気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

Pさんの投稿記事 2017

2017-12-29 14:45:05 | 投稿記事

コメント調の文面ですが、
長年の親愛なる読者様のコメントを投稿記事にして、勝手に掲載させて頂きます。

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マッチョマンさん

龍之介君のご逝去に対し
衷心よりお悔み申し上げます
が、その感謝の心に清々しさを感じる次第でもあります。既に悲しみも克服されていることを感じる次第で
あります。

さて、Pは 実は完全なるコメント撤退を考えていた
次第ですが、この度、龍之介君 の 取り持つ 『縁』を

感じまして、再登場した次第

かつ

マッチョマンさんに最後の御礼を申し上げたく
まかりこした次第であります。
これがお悔みであり
マッチョマンさんに対する長きにわたる御礼でも
あります。

なぜマッチョマンさんが、龍之介君を飼ったのか

ずばり、「シリウスAの聖なる猫科」に
由来するでありましょう。
以下
メタトロンのチャネリングメッセージです。

>猫の喉を鳴らす音は、癒しにおいてとても
>効果的であり、人間のオーラを修復し、保護します。>猫達の神秘的な側面は、長い間認識されています。
>そして‘神殿の猫達’は、古代の数多くの社会と
>同時に、シャーマンの連れや協力者として
>用いられました。

「メタトロン」「猫」で ググってもらえれば
読めます。

実は、この龍之介君逝去の
まさに今年の11月14日に勤務先の駐車場にて
私の車に飛び乗ってきた野良猫を
飼うこととなりまして、
動物病院によると 生後4か月の雄
キジシロ という柄で、大変かわいい猫を
何と飼うこととなったのです。
名前を ミャア と申します。
(Pは、犬猫飼ったことありません。)

言霊では、3次元から8次元に誘う 現実的存在
となります。

恐らく 龍之介君とは生まれ年において
同じ干支 酉年なのかな? だと思います。

マッチョマンさんが愛猫を失った年に
私が、猫を飼うこととなる
これは偶然か?いや偶然ではないでありましょう

しかし、出会いとは別れであり

この猫と出会い飼うこととなったこの「今」
一切のコメントをやめようかな~ と決意している
次第でもあります。それは「別れ」なので
ありましょうか。

マッチョマンさんの
マインドをこの際手離すべし とのアドバイス
実は、
自分の人生でとても大切に深く受け止めています。

それは、
職場がどうしたこうした
世相がどうしたこうした

そのような下らない
どうでも良いコメントからの
完全撤退を意味する

全き「沈黙は金」の世界を感得した次第であります。

心の中に起こってくる繰り返しの
マインドの傾向を「観る」ことができるとは
起こるがままのマインドを繰り返すのではなくて
浮かび上がらせて それを
観て、手離すことなのであって
手離すからこそ、空が帰し、そこに宇宙が入って
またさらに拡張し進化し発展するわけであります。

だからこそこうしたブログコメントに記述することを
辞めることでもあります。

とは言え、礼儀礼節 これは重要なのであり
これが長年のコメントのやりとりとその誠実な
御対応への当然の態度でありましょう。

わたくしは、今、現実世界において
白峰先生 という方に
師事しておりまして、
この方が
サナートクマラであります。
日本神界では天御中主、スサノオ、
仏教では虚空蔵菩薩、
天使界では、ルシファー
他にも色々ありますが

「地球一切を救うビジョン」
これなどは名著であり、読んでみてください。

>「神智学第三イニシエーション以上に属する」
とは、下記であります



 記

第三イニシエーションはメンタル体の自己統御に関連するが、
それゆえに三つの部分(肉体、アストラル体または感情体、メンタル体)からなる“人格”の自己統御にも関わってくる。

このイニシエーションは、魂との融合として言及されることもある。

修行者が高次自己と混ざり合うことで融合を遂げ、魂が注ぎ込まれた“人格”となるのはこのイニシエーションにおいてであり、その“人格”全体が高次からの光で満たされる。

修行者はもはや低次元の思考や願望に支配されることはなく、その“人格”の波動は極めて高次のものとなる。第三イニシエーションは初の主要イニシエーションと見なされる。

心識(マインド)は主として魂からの閃きや直感や刺激に対して敏感になる。

修行者は魂や、当人が属するアシュラム、或いは霊的聖師団そのものからエネルギーを受け取る。

・・・第三イニシエーションでは、修行者は想念物質をうまく扱う能力に精通し、創造的想念構築における決まりごとの学びを完了する。

イエスの生涯においては、第三イニシエーションは山上のキリストの変容として言及されている。

このイニシエーションで活性化されるのは第三の眼のチャクラであり、「サナート・クマラが司祭役及び解説者を務める。」

それぞれのイニシエーションごとに、修行者はより高次のレベルへと成極することになる。

第一イニシエーションでは肉体に、

第二イニシエーションではアストラル体ないし感情体に成極していたが、

この第三イニシエーションにおいては、メンタル体に成極する。

以上


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粗末な”茶”ではありますが、一杯・・どうそ。

Pさん 本当に有難うございました。
ここで随分記事を書いてきましたが、
いつもいつも、こだまのように呼応して頂いたおかげもあり、
その他多くの方々の応援もありで、
稚拙ではありますが、500以上の記事となりました。


