わたしとは何か?と言った場合、
自分は肉体だという人が多いだろう。
というより、生まれて以来、それ以外に考えたことも無ければ、教わってもいない。
「あなたは肉体である」・・とは、親も先生も近所の人も、誰も言わないけれど、社会・世界全体が・・自分は肉体でしかないので、せめて生きているあいだだけでもその保持をしなければならないと・・そう考えている。
生きるんだ、頑張れ・・それしか言わないため、何が何だか分からないまま、その先に先にと走り続け、
良いものを作るためと言われて、競争に参加し、たまに、あぶない、危ないを連呼され・恐怖を煽られる。
その行き着く先は・・いつもの崩壊だ。
国破れて山河あり・・・
いつも責任者など・・何処にもいないのに、なにか良いことありげな煽りの流れに参加するのである。
「あなたは肉体である」・・とは、親も先生も近所の人も、誰も言わないけれど、社会・世界全体が・・自分は肉体でしかないため、せめて生きているあいだだけでも、その保持をしなければならないと・・そう考えている。
さらに出来るだけ身体が安楽に、出来ればもっと贅沢にと考えている。
そうして地球自体が汚染される状況になっても気づかない。
それは、自分の取りあえずの肉体保持が最優先であるからだ。
気付いていないか?
漠然と染みついた・・肉体自己感覚・・
I AM THAT・・I AM・・をしっかり応用してはいるが、
実に小さく低次元な自己像に同化していることに気付けるだろうか?
自分は肉体である・・従って、それを棄損するようなこと、
弱めるようなこと、肉体死を連想するようなこと、それらに極端な恐怖を抱いてしまうのである。
わたしとは・・死んだら終わりの肉体だーーとされているため、なんだかんだと言っても、死ぬのが怖い・・、その見えない恐れの観念が染みついてしまっているために、それを回避するために、つまり恐怖を回避するために、生きる努力を人一倍しなければならないと、そう思っている
しかしながら・・、マインド・こころの中、隠れた部分になぜ・・そのような「恐怖」があるのか?
なにか変だと気づかないだろうか?
つまり、それは、自分は肉体でしかなく、そうであるがゆえに、肉体が消滅するということは、自分が失われることだとと思うため、・・非常に「恐怖」を感じるのである。
しかしながら・・
なぜ自分が失われることに・・恐怖を感じるのだろうか?
なぜ死が怖いのか・・・、
これはどういう事か?
恐怖とは・・信じがたい、あり得ないこと、あって欲しくないそれも、ネガティブなことに対する感情であると言えよう。
自分が失われる・・実はそれはあり得ないということ、内面深く知っているからなのである。
本質では失われることが無い・・わたし・・であるがゆえに・・、
魂・意識が・・有限の肉体へ完全に”自己同化”してまったことで、
起きてくる強い違和感のような感情がその「恐怖」なのである。
なぜならば、肉体は、時空間世界内での体験のための、一時の現象体なのであるから、永遠に存在するわけはないからだ。
そして・・わたしと・・物質現象体である肉体を同一視してしまっているということだ。
I AM THAT・・・
わたしとは知覚する存在であり、そのどれかの対象物・肉体・環境ではない。
つまり、どんな物でもない・・気付き・・意識としか言えない・それ。
この世界に生まれてからは、人の本質は肉体である・・と刷り込まれ、その観念の中でのみ終始し続ける、つまり信じ込む状況で、
さらに戦争や病気による多くの他者の肉体死、肉体が無くなるという現象を見せられ続けるため、
失う、無くなるという恐怖に立ちすくみ・・またその怖れの中に痺れてしまう・・ことにもなる。
わたし(魂)に付帯する様々な想念・感情はエネルギー・情報として保存され次に持ち越される。
それが輪廻転生であるならば、恐れなどまったく不要どころか、足かせ手かせになることに気付くべきであろう。
恐怖は・・、その意識体の知覚する時空を歪ませ、小さく固め、閉鎖された世界を創る大きな要素の1つにもなるのである。
もうそんなのやめた方が良いではないか。
自分は肉体である・・という無意識的な観念・・、これが、今まで人類の意識の主要な自己認識であった。
「だってそうじゃないか・・」である。
また、ほとんどの場合、ここまで突き詰めて考えることもしないし、なぜ・・そう・・なのか、自分で考え、調べ、探求しようとしなかった。
しかしながら今世界は、恐れの現象化によって、すでに変わってしまいつつある。
わたしとは何か?・・・真剣に問いかけたならば、もちろんすぐに、目に見える効果や物質的メリットや、お褒めの言葉もあるわけもないが、
その人は・・間違いなく・・意識としての自己に”目覚め始めた”ということなのである。
わたしは肉体だ・・という地球人類意識の常識・・それは呪縛でもあるが、恐れがあからさまになる事によって、ようやくそれから目が覚め始めたということである。
目が覚める・・という表現はどういう意味かと言えば、全然気が付かない意識状態から、気付き始めた状態へシフトしてきたということだ。
これを目にしているあなたは、少なくとも気付き始めたと言っても良いだろう。
繰り返しになるが、
眼に見えるもの、聞こえるもの、味わうもの、体感として感じるもの・・・
すべて・・は知覚・対象であり、
その根本に・・気付くこと・・が無ければ物など得ないものだということだ。
それを「意識」と言っている。
物や環境や世界・宇宙が・・単に・・ある・・のではなく、それに気付いているからこそ・・ある・・と観察されているのである。
目の前の環境、世界や宇宙が・・単にある・・のだろうか?
