気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

今起きていること (5)歪んだ観念の解消と解放

2014-07-28 08:05:57 | 見えないものから見えるものへ

人為世界、社会の全ては人間が創り上げている。

 

どんな出来事も、どんな事件も、どんなハプニングも、全て人間が創っているのである。

 

そこに偶然、自然発生的なものはないのだ。

 

意識的であれ、無意識的であれ、無作為的であれ、意図的であれ、

 

全て人間の想念、感情、行為が創っているのだ。

 

ただ、それらに気付けぬ部分があるために、偶然だという感じを持つのである。

 

・・・

 

今の世界の紛争や争いや事変の数々もそうである。

 

それが意図的なもの、バレバレの作為的なものと感じるのは、人の想い、観念が元にあることを知っているからなのである。

 

そう、

 

今の時代はそういう人類の・・・想いと出来事、現象の因果関係が見えてきている時代である。

 

特にエゴ的な意図は、まるでそのシナリオが見えるようなものではないだろうか。

 

バレバレであり、飽き飽きな、そんな人間のこころが透けて見える時代になっているだろう。

 

 

 

恐怖を醸し出すような陰謀論なども、実際に裏にある人間の利己的な意図のあぶり出しなのだ。

 

悪どい意図の隠れた、さも人類に幸福をもたらすかのような宣伝も、

 

今にも最終戦争が起きてしまうかのようなパフォーマンスも、

 

全て人間の想いの噴出であり、恐怖の歪の放散と解消を意味しているのである。

 

 

 

例えば、原発事故にともなう、原子放射エネルギーの拡散も、そういう人類のこころの歪みの放散パターンが形に現れたものである。

 

身の回りの出来事であれ、社会の事件であれ、その報道の仕方であれ、グローバル世界の事変であれ、

 

どんな事象、現象にもそういう歪の解消パターンがある事に気付かなければならないはずである。

 

そう、起きたこと・・現象・事象、事変、事件とは、人類の想念パターンの歪の放散、解消を意味しているわけで、

 

それ自体が原因という事ではないのである。

 

 

とかく、現象に振り回される癖を持っている場合は、

 

物が先にあるという唯物的観念で洗脳されたままの意識状態では、

 

現象、事象の生起を観察した場合、

 

さらにそれを恐怖してしまうような、それをまたぞろ原因因子として蒔いてしまうような、

 

これまた、そういう「こころのパターン」があることに気付けるだろうか。

 

 

ミクロの量子の世界では、意図的に観察することそれ自体が、

 

波動崩壊、

 

つまり潜在的波動状態から、粒子的あるいは物的現象へと促すわけで、

 

そのミクロの集合であるマクロ世界は尚更なのだ。

 

マクロとは1つ我々の普段の知覚世界のことである。

 

 

人間は意識的な存在であり、その意識の振り向く先へと現象が生起するのだ。

 

だから、その意識の振り向く先、意図する方向に・・・・・気を付けなければならないのだ。

 

 

世界で起きていることは、人々の意識の振り向く先をコントロールしようとするものもあり、

 

それに「振り回されて」は情けないことになるだろう。

 

例えばそれは、静かな台風の目からふらふら外れて、外の暴風域に引っかかるようなものである。

 

。。。。

 

ここが肝心かなめな峠なのだ。

 

・・・・

 

例えば、様々な思惑、予想、予言等というガイドを求めることも、

 

外の人為世界の何かに希望を託すような愚かさを示している。

 

 

そういう恐怖や不安からくる依存、漠然とした期待、

 

我々のために「他者」が創ってくれるより良き世界というものが、

 

預言などで言うところの、反キリストの支配等というところの、似非の理想ワールドのことなのだろう。

 

 

それは、世界が混乱を増し、カオスが行き渡り、戦乱が世界に及んだその先に顕れる・・・というような、

 

そんなストーリーなのだが、

 

 

実はそれはひとり一人の、こころの経験すべき、通過すべき有り様を示しているのだ。

 

依存を見破り、葛藤を手放し、怖れを棄て去るための、こころの苦悩とその先の昇華を意味している。

 

ラクダが針の穴を通る・・・という比喩は、

 

それが難しいことを示しているのだが、

 

それは大きな「物体」は、小さな穴を通れないという当たり前のことを言っているだけで、

 

意識としての存在ならば、大きい小さい関係なく通過できることを示しているのである。

 

人間は物ではなく、まず意識存在であることを忘れないでおこう。

 

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 意識⇒(想念)⇒エネルギー⇒物的現象

 

これは森羅万象で、起きている根本的パターン。

 

それが創造の根源であろうと、人為的であろうと。

 

・・・・・

 

 

自分をさておいて、自分を観ぬふりをして、自己内面の歪を自ら解消せずして、

 

それ、自由と民主主義?だから、誰かが変わってやってくれるというような、

 

お為ごかしのそんな洗脳プロパガンダに、

 

頼っていることは出来ない相談なのではなかったか。 

 

 

どうして、あくまで外の世界の変化を待ち望むのか?

 

ひとり一人の意識の<質>が変わらずして、

 

ひとり一人の意識する、知覚する世界が変わらずして、

 

その集合せる結果である、いわゆる世界が変わるわけはなかろう。

 

 

とはいえ、あなたやわたし達が、

 

今世界が加速度的に何かの変化を遂げていると観察しているならば、

 

その現象世界の背後にある、不特定他者の意図や思惑が見えているならば、

 

既に、その分だけ・・・歪なくよく見える・・・そう、内面の歪が解消していることを意味している。

 

 

 

そんなことよりも、何よりも、

 

 

 

社会で不本意ながら無意識に培ってきた、本当らしい・・・嘘で出来た社会通念、

 

その時だけの便利さや汎用性で、それを良しとしてきた経済観念、

 

勝った負けたの競争観念、

 

大きい・ちいさいの比較観念、

 

人間はみな孤独でバラバラだから厳しい秩序が必要という束縛観念、

 

 

そういう古い観念を、まず一切がっさい・・・浮き立たせて観察してみるべきである。

 

観念とは人間の想念のパターンのことであり、

 

そのパターン、鋳型を、自らで造り替えるべき時が来ているのである。

 

 

 

造り替えるのは、外の仕組み、方式、型式でなく、

 

それを投影、現出させるところの映写機である・・・「こころ」の鋳型なのだ。

 

混乱に満ちた世界にあろうとも、それを観ている・・・こころが静かであることは、

 

自己の本質であるところの「意識」に留まっていることを示している。

 

 意識⇒(想念)⇒エネルギー⇒物的現象

 

 

 

どこにポジショニングするかが何をおいても大切だ。

 

世界がどうあろうと、誰が何を言おうと、どんな騒ぎを起こそうと、

 

 

激しい興奮や刺激やスリル、怒りや嘆きのの中には真実はない。

 

それらは爆発的かどうかは別として、

 

単なる歪の解消・解放に伴うカタストローフィーでしかないのだ。

 