・・・

Pさん、そして、ご覧の皆さまへ、

特に何もお構いはできませんが・・(笑)
未だ店じまいするわけでありませんので、
コメントが面倒だと言う場合とか、
珍しく、話でもをしてみようとか、ちょっと聞いてみようとか、
そういう場合など、

下記、メルアドに遠慮なく連絡をお寄せください。

maccyoman1x@friend.ocn.ne.jp


本年もご覧頂きまして、誠にありがとうございました。

来年は、色々と”サッパリ””バッサリ”した記事等も考えています。


良いお年をお迎えくださいませ。

小天使の帰還

2017-12-27 07:38:47 | 投稿記事
今回は私ごとの記事だ。

もっともここ十数年の間もわたしごとの記事サイトであるわけだが、
何度かここにも掲載した、我が家の雄猫が昨日、天に還った。

全く静かな行き方であった。
実にあっぱれである。

12歳といえば高齢のほうだが、よくこの世界で今までサポートしてくれた。
涙があふれるほどこみあげてきた。
強く強く・・心からの感謝しかない。

私がパソコンに向かって入力している時に、知らぬ顔してキーボードの上を歩いたりして、
よく困らせてくれていた。(笑)
・・・
13年前ほど前、ブログをやり始めて少し経っていたころに
「猫がいてもいいな・・」と思っていた。
不思議なことに、それから数か月たって、
息子の高校の野球部のPTAから「子猫いらない?」という話があった。

初めてもらわれてきたその子猫は、家に入るなり少しおびえていたようだが、
猫じゃらしで遊んでやると、すぐに元気にじゃれて遊んだものだった。






長男がつけた名前がなんと「龍之介」である。
私が若いころの写真を見て、それが若いころの芥川龍之介に似ていたためだという。
まじか・・・?(笑)
それからわが家では、猫の名前である「りゅう」が盛んに呼ばれるようになった。

知らない人が聞いたら、まるで我が家に「龍」でもいるのかいな・・というくらいだ。(笑)

2歳のころには盛りが付き、種の保存エネルギーを持て余していたため、
やむなく去勢手術をせざるを得なかった。
生の自然の流れでないことが悔やまれたが、致し方ないとあきらめたのだ。
「申し訳ない・・」

彼は何もせず、寝ては起き、外に遊びに行ってはどうも縄張りをパトロールしていた。
腹が減っては「ごはんくれ」と鳴き、
眠たくなれば、不思議にも最も心地よい場所を探して眠る。

怒ることもなく、
嘆くこともなく、
ただ、あるがままに生きた。
「人間のように、うそや真もまぜこぜにし、自己主張よろしく、
ぺらぺらしゃべるわけではないが、うれしいことはうれしいと表現していた。

ただ・・在ること、そこに存在としていること・・それだけで、
冷たく不合理な社会の風を受け始める多感な時代の子供たちに、
癒しと安心感、素直さと健気さを教えたことだろう。

家で家人同士で、親子や夫婦での大げんかが何度か起きた時に、
決まって仲裁に入ったくれたのは「龍」であった。
お互い声を張り上げているときに、
きまってどこからかやってきて、
慌てた様子で、身振りや鳴き声でその場を鎮めてくれたのだ。
信じられるだろうか。

事実は小説よりも奇なりであり、
奇跡は気づけばどこにもあるのだ。


何を言っても、何をしても、ただ喜びと愛嬌で流して受け入れる・・
ただ、そこに在る・・いてくれるだけで・・有り難い・・。

猫だから、犬だから・・知力がないから、動物だから・・、
そんなことは全く関係がない。

人間が人間を癒せないからこそ、多くの動物が天から舞い降りてきているのだ。

それどころか、まったくと言っていいほど気づかず知らず、
あれがほしい、これがうまい、もっとお金を・・もっと権威を・と、
さも尤もらしい虚言の主張を繰り返し、
人が人を攻撃し、自然を汚しまくり、

