われわれが存在すると思っている「時間」は存在しなかった。
時間とは様々な現象変化の進捗度の違いを表わす”概念”であり、
時間というそれ単体、何かの実体は存在しないという意味である。
時と時の間・・・「時間」は・・有る様に見えて実在しないのである。
それも簡単に言えば・・空(くう)である。
それでは、何があるのかということになるし、毎日毎日あるこの生活、時間?とともに瞬間瞬間我々が存在する時間感覚は・・一体なんだろうか?
ある人にとっては、こう言えば直感的に理解可能だろうか。
あるのは・・今・・だけ、今・・この瞬間だけ・・だ。
そう・・あるのは<今>というこの時・・だけであり、その連続が時間という感覚を生み出しているということだ。
瞬間・瞬間の余韻、あるいは記憶の連鎖が、連続した時間感覚を生み出している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/b8/48e7bc1d100123a5ef52424b7e249530.jpg)
これは比喩としての2次元画像の映画フィルムでも理解可能だろう。
今ここ・・に展開するのは一瞬の一コマ(空間にある形)であり、
その一瞬一瞬が連続・運動しているからこそ、
時の流れとしての時間あるいは歴史が生み出される。
それもこれも、
その一連の関連づける記憶や認識、つまり意識の働きがあるからこそ、
この世界やあの宇宙の展開が起きているのである。
その「今」という・・一瞬、一瞬を・・生み出してるのは・・・神か?創造主なのか?・・・
いま・・在る・・こと・・いわば・・Being なのである。
それは・・意識・・それぞれの I AM・・だ。
それぞれ・・・あなたのことだ!
一瞬一瞬が・・いわば・・ビッグバンなのである。
”過去”のいつか・・ビッグバンが1度だけ、あるいは何度か起きた・・?わけではない。
「あるのは・・今・・、今・・この瞬間・・」
しかしながら、技術的に云えば、その記憶・情報さえあれば、
いまこの瞬間に・・”過去のこと”が再現できるのも確かである。
たとえば自分の無数の過去生の記憶、あるいは地球の昔、太古の記憶なども、
<今>に・・情報として畳み込まれているため、その技術的解析が出来るならば、
過去も・・<今>・・・再現が可能であるということである。
しかしながら、それは過去に還る・・ことではなく、過去を観察・認識できるということだ。
それは過去のいつかに・・再現することは出来ず、常に・・今・・なのである。
さらに未来も・・今この瞬間に無数の展開可能性として畳み込まれており、
今・・その未来を・・再現、この場合は予見という表現となるが、
それも可能であるということになる・・。
但し・・未来とは・・想定する・・その時の・・今・・であるため、
今この瞬間・・の言わば実在する・・今とはプロセス上の大きな誤差があるだろう。
もう一度言えば、
今の生存、生活、出来事とは何か?
今ここ・・に展開するのは一瞬の一コマ(空間にある形)であり、
その一瞬一瞬が連続・運動しているからこそ、
時の流れとしての時間あるいは歴史が生み出されるが、
それもこれも、
その一連の関連づける記憶や認識、つまり”意識”の働きがあるからこそ、
この世界やあの宇宙の展開が起きているのである。
・・・
意識が全ての根源であるということ、
この、今まで隠されて来た根本的な真実に気付かなければならない。
しかしながら誤解してはならないだろう。
時間とは存在しないものだということを忘れてはならないはずだ、
今というこの時が・・限られたこの時間・空間が、
たまたま・・意識を創っているのではなく、
そうではなく、
意識が・・無限の今・・無数に展開する・・「今」と同時に、
その時空・世界・宇宙の展開を映し出しているのだ。
意識の働き、認識、観察が無くて、時間や空間、つまり世界・宇宙が独自にあることはない。
本当に理解可能だろうか?
すくなくとも思い巡らせることが出来るだろうか?
この今・・一瞬に絶対的に・・存在するのは何か?・・・
部屋の様々な機材の様子ではない、
町を行き交う無数の人々の姿ではない、
移り変わる世界の広大な風景ではない、
宇宙の無数の星々の輝きでもない、
それを観察・知覚している・・もと・・・意識・・
今・・在る・・
・・真のわたし以外にない!