。。。

なにがあろうと無かろうと、 

 

時間や空間など超えているところの、

 

そして、

 

それを観ているところの、

 

それぞれのあなたという<普遍意識>が「全て」の中心である。

 

 

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今起きていること (5)カルマの解消

2014-07-20 17:14:09 | 見えないものから見えるものへ

この数千年というか更に大きな時間枠で、この地上で繰り広げれられた人間達の歴史は、

 

今、そのカルマの解消時期にある。

 

 

カルマという概念は西洋、あるいはグノーシス派以外のキリスト教文化には散見しかされず、

 

逆に、東洋の仏教やヒンズー教、チベット仏教、ラマ教、あるいは古代文明の末裔である人々の文化、各地の民族伝承や戒め等には色濃く反映されているようだ。

 

自分の想いやその表現である行いは、その結果が全て自分に返ってくるという事はよく聞いただろう。

 

そう、カルマとは、魂レベルの因果応報とその仕組みのことだと言って良い。

 

それは、何が宇宙・森羅万象との「調和」であり、何がその「調和」から外れているのかという事を、身をもって学ぶシステムなのである。

 

それが真に分るまで、魂は<自己フィードバック>を掛けながら、身を切るように、おのれの想いと表現の意味合いを理解、昇華していくということだ。

 

この世界はちょうど、そういうレベルの魂の学習者に好適な環境を提供してきたのである。

 

 

 

野放図に想いを垂れ流し、好き勝手にそれを表現し、行為に及び、

 

気付かず知らず・・・その果実を自ら刈り取って、

 

甘い味、苦い味を味わうための、どこか峻烈とも言える魂の修行システムなのである。

 

その苦い味わいを嫌というほど繰り返し経験することで、何がどういうことなのか・・・を理解できる意識レベルへ進むのだ、 

 

想いを観て、行為を観る・・・・自らが自らを・・・観察できるような意識レベルに高める為の修行場のようなものなのだ。

 

苦い味の意味が分らず、それを他者のせいにして、あちらこちらに垂れ流しては、

 

周囲をゴミだらけ、毒だらけのフィールドにしてしまうならば、それが<修羅場>という場になるということだ。

 

多分あなたもわたし達も、そういう修羅場を通り抜けてきたはずである。

  

・・・・ 

 

またカルマとは、根源意識から放たれた無数の光、魂意識が、

 

根源意識へと帰還するための、

  

言い換えれば、根源と同じ意識レベルに到達するための教科プロセスである

 

・・・という言い方も、そんなに外れてはいないだろう。

 

 

 

 

人の子が大人になるように、神の子は、神に成長するべく様々な経験を経るようなものであり、

 

それは聖書にある「放蕩息子」の物語が示唆するものと同じだとも言えよう。

 

そう、この世界にいる・・・あなたもわたし達も、放蕩息子や放蕩娘だったのである。

 

 

 

嗚呼、なんと言うべきか、死んでもまた生まれ変わり、生れて死に変わり、

 

上に行って休息をしては、また下生するそんな転生のサイクルシステムなのだが、

 

無限とも思えるこの地での「生」を繰り返すうちに、ふと・・とした<気付き>が生まれる時期がくる。

 

 

何が何だか・・わかってくる、あるいは繰り返しに飽きてくる瞬間が来るのだ、

 

それが悟りだとか解脱だとか言われる、ある意味での・・・「魂・意識の覚醒」なのである。

 

それは例えば、毎朝目覚める・・・あの瞬間のようなものであり、

 

異質な夢から・・覚めた後の・・・・ホットした意識のようなものでもあろう。

 

とは言え、また、夢から目覚めても、またさらに大きな夢を観るとも言えるのだが、

 

それはまた、更に広く、高い意識次元への移行を意味するのである。

 

意識想念エネルギー現象世界・・・・

 

意識が変われば、それに伴う現象世界もそれにふさわしいレベルへと移行する。

 

それは単なる魂の転生ではなく、そう・・・魂の飛躍なのだ。

 

 

・・・・

 

この地球は、魂がこの粗い次元世界に当初は勇躍と降りてきて、

 

地球の生態系内で用意されるところの人間の「肉体」の中に、

 

その「本質・魂」を投影・投入することで、その魂・意識を・・・自ら・・注ぎこみ、

 

元にある<大いなる自己>を忘れる事から始まる・・・そういう体験が出来る学習場のことである。

 

 

 

誰も皆、赤ん坊という無意識の生命形態から始まり、

 

次第に成長しつつ、意識を拡大しつつも、

 

魂本来の、生と死を超えるところの・・・自らの記憶を失ってしまうのはなぜだろうか。

 

・・・・

 

 

それは、高い意識周波数帯域から、相当に低い周波数帯域に移行した場合、

 

ほとんどの情報がサンプリング出来ずに欠落してしまうことと同じなのである。

 

白黒テレビの情報はハイビジョンでは再現できないようなものである。

 

 

 

 

とは言え、ほんのちょっとした記憶はあるがゆえに、性格やら性向やら趣向やらというような心的傾向や個性等として、どこかそれを表現しているのである。

 

同じ親から生まれる兄弟でも、全く異なる性格になるのは、確率的偶然でもDNAの違いでもなく、

 

魂の記憶がその当事者に、かろうじて残っているためだと言えるだろう。

 

 

 

赤ん坊が生まれるというのは、

 

また無意識から意識が芽生えるように見えるのは、実はそういうことなのだ。

 

わざわざ粗い周波数の世界に自らを落とし込み、あるいはわざわざ泥沼の池に種子を植え込みながら、

 

その滋養によって輝かしい姿を花咲かせる蓮の例えのように、

 

神がわざわざ、まどろみの夢の中に入り、

 

再び根源たる「わたし」に、段階的に目覚めることを体験しているようなものだとも言えよう。

 

それを魂レベルの進化と言っている。

 

 

 

だから、この世界は 『リアルこの上ない夢』 のようなものであり、

 

あるいはホログラムワールド、あるいはバーチャルリアリティな世界だとも言わる所以(ゆえん)なのである。

 

 

それを見破れない間は、

 

生活の起点となる我が身をかばい、それを何とか維持しようと、汲汲となるのも仕方がないことなのである。

 

その為の銭、金、物、地位、権力なのであるが、結局はそんなものは単なる記憶の断片として残るのみなのだ。

 

誰も皆、限られた命とは知りつつも、なぜかしら自分だけは生き残ろうと・・・文字通り必死の形相になることもあるだろう。

 

自己保身のためには、平気で他者を騙し、虐げ、搾取し、殺しても、すぐに忘れてしまう者もいるだろう。

 

特に今の時代はそういう者達のオンパレードのようになっているではないか。

 

・・・そういうことがある範囲では許されてきた世界なのである。 

 

 

 

今世界中で争いが増えているのは、これが・・・最後の・・・わがままし放題だからなのだ。

 

