合共振すれば極めて大きな波になるということだ。

思考という精神的な働きは、現在の物理的な観測機器では不可能な、
しかし実際に存在している「波動」であり、
それも、我々がなじんでいる「現実」という波動域より高次の波動なのである。
それを感じて発しているのは、何あろう・・人なのである。

肉眼で見えるものは物質と言われ、そうでないものを非物質と言っているが、
物質と非物質の違いは・・存在している・・存在していない・・の違いではなく、
それ、両者とも間違いなく存在しているものである。

両者はともにエネルギー波動の、振動数の違いでしかないのである。
単に波長の違いともいえる。
まったくそうだ。



この絵は写真であり、肉眼視のイメージだが、
今同じように、例えばミカンのイメージを描いてみようか・・。

慣れた人は、目を開けた状態でも、
頭の中にあるような感覚ではあるが、
その「意識空間」の中に絵柄が自在に描けるものだ。

オレンジ色で、少しへしゃげた形で、上にちょこんとこげ茶色のへたがあり、
ミカン色のすこし凸凹した表面が観えるだろう。
普通人は、それは単に「想像」だというが、実際に観ている。

そう、これは見ているのではなく、観ているのだ。
よく言われる、肉眼で見るのではなく、心の目で見ているということ。

こころの目で常時見ていることが、必ずその傾向をもって、
肉眼で見る事象に進んでいくのである。
こころが現実の事象化を促すということだ。

人生を送るということ、この世で生きるということ、
いわゆる有象無象の含まれる3次元世界で生きるということ、
様々な苦しみや悲しみ、たとえ小さいながらも喜びや感動を味わうということ、

それは、
こころで見ることが、肉眼で見る事象へと、肉体で経験することへと、
まごうことなく変換されている、その宇宙の法則というか、
そういう「現実」を、実に効率よく経験するためのものなのである。

世間的な競争という観念では全くないものの、
ここにいる、今生きている・・あなたは・・、
地球というカテゴリー世界に、・・今・生きているあなたは、

もとは究極のあなた自身である・・
創造の根源、すべてはひとつの魂、親なる神・・の、
英才教育を受けているということだ。

OH、MY  GOD!

とはいうものの、人生では苦労が多い・・等と感じてしまう場合は、
「そんなこと・!いったい誰が頼んだ?]などというかもしれないが・・(笑)

・・・

あなたの頭に浮かぶイメージは、それ?・・存在していないか。
確かに存在しているだろう?

宇宙は、非物質といわれる波動域から、
物質といわれる波動域へと表現形態が広がることで、
無限に展開しているものであり、

その無限に展開することを可能としているのは、
物質系より高次の、つまり物質系の原因となるレベルの波動なのである。

あなたの頭に浮かぶイメージは、それ?・・存在していないか。
確かに存在している。
それがあなたの世界の創造の最重要な因子なのである。

そしてその通りに顕れる元である設計図は、
あなたオリジナルでしかるべきなのだ。
まったくそうではないか?

今までの世界は、その創造の因子であるマインドと、
あなた自身の間に、ものすごいギャップがあったがゆえに、
自らが創造者の子供とは全く気付かず知らず、
世間という、汚れたゴミの多く漂う時空の中を、
苦労にも、右に左に泳いできたわけなのである。

あなたの頭に浮かぶイメージは、それ?・・存在していないか。
確かに存在しているだろう?

そのイメージを・・意図して実感することで、
それが世界という次元スクリーンに展開されている
のである。

思考と感情の名コンビ、思考とその実感こそが、
わたしという・・根本存在の・・その周囲に出現するのである!