自分たちのために、このまま続くはずだと勝手に思い込み、
すでに、その臨界点を越えたことすら気づくことなく、
自己自身の・・本来ありもしない架空の不幸を、
それさえも、どこか何かのせいにしている人の多いことよ。

・・・
昨日夕方、気づけば静かに天に戻った龍之介のことを知り、
集まった家族、縁者すべてが言ったことは何だったか。

共通なのは・・そう、「有難うね・・」だった。
そして、みな泣いていた・・。

わたしも後で泣いた・・・こんなにハートから感謝が出てくるなんて、
なんていうことだろうか!
・・・

同胞が、いとおしい生命の表現を終えること、
この時空の出現形態から、根源に還ることは、
実に喜ばしいのであるが、

わたし・・も、
この世という、悪想念と嘘の観念でしつらえられた
この時空世界に、いまだ存在しているからこそ、
その悲しみと喜びの深い味わいを知ることになる。

しかしながら、すべての経験、体験は・・・
実に・・ありがたい・・あり得ない、
有り難い奇跡なのである。

どこか遠くを探してはならない。
なぜならば、
いつもいつも、どこでも・・

それぞれのわたしの・・回りに在るのだ!


龍ちゃん、小さな天使よ、
有難うございます。

マインドの、その震えを突き抜け、
遥かに無限そのものである・・真我から、



感謝いたします。





ホ・オポノポノと「空」について(Hana)

2008-04-21 20:26:46 | 投稿記事

読者投稿記事を、またまた掲載します。著作者の方にはご了解を得ています。

皆様、投稿して頂きましてありがとうございます。それではHanaさん、どうぞ。

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~以下簡略抜粋です~

この宇宙は、最初は0(ゼロ)(何もないもの)でした。
やがてそこに苦悩が生まれたのです。
問題も生まれ、時間も空間も境界線も生まれました。
そして私たちに記憶というものが生まれたのです。
潜在意識の中に貯蔵された記憶は人類が生まれてからのあらゆる体験が刻まれています。
辛い体験もすべてです。
その潜在意識の中の記憶は、私たちが毎日生活する上で絶えず私たちを支配しています。
現実に起きるやっかいな問題や苦しい状況があるとしたら、それは潜在意識の中の刻まれた記憶による支配なのです。

その記憶を表面意識の意志によって消し去ることは不可能ですが、聖なる存在、神、宇宙、自然、天などと交信することによってその記憶を消し去り、0(ゼロ)の状態に戻してもらうという方法が「ホ・オポノポノ」なのです。

潜在意識にたまった辛い記憶を消し去り、それらに影響されない状態に戻すのです。

そして重要なのは自分が認識する世界はすべて自分が創り出したもので、「100%自分の責任」であるということを認めることです。
目の前にある問題は自分の内側にある問題なのです。

潜在意識に溜たまった辛い記憶を消し去り、それらに影響されない状態に戻すのです。

世界は0(ゼロ)から始まりました。そこにはなんの苦しみも問題もなかったのです。
その状態に戻るのです。

魂それ自体が経験を生み出しているのではないと悟ることが絶対に必要です。
魂は、記憶が見るように見るのです。(潜在意識の記憶の再生)
意識もまた、知らずして記憶の再生に従って動いています。
記憶の再生こそが、経験そのものを支配してしまうのです。

肉体と世界とは、それ自体が問題なわけでも、問題を孕んでいるのでもなく、潜在意識の中で再生される記憶の結果に過ぎないと悟ることこそが、問題解決のカギなのです

自我が魂の記憶の追体験にどの様に関わるかですが、それは本当の意味で自我が記憶という外的な力から離れ、内的な意識を持つ事ができるかどうかという事です。 

意識は、「すべての理解を超えた幸」つまり自己という贈り物に目覚めなくてはなりません。
生来の自己は、創造主つまり神性なる知能のように不滅であり、永遠です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「ごめんなさい I’m sorry 」
 「愛しています I love you」
 「許してください Forgive me」
 「ありがとう Thank you」

ホ・オポノポノの4つの言葉は限られていないそうです。
大事なのは神(内なる神性)に訴えかけるということなのです。「これでよろしいですか?」とか「すべてお任せします」といったように。
「愛してます」が言いにくいなら「大切です」、または「よろしくお願いします」など。
ただ心の底に届くように繰り返すことが重要なのだそうです。

なぜこの世界を創り出したのが自分達なのか?
それは内面の投影であり=鏡でありであるからだと思います。。
よく、「子供は親の背中を見て育つ」と言いますが、それと同じように、自分を癒していれば周囲の人にも波動として伝わるのではないでしょうか。