2千円ぽっきりで食べ放題・・・ならぬ、

 

地球の一大サイクルでの、わがまま学習し放題メニューは、もうすぐ終わりを告げる。 

 

暴力教室ならぬ、暴力幼児園は、ようやく1つランクアップされた、

 

あたかも小学生の為の表現フィールド世界になるということだ。

 

昨今ある分野で囁かれるアセンション、次元上昇とはそういうものであろう。

 

 

・・・・ 

 

絶対的に達成できないサバイバルのために、

 

少しでも、わずかでも自分だけは生き残ろうとするのが、さも正しいとする世相であるが、

 

それが無意味であることを悟るまでに、どれほどの繰り返し人生が必要なのだろうか。

 

   

本当に親のような愛に満ちたこの世界であればこそ、そういうことが出来るのである。 

 

無限に近い許し、愛と慈悲に満ちたこの世界・・・魂の成長の為には、

 

 

どんなことも、その多くが許された世界なのであるといえるだろう。 

 

生まれ変わり、死に変わり、好き勝手し放題やってこれたのは、

 

まさに母なる地球の慈愛のおかげなのだ

 

 

 

 

繰り返す過ちの、そのまた繰り返しがあっても決して滅びない地球、

 

そう、この世界は、人殺し、戦争、強奪に遭遇しても、

 

再び何度でも死に変わり、幼児として生き返ることが出来るような、

 

そういうバックアップ体制の整備された、多層次元構成をしているからである。

 

トランポリンのように、地上から外れ(死んでしまい)、

 

上空(すぐ上の次元)でひと回転しては、また重力(カルマ)によって再び地上に落ちてくる(生まれかわる)。

 

それが輪廻転生といわれている。

 

 

 

 

この地上世界、物理世界といわれるこの世界は、

 

「地球」という惑星意識の存在波動のうちのの、最表層あるいはもっとも粗い振動で出来た世界、

 

つまり「物質的幻影の濃い」世界のことを指すのである。 

 

・・・・

 

従って、この修行場に参入した、年端もないというか、

 

未だ自己内面の意識的自発光の少ない魂達は、

 

魂の教材であるその濃い物質的幻影ばかりに目を奪われるところから始まるのだ。

 

この世界の物質的幻影、権力や地位や富、それらを追いまわすことで、無理やり収奪、獲得しようとすることで生じるのが「カルマ」なのである。 

 

 

 

 

そう、カルマとは「執着」という意味でもある。

 

あまりにも行き過ぎた「執着」は、言い合い、争いとなり、諍いとなり、闘争となり最期には殺し合いとなる。

 

このような繰り返しがこの世界の歴史の特徴であったろう。

 

そうではないか? 

 

そういう意味では、地球は『悲しみの星』だとも言われているようだ。 

 

 

当然ながら、

 

目の前にいつも迫っている<物質的幻影>に、意識がどっぷり浸かっていては、自己が普遍的な魂だということが、なかなか解るはずもない。

 

そういう自らの在りようを、自らの意識が・・・・別の物差しでもって観察する意識レベルにならなければ、

 

到底気付けないような、そんなある意味で過酷な世界だったのである。

 

誰も皆、この世界に生きるのは結構大変だろう?・・・そうではないか。

 

それはこの世界の多くの魂意識が、未だ「無明」の中にいるからである。

 

明らかで無い状態、・・・自分とは何か・・・本質を知らない状態、

 

そんな中で、ああだ、こうだ、俺は偉い、お前はだめだ、クズだ・・などと牽制しあいつつ、

 

競争社会で不特定の支配層に、ご奉仕させられている・・とまあ、こういう寸法なのだ。

 

それを象徴的に言えば「闇」の中にいるような意識状態なのである。

 

まさしく無知で過酷な世界である。

 

 

 

 

その中であってさえも尚、それらの教材の意味を悟り、多くの魂達は霊的進化を遂げ卒業してきたのだ。 

 

そして、今この惑星生命圏は、すでに卒業式のプロセスに入ったわけで、 

 

従って、あらゆるところから、今までは隠されていた<歪>がどんどん出てきているのである。

 

それは単なるカオス(混沌)が起きているのではなく、

 

それが個々人であっても、民族であっても、例え人類であっても同じことであり、

 

想念、エネルギー、現象世界のプロセスの・・・解消・昇華、浄化が起きていることなのだ。 

 

人々は自らのカルマに、自らで・・・・気付けるだろうか?

 

 

 

例え苦しくとも、自らでそれに気付ければ、

  

また観察できるならば、それは量子場での波動崩壊を起こすことになり、 

 

言い換えれば、形として現れて、そして既に解消しつつある事を示すものである。

 

 

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今起きていること(4) UFOと宇宙 その2

2014-07-18 08:26:34 | 見えないものから見えるものへ

(つづき・・より) 

 

 

それで、普通ならその女性との接触は終わったというはずだったのだが・・・、 

 

今度は家内の手袋に着目したようで、指差しながら 「それっていいですねー」と言ってきた。

 

それって?・・・ハンバーガーをパクつきながら、チラとその方を見たのだが・・・、 

 

要は、それは家内が着用している、腕の日焼け防止ための長袋で、機能上指先のところが開いているタイプのことらしい。 

 

・・で、家内は (え?あー、そうですか) という感じでにこやかに聞いているのだが、  

 

私としては、その見知らぬ女性が話題を変えて、まだ我々との接触をつなごうとしていることに気づいたので、 

 

(なんだ?やっぱ、勧誘のたぐいか・・・・)ってな感覚が、さっと起きてきたわけだ。 

・・・・

 

すると、 

 

こう見えても、わたしは帰国処女(子女)なんですよ」と、言うではないか。

 

帰国”子女”に”処女”を掛けて<ダジャレ>を飛ばしているのだ。。。。

同時に、カエルのように足をO(オー)脚に曲げて、自分の又間のほうに手をやっている。

 

こちらは(おーっつ、NO!・・・ え、なに、それ? マジ? ) てな反応である。

 

笑いをとる為なのか、まるで関西の吉本興行の芸人のような、下ネタ風のギャグパフォーマンスをするではないか! 

 

(・・・見ず知らずの者に、・・・いっ、いきなり、なんという格好をするんじゃ!)

