気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

(41)意識は光源、世界は投影

2020-10-19 11:15:48 | 意識の科学

何度も言うが、最も基本的なことなので、何を言っているのかわからないかもしれない。

ーーーー

わたしが生まれる前に・・しっかり世界や宇宙はあった。

あなたはそう言うはずだ。

わたしは確かに赤ん坊で生まれてから、その後で、

この世界に気づいたことはわかる。

でも、その前にこの世界は絶対あったのだと・・そう思っている。

 

なぜならば、

親や社会や世界の人々の、歴史や記憶や記録があるからだ。

世界があったから、その膨大な記録があるということ。

これは絶対にその通りだと・・思っている。

 

思うって?あんた・・・いい加減にしなさいよ、・・世界はあったんだから。

そういう声が聞こえそうだが・・。

ーーー

しかしながら、よくよく考えてみると・・・、

その記憶・記録・歴史、伝承、親や周囲の人の昔話、経験談話も、

・・・あなたが・・見聞きして来たことである。

 

もし、あなたに・・”意識” 気づくということ” がなければ・・

一体全体・・あなたにとって・・この世界や宇宙のことを知り得るだろうか?

 

何の話をしているのか・・ついて来れている?

 

人は何百年、何千年という月日を生きてきたわけではない。

あなたが生まれる前に、ほかの大勢の人がいた、膨大な歴史があったというのは・・あなたが生まれて来た後で・・見て聴いてわかったことなのだ。

全ての記録・歴史は、羊皮紙だろうと口伝だろうと電子文書だろうと、あくまでも人々の伝承・記録・情報なのである。

言い換えれば、

その歴史・伝承・記録が正しいとか事実だとか嘘が多いとか、主観的だとか客観的だとか言うけれども、それらはすべて人の見聞きした・知覚したこと、関連する思いの記録なのである。

その伝承・記憶を・・・あなたが今・・アクセスしているということだ。

皆よく知っているように、アクセスしなければ、ファイルもDVD映画さえも観ることはできない。

今、アクセスしている・・意識的に気づいている・・である。

 

過去はあったかどうかわからないが、今、その記憶があることに気づいている。

別に多くの人の言い分、記憶、記録を疑うわけではないが、

今・・気づいているからこそ・・その過去の記憶、歴史も知覚することができる。

 

・・

同じく、

「事物」がそこにあったかどうか、

「事物」を ”知覚”するまで・・決してわからない。

 

人にとって、

知覚とは・・五感であろうと六感であろうと、「気づく」ことである。

意識する・・気付くことなく・・「事物」は存在し得ないのである。

 

これを言い換えれば、

意識があるからこそ「事物」があるということだ。

事物が勝手にそこにある・・なんてことは無い。

誰が・・そこにあると・・気づいているのか?

 

「事物」とは、ものごと・環境・物質・出来事・・世界、宇宙である。

事物は・近くにある物や環境、出来事ばかりではなく、

いかに小さかろうと、膨大であろうと、複雑であろうと、

自然環境や世界であろうと、宇宙であろうと同じことなのである。

 

あなたという意識が・・それに気づかなければ・・

 

それは、あなたにとって存在しないのである。

そして、

自然環境、肉体、頭脳も・・・、知覚される事物・物質形態に相違ない。

これにひきかえ、

意識は・・働きであって・・身体や頭脳の中のどこか?・・ではない。

また・・働きは・・機能・動き・エネルギーの意味がある。

エネルギーはまた波動でもあり、エネルギーは様々な物質にもなるものだ。

 