それとも、人はそれに気付いている・・のだろうか?
気付いているからこそ・・そこに在る・・ことがわかるだろうか?
古い社会常識や、世界常識の中に縮こまっているのは、もういい加減にしたほうがいいだろう。
怖い怖いで自分を小さくするのはもうやめた方が良いだろう。
本当に・・よくよく見てみよう、観てみよう、感じてみよう。
普通に、在ること・・を意識して実践するのだ。
お金など関係なあい。
眼に見えるもの、聞こえるもの、味わうもの、体感として感じるもの・・・
すべて・・は知覚・対象であり、根本に・・気付くこと・・が無ければ、知覚は起こり得ないものだということに"気付くこと"だ。
それを「意識」と言っている。
あなたは「肉体」を知っている・・知覚している、その働きを認識している。
そう、あなたは「肉体」そのものではないのである。
それを知る者、知覚する者・・・者と言っても「誰か」・・ではなく、
言うならば「意識」というしかないのである。
意識は・・時空間・世界・肉体・環境を知覚する・・・、
あなたは宇宙までも観ているではないか、そのことを言っているのだ。
そう、「意識」は・・時空間・世界・宇宙を知覚する・・ものである。
知覚するものは、その対象を超えているのだ。
物的・精神的に・・知覚するとは・・想像でもありまた創造である。
それぞれが、自己の知覚世界の光源・・創造者である。
肉体人間とは、
その創造者が、それに・・その中に・・制限して、成りきって、
成り切り過ぎて・・自己が知覚世界の創造者であることを忘れた存在形である。
そのままだと無限に時空間が過ぎることにもなるが、有り難いことに・・多次元宇宙には、
ホテルのようにモーニングコールが用意されているようで、地球という時空間に今、強烈な目覚まし音が鳴り始めた。
忘れたことを・・自ら・・思い出し始める・・ことが「目覚め」である。
そして、そのトリガーとなり得る 「恐怖」が・・世界に現象化していることに気付けるだろうか。
恐怖は・・怖い怖いのままにいるべきだということではなく、それが何なのか・・気付くための出来事であって、
すでに・・人類規模で、魂レベルの試験を実施中ということだとも言えるだろう。
自分は肉体だという人が多いだろう。
というより、生まれて以来、それ以外に考えたことも無ければ、教わってもいない。
「あなたは肉体である」・・とは、親も先生も近所の人も、誰も言わないけれど、社会・世界全体が・・自分は肉体でしかないので、せめて生きているあいだだけでもその保持をしなければならないと・・そう考えている。
生きるんだ、頑張れ・・それしか言わないため、何が何だか分からないまま、その先に先にと走り続け、
良いものを作るためと言われて、競争に参加し、たまに、あぶない、危ないを連呼され・恐怖を煽られる。
その行き着く先は・・いつもの崩壊だ。
国破れて山河あり・・・
いつも責任者など・・何処にもいないのに、なにか良いことありげな煽りの流れに参加するのである。
「あなたは肉体である」・・とは、親も先生も近所の人も、誰も言わないけれど、社会・世界全体が・・自分は肉体でしかないため、せめて生きているあいだだけでも、その保持をしなければならないと・・そう考えている。
さらに出来るだけ身体が安楽に、出来ればもっと贅沢にと考えている。
そうして地球自体が汚染される状況になっても気づかない。
それは、自分の取りあえずの肉体保持が最優先であるからだ。
気付いていないか?
漠然と染みついた・・肉体自己感覚・・
I AM THAT・・I AM・・をしっかり応用してはいるが、
実に小さく低次元な自己像に同化していることに気付けるだろうか?
自分は肉体である・・従って、それを棄損するようなこと、
弱めるようなこと、肉体死を連想するようなこと、それらに極端な恐怖を抱いてしまうのである。
わたしとは・・死んだら終わりの肉体だーーとされているため、なんだかんだと言っても、死ぬのが怖い・・、その見えない恐れの観念が染みついてしまっているために、それを回避するために、つまり恐怖を回避するために、生きる努力を人一倍しなければならないと、そう思っている
しかしながら・・、マインド・こころの中、隠れた部分になぜ・・そのような「恐怖」があるのか?
なにか変だと気づかないだろうか?
つまり、それは、自分は肉体でしかなく、そうであるがゆえに、肉体が消滅するということは、自分が失われることだとと思うため、・・非常に「恐怖」を感じるのである。
しかしながら・・
なぜ自分が失われることに・・恐怖を感じるのだろうか?
なぜ死が怖いのか・・・、
これはどういう事か?