そうして自分を見つめ、心の中をクリーニングして削ぎ落として行くと、ワンネス(私たちは神の子であり、家族)で宇宙や神と一体であり、「無」=「空」である事に気がつくのだと思います。

私たちは野の花のように生きられるのです。
誰も見てくれないわけではないのです。
そこにそっと存在していて良いのです。

  光る
  光る
  すべては光る
  光らないものは
  ひとつとしてない
  みずから
  光らないものは
  他から
  光を受けて
  光る

(坂村真民)

存在しているだけで、輝いているのです。
私たちは皆繋がっていて、一人ではないのです。

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今の瞬間・・・が全ての舞台であるという事でしょう。過去も未来も、記憶も、予想も、「今」あるということですよね。

 

自分の知覚する範囲に関しては、全て自分の責任範囲であるということに衝撃を覚えました。外にあるといわれるこの世界に関しても、その本質認識については全て、全て自分の投影だということが事実であるという直感。ウスウスわかっていたつもりですが、本当に事実であるということに、やっぱり心はしびれてしまいますが、これが本当の事のようです・・・本当は実は素晴らしいんですね。皆々、一人の例外もなく、間違いなく、素晴らしいと思います。


未踏の審神(さにわ)とは・・・想像領域 及び 考察(P)

2008-04-16 20:31:25 | 投稿記事

Pさんの投稿記事です。 解かりやすいように、また面白いように出来上がっているわけですが、しっかりした自分の考えを表に出されています。   それではどうぞ・・

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 相手のことを本当に知るには、どうすれば良いでしょうか。相手の姿を知っている場合には、自分の場合、強烈に相手のビジョンを思い浮かべます。そうすると、大概のことはわかってきます。その時にやっていることと言うのは、相手を「姿」→「目に映る魂の具象」→「光」に変換して、その粒子性・波動性を解析して、審神(さにわ)している と言えます。
 余談ですが、自分の場合、相手に服などのプレゼントをする際にも、その人がいない状態でも、強烈にイメージしてから購入しますので、多くの場合喜ばれることが多いです。・・・あんまり、関係ないか(笑)

 では、インターネットの世界ではどうでしょうか?これは、相手の言動について、その言葉の響きや内容を波動化し、光に置き換えて互いに他を判断するしかありません。レベルの違いこそあれ、皆、大なり小なりこれを実践しているわけです。

 この「普段」の審神(さにわ)が発展していくと、我々は何処に向かうのでしょうか?他者を神とみなし(尊重・受容・解析・認識)、自己の内在神が発露(光そのものと認識)すると、自然に自身の内在神の光と他者の内在神の光が融合し、それを起点として他者の内在神に影をさしている状況、若しくは光の色の原因(個性・執着・過去領域)を知ることができるのではないかと考えております(直感レベル~霊視レベルまで)。また、目に見えない存在のことであっても、その存在(外部領域)に「目」という「五感」で直接アプローチするのではなく、まず自身の内側に入って、その光からその存在へアクセスし、感じる取ることで認識することができるようになるのではないかと「想像」しております。

 内側に光の強い方は、アストラル=ビジョンとしての創造・想像領域 も強いです。光には、形はなく、どんな像も即座に結ぶことができます。光の強さはまた、思いの強さでもあります。思いの強さは、思念のパワーであり、この二極性の厳しい現実社会の各局面でも自分が内在神であることを保ち続け、様々に創造・実現してきた艱難辛苦の経験値の総量(思念の現実化力)がそのまま数値変換されます。つまり現実世界に於いて、どのくらい健全な自己実現をはかれてきたのかの「経験値」と言い換えることができるように思います。(世間体とか、権威等とは別の霊的価値・ヒエラルキーにおける現実化の程度)

 この場合、大切なのは、現実でないビジョンは「妄想」であり、妄想は内在神に裏打ちされた秩序ある具体像を結ばないが故に魂の進化した存在が有するべき力とは、無関係かつ乖離していると認識することが重要です。

こうして高めた、自身の光、これらはエネルギーでありますが、それを拡張し広がり、新たなる能力を持たせる為には、「他者」もまた 光=神 であるとの認識の転換が必要になってくるように思います。これが統合意識への道であり、またこの意識が獲得できれば当然に他者のありのままも自身の内側から審神(さにわ)できる状態にもなるはずだと「想像」しております。

こうした、他者の「受容力」は、恐らく「空」=「スペース」=「キャパシティ」と密接に関連しているようです。マッチョマン様の過去記事で、捨てることによる「空」の示唆もありましたが、この記事は、それにインスパイアー・シンクロしております。「受」・「容」=「受」け止めるには、「容」器(うつわ)が必要 となりそうです。
閉じては行けない  開く
否定しては行けない 認める
限定しては行けない 何でもあり得る
との認識が、全て「受容性」のキーとなりそうです。