マインドの話(1)思考は伝搬する波動

2016-11-14 08:42:50 | 宇宙時代の考え方
観測される宇宙は多次元階層であることが想定されるように、
それを観測、観察する主体たる人間も同じく多次元構造であることが言えるのだ。

人は肉体、マインド、霊(魂)の複合体であって、
それ自体大まかな説明であるが、
つまり人間は「多次元複合体」といえるのである。

通常は目に見えやすい肉体レベル、物質レベルだけを観察しているわけだが、
人類は、今、より高次の目に見えない要素・・マインド・思考に気づく段階に来ている、
マインドによって様々な事物、事象が起きていることに、
心底気づくべき時が来ているということである。



「マインドって、それ何よ?こころでしょ、それなら知ってるよ」なのだが、
こころの働きが物理的時空間を動かす大きな要因であることは知らなかっただろう。

こころは、目に見えない、触れない、味わえない、金にならない・・
何か<頭の中>の抽象的なイメージだぐらいにしか「思って」いなかったのである。
違うだろうか?
社会全体がそういう非物質的な事象に目を向けず、
目先の生活、物資のみを追いかけまわすように仕組まれていた・・というのか、
社会全体がほとんど気付かず、あるいは知らされずに来たというのか、
今になってはそういう風に思えるわけだが、
あなたはどう感じるだろうか。

日常生活で、いつも自分の極限まで身近なところに起きている思考、想い、
その思考、イメージ、想いは、人間の頭の中にあるようなものだと「思って」いるだろう。

思考は実際、頭の中での神経細胞の働きで起きているのではなく、
いわば高次元レベルからの波動を受信しているものだ。

頭脳を構成しているニューロン細胞の電気的発火とされるものは、
いわば「波動同調」による、情報の受信のようなものである。

それとも脳生理学者が、何となくそういう説明をしているように、
<個人>の意志で、脳内で自発的にニューロン発火が起きていると思うのだろうか?
ニュローン発火と電気的情報伝達は観測されるわけだが、
それが脳内オリジナルに生成しているという証拠はない。

万一、そうであれば、スマホやカーナビの画像情報や位置情報が、
スマホの中で、カーナビの中で発生していると、近視眼的に考えていることを意味する。

実のところ、全くそうではない。

スマホもカーナビも、たった1つの機器では何もできるはずもなく、
大きな情報ネットワークシステムで構成されているからこそ、
小さな1つの端末機器が、システム全体の情報を得ることが出来るのである。
「あら、あそこの店の商品安いわね・・」等、なぜ他所の情報が分かるかといえば、
大きなネットワークで外部から情報を受信しているからなのだ。

思考やイメージも、いわばあなたという意識の、その「意識空間」の中に浮かび上がる情報なのであり、それらは当然ながら「波動」なのである。

波動は振動数(周波数)がありその中に様々な「情報」を重畳しているのである。

あなたの「意識空間の中」に浮かび上がるイメージの群れは、
思考であり、かつそれは情報なのである。
精神波動・・という伝搬波動に・・想いという情報が乗っている。

それが思考だ。

誰にも他人の思考を何となく感じ、「えーマジ?あれっ?合ってた!という経験があろう。
なんだかカレーが食べたいな・・とふと、思ったその夜のご飯がカレーだったとか(笑)

・・「何となく、理由なく・・ふと沸き起こる・・」思考の中に、様々な情報があるのだ。
それも、ココでなく他所の、自分でなく他者の思いの情報もあるのである。

あらゆる全てが勝手な妄想、勝手なスタンドアローンの思考などではない、
よく言われる「妄想」は、自己都合の願望という、
個人我に特化したイメージが事前にあるために、
相当な歪(ひずみ)あるいはバイアスが掛かっているということなのだ。

だからこの「何となく、理由なく、ふと・・沸き起こる」思考を注視すべきなのである。


「やっぱそうだったのか?・・偶然かね~・・!という感じだが、
この「偶然ね~・・」で全てがワヤになってしまう。

思考やイメージという、微細な波動としての高次元要素を、無意識的にちょっぴり使いながら、それを物理的観念カテゴリーに勝手にはめ込み、それを確率だとか偶然だとかで済ましてしまう。

そういう世間の観念風潮に巻き込まれていたわけだ。
巻き込まれているのは、肉体レベルではなく、思考、マインドのレベルにおいてだ。

現実有るものが全てであり、未知なるものは価値もないという観念、
知らないものを知るのが怖いという観念、
目先の生存競争、生活の確保、明日の糧を追いかけるばかりが、
推奨される務めであって、それを逸脱するのを忌避するような風潮、

