●地球システムの変化の兆し
我々が生まれて死ぬまでの短い期間を、疑問に思いながらも年を経て去ってゆくという、誰にもある体験の中において、永遠なる法則に気付けば幸いであると考えます。その為の大切な短い人生であると考えて何の問題もありません。身近な友人や親兄弟が辿った道であり、貴方や私にも必ず訪れる瞬間に備えるということは、今を真剣に生きるという努力からしか生まれないのだと思います。
今の時空で楽しい経験やつらい経験が出来るのは、この地球が許しているからだと言ってもいいのではないでしょうか。まさか、地球が「あんたはいいよ、どうぞご自由に。あんたはチョッとねー」などというはずもありませんが、この地上に生かされていることは、確かなことでしょう。太陽も毎日天空に存在していてくれています。この極めて気づき難い、単純なことを果たして多くの人間が気付いているのでしょうか。当たり前だとしか感じていないのが普通です。太陽?地球?社会?そんなの関係ない!・・私は自分のことで手一杯なんだよー!などとは言いませんが、私も含めて多分そんな感覚を心の中で唱えているのかもしれません。当たり前のありがたさに、ことさら気付いてしまう人間がいれば、馬鹿な奴だという世間的な評価を頂いてしまいます。それで生きづらく感じるためにその言葉に引っ張られてしまうようです。
しかし、思えばそのような言葉や世間的な常識が、一体誰の責任において発せらているかを考えてみれば、誰の責任でもなく、ただ外に聞こえる暗示歌のようなものでしか感じられないのです。あたかも子羊を音楽や声で誘導するようです。誰の声と特定できるわけはありません。社会の表や裏の権力者がそういっているという考えもありますが、だからどうだというのでしょうか。憎むべき人たちと一緒に何処か安全な地へ移行すべきなのでしょうか。
今地球上は生態系や人類社会も含めてまず間違いなく過渡期にあるようです。我々の科学や知識レベルの遅々としていながらも一定の向上による認識の進化というものが出てきているようです。一体なにが変わりつつあるのかという疑心や興味が増大しているようです。世間の人間関係の軋轢や社会常識の雑音を受けながらも、何かが変化しているのでは無いかという感じに無意識レベル、意識レベルで気付いている人々が増えているのだと思います。
一体なにが変わりつつあるのでしょうか。
はっきりとした公のメディアでは取り上げていないものの、宇宙規模の異変として、海王星や天王星のポールシフト(地軸移動)や火星の極冠の融解による温暖化が発生している情報なども出て来ています。惑星がポールシフトを行なう等はとんでもない稀なことであると考えられ、何か今までに無い原因を想定せざるを得ません。人類社会では、昨今急にCO2の温暖化が叫ばれ、はたまた世界経済は、余剰な金の流れが、ゆく当てない欲望のはてに、サブプライム問題等を引き起こし、崩壊の瀬戸際に立ちすくんでいます。環境破壊やインフレも現実に現われてきています。
推測ではあるものの、実は地球という舞台が新しく模様替えをしたいと思っているのかもしれません。今までの自分自身の時空劇場を、さらに発展させたいと思っているのかも知れません。地球の意志はその親である太陽や、宇宙の意志でもあるわけであり、その意思の表れである諸現象が出てきているのではないでしょうか。人類も地球上にいるのを忘れてはならないわけです。
我々はどうしても身近な周囲しか意識出来ない場合が多く、それを含む大きなシステムにまで思いをいたすことが少ないわけですが、自分の中に在る、ある種の感覚を無視しないで、大きく周りを見回してみる必要がありそうです。ひょっとして我々が、したい放題を行なえるこの地が、ひそかに自分自身を変えて行くありさまが見えてくるかも知れません。我々の親しんだ学び舎である、この地球がリニューアルしない等と誰が言えるでしょうか。自然のゆったりした変化の中に、微妙な趣を見つけることが出来るのは日本という国に生まれた人々の勤めであるかも知れません。「あはれ」は、哀れではなく、移りゆく様の不思議さを観じた人間の思いでもあるでしょう
自分の学びはその校舎である地球という母なる環境に相応しい内容にせざるを得ないかもしれません。それが出来れば、桜咲く新しい春の季節を迎えることが出来るのでしょうか。今は冬ですが、冬は新しい息吹を大切に守ってくれます。もうすぐ本格的な冬が少しの間ですがやってくるでしょう。皆皆自分自身をしっかりと観て卒業出来るようにしておくことは、別に悪いことではないのだと思っています。
地球体験学習システムのステップアップがあるかもしれません。気がつけば、多少とも目覚めた人間達が自由に行き来できる時空になっているような気もします。生きる瞬間から去る時までを自分で選択できるようなこと、生まれ変わりは自分の意志で、記憶を持ちながら選択できる状態になっても、別におかしくないとも思います。それとも、飢餓や不幸、残忍さや無知に耐える人間達のための、厳しく苦しいけれども魂にとって成果の大きい、荒海に浮かぶ船のような星を演じつづけるのでしょうか。
どう思われますか?