意識は・・科学的にかつ直感的にわかりやすく言えば、

マインド・物質・素粒子よりもさらに細かい超微細・精妙な「波動」である。

また、

意識は・・光源(根源波動)であり・・世界はその投影(波動諸現象)である。

したがって、すべての対象物やそれらの記憶も、意識の投影物ということである。

ーーーー

最も身近なことであるが、

あなたが24時間中、何時間か眠っているときがあるだろう。

その、あなたが眠っているとき、特に熟睡しているときに「意識」は無いというが、

それは、意識が何も知覚していない状態、いわば空(くう)であると言える。

しかし、決して「無」ではない。

なぜならば・・無意識からまた目覚めるからだ。

無は、永遠に無であるから、再びも、三度も目覚めることはない。

でも、あなたは毎日目覚める、

つまり何度も眠り(無意識)、また目覚める(有意識)を繰り返す。

だから・・熟睡は、

意識がない?といえども、無ではなく空(くう)であるというのだ。

 

熟睡中・・空(くう)は意識が無いのではなく、

意識を波動とした場合、無限小の意識の波の状態であるといえよう。

科学的に言えば・・空(くう)は、

ゼロでも無でもなく、波動の最小「基底状態」ともいえる。

 

無限小の意識の波・・これは、空(くう)に最初に起きた・・、

神の目覚め、原初の波動・根源意識なのである。

そこからすべてが現れる・・元の元のことだ。

 

全ての元の元の・・根源、魂・・真我・・、いわば・・無限なる空(くう)

そこに最初に起きた原初の波動、微細・精妙な極限波動が、

様々な周波数・振幅・位相において変調展開して、

その波動の無数の織り込み、組み合わせで世界が投影されている。

 

これは、例えば映画、光源から放射される動画像の知覚の仕組みと同様である。

 

あなたの周りの環境世界、地球・宇宙もその投影像(波動)である。

あなたの肉体も投影像(波動)であって、

肉体と環境を含む、様々な投影像(波動)の交差、共鳴・反発などという波動間の諸反応が「知覚」として時空間上に投影結実されている。

時間空間上に・・物事として結実されているように観察されるともいえよう。

でも、その時空間とは・・光源波動の・・結実された像の集合なのである。

 

ややこしい表現だと感じるかもしれないが、

簡単に言えば、

あなたの「意識」が・・超微細な根源波動つまり「光源」であって・・

その無数の展開する写像の集合、環境・時空間と称する結実像の集合が、

世界、さらには宇宙なのだということだ。

 

したがって、世界や宇宙、物理的事象が先にあって、

それに気づく「意識」が・・後で出てくるということは、

映し出す本源・光源が・・事象・現象から出てくるというような、

いわば、結果と原因が逆になったお笑い世界、

そっくり、ひっくり返った世界観であると云うことなのである。

 

「事物」がそこにあったかどうか、

「事物」を ”知覚”するまで・・決してわからない。

 

知覚とは・・五感であろうと六感であろうと、「気づく」ことである。

意識する・・気付くことなく・・「事物」は存在し得ないのである。

 

意識に先立って・・事物・現象・肉体・世界は存在し得ない。

 

覚醒の巨人とも言われた、

かのニサルガダッタ・マハラジは、探求者に何度も何度も話したと言われる。

人の最も大きな罪は何かといえば、

自分が死すべき肉体であると信じていることだ・・と、

そして、

わたしは在る・・という存在感は、至高の実在の反映であり、

それを真に理解する、真我を実現するためには、

・・わたしは在る・・に深く深く入っていくべきだ・・・・と。

 

 

 


(40)意識が現れ、世界が現れる

2020-10-13 18:52:25 | 意識の科学

本来ならば、誰でも知っている「真実」を説明するのに、

難しい科学的・哲学的な概念や用語は使う必要がない。

 

したがって、以下に述べることは、簡単すぎて何を言っているのか、

何だかよく分からないかもしれないし、

読むほどに現実離れし、妄想じみていると感じるかもしれないが、

真の自己のこと、意識(魂)としての自己に気づいている人はきっと理解可能だろう。

 

意識が現れて・・世界が現れるというのが真実である。

 

人において、言い換えれば・・・、

「一時の肉体・環境は出現・消滅するが、

意識(魂)はそれを超えて・・在り・・続けるということだ。」

魂・意識は・・3次元的時空・物質レベルの次元を超えている・・、

 

意識が・・現れ・・世界が現れる・・。

 

あなたがいるから・・あなたの世界があるという意味であり、

あなたが、あなたの世界の「創造主である」ということである。

宗教的な歪み切った観念が邪魔をするし、

人によっては極めて冒涜的に聞こえようが、

 

あなたが、あなたの世界の「神」だということだ。

 

宇宙一重要なことだと思うのだが、理解可能だろうか?