何か未知なるものは、もっと頭が良い、偉い人が行って、
それを民衆に伝えるものだと、・・そう思ってきたのだ・・。

マインド、思考を重要な次元要素として気づいていない、3次元(物理的4次元)レベルの人類社会システム、
そこでは当然ながら、
目に見える事物、計測できる生活物資、安楽な物質環境だけを追求する、
そういう大きな流れがあったわけである。

そういう流れを続けて来て、地球環境の疲弊もある限度を超えてしまい、
精神をおざなりにした、物質科学だけの進化はここでもう十分となった。
そして、この極限まで物質レベルを追求した先の巨大なハードルを超えるものは、

新しい次元を切り開く要素、つまり、こころ、思考、想いなのである。

そして思考とは、宇宙の多次元層、
より根源に近いレベルから物理的な荒い波動レベルまでの波動域から、
あなたがサンプル、抽出、同調して得ているものなのだ。

自分の在り方を注視すれば、それが分かるではないだろうか。

人には・・肉体、そしてマインド、思考、
そしてそれらを生起せしめているところの包含する意識・魂がある、
そして、
マインド・思考を観ているのは・・誰か?

肉体、物体、事象を観察しているのはマインドであり、
そのマインドを観察しているのは、
より高次のわたし・・魂・または意識だ。

そして、それらを包含するのが普遍意識、全包容的意識である。
あらゆる全ては、物質、エネルギー、思考もそこから派生している。

だからあなたの究極の本質は・・それ・・なのである。






次元の話(その3)想いという新次元要素

2016-11-10 06:09:25 | 宇宙時代の考え方
だだっ広い空間の中に、物質があって運動している様子を説明するのが、
物理学でいう3次元(物理的4次元)と言っていい。

かの有名な、すでに古典になった感のあるアインシュタインの「相対性理論」で、
「時間・空間の連続体」という概念が登場した。
時間空間は一体であるという、それまでのニュートン力学体系には無い考え方だった。
時間と空間は一体でありながら、別物として観測されているということ。

えー、どういうこと?・・というわけだが、

特殊相対性理論では、
X^2 +Y^2 +Z^2 +(iCt)^2=0(^2は二乗のこと)
 3次元的距離=光の及ぶ範囲 という等式だ。 
(X,Y,X=空間距離、C=光速、t=時間 i=虚数)
X、Y、Z、t(空間と時間)その関係を数式で表している。

アインシュタインは、さらにこれを進めた一般相対性理論で、
重力を、空間の歪と考えそれをテンソルという量として導入し
宇宙の姿を示すだろうところの「重力方程式」を提示し、
それによって、宇宙とは閉じた4次元時空連続体、
つまり4次元的な「球」のようなものだと提唱したのだ。



つまり、この宇宙は 4次元的「立体球」であるということで、
いわば地球が3次元的に丸いように、
宇宙全体も4次元的に"丸い"ということを示したのだった。



宇宙になかにある、無数の様々な星の「重力」によって宇宙全体も丸くなり、
4次元球を構成しているという話。
地球が平面ではなく「球面」だったように、
一気に無限遠まで巨大になるものの、
その宇宙も重力によって球面になる、ただし4次元的球面だ・・という説明である。




なので、仮に、北極から上へ宇宙をまっすぐ上に突き進むと、
あーら不思議・・下の南極から元に戻ってくるということになる。
まっすぐ向こうに進むと、4次元球体だから「後ろの正面」から戻ってくる?(笑)

さらに物理学上のリサ・ランドール女史でも有名な5次元理論では、
その「宇宙という巨大な4次元球が、さらに無数にあるという話なのである。

4次元の上にあるのが5次元であり、それらを関連付けているのが、
星々に普遍にある「重力」である・・という理論。

確かに4次元宇宙を無数に蔵しているのはその上の5次元となるわけだ。
宇宙そのもは1つの「四次元宇宙球」であり、さらに同じような「宇宙球」が無数にあるという話。

宇宙は単に無限というわけではなく、つまり多次元・階層構造であるという話なのである。
(あー、頭がクラクラしてきた・・笑)
・・
こういう話ならば、人間などゴマ粒以下の塵の小片にもならないが、
いやそれは、人間の肉体容量に比べれば・・という意味だけの話であり、
宇宙全体を吟味し、推定し、観測している人間の意識に関する話ではない。

