気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識的に生活する奇跡

2007-08-10 07:23:45 | 心の科学分野

私たちはほぼ同じサイクルで毎日を送っていますね。土日等の休みもありますが、毎日ほぼ同じことをしています。あー今日も仕事か・・学校いやだな・・なんて思うときもありますが、毎日ふんぎりつけて立派に行動しています。

ただ無意識に習慣的に行っていることが多いものです。

実は毎日の一見繰り返しに見える生活は、トンでもなく奇跡的なことの連続なのです。その証拠を挙げてみましょう。ただし、「気付く」という感覚でものを見ることで。

○今日も太陽が出ている。太陽は全てのエネルギーのもと。有り難い・・。

○駅までの道のりで今日は新しい人とすれ違った。

○勇気を出して近所のおばさんに「おはようございます」と小声で言ったら、ちょっとびっくりしたようだが、おはようございますと返事された。ちょっとワクワク。

○線路の周りに黄色い花が咲いている。何の花だろう。そうだ今,季節は夏だ。  

たとえばこのような何の変哲も無い気付きを行っているのです。常に新しいなにかにいつでも出会える。毎日繰り返される同じような生活の中にこそ、その気になればどんな新しい感覚も発見出来るものです。

もし、何かに悩んでいてその考えばかりに集中していると、周りは全く見えない、感じない状態になりますね。心がたった1つの思い・想念に占拠されているために閉じこもっているともいえます。

これに対しても、「はっ」と気づいて意識を全方位的な状態、リラックスした状態に戻す経験もあることでしょう。「まあ悩んでもしょうがない・・そのとき対処すればいいや」と思い、気楽になることもあるでしょう。荷物は降ろしていいのです。自由に。

そんな当たり前の心の働きに、時々気づいていますか。当たり前のこと・常識・の中に新しい感覚をもたらすことが、気づく・ということです。

これは「覚醒」=「めざめている」=「無意識でない」状態といえます。悟りを得たといわれる人たちは、この道の先を歩いている人、いつも新しい喜びを感じられる人かも知れません。


常識・五感というぬるま湯

2007-08-09 13:57:20 | 心の科学分野

 世の中の常識を鵜呑みにして、疑うことが無いならば、何も新しいことは出てきません。科学や技術はその常識を壊して乗り越えながら構築されてきました。たとえば我々が教わった常識は、将来は常識でなくなるからこそ進歩があるとも言えます。

人間の心は探求に値しないでしょうか?物理量で表すもののみが真実でしょうか?意識は目に見ない分野ですが、目に見えなければ価値がないのでしょうか?ヘレン・ケラーは目も耳も聞こえませんでした。実際に存在していた彼女は、我々五感の備わった一般人に、何を示したのでしょうか?

直接には目に見えない・触れないだけで無価値であるという感覚は、どこかまちがっていないか?常識や五感という誰にもわかり易い世界は、楽ですが、逆についつい習慣になって眠ってしまいがちです。

あなたは気付かないですか?我々の身近な皮膚よりも近い「意識」「心」という無限の可能性を。

何かに気付くという行為は、常識の世界を常にフレッシュにしていく行為です。気がつかなければ、精神的に何も変わらないか、あるようでないような常識をただ拝借し続けることになります。

このような感覚を持つこと自体が1つの気づき:意識変化:小さいけれど意識進化といってもいいと思います。


人=意識的存在

2007-08-09 10:12:04 | 心の科学分野

 何かに気がつくことは、創造と同じです。自分の認識の世界に新しいものが増えることです。そこにあっても気付かないならば、自分にとって無いに等しい。もちろん心の中の空間に新しくなにかが加わる・という意味です。

・息を1分間止めてた後、ブハツと息した瞬間、空気がありがたいのが判るでしょうか?

・親友と喧嘩したあと、やっぱ自分が謝るべきかな・と思ったことは?