だから多くの人とは、つまり神々であるということだ。

意識が・・現れるから、世界や宇宙が現れる・・ということは、

そういう意味なのである。

全然誇張はしていない。

何かを得るための押し売りもしていない。

 

---

深く、吟味追求してゆけば、

今までの漠然とした、肉体としての自己認識が崩壊し、

意識としての「真の自己認識」が出現してくる。

 

・・でも、意識が現れてから世界が現れる?って、

日常の生活では誰もそんなことなど考えもしない。

 

殆どが、無意識に、かつ圧倒的に「唯物論的」な先入観で生きているからだ。

物質世界の中に、自分という肉体物質体が生まれ、そして死んでゆく・・だけ。

それが・・・わたし・・だという先入観だ。

 

あなたはこの文字列を読んで、実際どう思っているのだろうか?

 

自分は環境内の肉体か?

環境・肉体に気づいている・・意識か?

あるいは、結局、意識を生み出す肉体なのか?

これら、これらすべてに気付いている・・気づき・意識なのか?

ーーー

 

ところが、20世紀に出てきた量子力学によって、

唯物論的、3次元的世界観の一角がすでに崩壊した。

気付いているだろうか。

古来から続いてきた、覚者・賢者たちの教えや思想が証明されたともいえるし、

すでに3(4)次元的世界観は、すでに崩壊しているということにも気づかなければならない。

気付けば、すでに・・そうなのである。

 

唯物論的世界観、4次元的時空を超える次元が、

順当な数字で言えば「五次元」時空とするならば、

その世界観は「意識」によって出現しているのだ。

 

簡単に言うならば、<意識>が第5次元軸と考えても良いかもしれない。

唯物的時空間(xyz、t)の世界観は、

それを包括する、もともとあったところの、

新たな存在軸、”意識”によって次元が拡大する。

 

いわば次元上昇である。

 

物質が次元上昇?するのではない。肉体が次元上昇するのではない。

また、ただ単に世界の様相が勝手に一変するのではない。

意識とその派生軸である「マインド」こころ・精神の要素が、

明確に世界の中に現れなければならない。

 

したがって唯物論者が次元上昇するのは、ラクダが針の穴を通りより難しい。

 

物質と時間、四次元をも含む、意識的5次元的世界・宇宙観の特色を、

よく言われているように、量子論的にザックリと表現すれば、こういうことになるだろう。

 

素粒子(物質)の元はすべて”波動”であり、

観察によってその”波動”が崩壊して、素粒子として知覚・測定される。

それまでは、ただ波動として存在していると想定される。

 

物質の微小要素である波動・エネルギーは、

人間の(意識的)観察行為によって素粒子の形として出現する。

 

あるいは、

意識的に観察する行為によって、微細な波動が粒子状に形態化する・・ように見える、ともいえるだろう。

極端に言えば、観察(意識)なくして、素粒子(物質)なし・・だ。

意識とその派生である、マインドが、世界の存在軸様式を決めるともいえよう。

 

これは、釈迦の時代から伝承されてきた古の経文の1つ、

観自在菩薩、行深般若波羅密多・・で始まる、262文字の「般若心経」にも集約されていることなのである。

ーーー

無限の空(くう)から発する根源「意識」は、

極微精妙な根源波動であり、

その極微の波動が、次元(波動・振動)を落として、

様々な波動形態を紡ぎだし、創出・投影しているのが

・・・人間、世界、存在宇宙・諸世界である。

 