これらは、まだ達成しての記述でない為、想像の域を出ません。読んで頂いた方は、是非にも自己の経験に照らして、「他者を本当に知ること」とは何か「考察」してみて下さい。

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現実が何たるかを見極めない限り、それを超える次のページはめくれないようなもんでしょうか。見極めると言うのは、受け入れると言うことであり、変化極まりない外の世界でなく、それを見ている自分自身を、受け入れるということなのでしょう。・・という感じを勝手にしたわけです。これも一期一会・・あなたはどう思いましたか?


体幹・体軸(その2)  P

2008-04-03 08:24:44 | 投稿記事

「スピリチュアルな健康法」パート2です。

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 各運動のやり方は、御自身にあったやり方をすれば良いのですが、私Pのやり方は、以下のような感じです。

 腹筋については、足を三角座りのようにし、起きあがる際に前に折れすぎるなどしないよう(腰に負担をかけないよう)に工夫します。その上で霊的側面に注意を払うならば、臍の1点に集中することです。自分の場合は、左側の腹筋に弱い面がありますので、起きあがる際に左軌道(時計回り)で起きあがるように工夫して、体軸のずれをバランスさせています。より少ない回数で、効果を上げるには、上がりきらず降りきらず、出来る限りゆっくりと実施し、腹筋に早く悲鳴を上げさせることです。この限界状態を6秒維持することで、最大限の筋力増大が得られます。

 そんなに、筋肉つけてどうするんだとの疑問も湧くと思います。目標は、筋力にあるのではなく、代謝能力(カロリー消費能力)にあります。少々食べ過ぎた状況でも内臓の消化吸収能力が上がり、日常の生活でも動きが機敏になり、知らず知らずの内にカロリーを消化することができます。及びヘソの締め付けによる、「気」の上昇効果です。
背筋は、馴染みのないトレーニングだと思います。うつ伏せになります。足首をどこかに固定してロックされている状態が最適ですが、家の中だとままなりません。そのままで良いです。手は組んで後頭部にあてます。それで、腰から上の状態を最初は無理なくあげるように運動します。腰から下の足はできるだけ、接地させます。

 スクワット・・・同じような要領です。腰から下は、関節が3つあります。股関節・ひざ・足首です。これらを、同時に曲げます。御自身の弱い筋肉を補強するようにされるとバランスします。つまり、人によっては、ふくらはぎ の筋肉が弱い、ふともも が弱い など、鏡に映し出した御自身の足の筋肉のバランスにより、3箇所の関節の曲げる角度を調節します。柱や壁に背中をべったりくっつけて、沿うようにスクワットを行いますと、足首が強制的に曲がりますので、臑(すね)の表裏の筋肉の弱い方にお奨めです。

 これらの運動に共通することは、2日に1度で良いということです。休みの1日は、読書したり、散歩したり、あるいは柔軟運動をしたり で良いと思います。柔軟運動は、筋肉をしなやかに怪我しない肉体に変えてくれますので、大切だと思います。回数については、最初は10回、15回、20回あたりを1セットにすると良いと思います。ローテーションで回して下さい。腹筋→背筋→スクワット これを 1セットとして、自分の体調や目的にあわせて セット数を調整します。

 この腹筋・背筋・スクワットが成就してきますと、喉・ヘソ・肛門の締め付けが同時に肉体的に可能となり、クンダリーニエネルギーである「気」が上昇しやすくなります。
肉体は、意識の一部であり、また意識は肉体の一部とも言えるように思います。肉体をある目的に向かわせすぎることは、主客が転倒しますが、現代人に総じて言えることは、一度主客が転倒する極端もやってみなさい!と言うことです。

 はあーという溜息をしている、その刹那、腹筋3回できてしまいま~す。いいもんですよ、体を動かすって。如何でしょうか?ただし、巨人の星になれ とは言ってませんので、くれぐれもご注意を。私のトレーニング方法を聞いて頂き、ありがとうございました。

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 この1部でも出来れば、今流行っているイメージ伝染病の1つ「メタボ・・」などは消えてしまいますね。飽食が無くなって仕方なく痩せるより、自主的に調律するほうがはるかに優雅で、またいわゆる高次意識につながるものでしょう。考えようによっては、余ったといって問題視する体脂肪は、地球から頂いたものです。

生態系のシステムでの人間の役目の1つとして、地球は物波動を与え、人間が心波動に変換して還しながら、変化進化しているともいえるでしょうか。