  

堅物のおじさん(私)にとっては。晴天の霹靂のような、超ダサいギャグに見えたのだった。 

 

それまでは、適当に目線の隅でしか見ていなかったが、勢い・・私の目線は彼女に向かった。 

 

・・・・ 

その彼女は、白いトレーナー風のズボンに、オレンジの上着を着ている、身長150~160センチくらいの小柄の女性であり、髪は頭の後ろにまとめて束ねてあった。 

 

眼には大きな丸形レンズの濃いサングラスを掛けているので、顔の真の特徴はよくわからないが、色白でこじんまりしたうりざね顔の女性である。  

 

(あれっ・・・・どうも怪しいな~、それに普通の買い物客でもなさそうだし・・・)と勘繰るわたし、 

 

それにダサい関西風?ダジャレ・パフォーマンスをするとは・・・・ 

 

ひょっとして、ヤバそうな、ちょっと頭の変な・・・人、なのかもしれない・・・)  

 

という想念が、一瞬によぎったので、  いきなり彼女の方に向かって、

 

もう結構・・・・」・、あっち行って・・・という感じで、やんわり・はっきりと手を振ったのだ。

 

そりゃそうだろう。 

 

通常、見ず知らずの人に声をかける場合は、単に道や場所を尋ねるような通りすがりの人か、

 

あるいは目的をもった何かの勧誘か、商品の宣伝かと大体相場は決まっている。

 

私は経験上、相手から入ってくる場合は、大体はそういうものだと思っているために、どうせ何かの勧誘かそんなものだろうと考え、 

 

「結構ですので、・・・・」 という身振りをしたわけである。 

 

で、それをすぐに察知したのか、彼女が向こうに行きかけたので、やや「ホッ」としたのだが、 

 

なんと・・・、 

 

リサ・ランドール・・・・知ってますか」 と言ってきたのだ。  

  

えっ?  リサ・ランドール・・って?、あんた、あのリサ・ランドールかい!) 

 

その名には明確な聞き覚えというか、強烈な印象があったために、思わず、 

 

「ええ、良く知ってますよ・・・!」と言ってしまった。(別に知り合いでもないのだが・・・笑)

 

・・・実は、名前は知っていたが、とっさのことでやや記憶が「漠然」としており、 

 

確かアメリカのチャネリングの女性かなんかだったか・・・リサ・●●●?・・という程度のイメージだったのだが・・・・・。 

 

例の彼女はといえば、すぐそばの自分の自転車のかごの中から、何かの本を持ってきた。

 

(自転車をここの、すぐそばに止めてあるらしい、それにすいぶんしゃれた自転車のようだ・・・) 

 

 

そして、私に向かって「ハーバードの?」 と聞き返してくるではないか。

 

要は、リサ・ランドールは、ハーバード大学のリサランドールか?・・と聞いているのだ。 

 

どうも、こちらの漠然としたリサ・ランドールのイメージを察知している模様。 

・・・・

 

私は”ハーバード” と聞いて、それはアメリカの有名大学の名前だということを知っているのだが、 

 

何でもかんでもアメリカの名前を出せば、さも箔がつくような浅薄な言い方に聞こえたので、 

 

「アメリカは関係ない!」と突っぱねた返答をしてしまった。 アメリカさん関係は嫌いだよという意味も含んでいる。 

 

そしたら、彼女は、 

 

五次元の?」 と聞いて来た。

 

要は『五次元理論』で有名な、リサ・ランドールか?と言っているのだ。

 

 

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(う・・えっ?)

 

・・・・ 

その言葉で、私は思わず彼女の顔を真正面から、まじまじと見てしまった。 

 

相手も笑わずにこちらを見ている。 丸く濃いサングラスを着けているので目は見えないが、しっかり目が合った感がした。 

 

どこかしら「ドキっ!」である。

 

・・・・・ 

 

(え?・・・・、何でこんな巷で『五次元』という話が出るんだ???・・・あらたな宗教か何かか?) 

 

さらに、ご親切にも......? 彼女は自分が持ってきた本をめくって、リサ・ランドール女史の写真と、数学の数式やら何やらが載っている英文の本のページを開いて、私に見せるではないか。 

 

要はマックの前で、夫婦げんかしながらハンバーガーを食べていたそのシチュエーションで、誰かが現れて、なぜだかリサランドールの五次元本を見せてくれている・・・・と、そういう出来事なのである。 (やだ~、意味ふめ~いい!)

 

思わずそれを覗き込んでみると、たしかにこの写真の女性に見覚えがある。 

 

そして、パラパラとページを捲ってくれているその本のページには、何か赤や黄色のマーカーで印などが記入されている。 

 

それを見て、 ・・・!

 

ハハア・・・この女性はハーバードで学んだ帰国子女であり、そこで学んだことを誰かに見せたいと思っている・・・そんなところなのだろうか?)・・・等と思ったのだった。

 

なので、彼女に向かって  

 

「こういうもの・・・(リサランドールの本)・・の販促?サークル?のようなことをしているのですか?」と質問したが、 

  

・・・・・・」 という反応、 ?どうも、違うらしい。 

 

そう、ここではまだ私の感覚では、 

 

例えば、若い青年風の男子が、駅前で時々勧誘している、モル●ン教の勧誘のような、アメリカ発の何かの宗教か何かのたぐいかと捉えているのだ。 

 

とっさに私は、更に先ほどの『帰国処女(子女)』等という、ダサいダジャレと、どういう関係があるのか・・という口ぶりで、 

 

「(写真の彼女は) 帰国処女などとは言っていないですよ~(笑)」 

 

という、嫌味とも取れそうな言葉を出したのだった。(1本とったか?笑) 

 

そしたら目の前の彼女は、 

 

ああ、すいません」・・・・(笑)

 

で、その声が、何かこころなしか、先ほどと違って少し「低め」に聞こえたのだ。 

 

・・あれ・・さっきと声音が違うような?・・・気のせいか。 

 

 

さて、行くところまでいった感じで、もう相手からはもうアクションはなさそうに見えたので、 

 

私は、またまた 「もう結構・・・」 という風に、左手を左右に振って、お引き取り願いの合図をしたのだった。 

 

その後、すぐに彼女は踵をかえし、足早に自分の自転車のところに歩いてゆき、機敏な動作で自転車にさっと乗って、どこかに去ってしまったのである。 

 

あれ?ちょっと待て、足を外回しに上げて自転車のサドルに乗る、あの元気そうな乗り方はいわゆる「男乗り」ではないか・・・!

 

・・・・

 

ふと、我に返ると、近くの通りすがりの買い物客らしい老年夫婦がそばに突っ立って、一部始終を見ていることに気付いた。

 

その中年夫婦の様子は、なんだか異様なものを見ていたような、どこか唖然としているような感じだ。 おじさんのほうは目線を遠くに向けて「ぼーっ」としている。

 

見られていたことに私が気付いて、そのおばさんの方に目を向けると、

 

「なんだ、知り合いかと思ったわ~」 と言ったきた。 (この人も初対面である) 

 

私は、(えー?冗談でしょ、違いますよ~)という意味で、また手を左右に振りつつ、

 

「(さっきの変わった女性は) ここらでよく見かけるんですか?」 とおばさんに聞き返したのだが、

 

要は、「先ほどの人は、ここら辺りにちょくちょく出没する、変な人でしょうか?」という意味である。

 

おばさんはちょっと動揺した様子で、首を横に振っている。

あんな人知らないわよ・・・てな感じである。

 

そう言ってから、その通りすがりの老年夫婦もそそくさと去って行った。 

 

 