(宇宙)意識は、ワンネスの空(くう)に出現する、

極微・精細・精妙な根源波動であるならば、

その波動から・・世界・宇宙が現れるのは理解できるだろう。

物理的宇宙・環境がただそれだけで勝手にあるのではない。

 

量子力学の1つの結論として、

世界の一部の物質を細かく解明したら、それが粒子であり同時に波動であった。

摩訶不思議ではあるが、

現象として未分化の波動が、観察(意識的働き)によって素粒子化する・・・

としか考えようがないということだ

 

ーーーーー

ニサルガダッタ・マハラジは言った。

意識が現れて、そして世界が現れるーーと。

また、旧約聖書には、

全てのはじめに、神の言葉があったと書かれている。

言葉とは、想いを乗せた音声・波動の比喩だ。

 

これは、存在とは何かに関する根源的な言葉である。

根源の波動(根源意識)が・・すべての事象(波動の組み合わせ)の元の元にある・・ということだ。

 

 

 

あなたやわたしの・・意識に関しても、

世界があって、意識が現れるのではない。

最初に世界や、宇宙があって、後で意識が現れるのではない。

常識では、

まず世界が先にあって、そのあとで意識が出現すると思っている。

 

でも意識が現れなければ、その知覚対象としての世界が観察できない。

観察できない・・ことは、・・未だ存在しているとは言えない。

 

あなたが今・・生きていること・・今在ることを観れば

・・真面目に自己の在り方に気づけばわかることだ。

でもほとんどの場合、様々な概念や観念、そとの現象ばかりを見ていて、

自己のこと・・意識・・を観ていないということだ。

 

自分・意識を観る?・・なにそれ、意味不明・・。

 

世界・事物がまず、先行して存在していて、

事前に存在しているから、意識がそれを観察できるのではなく・・

意識が観察する行為によって・・事物・世界が現れている。

 

唯物史観的に信じ込んでいることと、

まったく逆だ・・、そっくり返って?ひっくり返っているのだ。

 

ここんところは、微妙に完全に「勘違い」されているところであって、

極めて重要この上もないことなのである。

 

存在(物)とは・・観察して初めて・・

意識されて、初めて、

気付かれて、初めて

そこに知覚されるものである・・ということだ。

 

繰り返すが、・・存在しているから・・知覚できるのではない。

 

例えば、簡単な例として、

宇宙が137億年存在していて、例えば地球上の人間(意識)が出現したとしている。

科学者が言うんだから、それって、絶対に・・常識でしょ・・である。

でも誰が、そうだと言うのだろうか?

人間だ、人間以外にない。

人間の意識的働き、観察、思考、研究、事物の歴史追跡やら色々行った結果

宇宙の歴史は約137億年、地球が46億年前から存在していたと想定されている。

でも誰も見ていない(笑)。あくまでも研究結果の想定である。

こんな風に太陽の周りを地球や惑星が回っている、それがらが続いていて、地球の地質やら何やらの遺物・遺跡が残っていて、炭素測定方法やら含め、様々な事象を総合して計算すればそうなるという、・・あくまでも「科学的な想定」なのである。

でも、それを誰も目撃、知覚・経験したわけではない。

人間の思考や探査、研究による「科学的想定」なのである。

平たく言えば・・意識的な産物ともいえる。

・・・・

これはよく考えれば、当たりまえだろう。

地球や宇宙の年齢も、今、事物観察した結果の・・想定・なのである。

想定は・・人の意識の働きで提示される思考・想念に他ならない。

 

意識する、気づくことの連続が「観察」である。

「観察」は、まず事物対象を「知覚する」ことである。

知覚は、事物を対象として浮かび上がらせることだ。

つまり、

意識による知覚なくして・・事物は”対象”物足りえない。

意識がなければ・・事物すべて・・存在しているとは言えないのである。

 

