気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

地球体験学習システム 第2章

2008-01-27 16:15:17 | 新地球文明論

●地球システムの変化の兆し

 我々が生まれて死ぬまでの短い期間を、疑問に思いながらも年を経て去ってゆくという、誰にもある体験の中において、永遠なる法則に気付けば幸いであると考えます。その為の大切な短い人生であると考えて何の問題もありません。身近な友人や親兄弟が辿った道であり、貴方や私にも必ず訪れる瞬間に備えるということは、今を真剣に生きるという努力からしか生まれないのだと思います。

 今の時空で楽しい経験やつらい経験が出来るのは、この地球が許しているからだと言ってもいいのではないでしょうか。まさか、地球が「あんたはいいよ、どうぞご自由に。あんたはチョッとねー」などというはずもありませんが、この地上に生かされていることは、確かなことでしょう。太陽も毎日天空に存在していてくれています。この極めて気づき難い、単純なことを果たして多くの人間が気付いているのでしょうか。当たり前だとしか感じていないのが普通です。太陽?地球?社会?そんなの関係ない!・・私は自分のことで手一杯なんだよー!などとは言いませんが、私も含めて多分そんな感覚を心の中で唱えているのかもしれません。当たり前のありがたさに、ことさら気付いてしまう人間がいれば、馬鹿な奴だという世間的な評価を頂いてしまいます。それで生きづらく感じるためにその言葉に引っ張られてしまうようです。

 しかし、思えばそのような言葉や世間的な常識が、一体誰の責任において発せらているかを考えてみれば、誰の責任でもなく、ただ外に聞こえる暗示歌のようなものでしか感じられないのです。あたかも子羊を音楽や声で誘導するようです。誰の声と特定できるわけはありません。社会の表や裏の権力者がそういっているという考えもありますが、だからどうだというのでしょうか。憎むべき人たちと一緒に何処か安全な地へ移行すべきなのでしょうか。

 今地球上は生態系や人類社会も含めてまず間違いなく過渡期にあるようです。我々の科学や知識レベルの遅々としていながらも一定の向上による認識の進化というものが出てきているようです。一体なにが変わりつつあるのかという疑心や興味が増大しているようです。世間の人間関係の軋轢や社会常識の雑音を受けながらも、何かが変化しているのでは無いかという感じに無意識レベル、意識レベルで気付いている人々が増えているのだと思います。

一体なにが変わりつつあるのでしょうか。

 はっきりとした公のメディアでは取り上げていないものの、宇宙規模の異変として、海王星や天王星のポールシフト(地軸移動)や火星の極冠の融解による温暖化が発生している情報なども出て来ています。惑星がポールシフトを行なう等はとんでもない稀なことであると考えられ、何か今までに無い原因を想定せざるを得ません。人類社会では、昨今急にCO2の温暖化が叫ばれ、はたまた世界経済は、余剰な金の流れが、ゆく当てない欲望のはてに、サブプライム問題等を引き起こし、崩壊の瀬戸際に立ちすくんでいます。環境破壊やインフレも現実に現われてきています。

 推測ではあるものの、実は地球という舞台が新しく模様替えをしたいと思っているのかもしれません。今までの自分自身の時空劇場を、さらに発展させたいと思っているのかも知れません。地球の意志はその親である太陽や、宇宙の意志でもあるわけであり、その意思の表れである諸現象が出てきているのではないでしょうか。人類も地球上にいるのを忘れてはならないわけです。

 我々はどうしても身近な周囲しか意識出来ない場合が多く、それを含む大きなシステムにまで思いをいたすことが少ないわけですが、自分の中に在る、ある種の感覚を無視しないで、大きく周りを見回してみる必要がありそうです。ひょっとして我々が、したい放題を行なえるこの地が、ひそかに自分自身を変えて行くありさまが見えてくるかも知れません。我々の親しんだ学び舎である、この地球がリニューアルしない等と誰が言えるでしょうか。自然のゆったりした変化の中に、微妙な趣を見つけることが出来るのは日本という国に生まれた人々の勤めであるかも知れません。「あはれ」は、哀れではなく、移りゆく様の不思議さを観じた人間の思いでもあるでしょう

 自分の学びはその校舎である地球という母なる環境に相応しい内容にせざるを得ないかもしれません。それが出来れば、桜咲く新しい春の季節を迎えることが出来るのでしょうか。今は冬ですが、冬は新しい息吹を大切に守ってくれます。もうすぐ本格的な冬が少しの間ですがやってくるでしょう。皆皆自分自身をしっかりと観て卒業出来るようにしておくことは、別に悪いことではないのだと思っています。