    ーーーー以上が、やや詳細な「なぜか、買い物途中の五次元会話」である。

 

 

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・・・・・

 

その後で、家内と家に向かう途中でふと気づいたのは、

 

あれはいわゆる五次元存在のメッセンジャーか、そういう類の人だったという直観である。

 

簡単に言うならば宇宙人、あるいは高次元的存在が、地上に降りてきているという感覚。

 

なるほど、興味本位の宇宙人とかいう話はよくあるし、普通では妄想のたぐいとも捉えられるのだが、自分達が遭遇したことを振り返り、

 

前後の意識状態やら、やり取りの微妙さを復習・再現すると、とうてい普通ではないものを感じざるを得ないのだ。

 

 

宗教の勧誘でも、商品の宣伝でも、道を聞く通りすがりでもない。

 

信じるも信じないもあなた次第だという言葉をよく聞くだろうが、要は受け取り方次第だということでもある。

  

普通でない事象をあげるとすると。

 

こういう一種普通でない「出会い」が起きる前に、自分に何かの明らかな「予感」がしていたこと、

  

内面に何かしらイライラ感があるのは、どこか内面の「エゴ」が未知なるものにイヤイヤの反応している場合が多いのだ。

 

また、彼女は女性だが、女性に良くある、如何にも「女」を示すようなナヨナヨ感が全くない、

 

どこか男性的なものを併せ持つ感じの存在であるということ、男性性、女性性のバランス良い女性のような・・・、

 

また、「わたしは帰国処女(子女)」などという、周囲の人もびっくりさせたるような、吉本風パフォーマンスまでして話をつないで最終的に本を見せたのは・・・なぜか。

 

・・・帰国子女・・・と言えば、生まれは他国でも、理由があっての母国に帰ってくるという感じの意味があるように、

 

ちょっと意味合いをひねれば、例えば、

 

古く地球ゆかりの存在であるが、訳あって地球に還ってきている・・・?とも受けとれるわけだ。

 

宇宙チャネリング系で言えば、シリウス、プレアデス等・・・というイメージもする。

 

また、話しかけてきて、最期に言わんとするところは何かといえば・・・・、

 

リサ・ランドール博士という、解る人にはギリギリ受け入れられる既成概念から入り、

 

最終的に示そうとしていたことが何かと言えば、

 

それは・・・・「五次元」の話なのだ。

 

そう、

 

だれが、「五次元」の話を路上でするというのだ?

 

それに、どうして私がそういう類の概念を知っている者だと・・・わかるのだ?

  

こういうことを観察・考察すれば、

 

これは偶然のシチュエーションからのハプニングではなく、なにか必然の出来事と考えられるである。 

 

それに表面では言えない、まだ色々なことがあるのだが、今回の個人的な「宇宙人との遭遇?」の話はここまでとしよう。

 

 

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本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 

 


今起きていること (3)UFOと宇宙の話

2014-07-13 09:14:20 | 見えないものから見えるものへ

 

なんと、宇宙人との遭遇・・・という話なのだが、その前にちょっと。

・・・・

 

アインシュタインの相対性理論によれば、我々は空間と時間の4次元宇宙にいることになる。

 

空間:X,Y,Zの3軸方向と、その中の物体の運動・変化を示す時間(it)で合わせて4次元である。

 

この4次元軸によって、宇宙の全ての物体の「位置」と「運動状態」を規定できるというわけだ。

 

私事ではあるが、自分は学生時代、高校生の頃だったか「相対性理論」に関する本を書店で見つけて、いたく興味をそそられて独習したものだ。

 

おかげで大学は地元の国立大の物理学科に行くことになったわけだが・・・・、

 

それで得た知識は、当然ながら飯を喰うための手段、後の仕事とは無縁であったが、若いころに夢を追ったことは今も人生で有意義な記憶として残っている。

 

それがあるからこそ、今があるってものである。

・・・

アインシュタインによれば、

 

光の速度はあらゆる方向で普遍であるという、当時の観測事実と、

 

宇宙には絶対静止系などは存在せず、全ては相対的な相互関係しかなく、

 

またそれぞれの運動系、慣性系での物理的法則は同一形式で示される、という、たった2つの原理から簡単な数学で導き出されるのだが、

 

気付けばそれは実にシンプルで、数学的な簡素な美しさというか、そういうものを感じたものだ。

 

・・・・ 

ところで、その相対論によれば動く物体は光速度を超えられない、あらゆる運動の最高速度は光の速度であるということになっている。

  

簡単に言えば動く物体は、光の速度に近づくほど重くなってしまい、決して光速度は超えることが出来ないという話である。

 

だからどんなに早い運動物体があったとしても、光の速度 (1秒間に地球を7周半する速度)を越えることはないとされているわけだ。

 

そうであれば、数光年、数十光年、数万光年離れた宇宙の他の恒星、惑星系に行くには、気の遠くなるような時間がかかるため、人間が生きている間にそういう旅行など不可能であるという話になる。

 

それがまっとうな科学的常識というわけである。

 

したがって、逆にどこかの星の知的生命体が地球に来ることもあり得ないと言い張っている人もいる。

 

そういう人たちは、我々も太陽系以外の恒星系には行けるはずもないという事にもなる。

 

それが常識とされているわけだ。

 

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だから、未だにUFO、未確認飛行物体が五万・・・と目撃されていても、あれは何かよく分からない現象、確認できない事象のままに放置されている、

 

・・・とそういう事になっているようなので、科学者たちと言われる人々も、それから外れて不都合を蒙ることを避けるため、黙して語らぬ状態が続くし、

 

 

逆に、常に他の権威からの情報を待っているところの一般大衆は、100年近くもそういう小さな固定観念のなかに閉じ込められていたというわけだ。

 

UFOは結構多くの人が目撃しているのだが、あれは何かの気のせい、自然現象、飛行機のたぐい、あるいは何でもいい・・・別の何か?であるとして安心しているのだ。

 

あなたはどうだろうか。そんなことより身近な諸問題で大わらわだろうか。

 

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数十年前の、ジョージ・アダムスキーの撮影したいわゆる空飛ぶ円盤であるが、周囲の場(4次元時空連続体)が歪んでいることが分る。

彼をカルトの教祖であるとしている人もいるが、実は同じ型の円盤を世界各地で目撃された事実があるのだが、それらの事実を全く無視して、トンデモ・・等と言って権威ぶり、そうやって新しい事象に目をつむる人たちも多いということだ。

 

・・・・

 

人間には、単純に・・・そこにある未知なる現象も、

 

現状の認識でうまく説明できないものは、・・・無かったことにする無意識的な働きがある。

 

これはどんなことにも言えるのだが、

 

「見えても・・・見えていない」・・・それは

 

・・・・何かを知覚しても、認識して・意識の表層に浮かび上がらせる為の

 

<内面側の気付き>が無い為である。

 