あるいは、不定、未定、あるかどうか不明な状態・・空(くう)から

在る状態にするのが意識・気づきということだ。

 

また、

宇宙は際限なく変化しながら続いているように観察されているため、

空(くう)なる宇宙は無限であるとも気付けるだろう。

あの宇宙の先の先を・・あなたは見たこともないではないか。

 

人間の意識・・も、本質はそれと変わらぬ「意識」である。

意識が現れて、そして世界が現れる。

世界があって、意識が現れるのではない。

世界や、宇宙があって、後で意識が現れるのではない。

 

そんなわけない!と思うだろうが、

あなたの(個人)意識が出現する前に・・あなたの見る宇宙があったかどうか?わからない。

言えるのは、あなたの意識が現れてから、宇宙があることに気付いたということだ。

それまで・・宇宙があったかどうか・・確定・証明できるものは何もないのだ。

 

いや、いや・・そんな馬鹿なはずがあるわけない!

わたしが生まれる前に・・しっかり地球や宇宙はあった。

あなたはそう言うはずだ。

 

 


(39)次元降下と上昇

2020-10-09 05:25:15 | 意識の科学

元の元にある・・

究極極微の金剛不壊の波動が・・魂・意識である。

元と言っても、どこかの中心ではなく、

あらゆるすべてが、その中心である、空(くう)だ。

元の元、それはまさに無限でもある。

意識は・・気づく範囲だけ・・無限に広がっている

・・我・・わたし・・真我である。

 

我々が知覚、経験している世界、宇宙は・・

それぞれ、わたし(魂・真我)の”意識空間の中”にある。

 

魂・真我は、すべての根源、

神とか宇宙意識と言ってもいい、もとの元のことだ。

 

この世界の諸現象の科学的理解がある人ならば、

意識・・を、あらゆる波動・存在の究極・根源と言ってもいいものだ。

 

根源から・・放射しているその先の先・・の全てが、

その光源の変化・派生したものであって・・

根源と現象が別個のものであるわけはない。

 

かつてこの世界に下生してきた大いなる魂たちが繰り返し言ったように、

”外と見える世界は、内側の反映である”ということ・・を

かつて聞いた人、知る人は、これが理解できるはずである。

 

これは単なる霊的な比喩でも、教訓でもない!

実に重要極まりない真実である。

なにか、世界の、他の話ではなく・・あなた自身(意識)のことである。

 

あなたが、見たり聞いたりするあらゆる物事、事象、現象は・・・

空間のある距離の先にあるように見えるけれど、

それは「あなた」というーー広大な意識空間ーーの中の出来事なのである。

 

小さく一定の大きさである「肉体」というものが、

時空内の物体・現象の相対的な位置関係・

距離を持っていると意識によって「観察」されているため、

その肉体からの距離が大きいとか小さいとか・・離れているとか、近いとか

そういう認識が起きるのである。

 

肉体と世界が分離、別個と観察していることだけが、

そのまま真実であると認識している・・思い込んでいることは、

自分の意識が・・肉体のどこか・

多分・頭脳の中にあると思い込んでいることと同じである。

 

意識・知覚・認識は・・

物量・距離という、3次元的計測はできないにもかかわらず、

計測・計算・測定・認識できる意識そのもの

想定・想像までできる意識の働きを・・・、

他でもない・・あなたのことだが・・

その自分の意識・・を、

物量・物質・軽量・大きさ・距離の次元世界に

落とし込んでいた・・ということである!