 地球体験学習システムのステップアップがあるかもしれません。気がつけば、多少とも目覚めた人間達が自由に行き来できる時空になっているような気もします。生きる瞬間から去る時までを自分で選択できるようなこと、生まれ変わりは自分の意志で、記憶を持ちながら選択できる状態になっても、別におかしくないとも思います。それとも、飢餓や不幸、残忍さや無知に耐える人間達のための、厳しく苦しいけれども魂にとって成果の大きい、荒海に浮かぶ船のような星を演じつづけるのでしょうか。

どう思われますか?

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地球体験学習システム 第1章

2008-01-26 10:25:02 | 新地球文明論

●記憶喪失と自己発見 

現在その生命を地上に現している存在達は、人間も動物も含めて何百億以上も在るわけですが、その多くは何度もこの地上という学園広場にやってきては、肉体というボデーを使って色々な経験を重ねるようです。動物・植物・鉱物はその形や動きなどが在ることで、その原因たる意識体が在ることが推測されます。原因たる意識がなければ形など存在しないというのは、ごく当然の考え方です。堅物の科学者でも物質という形・質量をもっていればエネルギーがあるということには同意せざるを得ないでしょう。エネルギーは眼に見えないわけですが、即そのまま物質という形態にちゃんとなっているのです。

 生まれ変わりというのはすごく当たり前のことだと感じています。例えるならば、よく丸い振り子を2,3個用意し、1つを他の振り子に当てると、動いていた振り子はぶつかった瞬間に止まり、その動きは反対側の振り子に伝わって、その反対側の振り子が動きます。エネルギーは動きという形をもっており、そのエネルギーが別の振り子に移るわけです。人間のエネルギー(意識:魂ともいえる)が振り子(肉体)から振り子(肉体)にある瞬間に移動するということも言えるでしょう。これは単なるわかりやすい類推と言えますが、アカデミックな学問分野でも、前世を覚えているという人たちの記録が膨大に集められ集計されて分類されています。

 我々である意識生命体が、借り物である肉体に宿る前に、前世の記憶を忘れ、生まれたての胎児から次第に成長して行く過程で、現実に接している環境や・世界に適応してゆくほど、過去の情報の断片をも忘れていくようです。実際に憶えている人は少ないはずです。実際覚えていないために、真っ白な状態から始まる感覚で成長していきます。何も知らない状態からすこしづつ周りのことがわかり始めてきたはずです。体も大きくなって行くわけであり、この経過を見ると本当に肉体の成長に合わせて、心も成長してゆく経験をしているために、我々が肉体自身であると錯覚しても仕方がない感じもします。

 しかし事実は、見た目のようにそんなに単純なことではありません。生まれる前のことを多くの人が「覚えていない」のだと考えるのと、生まれる前のことが「無い」と考えるのとは、全く違った認識です。ここにも「皆がそう思っているからそうだろう」式の、無責任なパターンがあります。中には古い時代から少数の覚者たちがそれに気付いてきたわけですが、多くの集合意識・大衆レベルでは、相変わらず無意識のまま放置されてきたのです。最近になって少しづつ検証・統計レベルで学問的にも認められるようになりつつあります。

 直感的に生まれ変わりということが気になる人、当然のことと感じている人、実際に自己体験でその情報をおぼろげながらでも得たと感じている人は、全てを一旦忘れて生まれてくる約束事・システムがあることに気付けるでしょう。地球での体験学習方式の特徴の1つは、一旦リセットをしてからスタートする仕組みがあるようです。それだけ厳しいともいえる学び舎でもあるわけです。

 それは色々な段階を経るわけで、ある人にとって 「知らない・解らない・出来ない」・という状態であるのは、その状態をちょうど学んでいる時なのかもしれません。「知っている・解る気がする・出来そうだ・」という状態であるのは、ちょうどその時を学んでいることでもあるでしょう。それはそれでそのとおりなのでしょう。何も問題はありません。永遠の生命から見れば何も問題や焦りなどはありえる訳もないでしょう。その意識存在ごとにプロセスが違うわけであり、気付くこと、理解することは当然異なっています。