簡単に言えば、そこに何かある?「・・・何だろう・・・」という好奇心というか探究心というか、そういうものが希薄な意識状態になっているということであるとも言えよう。

 

あるいは、ただ在りのままを観察する前に、既成概念・先入観念で「ブロックされてしまっている」とも言える。

 

そして、見えても・・見えていないこと、それ自体に・・・気付いていないのだ。 

 

別の側面から言えば、自己の外側にある事象、出来事・・・それ自体は、

 

自己の意識内部にある意識レベル、それを<知>というか、<理解>というか、そういうものと合い呼応しているということである。

 

外側世界で勝手に起きていることを・・・偶然・・意識のないロボットのように、ただ単に眺めているということではないのである。

 

ちょっとヤヤコシイのだが、

 

あなたの内側と外側世界はメビウスの輪のように、ぐるりとつながっている・・・というのは、

 

まるで禅話のようだが、これが真実である。

 

また宇宙という時空連続体もメビウスの輪のようにつながっているのである。

 

現状の科学的理論をもとに言うとすれば、

 

テンソル解析で記述されるアインシュタインの重力方程式によれば、宇宙は無限に広がっている・・・だだっ広い空間・・・・ということではなく、ある意味で有限な「4次元球体」ということになる。

 

地球が3次元的球体であるように、宇宙も4次元時空連続体での「球体」である・・・ということだ。

 

だから、地球上でまっすぐにある方向に進めば後ろから戻ってくるように、宇宙もどこかの方向にまっすぐ進めば、あら不思議、後ろから戻ってくることになる。

 

・・・・

 

後ろの正面は誰・・・?の回答は、<あなた>自身だという事になる。 

 

我々の目の前にある無限に広がっているかに見える「宇宙」は、

 

相対論的な見解によれば、それは「4次元球体」なのである。

 

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とすれば、地球や他の星のような球体が多くあるように、宇宙という時空連続体もまた無数にあると推測されるだろう。

 

そう、4次元宇宙球が、これまたまた無数にあるというわけである。

 

あーっ、実に頭がクラクラするような話であるが、実際我々はそういう多次元的といえる世界にいる。

 

五次元理論で有名な、アメリカの女流物理学者であるリサ・ランドール博士は、じつはそういうレベルの話をしているのである。

 

・・・・・

 

これは「多次元宇宙」という概念ともシンクロしているわけで、なるほどこのレベルの世界認識は、いわゆる五次元認識と言って良いだろう。

 

逆にミクロの問題を扱う素粒子論では、素粒子の不確定な動きからパラレルワールドという概念が導き出されるわけで、これも世界は多次元的だというたぐいの話なのである。 

 

多次元宇宙を明確に理論立てることやその検証が可能であれば、今までの科学的な方面からも、

 

4次元宇宙というカテゴリーを超えることが可能となる、つまり、時間空間の制約を受けることなく、

 

より自由自在に時空を飛び越えたり、瞬時にある場所に出現したり消失したりが可能となる。

 

つまり、現在制約されているところの4次元時空 (我々の認識している時間空間) を超えることも可能となるのだ。

 

それが言わば<5次元認識世界>というわけである。

 

 

・・・

 

そして、その自由自在に時空を飛び越えたり、瞬時にある場所に出現したり、消失したりしているものが、この地球で盛んに目撃されているのが、

 

じつのところは「UFO」というものなのだ。

 

したがって、UFOの・・・・の当事者とは、多分に5次元的認識レベル以上にある存在であるということが出来るだろう。

 

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我々は今まで4次元的な時空認識、世界認識であったというわけだが、

 

もうすでに、徐々に5次元認識に移行している・・・・とも言えるのである。 

 

UFOが盛んに目撃されるようになったという事象は、5次元的なものがこの世界に滲みだしてきたというか、そういうことを示すわけだ。

 

何も力まずとも、叫ばずとも、そういう時代になっているということである。

 

おいおい、マジか?というわけだが、これが分らない人にとっては皆目わからないかもしれない。

 

・・・・・

 

少なくとも、我々は実際、全てのことを知っているわけではなく、

 

ほとんどが未知なるものに囲まれている世界に在る事自体に

 

・・・・・・・・気付かなければならないのである。 

 

・・・・

 

ちょっと前置きが長くなったのだが、身近な世界で宇宙人に合ったという話をしよう。

 

なぜそれが解ったのか・・・、そうだと言えるのか? 当然ながら相手がそうだ・・と発言したからではなく、総合的な事象分析と内面の直覚知からである。

 

宇宙人との遭遇等と言っても、何もハリウッド映画のような極端なセンセーショナルな筋立てや、ファンファーレの鳴り響くような刺激と興奮を醸し出すようなものとは限らない。

 

ごく身近なところにこそ、不思議な現実がある・・・ということである。

 

・・・・

昨今は宇宙系のことにしても、多くはアメリカ発の情報だろうが、

 

様々な<ある事・ない事>の情報が出回っており、さもおどろおどろしい情報、未知なる事への恐怖からくるイメージや、

 

あるいは逆に、何様にでも現状からの救いを求めるような、お花畑風の期待イメージやらがあるわけだが、

 

どちらも本質とは離れている。 

 

・・・・・

さて、

 

私は今でも仕事の関係で都心に通っており、通勤途上で毎日何千人という人々を見ているために、

 

かつて何度か、全く 「普通ではない印象を受ける人」 に遭遇した記憶が何度かある。

 

普通ではない・・・という意味は、そう・・・、どこか精神的なオーラというか、清楚さというか、見えない輝かしさというか、

 

そんな明らかな・・・通常ではない「雰囲気を」感じさせる人がいる・・・ということである。

 

それを全ていわゆる宇宙人とするのも早計なのであるが、どこか・・・そういう感じがピンとくるのである。

 

そういう話をすれば、すぐにトンデモ系だという風に、カテゴライズにされてしまいそうであるが、

 

事実あるいは現実とは、そんな風な例えば、問題集と回答集でハイ終わり・・・・のようなものばかりではない。

 

・・・・・

 

最近のことだが、

 

たしか今年の5月の始めだったと記憶しているが、いつものように家内と2人で買い物に出向いたのだった。

 

家から歩いて10分ほどの ベルクス という、とあるスーパーマーケットである。

 

そのスーパーには、隣接してマクドナルド(マック)があって、店の外側にもテーブルや灰皿が置いてある。 

 

その日は家を出る前から少し胸騒ぎというか、やや興奮気味というか、イライラ感というか、

 

そういう「こころのトーン」というか、何かざわめきを感じていたようである。

 

・・・・

 

家内と何事か色々なことを喋りながら、スーパーへたどり着き、

 

いつものように食品類をカートに入れながらも、いつもと違う精神的な感覚を、知らぬどこかで感じていたようである。

 

妙にお腹のあたりが空腹感というか、そんな時に良くある腹立たしさ感というか、イライラ感というか、そんな感覚がどうしようもなく出てきていた。

 