恐怖とは・・信じがたい、あり得ないこと、あって欲しくないそれも、ネガティブなことに対する感情であると言えよう。
自分が失われる・・実はそれはあり得ないということ、内面深く知っているからなのである。
本質では失われることが無い・・わたし・・であるがゆえに・・、
魂・意識が・・有限の肉体へ完全に”自己同化”してまったことで、
起きてくる強い違和感のような感情がその「恐怖」なのである。
なぜならば、肉体は、時空間世界内での体験のための、一時の現象体なのであるから、永遠に存在するわけはないからだ。
そして・・わたしと・・物質現象体である肉体を同一視してしまっているということだ。
I AM THAT・・・
わたしとは知覚する存在であり、そのどれかの対象物・肉体・環境ではない。
つまり、どんな物でもない・・気付き・・意識としか言えない・それ。
この世界に生まれてからは、人の本質は肉体である・・と刷り込まれ、その観念の中でのみ終始し続ける、つまり信じ込む状況で、
さらに戦争や病気による多くの他者の肉体死、肉体が無くなるという現象を見せられ続けるため、
失う、無くなるという恐怖に立ちすくみ・・またその怖れの中に痺れてしまう・・ことにもなる。
わたし(魂)に付帯する様々な想念・感情はエネルギー・情報として保存され次に持ち越される。
それが輪廻転生であるならば、恐れなどまったく不要どころか、足かせ手かせになることに気付くべきであろう。
恐怖は・・、その意識体の知覚する時空を歪ませ、小さく固め、閉鎖された世界を創る大きな要素の1つにもなるのである。
もうそんなのやめた方が良いではないか。
自分は肉体である・・という無意識的な観念・・、これが、今まで人類の意識の主要な自己認識であった。
「だってそうじゃないか・・」である。
また、ほとんどの場合、ここまで突き詰めて考えることもしないし、なぜ・・そう・・なのか、自分で考え、調べ、探求しようとしなかった。
しかしながら今世界は、恐れの現象化によって、すでに変わってしまいつつある。
わたしとは何か?・・・真剣に問いかけたならば、もちろんすぐに、目に見える効果や物質的メリットや、お褒めの言葉もあるわけもないが、
その人は・・間違いなく・・意識としての自己に”目覚め始めた”ということなのである。
わたしは肉体だ・・という地球人類意識の常識・・それは呪縛でもあるが、恐れがあからさまになる事によって、ようやくそれから目が覚め始めたということである。
目が覚める・・という表現はどういう意味かと言えば、全然気が付かない意識状態から、気付き始めた状態へシフトしてきたということだ。
これを目にしているあなたは、少なくとも気付き始めたと言っても良いだろう。
繰り返しになるが、
眼に見えるもの、聞こえるもの、味わうもの、体感として感じるもの・・・
すべて・・は知覚・対象であり、
その根本に・・気付くこと・・が無ければ物など得ないものだということだ。
それを「意識」と言っている。
物や環境や世界・宇宙が・・単に・・ある・・のではなく、それに気付いているからこそ・・ある・・と観察されているのである。
目の前の環境、世界や宇宙が・・単にある・・のだろうか?
それとも、人はそれに気付いている・・のだろうか?
気付いているからこそ・・そこに在る・・ことがわかるだろうか?
古い社会常識や、世界常識の中に縮こまっているのは、もういい加減にしたほうがいいだろう。
怖い怖いで自分を小さくするのはもうやめた方が良いだろう。
本当に・・よくよく見てみよう、観てみよう、感じてみよう。
普通に、在ること・・を意識して実践するのだ。
お金など関係なあい。
眼に見えるもの、聞こえるもの、味わうもの、体感として感じるもの・・・
すべて・・は知覚・対象であり、根本に・・気付くこと・・が無ければ、知覚は起こり得ないものだということに"気付くこと"だ。
それを「意識」と言っている。
あなたは「肉体」を知っている・・知覚している、その働きを認識している。
そう、あなたは「肉体」そのものではないのである。
それを知る者、知覚する者・・・者と言っても「誰か」・・ではなく、
言うならば「意識」というしかないのである。
意識は・・時空間・世界・肉体・環境を知覚する・・・、
あなたは宇宙までも観ているではないか、そのことを言っているのだ。
そう、「意識」は・・時空間・世界・宇宙を知覚する・・ものである。
知覚するものは、その対象を超えているのだ。
物的・精神的に・・知覚するとは・・想像でもありまた創造である。
それぞれが、自己の知覚世界の光源・・創造者である。
肉体人間とは、
その創造者が、それに・・その中に・・制限して、成りきって、
成り切り過ぎて・・自己が知覚世界の創造者であることを忘れた存在形である。
そのままだと無限に時空間が過ぎることにもなるが、有り難いことに・・多次元宇宙には、
ホテルのようにモーニングコールが用意されているようで、地球という時空間に今、強烈な目覚まし音が鳴り始めた。
忘れたことを・・自ら・・思い出し始める・・ことが「目覚め」である。
そして、そのトリガーとなり得る 「恐怖」が・・世界に現象化していることに気付けるだろうか。
恐怖は・・怖い怖いのままにいるべきだということではなく、それが何なのか・・気付くための出来事であって、
すでに・・人類規模で、魂レベルの試験を実施中ということだとも言えるだろう。