 

そのことを、ここでは「次元降下」と言っている。

 

言い換えよう。

 

あなたもわたしも、人生色々あるけれども、

所詮は、偶然の肉体人間として生まれて死んでゆく定めにある・・と、

その時だけの生でしかない、切ない個人的で孤独な存在であると・・・、

死んだら終わりだから、他者を傷つけだましても、わからなければいい・・と、

あ奴ら馬鹿だから、嘘を繰り返してもわかるまい・・と、

そういう見えない操作も支配も、

そしてそれに騙され続ける愚かさも体験可能な世界であった、

 

今の時代はさらに下って、まことしやかに見えるようになってしまった、

嘘八百のごみのような情報の氾濫や、どぶ板の下のような政治の世界の中で、

まだその中に真実があると思い定め、支持信奉し、人生を消費提供する、

それが正しい行為、思いやりのある行為と信じてやまない人たちも、

 

1人1人が、知らない間に変に加工され、単独別個の認識番号にされかねない、

超分離世界に成り果てたからには、もう十分ではなかろうか?

 

ゾドムとゴモラの逸話に例えるまでもなく、

自分自身やお互い同士をだまし続ける信念・思い込みが、

あちらこちらで当たり前のように跳梁跋扈する世界に”成り果てる時点”で、

いつも物語は終わりを迎えることになる。

 

さて、まともな時間はあとどれほど残っていることだろう。

嗚呼・・朋よ、こころすべき時が来たのである・・、

 

 

この地上世界では、一過性の単発の小さな肉体に中に、

多くの魂・意識が、自分自身を・・幽閉していたということだ。

 

あなたの知覚する世界、自然、宇宙は

・・・あなた・・が知覚しているではないか!

それは、あなたが・・肉体を持ちながら、

・・その無限につながる(宇宙)意識空間そのものであることを、

いつもいつも・・事実として示していたということだ。

 

 

そしてある人は、壮大な大自然の美しさに感動し、

さらに無限の向こうに広がる壮大な宇宙を観て、

どこか懐かしく心の中で涙を流していたのだ。

 

でも、いまはもう気づけるだろうか。

 

我々が知覚、経験している世界、宇宙は・・

それぞれ、わたし(魂・真我)の”意識空間の中”にある。

 

 

 


(38)波動の直感的理解へ

2020-10-04 07:38:37 | 意識の科学

「魂」とは、人の永遠の本質という意味で使われているが、科学的用語で言うならば、意識・エネルギー・波動である。


わたしたちの永遠不滅の本質・・いわゆる魂とは、
根源から発した原初の、究極の微細・精妙波動・エネルギーであり、


どんな時空間・物質形態をも超えている至高の実在波動であるといえよう。

ーーー

魂が”波動”であるがゆえに、精神・身体という波動を周囲にまとうことができる。

まず自分の肉体が分子・原子・素粒子でできていることを知っているだろう。

いかに複雑であれ、それは粒子状にも”観測される”・・無限に連なり組み合わせられた微細な波動なのである。

そして、

波動はエネルギーでもある。

エネルギーは仕事、動き、現象を生み出す原動力だ。

 

物質とは、エネルギー・波動が様々に形を表したものだ。

あなたの肉体そして環境は、・・・元は全て波動・エネルギーに相違あるまい。

まず、これを再確認すべきである。

 

次に、精神・イメージ、思考・感情も”波動”である。

あなたのイメージ、思い、思考は、

あなたの意識空間に現れる様々なイメージであり、言葉に変換され、記録もされる。

さらに、言葉やイメージは加工され、

現代社会ではインターネットやメールで光の速度で伝送され、

こちらが、あちらで変換・再現されるのだ。

 

精神・思考、感情の・・元が波動でなくて何であろう?

抽象なイメージ・・そのものも・・情報であり、波動なのだ。

意識空間に生じた、情報の乗った波動である。

物理的形態の上位、原因側の波動である。

よく言う高次元の波動ということだ。

さらに、

実は、だれでも断片的に経験しているけれど、

世間常識で必死に無視を決め込んでいるために、

一般的な認知状況にはないものの、頭脳から頭脳への直接伝心もある。

これをテレパシーなどと呼んでいる。

 

手で触れないから・・存在しない?・・わけはない。

あなたの意識内で・・すべてが波動で存在しているのである。

でも、頭脳の中にある?・・・わけはない、

その小さな立体空間内にあるわけはない、

今の科学的たとえで言えば、頭脳は知覚、発信・送信・記憶媒体に過ぎないということだ。

 

そこに、その周辺に、ここに・・・起きているのは・・振動しているのは・・”波動”である・・!