なぜか急に腹が減ったような・・・・良く言う虫の知らせのような、内面感覚とでもいおうか。

 

(そうだ、たまに店の前のマックのハンバーガーでも食べようか)

 

マックに恨みはないのであるが、普段はこういうことは全く考えない・・・、が、その時はそういう気になったのだ。 

 

・・・・・

 

レジを済ませて店を出て、

 

「たまにはいいかも、今日はハンバーガーでも食べようや・・・」と家内に言ったところ、

 

「へー、お父さんがハンバーガー?」 という反応で、

 

さも珍しそうな顔を向けられつつ、自分としてはどこかイライラしながらそのマックの店に入ったのだが、

 

精神的な泡立ちとでもいうのだろうか、不可思議なイライラ感が相当に高まっているようで、

 

そういう心がすぐに現れたせいなのかか、

 

どのハンバーガーを買うかで家内とちょっともめることになった。

 

「あれがいい、・・・いやこれよ!、 いや・・俺が言いだしっぺだから俺が決める・・・」

 

まあ、なんと子供のような会話である。(大笑)

 

それで、家内は「ぷいっ」と怒ったように店を出て行き、店の外に設置してあるテーブルで座って待つとのこと。

 

私としては、普通のチーズバーガーとハンバーガーをトレーに乗せて、

 

店の前のオープンテーブルに持って行って2人で食べようとしたのだが、

 

家内はちょっぴり癇癪を起したようで 「私はいらない」 という・・・・・、あれ怒っているの?

 

とか何とか会話している、その時に、・・・・

 

 

 

「それは、どこでもらえるのですか?」  という見知らぬ若い女性の声がした。

 

それ・・・・とは家内が見ていたマックのバーガーのチラシのことらしい。

 

家内の買おうとしたが・・・ダメだった、新しいメニューが載っているマックのチラシである。

 

 

(おいおい、これはマックで客に添付する、単なる宣伝チラシじゃないか・・・)と私は思ったものの、

 

そのチラシに興味があるような言い方なので、家内はその女性にチラシを手渡したのだった。

 

その女性の年の頃はといえば、20代中から後半の雰囲気である。

 

「ああ・・、どうもありがとうございます・・・・・」 と、その女性。

 

(?って、あなた・・・、ハンバーガーのチラシが珍しいの?、変な人だナ・・・) 

 

と内心ちょっと訝(いぶか)りながら、私は超久しぶりのハンバーガーをパクついていた。

 

 

(つづく)

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今起きていること (2)意識ステージの波動転換

2014-07-07 23:10:35 | 見えないものから見えるものへ



我々の世界では、数年前に地上波デジタルとなって、古い受像機やチューナーは既に使えなくなった。

 

これはTVの画像音声等の情報を乗せている電磁波の基本周波数が、 

 

数段と高くなり、より鮮明な画像や高音質を味わうことが出来るということである。 

 

 

現在の科学では、TV受像機やステレオ音声に限らず、 

 

あらゆる全ては波動として理解されているのだが、あなたはそれを実感できるだろう。 

 

そして、今この世界は波動調整を行っていると言われている。

 

 

確かにそうであるが、・・・その変化が分るだろうか。 

 

 

もっとも顕著にその変化が起きているのは、やはり意識を有する人間であり、またその周囲環境なのだ。 

 

今不可思議な、宇宙的というかそういう波動が人類意識に浸透している。 

 

自己の「こころの動き」が見えない場合には多分わからないだろう。 

 

潮目が変わるという言葉があるが、流れの変化ではなく、波の振動率そのものが高くなっているということである。 

 

ベースバンド、一番細かい搬送波の周波数自体が変わっている・・・という表現は妥当かも知れない。 

 

自分のこころというか、内面のざわめきの・・・・何かの変化を感じないだろうか。 

 

ネガティブにとらえる必要はないものの、何か、根本的な変化が起きてはいないだろうか。 

 

・・・・

 

世の人心の興奮しやすさも、気象の変化のしやすさも、地殻の揺れの頻度の増大も、 

 

ウソを平気で言うバレバレの政治の焦りも、雨の後のたけのこが出るような中東の殺人集団のにわかの出現も、 

 

大衆の前で平気で泣き叫ぶ、外見だけ立派そうな霊的幼児の政治屋たちの、あられもない出現も、 

 

経済が落ち込むのが分っていても、大衆にさらに増税を課し、更に国家の負債に転化しようとする役人たちも、 

 

どこかの地域の分割に関わる戦闘に参入し、あわよくばその地域での権益と市場の確保を目論む世界中の軍事産業も、 

 

最後の最後まで株式市場に金をプールし、ここぞという時期を見計らって堰を崩し、世界同時金融崩壊と最安値での買いたたきを画している者たちも、・・・・ 

 

表面意識では・・・何かの焦りとしかとらえていないものの、 

 

潜在意識下では、世界の何かが・・・大きく変わっていることに気付いているのだ。

  

 

ところで、あなたは「こころ」を観る、感じる努力をしているだろうか。 

 

どこか、もう今までのようには悠長に眠っていられない、おバカなウソ遊びばかりはやっていられない、 

 

そんな見えない衝動が内面から突きあがり、それは・・・どうしてよいかわからない魂達の焦りと言って良いだろう。 

 

だから権力や権勢や微妙なパワーバランスにある存在達が、 

 

見境なく、あらゆるところで、今まではタブーとされてきた色々な事を起こし始めているのである。 

 

表面意識ではどこか「焦り」としかとらえていないものの、 

 

潜在意識下では、何かが大きく変わっていることに気付いているのだ。  

 

その何かとは、古い世界の終焉であり、長く観てきた映画のエンディングである。

 

 

 

25800年という、魂にとっては短く、肉体にとっては長いこの地球でのスタディのエンディングである。 

 

今はもう、その終わりのはじめではなく、華やかな?フィナーレに近づいていることに気付けるだろうか。 

 

ある意味で、そう、地球という生命圏の基本周波数移行、相の転換のようなものが行われているということだ。 

 

その周波数の転換とはどういうものだろうか。 

 

・・・・・

 

我々の世界の全て、 

 

見ているもの、聞いているもの、さらには触っているものまで、 

 

それが物質として、固そうに見えていても、結局は全て波動・振動である。 

 

 

我々は、現実生活のなかで・・・・その波動を観察しているのだ。

 

物質レベルは機械検出が出来るほどの粗い波動であるが、さらに、意識の働きである人の想念も波動なのだ。 

 

そう、あなたのその頭に去来する思い、イメージ、想念も「波動」なのである。 

 

あなたの頭?で想起するイメージ絵等は、パソコンやスマホの画面のような、電磁波による波動ではないが、 

 

実際、間違うことなき波動実態なのである。・・・・でなければ描けるわけもないではないか。 

 

 

 

想念の波動は肉眼では見えないが、いわゆるこころ目で見るというように、

 

 

あるいは以心伝心、こころをもってこころを伝えるというように、それも波動だということだ。 

 

