●宇宙・大自然は調和そのものである
ここでいう「宇宙」とは、大気圏外の、宇宙空間のことではなく、我々が生きている大自然、宇宙、森羅万象の舞台であるところの存在諸世界という意味である。
宇宙は全くの調和で満ちているのは分るだろう。
美しい大自然を見てもわかるだろうし、生態系、植物圏、人間以外の動物たちのダイナミックな姿を見てもわかるはずである。
実に、「美しさ」とは、そこに全き「調和」が見いだされる場合に表現する言葉でもある。
日本の古語にある 「和をもって尊しとなす」 は、
まさに<調和>が人の、国の主軸であるといっているのである。
<和>とは、人間同士の和、談合の和、人の集まりの中の平和維持等、という小さい意味ではなく、
根本には、人が大自然、宇宙との調和を維持することが実に尊いことだと言っているのだ。
●人存在の役割は宇宙の調和を学ぶことにある
人が大自然、宇宙との調和を保つという事はどういう事かと言えば、
自然環境を人間側で保護、育成するというような、後追いの自然修復努力というものではなく、
宇宙との調和とは、
宇宙大自然において、本来、人のあるべき姿、なすべき姿を維持するということである。
では、人の本来あるべき姿とは何だろうか。
・・・・
それは宇宙大自然、お互い様の人々に生かされていることに気付きながら、
それを通じて様々な体験、経験、思考、感情を培い、
人の本質である「魂」の進化、拡大のプロセスを意識的に歩むことなのだ。
例えそれが、転生による他生に渡る学びのプロセスであろうと、
そのための宇宙・大自然・人間達なのである。
・・・
●自我、エゴは調和を乱す要因
何のために我々にとって、宇宙や大自然があるのか。
その時々の自我・エゴを満たすためのゴミ箱か。
ただ単にその世界の中で、あれが美味しいこれはまずい等と言っては、
美食をむさぼり、糞尿を排出し、身体的な快楽環境を長く維持することだけにあるだろうか。
次々に様々な自己主張を立ち上げ、結局嘘で終わるパフォーマンスをして政治人生を頑張ることなのか。
集団の中で出来るだけ良い位置を確保すること、間違いと知りつつ保身人生に命を捧げることなのだろうか。
人間社会だけのために、大自然を奴隷のように扱って森林を伐採し、地中を採掘し、
生きるためと言って、人間にさえ悪影響をもたらす汚染物質をまき散らし続けることなのか。
人の生活、富の確保のために、次々と生態系を壊すのも・・・・致し方のないことなのか。
・・・・
いやいや、それは違う・・・・
ということは誰でも分るものである。
分っているのだが、
それを忘れてその他大勢の流れの中で、何とか生きてゆかねばならないとしているわけだ。
そうやって今まで、頑張ってやってきたのである。
おいそれとは固まった信念は壊れそうにない。
そういことで大枠・・・集合意識が・・・決したのかもしれない。
●豊かさを得る手段がいつのまにか目的と化した資本主義
資本主義という欧米発明の、豊富な物資創出・循環手法によって、
投資と回収という車輪でもって、200年程度で指数関数的に物質文明は成長してきたものの、
その反面では、我々の依って生きるところの地球環境が重度に汚染されてしまったことに、
あるいは物が豊富に取り囲む環境のなかで、「真に感じられる幸福」から離れてしまっていることに、
もう十分気付けることだろう。
長く生きている人たちは、自分が若いころと今とでは、豊かな自然が人間世界から大きく後退したことがわかるだろう。
便利ばかりの生活の中で、根本的に必要な水や空気が安心できなくなったとは・・・どういうことか、
民営化という嘘を使って、とうとう水まで企業商品にして売り買いするとは・・・・、
真に心ある人には、これいかに?・・が実感であろう。
ちがうだろうか。
・・・
●核汚染は生態系システム上の不調和の極み
環境ホルモンやら人工的微分子やらで、
川からは次第に生物、魚がいなくなり、山からは多様な生物種、植物種の多くが消えてしまった。
海は汚染物質で次第に生物の為の滋養が失われつつあり、
大気は人口汚染微粒子の濃度がずいぶんと上がってしまったし、
さらに、昨今ダメ押しの様な原発事故による核汚染がまき散らされてしまったわけだ。
水、土、空気、火がすべて汚染されてしまったわけである。
そうは言うが、未だ未だ余力がある・・・・という考えは期待できそうにない。
余力があるから、終わらせなければならなかったのにも関わらず、
余力があるうちはと、イケイケどんどんで終始したのである。
核汚染物質の垂れ流しは収束しておらず、それらは世界中の気流と海流で循環して蓄積され続けているのだ。
それでもまだ、あわよくば全ての原発を稼働させようとする考えの政党が、この日本に必死に陣取っている。
それらはまさに、考えられないほどの「不調和」である。
その不調和の原動力は何かといえば、そう目先の 「利」 の追求のためである。
目先の利益、利権、権益を守ろうとして、人を目先の愚鈍の状態にしばりつけ、
大自然を破壊し続けているという図式が明確に解るだろう。
経済発展のために・・・という文言は、現状では裏を返せばそういう意味である。