それは肉体、頭脳、面積や体積、一定の大きさの中ではなく、

意識空間という、無限の空(くう)の中にある。

 

そして、

それに気づいているのは・・何か・・?

わたしだ。

それを”意識”と呼んでいる。

その意識内にすべてが起きているのだ、

そうだ、意識内に、

世界があり、環境があり、人々がいて、様々なものが動いている・・

この世界は・・・壮大で、複雑、微細構造を映しだしている・・波動で創られているのである。

 

波動が・・起きている・・その周りに、身体・精神が付帯して波動振動しているのである。

言い換えるならば、

空(くう)自身であり、またそこから無限に出現する波動、

魂・あるいは真我と呼ばれる、究極極微の波動から、

精神・マインドという波動へ、

さらに知覚容易な肉体・物質・環境へと

波動が高次から低次へと周波数降下・変換されている。

 

再度言えば、

元の元にある・・

究極極微の金剛不壊の波動が・・魂・意識である。

元と言っても、どこかの中心ではなく、

あらゆるすべてが、その中心である、空(くう)だ。

元の元、それはまさに無限でもある。

意識は・・気づく範囲だけ・・無限に広がっている・・我・・わたし

真我である。

 

さて、この世界の多くの人は、

自分が肉体であると考え(させられて)いて、

死ぬということが怖い。

怖いから自己保身、自己保存を画策する。

怖いから、他者を制御し、自分を有利にしようとする。

怖いから、様々な外からの誘いを受け入れて、利用され自滅もしてしまう。

そう・・怖いものが・・出てきて、また怖さで翻弄される。

 

これが、最終最後の恐怖の特出しバーゲンセールのように、

いま世界的な規模で噴出してきていることだ。

 

しかしながら、感じ取る感性、思索力、直観力がある人ならば、

無から有が生まれないことは識(し)っているだろう。

例えるならば、

インドで発明されたと言われる、ゼロ・・は、

何をどう掛けても・・ゼロなのだ。

5×0=0、300×0=0、何兆×0=0・・・、

そう、ゼロは永遠にゼロ、

決して、無から有は生まれない・・・。

 

さて、

あなたは今・・存在していることに・・気づいているだろう?

意識がある・・、

今・・在る・・ことに、気づいている・・だろう?

 

今・・在る・・有る・・、ことはどういうことか?

 

・・・・・

 

あなたの本質は、死んだら終わりだ・・という想い・思考・観念が、

いまはもう、真っ赤なウソだと・・気づけるだろうか?

 

OH! MY GOD!!

 


(37)ラクダの通れない針の孔

2020-10-02 06:45:44 | 意識の科学

どんなものにも「法則」というものがある。

法則を簡単に言えば、「こうすればこうなる式の、人間の解明したノウハウ」とも言えるわけだが、

心にも法則があるのだ。

そして、いまはもう頭の知識ではなく、それを実践実演すべき時が来ているのである。

他者による世界的マインドコントロールにびっくり、恐怖している場合ではない。

心の法則、想念の法則、

これは様々な物理的、社会的法則の、高次・上位に位置する、より自由度の高い「法則」であるため、なかなか気づけないものだ。

今日明日の肉体維持をするための、物質を信奉する世界では到底気づけないし、またそうであるからこそ、

肉体の生き残り為の攻防・覇権・争奪文化、文明の勃興・崩壊の歴史であったともいえよう。

歴史は様々な文明・文化の興亡史であり、攻防史でもあることは明らかである。

しかしその背後には、

人間は所詮肉体存在であり、その生き残りをかけて戦う・・という「思想」が横たわっていたのである。

これが今までの人類共通のマインド、想念であったとも言えるだろう。

 