「われ思う、故にわれあり」で有名な、デカルトや
「純粋理性批判」を著したカントの時代に、
うっかりか、ちゃっかりか、実物でないとして捨てられた?「思推」が、
人間存在として実に重要なファクターであったのである。



・・・
3次元(物理的4次元)レベルでは、世界とは、
光の届く範囲が、つまり目に見える範囲だけが世界だといわれているが、
それを扱うところの、思考、想像、思推という人間の意識活動、つまり想念は、
一気に無限遠まで届いているということなのだ。
(思考は重さも大きさもないし、目には見えないが・・)
思考や想念も「波動」であるからこそ、人の意識に中のイメージとして浮かび上がってくる。
思考や想念という波動があるからこそ、あるいは思推があるからこそ、
3次元世界をも観察(観て察知する)ことが出来ることに気づけるだろうか。

確かにこういう気づきと常識観念に間には、相当なギャップがあるのも事実。

思考がすぐに物に変換されない、すぐに金にならないからと言って、
それが目に見えず、触れないからと言って、
思いや思考、想念自体に全く気付いていないことは、
まるで海の中で必死に水を求めている魚のようなものである。
・・
例えば、
宇宙が多次元だという認識も、それは誰がしているのかといえば、
それは「人間」なのである。

結局のところ、宇宙がそうであろう・・という話、多次元であろう、という認識。
これは・・結局、人の「思考」によって出来ている。

つまり多次元世界というのも「認識」ということなのである。
諸観測の結果、これが多分事実であろう・・という「認識」である。

人間の・・その時の観察によって得られるのが「認識」であって、
要は、「認識」とは・・人の<思考>によって作られた観念なのである。
役に立てば良い、役に立たなければ捨てられている・・マインドの創作物。

確かに法則などは観察結果と合うように作られているものの、
単に、宇宙大自然を観察する人間の「認識」に過ぎないということを忘れてはなるまい。

そこにあるのは、ただ、
宇宙はこうだ、世界はこうだ・・という「認識」なのである。

「えー、何言ってんだ!・・認識、思考というがねエ・・、
実際に宇宙があるではないか・・!事実ではないか・・!」

というかもしれないが、

事実とは、それは我々の五感に映じた1部分のことであって、
決してことの全体像などではありえないし、
さらに、我々の五感に映じる宇宙、その宇宙は・・

「五感」自体が・・・見ているわけでなく、
五感・知覚を通じて・・それをそうだと<誰か>・・いや<何か>が
気づいて・・それを認識しているのだ。

この世界を認識している・・誰か・・何者か・・が問われている。
ここが実に・・・重要なところ。


観察対象、いわば<客体>は・・それを観ている当の<主体>ではない。

つまり、意識ある・・わたしは・観察対象の世界にいるように見えて、
それを超えたポジションにいるという事である。

3次元(物理的4次元)を観察している存在は、当然それを超えた次元にいる。
というか、究極の観察者・・根源を神といえば、神はすべての次元を超えている。

超えている・・というのは、あちらに行っちゃっている(笑)・・のではなく、
ここに在りて、さらにそれを含んでいる、さらに大きな在り方とでもいうか、
真我を究極のわたしとすれば、それは、
私個人を含む、さらに大きなわたしの在り方というべきものだ。

究極まで拡大した自己は、真我と呼ばれる・・わたしであれば、
大きなわたしから小さな私までには、次元という意識の階層があるとも言えるだろう。

人間を、いわば途上の神の子供とするならば、
その神の子とは、多次元という階段を上がり降りして遊んでいる者だと言って良いかもしれない。
友達とじゃんけんして、山道の階段を、上がった下がったりしてで遊んだことはないだろうか?(笑)