そのはるかに高次の想念波動は、物質レベル、あるいは観測機器で検出可能な電磁波レベルの波動でないために、 

 

有るようで無いような、単なる抽象的、形而上的なものとされてきた。 

 

また、それが即物的でない、飯の種にならない単なる計算能力や記憶機能・・・との近視眼的な捉え方で終始してきたのだ。 

 

違うだろうか。 

 

多くの人は、人の群れの方、多くの物のほう、物を獲得しやすい地位や権威のほう、 

 

そればかりを追い求めてきたのだろうか。

 

 

より高い波動である精神だとか、こころとか、そういう見えない部分を忘れていたのではなかろうか。 

 

皆がそうだからという雰囲気だけで、・・・・自分で考え、観じることを避けてきたのかもしれない。 

 

 

しかしながら、重要なのは外の一見明確そうな物質的幻影ではなく、 

 

それを観ている、それを感じている、それから学んでいる・・・・ところの、 

 

あなたやわたしという・・・・魂の気付きの成長、あるいは意識の拡大努力である。

 

 

そう今は、物質レベルより精細な波動である人間の「想念」が、あたかも高周波の地上波デジタルへの移行のような新たな同調、新たな生命ステップでへの意識的同調が必要となっているのだ。 

 

 

その変化を感じることが出来る意識内面を観ようとせず、 

 

相変わらず、生きている間の銭金物を追いまわすこと、外の世界を探し回っているおかげでなかなか気付けない。 

 

人であるからには、新しい意識周波数に合わせるように、潜在的に意図してはいるものの、 

 

どうやっていいかわからないために混乱を招いているようなものである。 

 

要は、人間の潜在意識下では、その想念の質が変化するように促されているのだが、 

 

あまりにも重く粗い物質価値観にそまっていた為に、うまく高精細な波に乗れない焦りがあると言えるだろう。

 

ここで良く言う、見えないものが見えるものになるプロセス、

 

 意識~⇒想念~⇒エネルギー~⇒現象変化

 

理解において、この順番が逆転していれば、そうなってしまうかもしれない。 

 

物が、変化が、先にあって、・・・・そして意識が変わるのだと、そういう唯物論的観念では、 

 

外側の大きな変化があった時には、もうすでに終わっていることになるだろう。

  

 

意識が根源なのである。 

 

想念が先なのである。 

 

その鋳型でエネルギーが流れ込み、 

 

現象結果となって現れるのだ。

 

 

 

・・・え、一体全体何を言っている? 

 

という人も多いかもしれない。 

 

 

人間は偶然の産物だと、自然界のランダムな反応で偶然生命形態を持ったとか、 

 

そういう解った風で、実は何もわからない西洋的な唯物観念こそが真実だと、そういう刷り込みはなかっただろうか。 

 

人間はこの世界に偶然に生まれ、いつか偶然に死んでゆき、そしてそれで終わりだ・・・というような、 

 

物質的生命観、目に見え、重さが測れる肉体だけが自分であると、そういう風に信じ込んでいたのだろうか。 

 

それが最先端の西洋科学、近代科学であると教え込まれてきたのだろうか。 

 

ああ、そうだ、そういう風に集団で刷り込まされてきた、そういうことに気付けるかもしれない。 

・・・・・

 

私も経験があるが、幼いころには例えば幼稚園や保育園にいかされる場合があり、 

 

そういう幼い意識レベルの時には、その幼稚園だとか保育園が、どういう意味を持つのか皆目わからず、 

 

多くのお友達の中で、アップアップでも、何とか過ごせるようになるわけだが、 

 

そもそも自分たちが・・・「なぜ」そういうところに通っているかが分らないだろう。 

 

ただ親に手を引かれて、あるいはバスで通っている、その幼稚園やら保育園の仕組みなど、 

 

周囲のことも親のことも、皆目わからないものである。

 

 

そうではないか?

 

・・・・

 

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この地球という生命圏も大きくはそのようなものであり、 

 

そこに通う幼稚園児とは、学習・進化している魂であるところの、あなたやわたし達なのだ。 

 

ここに、この次元、この地球に生きていながら、ここがどんな場所であって、それは何を企図しているのか、 

 

自分とは何か、・・・・皆目わからないお友達もいるだろう。 

 

 

自分で感じ、考え、行うことの深い意味が分らない者たちである。 

 

そう、この世界も、 

 

多くの我々霊的幼児たちの、魂意識の開化の為の修行フィールドのようなものである。 

 

しかしこの幼稚園も1つステップアップする・・・その時節が来たのである。 

 

 

 

それは、進化途上の愛すべき魂達の古い時代からの・・・栄えある卒業である。 

 

・・・・ 

 

世界で騒乱に加わっている者たち、それを裏で操作している者たち、 

 

人の痛みもわからない頭計算だけの権力者たち、 

 

そういう、自分が何か・・・皆目わからない者たちこそ、 

 

この世界の物、銭、金、権威、威力等を追い求めている年少組の幼児たちかもしれない。 

 

いや実際、どうだろうか。 

 

そういう幼い者たちが、大きな勘違いをして、蓄積した銭金物、権威、そして威力でもって、 

 

その幼稚園を占拠してしまうことも考えているとも聞こえてくるが、 

 

一体全体何をしているのだろうか。 

 

大いなる生命の進化の仕組み、魂の学習プロセス、それがわかっていない・・・証拠である。 

 

そういうものたちが、泡が表面に浮き上がるように出てきた感のある世界情勢ではなかろうか。 

 

だから世界には騒ぎが増大しているのである。 

 

より精細、精妙な意識の表現の方に移行すべき時期、それが難しい者たちの苦悶と焦燥を示しているのだ。 

 

何も金融派生商品やらデリバティブやらの損失、あらゆる地域の国家負債の限度超え等で、世界中でお金が滞っているだけの話ではない。

 

・・・・

 

これから、地上での想念の波風が更に激しさを増してくるだろう。 

 

人間の行動が色々と激しくなるのは、まるで台風のようなものだろう。 

 

しかしながら、事ここに及んでは、 常にそれぞれの<わたし>の中心にいるべきであろう。

 

幻影の渦、現象変化に巻き込まれないようにするべきではなかろうか。

 

 

 

不安や焦りに動かされ、人類の意識の表層に出てくる濁流へ、頭から突っ込んでしまうのは、面白くもあるまい。 

 

そうではないか?

  

 

あなたに映ずる感覚世界、外の世界は、

 

中心たるあなたという、大いなる「意識」の投影である。 

 

なかなか、小さな表面意識ではわからない部分が常にあるのだが、 

 

しかしながら、魂にとって意味が大いにあってこそ、そこに現出しているように見えるものである。 

 

そう、それを忘れてはいけない。

  

 

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本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

  

尚、次回は、俗にいう・・・宇宙人、そういう存在に遭遇したという、まるで嘘のような、本当のような話をしようと思います。