時間とは様々な現象変化の進捗度の違いを表わす”概念”であり、
時間というそれ単体、何かの実体は存在しないという意味である。
時と時の間・・・「時間」は・・有る様に見えて実在しないのである。
それも簡単に言えば・・空(くう)である。
それでは、何があるのかということになるし、毎日毎日あるこの生活、時間?とともに瞬間瞬間我々が存在する時間感覚は・・一体なんだろうか?
ある人にとっては、こう言えば直感的に理解可能だろうか。
あるのは・・今・・だけ、今・・この瞬間だけ・・だ。
そう・・あるのは<今>というこの時・・だけであり、その連続が時間という感覚を生み出しているということだ。
瞬間・瞬間の余韻、あるいは記憶の連鎖が、連続した時間感覚を生み出している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/b8/48e7bc1d100123a5ef52424b7e249530.jpg)
これは比喩としての2次元画像の映画フィルムでも理解可能だろう。
今ここ・・に展開するのは一瞬の一コマ(空間にある形)であり、
その一瞬一瞬が連続・運動しているからこそ、
時の流れとしての時間あるいは歴史が生み出される。
それもこれも、
その一連の関連づける記憶や認識、つまり意識の働きがあるからこそ、
この世界やあの宇宙の展開が起きているのである。
その「今」という・・一瞬、一瞬を・・生み出してるのは・・・神か?創造主なのか?・・・
いま・・在る・・こと・・いわば・・Being なのである。
それは・・意識・・それぞれの I AM・・だ。
それぞれ・・・あなたのことだ!
一瞬一瞬が・・いわば・・ビッグバンなのである。
”過去”のいつか・・ビッグバンが1度だけ、あるいは何度か起きた・・?わけではない。
「あるのは・・今・・、今・・この瞬間・・」
しかしながら、技術的に云えば、その記憶・情報さえあれば、
いまこの瞬間に・・”過去のこと”が再現できるのも確かである。
たとえば自分の無数の過去生の記憶、あるいは地球の昔、太古の記憶なども、
<今>に・・情報として畳み込まれているため、その技術的解析が出来るならば、
過去も・・<今>・・・再現が可能であるということである。
しかしながら、それは過去に還る・・ことではなく、過去を観察・認識できるということだ。
それは過去のいつかに・・再現することは出来ず、常に・・今・・なのである。
さらに未来も・・今この瞬間に無数の展開可能性として畳み込まれており、
今・・その未来を・・再現、この場合は予見という表現となるが、
それも可能であるということになる・・。
但し・・未来とは・・想定する・・その時の・・今・・であるため、
今この瞬間・・の言わば実在する・・今とはプロセス上の大きな誤差があるだろう。
もう一度言えば、
今の生存、生活、出来事とは何か?
今ここ・・に展開するのは一瞬の一コマ(空間にある形)であり、
その一瞬一瞬が連続・運動しているからこそ、
時の流れとしての時間あるいは歴史が生み出されるが、
それもこれも、
その一連の関連づける記憶や認識、つまり”意識”の働きがあるからこそ、
この世界やあの宇宙の展開が起きているのである。
・・・
意識が全ての根源であるということ、
この、今まで隠されて来た根本的な真実に気付かなければならない。
しかしながら誤解してはならないだろう。
時間とは存在しないものだということを忘れてはならないはずだ、
今というこの時が・・限られたこの時間・空間が、
たまたま・・意識を創っているのではなく、
そうではなく、
意識が・・無限の今・・無数に展開する・・「今」と同時に、
その時空・世界・宇宙の展開を映し出しているのだ。
意識の働き、認識、観察が無くて、時間や空間、つまり世界・宇宙が独自にあることはない。
本当に理解可能だろうか?
すくなくとも思い巡らせることが出来るだろうか?
この今・・一瞬に絶対的に・・存在するのは何か?・・・
部屋の様々な機材の様子ではない、
町を行き交う無数の人々の姿ではない、
移り変わる世界の広大な風景ではない、
宇宙の無数の星々の輝きでもない、
それを観察・知覚している・・もと・・・意識・・
今・・在る・・
・・真のわたし以外にない!