例えば、スピリチュアルで普通のように言われている5次元という存在形態は、
宇宙が多次元構造であるということにとどまらず、
ここで説明した物理的な4次元(空間と時間)に、
さらに意識の派生である思考、想念というものを加えた次元ということができるだろう。
時間(it)と空間(xyz)に加え、思考、想念というファクター(?)だ。

そして人間には想念がある。
そう、長い間この世界では気づかなかった、あるいは忘れていたこと、
人は皆「魔法使いの弟子」のようなものなのだ。(笑)

3次元的物理的形態に中にに閉じられていた「意識」が・・自らに気づいたからには、
意識のツール、表現形である想念、想い、思考によって、
時間空間という存在表現形態を変えることができるのである。
(単にスプーン曲げ等もはその1例、無垢な子供たちは実際に曲げちゃっている!笑)

そうであるからこそ、
人は時間・空間にとどまらず、想念をもその観察対象に含める時が来ているのである。

そう、想いとは、自己創造の行く先を決める車輪のようなものであるとも言えるだろう。



次元の話(その2)人=時空観察者

2016-11-03 14:59:57 | 宇宙時代の考え方

例えば、あなたの部屋があり、その中にいろいろな物が存在している。
テーブルあり、TVあり、ペットもいるかもしれない。
町があり、都会があり、車や人間たちが動き回っている。

つまり空間があり、その中に物体が様々あり、動いている。
毎日の経験で、それは当たり前だ・・と思っている。

でもそれは、それを・・観察している者がいるからだ。
観察し・・それを、そうだと知覚し、そう認識している者がいる、
さらに多くの人が、見て、聞いて、味わって、感じているからだ。

そう、あなたが
3次元世界(物理的4次元世界)を「観察」しているからこそなのである。

物質を細かく分割して素粒子まで観察した科学者は、
素粒子の挙動に影響を及ぼす、事象生起に影響を及ぼす仕組み、
「観察者効果」と言われるもの、つまり、現象世界の生成に関与する、
人間の意識というファクターを発見したのも、頷けるではないか。




目の前にある物理的現実・・というのは、現実がデ・デーンとそこにあるのではなく、
その物理的現実というものを、観察し、認識している者がいるからなのである。

つまり、現実とは・・意識的に観察された結果の(1つの)「認識」であるということだ。

したがって、現実とは、どうしようもなくそこにある代物ではなく、
「認識」という意識的な働きによって出来ているということなのだ。

認識とは・・意識で認める・・こと。

意識が元に在る。
物的現実とやらが元に在るのではない。

何事も、どうしようもない物理的現実なのではなく、ひとえに、
それをどのように認識するか・・という事に掛かっている。

目の前にある空間、時間、世界なども事象の1側面であり、
それをどう認識するかに依存しているということだ。

目の前にある空間・時間とは、
あなたとは関係のない、何か、難し気な科学的な問題等ではなく、
つまりその人の日常生活のこと。

3次元世界、物理的4次元世界といっていいこの世界は、
人類の共同創造世界と言われる所以である。

そして創造は・・ドカドカ、ブーンと、ブドーザがやるのではなく(笑)
意識的存在であるところの・・人間の意識・・認識によって青写真が造られ、
なんでも「はい、そのとおり」という、
宇宙全てに充満するエネルギー、人・物・金もそのエネルギーの働きに含まれるが、
そのエネルギーによって形作られ、
それが・・あたかも現実のように「再認識」されるのだ。


そのようにして出来ているこの世界、それを創っている「意識的存在たち」の、
その認識が変われば、世界の在り方も当然変わるのが「当たり前」なのである。

誰しも小学校から幼稚園に行きたいとは思わないように、
より高次と言われる方向への意識的進化によって、
より高度で視野の拡大した世界が現れる、
あるいは、そういう世界に導かれるのが自然の流れなのである。

スピリチュアルでいうアセンションとは、
今がこの世界の・・その時だ・・と言っているのだ。

「おーい!・・え、今かよ?」(笑)

ところで、この3次元(物理的4次元)世界を観察している者は、
例えばあなたもそうだが、
一体何次元の存在なんだろうか?