・いつも注意してくる仕事の上司に、彼もやっぱり人間なのだな・と感じたことは?

・長い雨のあと出てきた太陽のまぶしさにちょっと気がついたことは?

・私はなぜ生きているのだろうか・・などと思ったことは?

これらは無数にありますが、気がつく事に「気がつかない」だけです。

「気づく」という行為は、何に関しても「意識的になる」こと ・と言い換えてもいいでしょう。無意識に人任せで、なんとなく時間に流される毎日の中での、「わたし」の目覚めともいえます。人が言うからでなく自分はどうなのかという感覚です。

嫌な夢を見ていて、ハッと目覚めたときのあの感覚です。自分がちゃんとここにいるではないか・良かった!という感覚に近いものでもあります。

実はこの「気づき」という行為の延長線上に、いわゆる「悟り」というオアシスがありそうです。


現在の地球に関して気付くこと

2007-08-09 07:36:42 | 色々な気付き

 Nature1013 現在地球上の多くの人々が、異常気象・地球温暖化・・などを知っています。これらは地球に対する気付きが広がったことを表します。地球温暖化はある原因によって起きている1つの現象側面です。日本のメディアには平和ボケがまだ残っているせいか、報道が少ないですが、現在地球規模で、毎日のように、数十年に1度の異常気象・地震・洪水・旱魃等が起きているようです。

ようやく人類集合意識でも、地球の異変・変容に気付き始めた段階です。「なーに一時的なものさ・・」という感じから「えーっ、何か変では?・・」・・という感触・感覚になってきたようです。あなたはどう感じますか?

海外のニュースやインターネット状で、問題意識を持った各サイトの記事が大変重要な情報ソースです。各サイトのセンセーショナルなアピールを差し引いて、控えめに見ても相当な地球規模の変容がスタートしていると思われます。


気付きは直感的なアプローチ

2007-08-08 13:39:37 | 心の科学分野

「気付き」は本来意識的な作用です。物質的な量で測定できないものです。

何かのテーマに対する、発想・アイデア・思い付き等は、人間の行える高度な「気付き」です。注目・警戒等は「気付き」の前段階の基礎条件の作用に相当します。

<拡大解釈>

注目・警戒等の作用は、動植物全般に備わっています。植物にも意識作用があるのは、バクスター効果等で非公式ではありますが知られています。外界に対しての反応がポリグラフなどで測定されています。

鉱物にも意識作用があるのでしょうか、鉱物に関しては、現在の科学ではよくわかっていないのが実情ですが、鉱物によって差異はあるものの、磁化や結晶化、電磁波放射はその一端ではないでしょうか。人間の意識・というイメージから離れていても、外界からの反応や記憶・放射等による外界への働きかけがあるのは事実であり、これらは広義な意味での意識作用と言えなくもありません。より物質的レベルでの意識作用ではありますが。

こう見ると、全てのものが何らかの意識的な作用を行っており、その中でも人間の行える高度のものを「気付き」といっていいでしょう。思考・想像・嫌悪・好感・その他の精神作用のうち、今までにない新しいものを「気付き」と言っていいでしょう。

例えて言えば、

○嫌い嫌いだと思っていた相手がいたとして、「あれっ?!、こうまで嫌なやつだと気にしているのは、何か理由があるのだろうか?」等というような、今までにない思いを持ったりするのは、「気付き」の1種でしょう。

○この数学の解答は解るのだが、きっと他にも解答方法があるのではないか?などというのもそうでしょう。

○あの人は悪い人だと皆言っているが、本当にそうなんだろうか?

○天気予報は明日は雨だが、なぜかどうしても晴れる感じがする・・。

「気付き」は新しい真実や事実の側面に、直感的にアプローチする行為でもあるといえます。直感的に・というのが重要な要素です。解答が得られない場合でも、疑問や警戒というのはそのアプローチを表します。なにか気になることに、気楽にちょっと注意を向けることから始まります。