 地球圏の体験学習システムの特徴の1つは、一旦今までの経験や知恵を自分の奥に仕舞い込んでから、新しく自己を再発見する学習方式ともいえます。自分を新たに思い出すプロセスでもあり、何も覚えていない状態から、あらゆる英知を備えた本来の自分を、再発見するための「ワクワク」する、「ドキドキ」する方式です。人によっては、この地上とそれに重畳する地球圏の別の時空の間を何度も行き来しながら、忘れた状態のまま経験を重ね、新たに未知なるものを既知にしながら、忘れた自分を少しづつ思い出して行きます。転生というページをめくりながら、何千年、何万年と言う時間を費やす場合もありますが、長い・短いという価値観は関係ありません。思考・感情・体験を通じて、悲しいものも楽しいものものも、十分な経験知として肥やしに出来るまで、思う存分に繰り返していきます。各意識存在レベルで自由に学ぶ内容を選択するようですが、この地球圏での学び自体を客観的な意識レベルで気付くようになることが、そろそろ卒業まじかである証拠かもしれません。1つの覚醒ともいえます。

何もない状態から再び英知に満ちた自由自在の本来の自分にたどり着くこの地球体験学習方式は、素晴らしい自己再確認プロセスといっても過言ではありません。

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半覚醒での体脱感覚と宇宙?体験

2008-01-20 10:44:15 | 夢及び半覚醒時の体験記録

以下に自分のチョッとした超常体験と思われるものを記載します。まー、夢であると言っても何も問題など起きませんが、自分としては、それが微妙でも、何か肝心なところに気がついているつもりですが。

・・・・・・・

 1年ほど前のある朝のことである。上向きに目を閉じた状態で、目が覚めているが身体はまだ休んでいる状態であった。もう少し寝ようかなどと思っていたが、視野の中に何か見えるかな?等と考えていると、何かが見えそうな感じがしてきた。

 どうも潜在意識的には、宇宙飛行を望んでいたらしい。通常の意識状態では、どう考えても常識的ではないし、出来るとも思わないが、夢では良く飛んでいる経験を憶えているので、夢のつもりで気楽に思えたらしい。

 次に、瞼を閉じた状態での暗い視野が何か変質したように思われ、頭部、顔中心にして「ずぼっ」という抜けた感じがした。この「ずぼっ」という、自分から自分が抜けたような感触は今までにないものであった。例えて言えば、掃除機のチューブにゴミがつまった状態から、何とかそれが抜けて、やっと通じたような、そんな感触である。

 これにはビックリしながらも、一挙に宇宙に飛んでいった感覚であった。なんせ夢だと思っているので自由である。視野画面は、よくある地球の大気圏が写った内向き方向でなく、外向きに一挙に宇宙を飛んで行く感覚であった。

 気楽な感じで瞬間的に 「そうだ月に行こう」 と考えたようである。一瞬真っ暗な空間を移動し、あっという間にクレータ状の円形凸凹形態が散らばる球体の上空を飛んでいる感じがしてきた。いつものように、視界は暗い白黒映像であったが、確かに月の表面をかすめて飛んでいったような感覚である。その次には、もう1つ別の天体のようなものを半周程度周回した感覚であったが、はっきりした画像ではなかった。近隣の火星か金星かそのようなところであったかもしれない。

 多少の経験もあり、未だ視野の暗い白黒映像の場合は、いわゆるリモートビューイング的な超感覚的知覚映像であると解釈しており、完全な夢中での映像感覚とは異なると思っている。

いつものような夢と違う雰囲気に気付いてしまい少し怖くなってきた。すぐ帰ろうと考えたが、その後1瞬の経過の後に、再び布団に仰向けに寝ている自分を意識することになった。

解釈>

夢では誰しも意外と自由に空を飛んでいる経験もあると思うし、別段不思議ではない。身体が寝ている状態で、かつ意識が目覚めた状態というのも、誰しも経験があると思われる。よく言われる金縛りという状態である。体の自由が効かないので怖くなってしまう場合があり、よく心霊現象と関連して考えられるようだ。

上記の自分の経験は、この、意識がはっきりしていて、かつ身体が起きていない状態の狭間で体験したものと思われる。ほんの数秒感覚の意識体験であるため、通常の3次元飛行感覚とは全く異なっており、このようなものも単に夢であると、一般常識的に片付けても問題はなさそうである。しかしながら、朝起きたときに印象に残る夢をノートに記録などしている経験上、普通の夢とそうでない意識体験との違いを認識することが出来ると思っている。

飛行機や宇宙船に乗って時空を移動するのとは違い、時間が自在であることと、空間認識が未だ不鮮明で不十分なところは、やはり経験の浅さと未知なるものへの恐怖感があるためと考えられる。