心の法則、想念の法則、

これは様々な物理的、社会的法則の、高次・上位に位置する、

より自由度の高い「法則」であるため、なかなか気づけないものだ。

多分、普通こんな風に思っている。

「なに、それ?頭の中の思考・イメージ?・・そんなもので飯は食えない」

つまり、すぐに結果を出さねば・・という即物主義的思想で侵されている。

「だって、みんなそうじゃない!」

そのような「思い」が・・常識だということであるが、・・・

わかるだろうか・・それは固く信じられた集団での「思い」なのである。

それがメディアや世間常識で創られていた世界なのである。

 

このような世界が勝手に、客観的にあるのではなく、

すでに・・マインド・こころで創っていることがわかるだろうか?

これは、

自分のマインド・心を見える・観える人だけが・・・気づくことができる、

きわめて重要な「覚り」(さとり)である。

これが・・ラクダが通れない・・針の孔なのだと言えるだろう。

 

物量は小さな穴など通ることはできない。

こころ、マインドでなければ、通ることはできないわけだ。

 

人々は、多分、普通こんな風に思っている。

「マインド、こころ・・?どこにある?」

「なに、それ?頭の中の思考・イメージ?・・そんなもので飯は食えない」

「それに、頭脳がつくっているだけなんじゃない?」

 

実際は、まったく違う。

人は、魂・マインド(こころ)・肉体という3つの波動域の複合体であり、

魂とはーー、

根源から出現した、無限の可能性を含んだ究極・極微・精妙この上ない波動であり、

こころ・マインドとはーー

そこから派生する、周波数を落とした具象化前の波動、いわばシナリオ、青写真としての波動(情報)である。

魂レベルの極微の波動が、様々に変幻自在に周波数変調されて、様々な「情報」を含むことになり、

その「情報」の乗った波動、それが想念・思考・感情なのである。

単なる肉体上の感覚・イメージなどではない!

それらが意識の知覚する体験世界のシナリオあるいは色付きフィルターになっているということだ。

 

ーーー

肉体・環境・周囲世界は、そのマインド波動域からさらに周波数を降下、変調されて”具体化した波動の集合系”である。

我々が、時間空間と呼んでいる、宇宙をも含む外界とされるものは、そのマインド波動域の具象化・具現されたものなのである。

 

意識している・・とは・・魂の波動放出であり、光(波動)の投影である。

あなたや私たちが、生きている、今の・・この臨場感覚のことであるが、

わたし・・意識が・・観ている体験映像の・・光源(根源)である。

 

これはよく、人生とは映画を観ているようなものと例えられるわけだが、

その意識体の・・想念・確固たる信念・・が、その人生映画のシナリオ・フィルムであるということだ。

 

長年の教育や常識のおかげで、多くの場合、

こころ・思考・マインドが目に見えず、手でも触れないために、たんに頭の中にある抽象的なイメージに過ぎないと思い込んでいる。

あなたはどうだろうか?

 

いまの混乱した世界は、この世界に次元降下した魂たち、

いままでのの苦心惨憺・紆余曲折の果てにある、

最終フェーズ、ラクダの針の穴を通るための・・

その実践フェーズにあることを示している。

 

ホントに・・目覚めただろうか?

他者にマインドコントロールされ、安易で物質的な眠りに落ちるのか?

それとも、

自らでマインドの翼に乗り、壮大な可能性が展開される根源への帰還に立ち返るか?

2つの道がもう見えてきているのである。

 

しかしながら、その思いを、

世界にある難しい枝葉の話に拡散・消滅させてはならない、

世界はどうなってしまうのか?も、枝葉の話なのだ。

 

今あなたが・・幸せ・・を感じているかどうか?

問題は、そこにある。

あなたが、知覚している世界の源は、だれなのか?

それぞれの"わたし"以外、・・・いったい、だれなのか?

 

いいや、誰でもない・・絶対に間違えようのない・・

 

真の・・わたし・・である。