気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

空(くう)は充満する意識(2) 時間は実体でない

2014-01-19 05:32:32 | 見えないものから見えるものへ

空間というものがだだっ広いスペースという認識は、本来間違っているというよりは、これはいわゆる3次元的な認識によるものである。 

 

物理的な距離を表わすところの3次元的空間座標、XYZ方向の距離、何m、何km、何光年という空間認識は、

 

それがそのまま当たり前であると感じている人も多いだろうし、自分自身もこの方面の教育を受けたせいでもあり、またそれ以外の表し方はないものと思っていたわけだ。

 

いわゆる科学的な認識というやつである。

 

ある速度である方向に動けば、何時間で到達するかというような数学の問題のように、X,Y,Zという距離と時間tで時空の説明をするのは小学校から習っているし、

 

確かにそういうことで日常の空間移動を説明できる為に、そういう時間空間認識が絶対的に正しいと考えていたというわけである。 

  

アインシュタインは、特殊相対論で、これをX^2+Y^2+Z^2-(ct)^2=0 [^2は2乗のこと]

 

という単純式に集約した。 

 

別に数学論を言いたいわけではなく、ここに示される数式の中には、世の中でもっとも早い速度をもつのは光であり、また時間は虚数(it)で表わされそれが空間と相殺されるという直観的理解であろうか。 

 

ところがこの数式を眺めるならば、物理的な4次元時空認識、XYZの空間と、光速を掛けた時間tの関係式からいえば、時間は虚数で表わされるのではないかということも言えるのである。

ctの2乗がマイナスになるのは、t(時間)は虚数だということである。

 

 

これで言えることは、要は時間とは、虚数あるいは空間とは異なる性質のものという直観的理解である。  

・・・・

 

確かに「時間」というものはとらえどころがない。 

 

そう、そこに有るのは、それをそうだと思っている、あるいは合理的な解釈だと思っている・・・人間の「認識」以外にない。 

 

我々が時間と認識しているのは、全て「記憶、記録」のことであり、有るのは常に「今の瞬間」なのである。 

 

今の瞬間の・・・連続的持続・・・これを「時間」と言っている。 

 

 

ところが我々は、時間というものが量的な実体で存在しているかのように漠然と思っていたということである。 

 

時間量は存在しない! 

 

そういうこと。 

 

有るのは・・・ただ「変化」の記憶、記録ということ。

 

常に存在しているのは・・・「今の瞬間」なのである。 

 

それは覚者や聖者の言うところの単なる比喩ではなく、実際問題がそういうことなのだ。 

 

今、これを認識することが極めて重要であるかもしれない。 

 

あなたは理解可能だろうか?

 

在るのは常に<今の瞬間>だということを。 

 

・・・・

 

例えば毎年入れ替える1年のカレンダーを、太陽の周りを地球が回る時間枠とすれば、

それで時間が生まれるわけではなく、単に地球が軌道を動く変遷、

あるいはサイクルが生じているだけのことであり、有るのは常に「今の瞬間」である。

 

 

あなたが今まで人生という道のりを何十年も生きてきて、年をとったなあ・・・といえども、それは「時間」が消費されたからではなく、

 

 

単に、今の瞬間の連続的な「変化の記憶」が創られた・・・ということなのだ。  

 

そして記憶とは観察、あるいは人間の1つの認識の履歴に過ぎない。

 

したがって、本来意識的存在には、取り返しのつかない過去があるわけでもなく、縛られる時間軸というものがあるわけでもない。 

 

そもそも「過去」というものは、人間の<ある側面からの認識の>その記憶でしかなく、絶対的な現実というものではないのである。 

 

よく言われるように「過去」も変わるもの、現在の認識の仕方でいかようにも変わってしまうもの。 

 

なぜなら、永遠の今の瞬間と、その時点の認識の働きしかないからなのだ。

 

 

あの時あーだった、こうだったという記憶、例えば歴史の認識などというものは、全く実体のないものであり、それこそ単なる人間の1つの側面の認識でしかなく、 

 

それに捉われ束縛され、今の瞬間をがんじがらめにし続けることほど愚かなこともない。 

 

ことほど左様に、人類は気付かない・・・・さまざまな認識、観念で束縛されてきたことに気付けるだろう。 

 

タイムウエーブゼロ理論というものがあるようで、2012年で時間が終わる等とも云われていたようであるが、 

 

それは時間が終わってしまう、あるいは世界が終ってしまうなどということではなく、 

 

人類が、実際・・・時間は存在しないという「認識」に至るということを意味しているのである。

 

・・・・

 

そこにあるのは、人間には、確かに「今の瞬間」しかない・・・という驚異的な事実である。

 

そしてその今の瞬間に生じ続けているのは、その人の、そして人間達の、また人類の「認識作用」なのである。 

 

本来は物理的な実態も、固い物質も、微細から極大にいたるまで、様々な波動の重合でしかなく、

 

それ自体も・・・・ 

 

宇宙の全体意識の働き、いわゆるところの神の「認識作用」によって、常に今の瞬間に生じているのである。 

 

あるのは変化、変遷、記憶であり、それは意識の働きに他ならない。 

 

なるほどそう、神はオメガでありアルファであるということだ。 

 

終わりもなく、始めもない。 

 

あるのは変化だけ、今の瞬間がそのすべて。  

 

そしてあなたやわたし達も、アルファでありオメガである。 

 

終わりもなく始めもない。 

 

今この瞬間に・・・目覚めている「あなた」は、自らの自己認識主体、魂・意識は、 

 

永遠であることが理解できるはずである。

 

 

例えばわが身だと思っている身体は、小さくも大きくも変化を伴うものであり、それは魂意識の働きによって生じている現象であって、 

 

その変化すること自体・・・意識の働き・・・それは永遠であるということだ。

 

 

それに気付いたならば、その存在は肉体、身体ではなく、永遠なる魂・意識であることを自己で認識していることになる。 

  

目覚めた者には時間は存在せず、ただ気付きのプロセス、変化があるのみである。 

 

昔から云われる魂の永遠性とはまさにそういうことなのだ。 

 

 

Sk4


 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。