特に、頭部から視野ごと「ずぼっ」と抜けた感覚は、なにか狭いチューブの筒先からやっと抜け出たようなものであり、かなり衝撃的であった。体脱経験者といわれ、ヘミシングの創始者であるロバート・モンローの本を読んでからは、それがあながち単なる夢とは違うものであるとことさら感じる。

夢やリモートビューイングのような超感覚的な知覚などは、1種の変性意識状態と考えられる。通常の現在意識も意識状態であるが、五感という感覚ツールによって、はっきりしたわかりやすい知覚が出来る状態であると理解出来る。肉体というもので御膳立てされた環境にいるともいえる。ただし五感という感覚は、電磁波、音波、震動波などの周波数帯が一定枠内に限られているために、実際は無数にあると思われる存在世界に対する情報処理能力はごく限られているものと思われる。

 我々の共有する現象世界は、我々の「意識」がこの現実という世界に、あえて同じ周波数帯で同調している状態と理解すべきであろう。意識拡大は理解と好奇心等によって行なわれるものと考えられる。無知や恐怖はそれを阻む重しのようなものである。無機的な表現をすれば、人の進化とは意識による知覚の周波数帯の拡大とも言えるかもしれない。より高精度の機械を補助で使うか、自分達に既に在る能力を使うかどうかの違いであろう。

そのためには身近にある我々の「心」の整理、チューニング能力の成長が重要であるのは言うまでもない。我々の心の働きが、我々の在る状態を常に創っているのであると考えられる。

・・・以上はあくまでも、個人の内体験とその解釈の紹介である。

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想念観察の重要さ

2008-01-17 08:23:25 | 心の科学分野

 ある書物に、人間とはなにか?という問いに対し、「人間とは活動する想念である」という内容がありました。人間は身体だとばかり漠然と思っていた頃には、へーそんなものかな程度に感じていましたが、今では人間真理の重要な表現であると思います。

 想念とは、思考、感情などの精神作用と言われるものです。それらの思いは単に抽象的な見えないイメージのような感じを受けますが、実はこれらは、例えで言えばコンピュータのプログラムのようなものとも言えます。コンピュータ、パソコン、その他の高度な機械も含めて殆んどがプログラムどおりに動くようになっています。ハードウエアを動かすのはソフトウエアであり、それは物理的な実体ではなく、抽象的な言語で記述されます。そのプログラムを変えるとコンピュータは全く違う動作を行なうわけです。

 人間の想念も文字や絵で現し、記憶させることが出来ますが、元々は物理的物体ではありません。コンピュータの世界ではハードの性能もさることながら、全ての動作の原因であるソフトウエアが極めて重要です。人間がコンピュータ程度の代物で在るわけはないのですが、例えで言えば似たようなところもあり、要は人間の行動や経験は、原因となる思考・感情に従っているということです。

 想念観察は、その人間の存在表現の元であるソフトウエアを作成・修正する作業と考えてもいいでしょう。自分で自分のプログラムを作成したり、修正したりすることを可能にします。自分の考えや感情を無造作に、何の意識もなく、ただ勝手に流れ出てくるものと思っているのでしょうか。想念は心の働きとも言われ、その働きには創造力があります。思考や想像は観念・イメージとも言われる心の働きですが、それらの肉眼では見えない、物体でない存在形式は、実体化への働きの元になるプログラムでもあります。単なる「行動」を促す「意志」のレベルに留まらず、あらゆる現象化のもとになるものです。一般認識ではダイレクトに因果関係を把握できない場合もありますが、想念観察を行なうと、この関係が次第にわかってきます。

 自分の思いを垂れ流す、発散するだけでなく、それらにフィードバックをかけてチェックする行為を行なうことで、それらの因果関係が次第に理解出来るとともに、心の状態や経験の内容自体も自分で制御できることにもつながり、心や行動が安定し、場合によっては、自我を超えて存在する真我に同調する体験を得ることもあるようです。高位の自分は、低位の自分の全てを眺める位置にある意識状態であることに、実感として気がつくことになるようです。

 古来からの修行は全て、まず、この心(マインド)の状態を自分でコントロールするためにあるといっても過言ではないでしょう。自分のレベルにとって、より高次と言われる意識状態に移行するためには、自分の現状認識を抜きにして出来るわけもありません。想念観察は、自分の発信する想念という「創造原因」ともいえる意識作用を観ることに他ならず、これは宇宙を創造し続ける神自身が自分を観ていることと、質的には同じであろうと考えられます。存在宇宙の様々な諸形態や現象は、創造者の無限に在る自己観想とも言われています。