●自然は便利なゴミ箱ではない
当然、破壊していること、危険を呼び込んでいる事を知っているはずなのだが、
自我保身の為の目先の利益優先を選択し、目の前の札束を選択している、
またその利益を追求すればするほど、大自然の破壊、不調和を増進するということに、
全く気付いていないということだ。
いや気づいていないというよりは、大自然を 「どこでもゴミ箱」 のように思っているのであろう。
自分達のわがままを、母なる大自然は何とかしてくれる・・・・という、霊的幼児の感覚である。
・・・・
あらゆるものの中で物質レベルで最も不調和、破壊的なものは「放射能汚染」である。
何故ならば、無理やり崩壊させた核種は、どこにでも飛んで流れてゆき、
長い間放射線を出しつづけ、生物種の青写真であるところのDNAをヒットし、壊し続けるからである。
大自然にある様々な生命体の設計図をランダムに書き換えてしまうということだ。
当然、設計図が変われば、出来上がる物、出現する形態は歪んでしまうだろう。
それは様々な病気、疾患となり、奇病となって現れてくるのである。
地球生態系内の有機物質の生成、生育、形態化に支障をきたすことになるわけで、
核汚染、これはある意味で、大自然のシステムに対する「反逆」のようなものである。
・・・・
核汚染、実に、これだけはやってはいけないことだったのだ。
あまつさえ、特に、「和をもって尊しとなす」という言霊を発した日本という国が、
そこらじゅう不調和だらけにする、原子の崩壊力を、取り誤るということを仕出かすとは、
実に、考えられないほどの不調和である。
当事者らは、相変わらず、知らず、わからず、がんとして、不退転の決意で・・・・「不調和」に進んでゆきたいようである。
ハーメルンの笛吹男は、面白そうで何か期待のもてそうな音色の笛を吹いて、子供たちを連れ去る気なわけだが、出来る相談でもない。
●投資と回収という車輪の崩壊
なるほど、日本という戦後の国家システムも、ここに極まれり。
例えば、過去20年足らずで、うず高く蓄積された国家の借財、1200兆円とも言われる政府の負債、
40兆円やそこらの税収でどうやって返済するのか?、誰でも分ろうはずであるが、
それが、「投資」という名前になっている為に、誤魔化されているわけだ。
あなたは知っているだろうか。
要するに、国債投資等という形で、1400兆円とも言われる、
国民の全金融資産の9割近くまで使っているということを。
絶対に還すことの出来ない、いや還す気のない借金金額もそうだが、
放射能汚染と合わせて、既に・・・・極限を過ぎているのである。
ギリシアや中東、中欧やら米国、中国も含め、これは世界全てがそうであることを意味しているわけで、
文明の飽和点、言わば「飽和の極地」に至ったという事なのだ。
欲望特急、資本主義という名の列車の下には、もうレールが無くなった時点に到達してしまった。
人間サイドでは、もう如何ともしがたいところまで来たというサイン、
後は宇宙・大自然がはっきりと動き出す時点に来たということ。
また虎視眈々と、その崩壊時点でまた何かを得ようとする、ことさらの人為的工作もあるわけだが、
●その時に目覚めていられるか?
いずれにしても、
「まだは・・・もうなり」・・・・と相成り候・・なのである。
今後段階的に起きるのは、単なる「米ドルの崩壊」の話ではなく、
欧米の欲望追求を象徴した、今までの物質偏重文明の崩壊の話である。
人為的なものだけではなく、人類の想念に呼応した環境も出てくるはずだ。
宇宙・大自然のパワーが、おっとり刀で駆けつけて、今後強大な崩壊の後押しをすることになるだろう。
自然界の昨今の極端な動き、雨風の局所集中、頻発する洪水、旱魃、地震の増大、火山の噴火、
偶然と片づけたいのはやまやまだが? これらも1つのシグナルなのである。
聖書にもあるように、目覚めていなければ、その時は解らないのである。
人間社会の次から次へと噴き出してくる想念形の中だけで右往左往していては、到底そのサインには気付かないかもしれない。
これは1つには人類文明の「不調和度」が極限に達したという事でもあり、
また、人類の魂的成長プロセスの転換点に来たという合図であり、
さらに、地球という生きた巨大生命圏の進化の通過点でもあるわけだ。
・・・・
●回帰すべきは、大宇宙・大自然との調和である
宇宙との調和とは、宇宙大自然において、
本来の人のあるべき姿、なすべき姿を維持するということである。
宇宙・大自然、あるいはお互い様の人々に生かされていることに気付きながら、
それを通じて様々な体験、経験、思考、感情を培い、
人の本質である「魂」の進化、拡大のプロセスを、意識的に歩むことなのだ。
宇宙・大自然の法則を学び、応用しつつそれらを発展開花させ、
またそれらを扱う側の人の本質・魂を磨いてゆくこと、
これが、
1つ、宇宙創造の「子」である人の役割であり、
また、それを魂の進化と言っている。
日出づる国の住人は、
和をもって尊しとなす。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。