 想念を観察することは極めて重要な作業であり、人間存在がより大きな視野や認識レベルに進むために必須なことであろうと思います。自分の思い、思考、感情、行動、体験を観察できるようになれば、間違いを早めに修正も出来るし、既成の価値観で固まることもなくなり、世間の刺激に動揺しない不動心を獲得することが可能となるでしょう。

人間はいつでも何か考えています。無念無想を無理につくろうとするのは困難です。逆にそれらをありのままに受け入れるのが、「今在る」ということだろうと思います。光速以上で過ぎ行く自分の想念を、じっと観ることに慣れてくると、自ずと自分のレベルに無価値な想念は通り過ぎるだけになり、より良いといわれる想念を持つようになるようです。今の自分に無価値なものは自然に剥げ落ちていくでしょう。

古来から延々と続く聖賢や先達の辿ってきた道は、常に自分の中にあったのです。今は特に自分を知ることが必要な時代であることを感じます。

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「汝が信じるごとく、汝になる」 (イエス)

「我思う、故にわれあり」 (デカルト)

「汝自身を知れ」 (ソクラテス)

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若者『世尊よ 一人の女を見なかったですか?』

  釈尊『その女を捜してどうするのかね?』  若者は訳を話した。

  釈尊『その女をたずねるのと 自分をたずねるのと どっちが大切と思うか』

  若者『それは 自分をたずねるほうが大切です』

  釈尊『そうなら ここに座りなさい。私が法を説きましょう。』 

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覚醒にいたる道 第4章

2008-01-13 09:25:03 | 心の科学分野

あるサイトに下記のようなものがありました。自分のような者が話すよりも、遥かに真髄を捉えて居られる方の言葉を、ここで拝借させて下さい。

    注 (マインド: 心の働き、想念、感情、言葉などと解釈できます)

●覚者の言葉

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ことの起源からはじめなさい。
 「あなたは在る」という事実に注意を払いなさい。
 「私はいない」と言えるときはないのだ。
 あなたに言えることは、「私は覚えていない」ということだけだ。
 記憶がいかに頼りにならないものか、あなたも知っているだろう。
 些細な個人的関心事に没頭して、あなたはあなたが何なのかを忘れてしまっ
 たのだ。
 既知なるものを消し去ることで、失われた記憶を取り戻すように試みなさい。
 何が起こるのかをあなたに伝えることはできない。
 またそれは望ましいことではない。
 期待が幻想を生みだすからだ。
 内なる探求においては、予期せぬことが起こることは不可避だ。
 発見は、かならずすべての想像を超えたものなのだ。
 生まれたばかりの子どもに、誕生した後の人生を知ることができないような
 ものだ。
 なぜなら、マインドのなかにそれを形づくるための確かな画像が何もないか
 らだ。
 同じようにマインドは、「これではない、あれでもない」という否定の言語
 による以外に、非実在の言語をもって実在について考えることは不可能なの
 だ。
 非実在を実在と受け入れることが障害であり、偽りを偽りとして見て、それ
 を放棄することが実在を存在のなかにもたらすのだ。
 明晰(めいせき)性とかぎりない愛、完全に恐れのない状態。
 今、これらは単なる言葉、色彩のないただの輪郭(りんかく)、こうありう
 るというヒントでしかない。
 あなたは手術の結果、目の見えるようになることを期待している盲目の人の
 ようなものだ。
 もしあなたが手術を避けさえしなければ!
 私が在る状態では、言葉はまったく重要なものではない。
 また、そこには言葉への耽溺などない。
 ただ、事実だけが重要なのだ。
 
             『I AM THAT 私は在る』(p531-532)

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心の色々な働きを「自分」などと錯覚せずに、それを対象として観察することで、自分とは、それらの無限の意識の働きであることに気付くこと。

覚醒はそのようなものでしょう。

実は、自分を観ることは結構大変な作業でもあります。例えば禅は、ごく普通にそこに座って、自分の想念・感情などの内面の働きを徹底的に観るための方法の1つでしょうか。想念観察の方法も具体的な覚醒への道にあるものでしょう。自分を知るために、自分を観る、自分の心を見ることが本当の自分への目覚めだろうと思います。

何もお持ちでない貴方様、お早うございます! 

もともとすべてをお持ちになっている貴方様、お早うございます!

良いお目覚めでしょうか?

コメント (10)
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